「私を、検査してください」

 何年前になるだろう。
 一人のレイキャシールが、そう言って私のもとを訪れたのは。


 名前はシノと言った。
 今はもうだいぶ少なくなってしまった、非自立型アンドロイドだった。
 ミヤマ家の主に三代に渡って仕えているというから、現在活動している中では最も古いタイプに分類されるだろう。
 現在の所有主は、「豪刀」ゾーク=ミヤマ。

「病院か、ラボに行くべきだろう。それに、君が非自立型アンドロイドであるならば、検査依頼は所有者であるゾークにしかできないことになっている」
 私が言うと、シノの表情に少しばかりの翳りが表れた。鉄の塊にすぎないアンドロイドでも、長い年月活動を続けていると、これくらいのことはするようになる。だが、

「私には、ゾークの役に立ち、彼をサポートするという使命があります。それを果たせなくなる可能性のある異常を自らに感知した以上、それをゾークに報告し、しかるべき処置を受ける必要があります」
 と言った声は、あくまでも淡々としていた。

 感情の希薄さを感じさせる声音だ。
 マスターの命令を至上とする非自立型アンドロイドは、こんなものだ。彼女も、その報告を行い、ゾークにより廃棄を言い渡されれば淡々と「はい」と答えるだろう。

 だが、彼女はここにこうして存在している。ゾークは、シノの報告を蹴ったに違いない。検査など受ける必要はない、と。
「ゾークは、検査を受けることはない、と言ったのか?」
 確認のため尋ねると、シノはうなずきもせずに「はい」とだけ答えた。

「それで、何故私のところに?」
「病院では、所有者に同伴されていない私を検査してくれません」
「ふむ。それで私のところに、ね」
 私がある程度、世間のルールを無視した行動をとりうることくらいは、ある程度ではあるが、知られている。
 シノというこの子も、どこからかそんな話を聞いてきたのだろう。
 検査くらい、簡単にしてやれる。
 設備を貸してくれる気の置けない友人もいるのだ。
「いいだろう。ついておいで」
「はい。感謝します」

 私はシノを伴って、8区にあるラボに向かった。
 そこは私とは20年来の付き合いになる、とある科学者の居城だ。私について、最も詳細に理解している理解者であり、協力者でもある彼、ベクター=レイン博士に頼めば、検査システムくらい二つ返事で貸してもらえる。

 ベクターはどうやら虫の居所が悪いようで、私が用件を告げると、勝手に使え、とだけ言って寄越して、顔も見せなかった。
 無愛想で言葉遣いも乱暴で、そのうえ頑固で短気、すぐに怒鳴り散らす、と、助手がなかなかいつかない老科学者だが、技師としても一流であり、信頼できる。
 私が検査システムのあるモニタールームに向かい、ごちゃごちゃと機材が詰まれている狭い廊下を歩いていくと、前から、ベクターの孫であるアシュミーが走ってきた。
 まだ3歳ばかりに見える幼い少年だが、これが神童、あるいは天才と呼ばれるものなのだろう。
 手に持っているのは玩具のガンや乗り物の模型ではなく、ベクターが使い古したパソコンだ。

「じいちゃん、機嫌悪かったでしょ?」
 彼は私の前で立ち止まると、そう言って嬉しそうに笑った。
「またやらかしたのか」
 私はそう答えた。アシュミーは、得意げに鼻を鳴らす。
 恐ろしいことに、彼は時折、信頼のおける科学者として何十年と生きている祖父を、論理的な議論の果てに言い負かすことがあるのだ。
「今度はなにを議論したんだ」
「アンドロイドのセルフバランサーの軸調整曲線についてだよ。ねえ、先生。今度、先生の考えも教えてよ」
「分かった分かった」
 とんでもない頭脳は持っていても、子供だ。せがむ姿は、「今度遊びに連れて行って」と言っているのと変わりない。
「約束だよ? じゃあね!」
 アシュミーはガラクタを飛び越えて、元気に走っていく。

 シノはさして驚いた様子も見せなかったが、
「彼は、ホルモン障害でもあるのですか?」
 と聞いてきた。
 ホルモンの異常で成長しない、という症例はある。アシュミーにも、実はその傾向がある。3歳程度にしか見えないが、実際の彼は7歳だ。だが、30や40の立派な大人が、幼児の姿をしているというのではない。
 私はアシュミーについて簡単に話しながら、シノを目的の場所へと連れて行った。

 メンテナンスルームで、必要さとれる機器をチェックしながら、私はシノの口から彼女が自覚したという「異常」について聞いた。
 それは、命令無視傾向、というものだった。
「従ってはいます。一度も反したことはありません。ですが時折、従うまでにラグが生まれるのです。その間の思考データを検証すると、命令を実行したくない、という思考記録が確認されます」
「つまり、マスターであるゾークになにか命じられても、素直に実行できないことがある、というわけか」
「はい。いつもではありませんが」
「たとえば、どういう命令だい?」
「多岐に渡ります。最も最近のものでは、待機命令を、これは実際に無視しかけました」

 コードをシノにつなぎ終わり、彼女に横になるように言う。
 そして、メインシステムを落とし、維持システムのみで「眠る」ように指示した。

 検査結果によれば、たしかに異常は発見された。
 だがそれは、私が思ったとおり、自立型アンドロイドであれば、決して異常とは呼べないものだった。
 シノには、あらかじめプログラムされた以上の、感情が存在している。
 本来ならば発達しないはずの情動プログラムが、そのアルゴリスムが、変化、発展しているのだ。
 私は目を覚ましたシノに聞いた。
「待機を命令を無視しかけた時の情況を教えてくれるか?」
 シノは「はい」と答えた。
「ゾークと、とあるフォマールと共に、クリーチャー討伐に行きました。そのおり、クリーチャーが棲息するという洞穴に、ゾークは一人で入ると言い出しました。私たちをその場に残して中に入り、様子を見てくる、と。私は……待っていることが困難でした」

 心ある人間ならば、ゾークという男を慕っていれば、シノの感じたものは当たり前だ。
 待っていろ、といわれたところで、一人では危険ではないか、と思い、ついていきたいと思う。
 人間なら、なんの不思議もない。
 だが彼女は、人間ではないのだ。
 非自立型アンドロイドは、ロボットと同じ。
 人間に所有される道具でしかない。
 道具として生み出され、扱われ、死ぬのではなく、壊れる。

 与えられた感情というものは微小で、頭の中にあるのは、命令にそむかないための義務感、使命感、責任感。
 僅かな感情さえ、人間にスムーズに使われるために必要な、好意や敬意、といったものだ。
 だが彼女は、長い時間ミヤマ家に仕えているうちに、その情愛の中で、ゆっくりと育ってきたのだろう。
 いくらでも新型を買えるにも関わらず、ゾークという男が旧式のシノをメンテナンスし、バージョンアップして傍に置いているのが、その愛情の証だ。
 なにより、危険な斥候などいくらでも修理できる道具にやらせればいいものを、自らが行うと言ったゾーク。会ったことすらないが、噂は聞いている。それはハンターズとしての評価だが、その噂以上に、敬愛すべき素晴らしい男ではないかと思えた。

 無理もない、と私は思った。
 それだけ愛されていれば、道具にも心は宿る。いや。もともとあった小さな芽が、育つことに不思議はない。
「私は、廃棄されるべきではないのでしょうか」
 シノは言う。
「馬鹿なことを言うな。それを決めるのはゾークだ」
「そうでした。私に選択権はありません」
 なにも変わらない表情に、微かに漂う気配が哀しみと寂しさに思える。
「いいか、シノ。ゾークは君にたとえ異常があろうと、それは修理する必要もないと判断したんだ。君は、そのゾークの判断を信じればいい」
「ですが、命令に背いてしまえば、私は欠陥品です。廃棄されます」

 愛する主から捨てられる哀しみ。
 そうなるのではないかという不安。
 微かだが、間違いなく感じ取れる。
 彼女の声から。

 私はふと、万一にも彼女がゾークから捨てられるようなことがあれば、その時に彼女は、涙を流すのではないか、と思った。
 そんな、形作られただけの目から溢れる涙を、見たような気がした。

「そんな心配はない。ゾークは君を、」
 言いかけて、やめた。
 愛している。
 そう言ったところで、シノには理解できないのだ。
 ゾークがシノを、頼りになるパートナーとして心から愛しているとしても、その気持ちは彼女には理解できない。
 たとえ伝わってはいても。
 そして、もう既に伝わり、通じ合っているとすれば、言葉によって名づけることになんの意味があるだろう。

 こんなものは私の想像と推測に過ぎないが、本来は心なき道具でしかないはずの「物」が、心を持つほどに成長したのだ。彼女がミヤマ家の者によって愛されてきたことだけは間違いない、とその確信は揺るがなかった。
 そして、そうまでも愛され、またゾークという主を、命令を超えてまで案じるシノは、決してただの道具などではない。
 人間だ。

「心配することはない。君はただ、今までどおりゾークの傍にいればいい」
「そうなのですか。では、そうします」
 シノは私の指示に従うことを、自己の存在意義に反する言動を促すものではない、と見なして承認した。
 もっと人間的に言うならば、心を決めたようだった。私の言葉を信じ、ゾークの判断を信じよう、と。

 

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