Get out

 その日の朝、私が研究所に入るなり、受付のリンホウからランドルフ主任の伝言を届けられた。面白い話があるから部屋に来てくれ、というのだ。
 主任の言う「面白い話」ならば、それは本当に面白いことだろう。私は今日予定していた仕事を後回しにして、その足で主任の研究室に向かった。
 主任は相変わらず屈託なく、
「やあやあ」
 と片手を上げる。
 元は褐色だったらしい髪だが、今は真っ白で、唇の上に小さくたくわえた髭も白い。体つきは「ずんぐりむっくり」という感じで、およそ才覚は感じられない温和でのんびりとした風貌である。たしかレイン博士より十歳は若かったはずだから、今年で七十ほどになるはずだ。
 一見しては人の良いおじいさん、といったところだが、彼の周囲にいる全ての人間が、怒っているところを見たことがない、というのだから、かなりの変人には違いあるまい。

 そんな主任から聞かされた話は、たしかに面白いものだった。
 先日RAGOの調査隊についていったおり、主任のチームが新しい鉱床を発見した。機器や時間の不足から詳しいことは調べられなかったのだが、その鉱物はこれまでテラにはなかったものであり、ラグオルで発見されるのも初めてのものだった。
 つまり、我々が初めて触れる類の、未知の鉱物だということである。

 新資源の発見にあたっては、所有はあくまでもRAGOということになるが、発見した者たちに調査の優先権が与えられる。ということは、調査、分析という名目でその資源を入手することも確保することも、容易になる。
 また、利用法が明確になった時、その特性を熟知していれば、いち早く応用していくことも可能だ。
 第一発見者にはそれなりの恩恵がもたらされるのである。
 その新資源についての優先権はこのランドルフ研究所が持っているのだが、ここは研究員たち全員、好き勝手にやっている。未知の鉱物の発見だろうと、どんな莫大な利益につながるかもしれずとも、自分の研究を放り出してわざわざ他のことを手がけることこそ、物好きと言われるような場所だ。つまり、私より前に話を持ちかけられた者たちは、全員が「今は忙しい」と断ったのだろう。それで、数日が過ぎて、私のところに回ってきたに違いなかった。

 幸い私の調べものは昨夜で一区切りついている。おおかた主任は、そのあたりのことまで考慮して、私を待ち伏せていたには違いないが、そんなどうでもいいことを追及するつもりはなかった。
 これまでに発見されたことのない新鉱物なら、さぞかし調べ甲斐もあるだろう。そう思えば、他の連中が先に食いついていなくて良かった、とさえ言える。
 私は鉱物の採集と初期分析の仕事を引き受け、研究室のCCからハンターズギルドに依頼を出した。
 内容は私の護衛。
 行き先は洞窟深部。
 定員は1名。

 連れて行くのは一人で良かった、と言うより、一人が良かった。
 洞窟には特に警戒すべき敵も現れない。殲滅ではなく調査が目的である以上、誰か一人いてくれれば進むのに不自由はしない。
 なにより、研究所の経費から報酬を落とすとなると、呈示できる金額はたかが知れている。その鉱物が確実に金に変わると分かるまでは、これはただの知的好奇心を満足させるためだけの冒険に過ぎない。多額の資金をつぎ込むわけにはいかないのだ。
 だがいくら報酬額が低くとも、それを独り占めできるとなると、そう安くもなくなる。
 だから、一人に限ってしまったほうが、引き受けてくれる者は多くなるはずだった。

 私のそういった読みは正しかったらしく、依頼を出してから半日もせずに、いくらかの打診があった。
 だが、信用のおけない者は当然のこととして、新米も却下だ。
 私のヒューキャストめいた外見に騙されて、私に戦うことをつい期待してしまうような者では困る。私が何もせずとも奥まで連れて行ける、という腕と自信がなくてはならない。

 もし明日になってもいい護衛が見つからなければ、ベータかカルマあたりに都合を聞いてみよう、と思っていた。
 そういう気楽さから、贅沢に選り好みしながら待つうちに、期待できそうな相手を見つけた。
 名はフェンリル。VIRIDIA所属のヒューキャストで、起動からは五年。途中放棄した依頼はない。
 それに、この間私の上に落ちてきた白いヒューキャスト。彼もフェンリルと名乗ったし、胸元のライセンスもVIRIDIAだった。
 ギルドの公開データを検索し、VIRIDIA所属の「フェンリル」のデータを呼び出すと、それは一人しかいなかった。
 間違いなく、あの時の彼である。
 いくらか言葉をかわしたことがあるだけだが、こういう縁もあってもいいはずだ。
 私は即座に、ギルドに返事を入れた。
 

* * * * *

 
 当日、予定より少し早い時間に待ち合わせのロビーに行くと、彼は既にそこに来ていた。
「やっぱりあんたか」
 私が彼の前に行くと、白いヒューキャスト・フェンリルはまずそう言った。
「久しぶり、と言っていいのか。あれから一度くらいは遊びに来るかと思ったが」
「行こうとは思った。だが、仕事の邪魔になるかと」
「邪魔なら遊びに来いとは言わないよ、私は」
「そうか。まあ、いい。それでもまたこうして会えた」

 やはり感情の稀薄な音声で、淡々と喋る。だが、私とここで再会したことをいくらかは喜んでいるような言葉を使う。
 そのギャップが、面白い。
 なかなか楽しい道中になるだろう、と期待しつつ、私は依頼内容の詳細を語った。
 フェンリルは黙って全て聞き終えてから、一言「分かった」と言っただけだった。

 ランドルフ主任のくれたマップを頼りに、洞窟の深部へと下りていく。
 目的の鉱床は、サードエリアの奥、半月ほど前の地震で壁が崩れて生まれたらしい横穴の先だった。
 近づくほどに大気中のフォトンが独特の波長を持ち始める。
 特にマンや私たちに影響はないが、これはこの星の生物が苦手とするフォトン波形だ。そのせいか、辺りにはまったくエネミーが見られない。
 おかげで安全ではあるが、困ったことに、フォトン粒子の濃度が高くなるにつれ、一種の磁場のようなものを生み出していた。

 アンドロイドに影響を与えるほど強烈ではないが、弱い電波は全て乱される。
 BEEシステムにアクセスもできない。つまり、PPCからのコールやメールは不可能になる。そして、こんな不安定な空間でテレパイプなど使おうものなら、無事に転送終了する可能性は、極めて低い。
 私はフェンリルに、それらのことを簡潔に伝えておいた。
 いざという時に地表と連絡がとれるかどうかは、充分に確認してあるほうがいい。
 それによってこちらの行動も考えねばならない。
 つまり、極めてシンプルに言えば、無理はできない、ということだ。

 あれこれ問い返すでもなく、ただ「分かった」と答えて彼は先へ行く。
 充分に警戒はしているようだし、慎重でもある。
「君はハンターズになってどれくらいになる?」
 敵に襲われる可能性の低い気楽さから、私はフェンリルの背に向けてそう尋ねた。
「五年、か」
 振り返りもせず、前を歩きながら淡々と答えを寄越す。
「生粋のヒューキャストか?」
「ああ」
 フェンリルは僅かに顔の角度だけで振り返り、小さく頷いた。
 生粋のヒューキャストとして生まれ、五年という時間をヒューキャストらしく過ごしてきたならば、ベテランとは言えないまでもかなり頼りにはなるだろう。

 そんな頼りになる護衛を雇いはしたものの、私たちはエネミーに会うことすらなく、目的の場所に辿り着いた。
 薄青く輝くレーザーフェンスは、主任のチームが張っていったものである。教えられたコードを入力してフェンスを解除した途端、辺りは闇に沈む。天井に簡易照明はとりつけてある、との話だ。視覚センサーを切り替えて壁を見ると、古臭いスイッチが一つ見つかった。
 ここからは、私の仕事だ。

 どうやら、大気中のフォトンの特殊性は、この鉱物によって生じているものらしい。
 生身のマンでは、直接触れると生体フォトンに変調をきたしかねない。私たちアンドロイドにも生体フォトンというものは使われているが、幸い、装甲やコーティング材などによって、外部からの接触による影響はほとんど受けないようになっている。
 それでも、私の体内にある簡易分析装置を使う以上、充分に注意する必要があるだろう。
 指先のスロットを開き、フォトン波形を計る。他、温度、密度、超音波反応など、考えうるかぎり、かつ現在実行しうるかぎりの方法で、この新鉱物の組成と特性を調べる。
 フェンリルは、黙って私の後方に立っている。

 待つことが少しも苦痛ではないのだろう。
 与えられた仕事だけを完全にこなし、他のことには余計な関心は抱かない。彼が五年前に生まれているのならば、「ツール」タイプヒューキャストである確率は極めて高いし、だとすればこんな性格も不思議ではない。
 私としては少し寂しいが、退屈そうに欠伸を連発されるよりはマシだ。大人気ないことは言いたくないからいつも気にしないことにしているが、たまに数人の護衛を雇った時など、私が調べものをしている背後で陽気に雑談しはじめられることがある。それが私の仕事への配慮を含んだ上でのものならいいが、たいがいは無遠慮なものだ。気が散るからといって音声をカットしては危険だし、結局は自分の集中力に頼ることになる。
 仕事に対するプライドや責任感、というものを考えれば、絶対的に安全が確認されているわけでもない場所で、無駄口など叩けるはずもないのだが、まあ、ハンターズの誰もがプロ中のプロを目指し、またその誇りと共に働いているわけではない。
 多くを求めれば失望が返ってくるのが世の中だ。

 なんにせよ、私は既にフェンリルのことは信頼していた。だから、彼に周囲への警戒など一切のことは任せきりで、調査に専念することができた。
 サンプルを持ち帰ってもっと詳細に分析してみなければ分からないが、この独特のフォトン波形は、まるで新しいタイプのものだ。もしそれをうまく加工することができれば、今までにはなかった新しい利益がもたらされるかもしれない。
 その利益の背後にひそむ危険についても、もっと緻密に調べた上で取り組まねばなるまい。
 今回の現地調査を引き受けた私が、引き続きあれこれと関わることにもなるだろう。私としても、久しぶりに有意義な仕事になりそうである。
 主任の発見を決して無駄にはするまい。

 私は鉱石用のカッターを取り出し、もっとも基本的な波形を生み出している一部を切り取ることにした。
 壁面の一部、大きく突出している塊を見上げる。
 この鉱石は、現在この場で確認できるだけでも、分子結合の基礎的パターンを三通りもっている。もしそのうちの一通りの結合だけを取り出して「一つの鉱物」とするなら、言ってみればこれは、三種類の鉱物が入り混じった物体だ。
 色の揺らぎ、波形の微妙な変化パターンはそこから生まれているのかもしれない。
 あまり大きくなく、かつ分析するのに量的不足が生まれず、さらに三つのパターンが最もバランス良く混じり合った部分を持って帰ったほうがいい。
 それに相応しい位置を、視覚モニター内でマーキングする。あとは、私の目にだけ見えているこのラインどおりに、カットするだけだ。
 圧力などの「変化」に対してなんらかの反応を示す可能性もあるから、充分に慎重にレーザーを当てた。
 特に危険な反応は返ってこない。
 私は安心していた。

 だが、その時突然、足元がぐらりと揺れた。
 揺れたのは地面全体だった。
 地震かと思ってレーザーカッターの刃を消したと同時に、足元から硬いものの割れる音が立った。
 見下ろした地面に亀裂が走る。
 私はそれを確認した直後、そこから飛び退くことを実行していたが、それはあくまでも頭の中での話だった。
 体がついていかない。
 真に突発的な出来事には、頭はついていくが、体がそれに反応しないのだ。
 飛ぼうとした予備動作は、かつてヒューキャストであった時の私の反応からはあまりにも遅く、重かった。
 踏みしめた足は無駄に地面を破壊し、バランスも奪われる。
 すぐさま体勢を整えるべく演算はできるが、その回答を実行する能力が今の私の体にはない。
 ひときわ大きな縦揺れがあって、地面が陥没した。
 感じたのは地割れに巻き込まれていく圧力ではなく、引力。
 下は空洞だ。
 どれほどの規模かは分からないが。

 体はまともに動かないのに、頭だけは働く。なにか虚しい気もした、途端、
「ラッシュ!」
 無謀にも、フェンリルが私の傍へと飛んできた。
 それが決定的なダメージとなって、地面は完全に破壊され、私たちを巻き込んで崩れ落ちていった。
 

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