落下のショックで、束の間、麻痺していたらしい。 正常化し終えた途端、右足に激痛が走った。視界が一瞬赤く染まり、警告の短いメッセージが視界の隅に流れる。 高レベル破損度に到る可能性があるとそのメッセージは告げるが、そんなものは出なくても、こんなひどい痛みは現役でハンターズとして活動していた時でさえ、一度か二度、あったかどうかというほどのものだ。 腰近くにまで痛みの波は広がっている。破損がそこまで影響している証だ。 起き上がろうとすると、痛みは更に五割増しになった。
行動することで破損部位が深刻になることと、また拡大することを防ぐため、ライフセーバー機能の一つとして行動抑止が強制実行される。 普通のアンドロイドならば、このまま維持モードに突入するところだが、私はそれの最終的決定権を自意識に委ねている。抑止命令を破棄し、かわりに、痛覚回路の一部凍結を実行する。 だがダメージの範囲が広すぎる。足に直接通じている部分の痛覚だけは遮断したものの、余波のごとく腰や左足、胸にまで及んでいるものまでは、閉じるわけにもいかない。 回路を遮断すれば痛みは消えるが、本来そこを流れるはずのエネルギーが他に回り、結果、他の部分の負荷を上げてしまうことになる。一部ならばともかく、広範囲にわたって回路封鎖を実行するのは、自傷行為というものだ。
右足の激痛の中心だけは消したが、その周辺、腰から左足、右脇腹と胸部に広がる定期的な痛みの波は、続いている。昔、右腕を失ったことがあるが、あの時よりもわけが悪い。 それでもなんとか腕をつき、背に乗った土か石塊を落として体を反転させ、その場に座る。それだけでも一苦労だ。 見やると、右膝から大腿部にかけて、装甲が破損した下で、コートスキンがいびつな起伏を作っていた。 バイオチューブの断裂と、ジョイントフレームの破損。駆動制御端末の損傷。マン流に言えば「骨折したうえで肉離れを起こし、神経にもひどいダメージがある」というところだ。 これでは痛むはずである。
よく覚えてはいないし、Sメモリーを走査するのも御免だが、おそらく右足から落下地点に接触したのだろう。 見上げると、そう高いわけではないが、「落ちて無事」でいるにはよほどの運がないと無理な高さではあった。 これがマンなら、落下のショックと上から降ってきた破片とで、死亡していたかもしれない。 だが、私でこれだけ無事なら、フェンリルのほうは軽傷のはずだ。墜落のショックはあるだろうが、地面よりはヒューキャストの装甲のほうが頑丈にできている。 「フェンリル!」 私が声を上げると、やがて右後方から 「ここにいる」 と声がした。 顔を動かすだけでも、体というものは右足近くまで連動しているものらしい。津波のような激痛に、一瞬飲まれかける。 なんとか振り返ったその方向には、小山のように破片が積もっていたが、それは呆気なく崩れて、中から土色に汚れたフェンリルが現れた。
どうやら、落下地点の真下からこっちへ、私を突き飛ばしておいてくれたらしい。あの中に諸共に埋まっていれば、私ではさらにいくらか怪我をしていたことだろう。 そんな想像を裏付けるかのように、フェンリルの右肩の装甲には、深い裂傷があった。 「痛むか」 自分が痛い時に他人を気遣ってやるのも妙なものだ。 だが、もう既に痛みが存在してしまっている自分のことを考えるよりは、さして痛みもない、という答えを聞ける他人に期待したほうがいい。 肩……上腕部の装甲は分厚く、頑丈にできている上、痛覚回路はほとんど組み込まれていないか、鈍化させられている。 案の定フェンリルは、言われて、私の視線で気付いたように自分の肩を見た。 「なんともない」 「それならいい。きれいに埋めるのには少しかかりそうだが」
怪我が大したことがないなら、何よりだ。 彼が無事であれば、私の気もずいぶんと楽になる。なにせ万一エネミーが現れた場合、戦うことのできる者がいないのではあまりにも危険すぎる。その上、私のこの足では移動もままならない。 フェンリルは肩や腕についた土を払い、そんなことをしても大して汚れは落ちないことを悟ると、あっさりとクリーニング行動をやめて私の傍へと寄ってくる。 そして、 「一つ聞いていいか」 あまり感情はないが、いくらか深刻な声音でそう言った。 「なんだ?」 「俺は、余計なことをしたか?」 「余計なこと、とは?」 「俺があそこに行かなければ、落ちることはなかったんじゃないか?」
来なければ? それは、意味がない。 フェンリルが入ってこなくとも、私は落ちていた。 もし「余計なこと」、「ミス」があるとすれば、そういうものではない。 「あの場合にとるべきとされる行動は、素早く落盤の可能性のある一帯から離れることだな。その後で救助の方法を考え、即座に実行する。もし君が上に残っていれば、直接救護を呼びにいけただろう。この鉱物のせいで電波が乱されることが判明していた以上、PPCを利用してのSOSは出せず、パイプも危険すぎる。誰かが上に残り、連絡できる位置にまで出ることが一番確実な方法だ、と……あの一瞬で判断できたとしたら、大したものだが」
「あんたなら、そうできたか」 「残念ながらね」 「無理なのか?」 「いや。できるさ。だから、残念ながら、と言ったんだ」 「理解できない」 「想像してみるといい。君が私の立場にいて、今まさに落ちるという時のことを。その状況で見つけた私が、茫然として動けないでいるならまだしも、君が落ちるのを淡々と見ていたら?」
飛び込んでも自分も巻き込まれるだけ。 私はここに残り、すぐさま助けを求めたほうがいい。 そうすれば、落ちた者が無事であるか否かには関わらず、とりあえず最も短い時間で救援は呼べる。 私ならば、そう判断できる。 そして、自分は安全地帯に避難し、落ちていく者を見送るだろう。 それが結果的にその者にとっても、生命の危機、という問題においては最善だと。
「それは……嫌、だな」 「最終的に助けるため、と言われて、納得できるか?」 「……だが、納得すべきだ」 と言うということは、納得はできない、ということだ。 感情の乏しい彼でも、見殺しにされる、と感じると予測するのだろう。 そしてそれは、間違いではない。 どれほど場数を踏んできたところで、よほど鈍感な、あるいは特殊な精神構造の持ち主でなければ、屈託を覚えずにはいられまい。それが最善なのだと理解はしても、理解することで心まで手懐けられるわけではないのが人間だ。
「納得できないなら、してはならないよ。自然に納得できないものを無理に納得しようとする、ということは、自分を騙すということだ。私は、良くないことだと思う」 「そうなのか。よく分からないが」 「分かって欲しいのは、君のとった行動は出来事に対する最善ではなかったが、私にとっては、見捨てられるよりも嬉しいことだった、ということだ。だから、気に病むことはない」 私が言うと、フェンリルは少し考えて、それから頷き、ほっとしたようだった。
感情というものの乏しいように見えるフェンリルだが、彼の場合、感情そのものはしっかりと発生している。ただ、それを認識することがうまくいかないのだろう。つまり、事象に対すれば情動コードは生まれるが、それをキャッチすることが苦手なのか、あるいは分析機構に不備があるのか。ジーンのように、感情そのものが発生しないわけではないように見える。 フェンリルが「ツール」タイプのヒューキャストであれば、これは至極当たり前の構造だ。むしろ典型的な性格だと言ってもいい。 「ツール」タイプのハンターズ=アンドロイドは、それ以前の「スレイヤー」タイプに対する反省から生まれてきた。 「スレイヤー」たちは、戦闘を好むようプログラム設定され、そのためにクリーチャーの討伐には大きな効果があったが、私生活の面で様々な問題が発生した。いつどんなときでも好戦的で、戦闘以外の一切の出来事には無関心。戦闘以外に無関心、というのは、「ツール」たちの「仕事以外には無関心」とは明らかに異なる。「ツール」たちは依頼という正式な仕事ではなくとも、人からの頼みごとや願いを受け入れる余裕を持っていたが、「スレイヤー」にはそれがなかった。つまり、非常に横暴で独善的なものが多かった。 結局、「戦っているとき以外は厄介な邪魔者」と見なされ、これでは「使いにくい」と感じたマンたちは、もっと「使いやすい」ものを作り出そうとし、そして生まれたのが「ツール」だ。
マンたちは改良を急ぐあまり、情動プログラムそのものを設定しなおすことはしなかった。もっと手っ取り早く、コード認識システムにリミッターをかけることで、感情表現の乏しい存在を作り出した。 たとえ怒っても、その怒りを自覚できない。疲れても、嫌だと思っても、そのことを自分で感じられない。そしてただ、自分が生まれてきた理由、仕事に忠実に生きる。 使い勝手のいい「道具」には違いなかっただろう。だが、死、すなわち消滅への恐怖すら彼等は感じることができず、次々と死んでいった。生き残ったのは、腕が立つこと以上に、強運に恵まれた者だけだ。 しかし、感情が生まれないことと把握できないことは、決して同じではない。助けてやれば、いくらかは他人事のようであろうとも、自分の感情というものを把握できるようになる。 それがせめてもの幸いだ。
「……ラッシュ」 だからどれほど微かでも、彼の声には感情の気配がある。 それはワンパターンな快活さしか持たない「レディ」の、見せ掛けの感情などよりははるかに大きく、確かなものだ。 私の名を呼ぶ声に含まれているのは、動揺と焦燥、だろうか。揺らぎがある。 「どうかしたか?」 「何故言わない」 「なにを?」 なにを言い出したものやらと、面食らう。怒っているようにも聞こえたから、余計に。 言わんとすることは、動いた視線を追って理解した。 私の、足だ。
「損傷がひどい。痛むか」 「かなり痛いね」 まったくの嘘をつく気にはなれず、私は正直にそう言った。 途端、フェンリルは言葉も気配も停止してしまう。 こういった言葉を咄嗟に切り返す、機知とは無縁な生き方をしてきたのだ。無理もない。 言葉に困ってしまったフェンリルに、答えを期待する沈黙を投げかけるのは酷だろう。 「だが問題は痛みではないんだ」 かと言って、見え透いた嘘を連ねた誤魔化しも意味がない。 彼には、現状をしっかりと理解させたほうがいい。
「なにか他にトラブルがあるのか」 「エネルギー洩れだよ」 私が言うと、フェンリルは私の顔から右足へと、視線を落とした。 マンならば血管にあたるだろうか。エネルギー循環用のチューブが、破れてしまっている。これは柔軟かつ弾力に富んだ素材で作られているから、折れる、切れるということはまずないし、圧力で潰されて千切れてしまうということも滅多にない。だが、折れたフレームの切っ先が鋭ければ、それに耐えられるほどではない。 おそらく、私のこれはそうして生まれたものだろう。 かろうじて太いものでこそなかったが、確実に、ここからエネルギーは放出され、消えていく。 視覚センサーを熱感知に切り替えると、高温の蒸気のようなものが、細くはあるが噴出しているのが見てとれた。
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