「道は覚えているだろう? 私は少しここで遊んでいくよ」
「はい、分かりました。ありがとうございます。検査費用は」
「いらないよ。ベクター……ここの主も、装置の使用料を寄越せとは言わない男だ」
「ですが、それでは」
「いいんだ。もらうべき代価はもうもらった」
「え? では、ゾークから既に貴方に、私が貴方のところに現れるかもしれないと、前もって……」
「そうじゃない。いいから、帰りなさい。君が私のところに来たことなど、ゾークは知らないかもしれないし、もしかしたらと気付いているかもしれない。そして、君が今日私のもとを訪れたことを、ゾークに報告するかどうかは、君の自由だ。いや、つまり、君の判断に任せるよ。行動の詳細を告げる義務がある、と考えるならばそうすればいいし、命令に拘束されていない時間のことを報告する義務はないというならば、なにも言わなくてもいい」
「はい、分かりました。では、失礼します」
 シノは礼儀正しく一礼し、まっすぐに歩き去っていった。

「あの人、帰っても捨てられたりしない?」
 後ろから、アシュミーの声がする。
 彼が途中から部屋を覗いていたことは、とっくに知っていた。
 おおかたこの天才少年は、それでも子供らしい純粋な興味と悪戯心を発揮していたのだろう。ただし、マセた子供のような想像によるものではなく、私がアンドロイドを一人、メンテナンスルームに連れて入った、というところから生じる、科学的な興味に違いない。
 だが、今私に向けた声は、不安げだった。

 私は振り返り、アシュミーを抱き上げた。
 彼は2メートルを越える高さに持ち上げられるこれを怖がったが、今は、どうしてもこうしたかった。
 ついさっきすれ違っただけの、非自立型アンドロイドが、主に捨てられやしないかと案じる心を、抱きたかった。
 アシュミーは私にしがみついたが、いつものように、下ろしてくれとわめきはしなかった。
 じっと私を見ている。

「大丈夫だよ。彼女の主であるゾークは、売り出し中のハンターズとして、評判もいい。若いが切れるし、落ち着いた男だとな。異常の内容は彼も知っている。その上で、検査する必要などないと言ったらしい。心配しなくていい」
「そっか。それなら、いいんだ」
 ほっとしたように、アシュミーは力を抜いた。

「なあ、アシュミー」
 私は問う。
「彼女は……非自立型アンドロイドだが、どう思う?」
「どう思う、って? 好みかどうかってこと? じゃないよね?」
「戦闘のために携帯する武器に等しいか、それとも、パートナーか」
「そんなことをわざわざ聞くの?」
 アシュミーは意外だと言いだけに、アメジスト色の目を見開いた。
「ぼくは、ある生き物について、なにをもって人間というかなんて論理的には説明できない。考えたって、答えは出なかったよ。でも、誰かを好きだって思う気持ちがあるなら、その人は人間だと思う。理屈じゃなくてね、そう思うよ」
「そうだな」
 私は聞きたかった答えを聞いて、満足だった。

 だがほっとした私の隙に一撃を撃ち込むように、アシュミーは真剣な声で私を呼んだ。
「ねえ、先生」
 腕の中を見ると、大きな目が真摯に私を見上げていた。
「ぼくね、そう遠くないうちに、もっと完璧な情動プログラムを作りたいと思ってる。そのためにはぼくはまだまだ無知だけど、きっと、必ず作るんだ。アンドロイドみんなが、先生みたいにいろんなことを感じられるようになったらいいと思うんだ。いずれ、プログラムを超えて、プログラムにはない自己増殖をはじめるような、そんな……そうだね、ウィルスみたいな情動プログラムだよ。そりゃもちろん、今のものだって、長い時間の間にはそんなことも起こってる。でも、ダメなんだ」
 アシュミーの目にうっすらと涙の膜がかかった。
「ハンターズのみんなには、そんな時間がないんだから。10年かけてやっと誰かを好きになったのに、そうしたらもう体はぼろぼろで、すぐに死んじゃったり、廃棄させられたり。そんなんじゃダメなんだ。せめて2年、3年、ううん、できるなら1年もすれば、ちゃんと自分の心で誰かを好きになれるような、そんな心の素を作りたい」
 決意のきらめきに押されるようにして、雫が落ちた。

 いかに天才とは言え、ほんの7歳の少年のものとは思えない言葉に、私はしばし茫然とした。
 その沈黙をどう受け取ったのか、アシュミーの顔が歪む。
「先生」
「……なんだ」
「ぼくのしようとしてること、やらないほうがいいこと? ぼく、いろんな知識はあるけど、そういうことってよく分からない。じいちゃんは、やめておけって言う。でも理由は言ってくれない。昨日喧嘩したのは、ホントはそのことなんだ」
 瞬きにつれて、一度に何粒もの涙が零れ、アシュミーの服、私の腕に落ちた。

「ぼくが間違ってるの? それとも、じいちゃんが間違ってるの?」
「アシュミー」
「ぼく……」
「ベクターがおまえを止めるのは、おまえの言っていることが間違いだからじゃない。ただ、危険だからだ。賢いおまえになら分かるだろう? 大多数のマンは、アンドロイドをあくまでも管理しておける道具にしておきたがっている。柔軟な行動を実現するために感情は与えるが、それが過剰に発達し、マンにとって危険な存在になることを恐れている。だから、感情が明確になってきた時点で死んでくれる、現在のプログラムは極めて有効なんだ」
「でもだったらアンドロイドはマンの道具だってわけ!? 先生はそれでいいわけ!?」
 甲高い声で、怒鳴りつけられる。
 強く責める声だ。

「いいはずがない。一概に悪いとは言えないが」
「……ぼくが間違ってるんだね?」
「そうじゃない。感情が希薄なほうが、楽なんだよ。だから、悪いことばかりではない、と言っているだけだ。感情が強くなれば、敵と戦う恐怖も大きくなる。死に直面した時の恐怖もだ。……誰も好きになれないのも寂しいことだが、少なくとも、そんな恐怖は知らないままで済む」
「それは……先生が何度か死にかけた、ハンターズだから?」
「そうかもしれない。だが、ベクターがおまえを止めるのは、危険だからだ。アンドロイドに、より強い感情を与える、ということは、現体制を根底から覆しかねないことなんだ。そんな研究をしていては、命を狙われることだってある。ベクターは、おまえをそんな目に遭わせたくないから、そんなことはやめろと言うんだ」
 アシュミーは、唇を噛んで俯いた。
 祖父の思いを、そこに噛み締めているようだった。

 だが顔を上げた時、アシュミーは言った。
「でも、ぼくはやる」
「アシュミー」
「ぼくは子供だから分かんないけど……楽しいこととか、本当に可笑しいこととか、誰かを好きだって思う気持ちがないのって、つらいとか苦しいとか、哀しいって感じることがないより、……う……、分かんないけど、そっちのほうが嫌なことだと思うんだ。ぼくは、……そんなのぼくの勝手で、ひどいことしようとしてるの? ねえ、先生」

 ……アシュミーは、子供だ。
 どんなに頭が良くても、全てを自分一人で決めて、自分一人の責任としてまっとうしなければならないような、大人ではない。
 ただ一人、世界から憎まれるかもしれない道を突き進むのは、どれほど心細いだろう。
 やると決めても、どれほど不安な道だろうか。

「やればいい、アシュミー」
 私は言った。
 やらせることでアシュミーがどれほどの危機にさらされるかは分からないが、やめろと言っても、この子はきっとやりはじめてしまうだろう。
 たった一人で、孤独に、つらい道を歩むことなんかない。
 ベクターには恨まれるだろうが、それでいい。私を恨めばいい。私が頷いたからアシュミーは実行したのだと。

「結果は、歴史がいずれ決める。そして、どんな結果も、そこからまだなにかを続けることができる。アシュミー。やりたいようにやればいい。おまえはおまえの信じた道を生けばいいんだよ。ベクターは心配するだろうが、彼もそんな険しい道を乗り越えてきたんだ。……おまえは、そんなベクターの孫だ。おまえの両親だって、誇りを持った一流の技師だった。だから、おまえならきっとできる。私は、できると信じる。アンドロイドに、本物の心を分けてやってくれ」

 そしてアシュミーは、走り始めた。自分の道を。


 アシュミー=レインはそれから二年後に、現在使われている情動プログラムの基礎となる理論を完成させた。
 だがそれから半月もしないうちに、生きてはいなくなった。ラボの自室にいる時に、外から頭を撃たれた。即死はしなかったが、生命維持カプセルの中でほぼ冷凍保存された状態は、生きているとも言えなかった。
 犯人はすぐに捕まった。だが移送中のエアモービルの中で爆死し、捜査は、やがて立ち消えになった。
 ベクターは、そして心ある仲間たちは、アシュミーの作り上げた理論によってプログラムを作り出し、実用化するために動き、あらゆる障害を跳ね除けて実現させた。
 それが今から四年前のことだ。アシュミーが理論そのものを完成させてからは、十年の時が過ぎていた。
 ベクターは、アシュミー・プログラムを用いた最初のアンドロイドが完成すると同時に、まるで力尽きるように死んだ。

 そして昨日、シノが死んだ。
 彼女からの依頼を受けた者が、ギルドに依頼完遂の証として、ゾークの所有していた三本のカタナと、シノの言葉を届けた。
 私が彼女の検査をした時より、思いははるかに深まり、強くなり、長い年月を共に生きてきたゾークを失った喪失感によって、命令に背くということをしてのけたのだろう。

 私はその情報を入手すると、即刻CCからベータとカルマ、そしてグレンをコールした。
 特に急ぎの仕事があるのでないならば、なんとか無理をしてでも、今すぐに私の護衛をしてくれるよう頼んだ。言葉そのものは依頼でも、語気は命令に近かったかもしれない。
 三人とも、理由も問わずに引き受けてくれた。

 私が向かったのは、ラグオル地下、古代遺跡と言われている場所だった。
 そして、シノが機能停止を選んだ地点だ。
 途中、休むことは許さなかった。
 だが誰一人、文句も言わなかった。
 出遅れたのではないかと思ったが、なんとか間に合った。
 パイオニア2屈指のハンターズを三人も揃え、全力で戦わせて進んだのだ。それ相応の成果だ。

「ベータ、グレン。責任は私がとる。奴等全員、叩きのめしてもいい。止めるんだ」
 私は、立ち尽くすシノを囲んだ連中を示した。
 二人は一瞬顔を見合わせたが、やはりなにも言わず、私の言うことを実行してくれた。
 雇われたらしいハンターズ、政府か総督府の研究機関が動かしたと思われる軍人、殺しこそしないが、全員を行動不能に追い込む。
 カルマは自らの体を盾にして、ベータとグレンをフォローしてくれた。

 もしこの船に、ゾークの他にミヤマ家の人間が乗っているならば、シノに関する一切の権利と責任はミヤマ家にある。シノの体を引き取ることができるのは、ミヤマ家の者であり、たとえどのような場合であろうと、他の何者かではない。
 だがゾークはシノだけを伴い、単独でこの船に乗っている。
 所有者を失ったシノは、なんの保証もない、ただのメカニカルな人形だ。
 だが私は彼女を、命令を無視した非自立型アンドロイドとして物のように検査し解析しようとする連中に、一時でも預けたくはなかった。
 分解され、なにかのパーツに流用されるのは仕方ないとしても、そのことの痛みや重みを分かっている人に託したかった。

 なにをもって人間と言うか。
 簡単なことだと私は思う。
 彼女を人間だと感じるならば、その人にとっては彼女は間違いなく人間なのだ。その人といる時、彼女は間違いなく人間なのだ。
 機能や、姿や、材質など問題ではなく。
 だができるなら、彼女自身、自分を人間だと思って生きる時間を、持ってほしかった。
 アシュミーも、きっとそう言うだろう。

 ゾークの遺体は、何処にもなかった。
 ただ血の跡だけが広がっていた。
 ギルドに寄せられている報告の中には、人間が消えるというものもある。ゾークも、そうなったのだろう。何故かはまだ判然としていないが。
 その血の傍にただ一人立ち尽くす、一切の保持データが消えてしまったシノの体を抱き上げる。
「恋人だったことでもあるのか?」
 グレンに肩を叩かれた。
「いや。彼女の恋人は、ゾーク一人だった。たぶん、二十年ほども、ずっと」
「……そうか」
 それきり、また言葉はなくなった。
「帰ろう。誰か、パイプを頼む。急いで出てきたんで、持ってきてないんだ」
「ああ」
 カルマが頷いて、バッグからテレパイプを出した。

 

(END)

PSO日記の中で触れたことのある、シノのについてのこじつけ。
日記を読み返していたら、ついできてしまったのだったり。
……「つい」で作るな、と?