朝7時。 グレンは寝室のベッドの中で良い気持ちだった。 枕に残っている妻・ミルの髪の匂いなど心地良く感じながら、ごろごろしていた。 仕事も入れていないし、用事もないし、いっそ昼まで寝ていようかと、優雅に過ごしていたのだ。 それが、 「パパ」 とミルの声がして、ドアが開いた。 「ん〜?」 寝ぼけ声で答える。 「ラッシュさんからコールが入ってるの。相談したいことがあるんですって。ほら、パパ。起きて起きて!」 入ってきたミルが毛布をはぎとってしまう。グレンは一瞬、亀のように身を縮めたが、しぶしぶ起き上がり、大きなあくびを一つ零した。 のそのそと居間に行くと、まだ半分は下りたままの目蓋で見たモニターには、ラッシュの顔が映されていた。
『すまんな、こんな朝から』 眠気も吹っ飛ぶ相変わらずの美声で、怠惰で優雅な午前中は完全にパアである。 「なんなんだ、こんな朝っぱらから……」 不貞腐れてグレンが問うと、らしくもなく、ラッシュは束の間言い澱んだ。 やがて言ったのは、 『今日の授業参観なんだがね、今更になって、行かないほうがいいんじゃないかという気がしてきたものでな。相談に乗ってほしいんだよ』 グレンの目は、覚めるどころか皿のようになった。
「おいおいおい、どういうことだよ、『先生』。相談されることはあっても、することなんてあるのか、おまえに?」 『子育てについてはおまえのほうが先輩だろう。頼む、グレン』 「おまえに頼まれちゃ……背中がムズムズしてきたぞ。で、なんなんだ、いったい。行く気だったんだろ? 昨日もそれで呼んだんだろうが」 『そうなんだが、どうもあの子の様子がね』 ラッシュが言うことには、来てほしくないような様子なのだ、とのことだった。 今日まではさして気にもならなかったし、他になにか憂鬱なことでもあるのだろうと思ってきたが、今日に到ってラルムは溜め息を連発する。その挙げ句、めったに自分から話し掛けてすらこないものを、今日来るのか、と尋ねてきた。それが、「来てくれるのか?」と期待と不安に満ちたものにはとても見えなかったらしい。
『やはり、アンドロイドが自分の父親だというのは迷惑なのかね』 あまり深刻でもないようにラッシュは言う。だからといって薄情でないことくらい、グレンはよく知っている。養女のことがどうでもいいのではなく、自分のことであれこれと気遣わせるまいとするのだ。 「そんなこともないと思うがなぁ。だいたいおまえ、もしアンドロイドのパパなんて嫌だ、とか言われたとして、じゃあ別の養父母を見つけるんだろうが、このご時世に他人の子を、それも10歳くらいにはなってる子を喜んで引き受けてくれるような人間はそうそういないだろう。どうあれ、おまえが親父にならなきゃいけないんだ。一度引き取っちまった以上な」 グレンが言うとラッシュは、そうか、と溜め息めいたノイズ混じりに呟いた。
変なところはないだろうか、と鏡を見て、ラッシュは苦笑した。 変もなにも、自分の外見は変化しない。そして、変といえばアンドロイドが学校に現れること自体が変なのだ。 せいぜい、他の父兄や子供たちを混乱させないように振る舞うしかない。 たいていのことには自信と確信をもって接するラッシュだが、今日ばかりはいささか心細かった。 ラルムは来てほしくなさげだし、ハンターズを蔑視する人間も父兄の中にはいるだろう。自分が上手く行動し、対応すれば、そういった偏見を解きほぐすことも可能かもしれないが、それができるとまでは自惚れられない。子供の中には怖がって泣き出す者はいないだろうか、などなど、気がかりは数え切れない。 いっそ行くのをやめようかという気もする。 そうすれば誰もなにも迷惑しない。 だが、そうなるとラルムは、自分の養父がアンドロイドであることを、隠しつづけなければならなくなるだろう。隠して隠して隠した後に露見しては、「なにか悪いことなんだ」という印象を子供に与えてしまいかねない。それでは、まずい。
あれこれと考えている間に、そろそろ出なければ間に合わない時間になってしまった。 もう一度グレンを呼ぼうかと思ったラッシュだが、おそらく、今朝と同じことを言われるだけだ。 (私にも見栄があったんだな) グレンに頼りないところは見せたくない、という気分を自覚して、また苦笑した。 そして覚悟を決めて、ガレージからエアモービルを出した。
挨拶に一度訪れたことのある学園だが、これだけ人のいる時に来たのは初めてだった。 ハンターズとしても、ただのアンドロイドとしても、それなりに様々な経験、体験をしてきたラッシュだが、子供の溢れる学校に入ったことなど一度としてない。どういう場所でありどうなっているかは熟知していても、体験するのは初めてのことだ。 とりあえず、父兄や子供たちに与える影響を慮り、学園長のもとへと向かう。彼に会っておけば、いざという時の助けが得られると思えばだった。 だが、学長室というものも孤立してあるわけではない。校舎の中に踏み込んだ時点から、ざわめきは生まれる。覚悟はしていても、居心地が悪い。これではまともに授業がスタートできるのかと不安まで覚えるラッシュだが、今更引き返すわけにもいかなかった。 (一人で討伐に行くよりわけが悪いな、まったく……) 落ち着かなさに、そんなことを思う。その発想からして、ハンターズでなければ持ち得ないものだ。つくづく、こういった場所には縁がないことを思い知らされる。
だが学長室を経て教室にまで辿り着いた途端、 「ラッシュだ!」 一人の少年の声を皮切りに、歓声に囲まれた。 「知らねぇの? 黒に青のヒューキャストっていったらラッシュ一人だぜ。ノースユーロで一番強いんだから」 少年たちの中には、ハンターズに憧れる者が少なくない。 凶悪なクリーチャーを討伐し、みんなを守ってくれる英雄。そういった側面だけを見ていれば、無理もないことではある。 ノースユーロで名の通ったハンターズとなると、「ザ・サムライ」グレン、「白光の」シレーヌ、ジャスパー「ザ・ライオット」、そして「マスター」ラッシュ。 中でもラッシュの姿というものは独特である。統一規格が存在し、オーダーメイドですらほとんど差異のない姿を持つハンターズ=アンドロイドにしては珍しく、カラーリングからデザインまでが独特のものである。見れば間違いようがない。
少年たちは興味津々で集まっているが、親たちは渋い顔だ。 それが正しい反応だとラッシュは思う。 ハンターズになど、憧れるものではない。 彼等……自分たちは殺戮者であり、いつ死んでも不思議ではない危険と共に生きている。子供がそんなものに憧れるのを喜ぶ親はいるまい。 たいがい、ハンターズというものは、自分のものであれ他人のものであれ、「親」とは折り合いが悪いものだ。 あからさまな嫌悪を、隠そうともしない者もいる。たぶん家に帰ると、二度とハンターズになど近づくんじゃありません、と叱るのだろう。 (私も、もうここには来ないだろうな) だが一度だけ。 ラルムのためには、彼女の養父がどんな存在であるのかを、子供たち自身の目に見せなければなるまい。 (たぶん、そのほうがいいとは思うんだが) ラルムを見ると、彼女は振り返りもせず、椅子にかけたまま、俯いて小さくなっていた。 今までに現れたことがない以上、編入してきたラルムの親であることはすぐに分かる。何人かが周囲に集まっているが、どんな受け答えをしているのか。それとも、ろくに答えてもいないのか。おそらくは、後者だと見える。 (いじめられなければいいんだがな……) どうするのが最も良いのか、全ての知識と経験を総動員して照合しても、どうしても分からなかった。
やがて担当の女教師が入ってくると、ざわついた教室にいくらか驚いたようだった。だが、学長から聞いては来たのだろう。 「さあさあ、もう授業が始まりますよ。みんな席に戻って!」 明るい声で呼びかける。 そうして、国文学の授業が始まった。 初等学校であるから、やることは作文である。 前もってテーマを決め、この日のために宿題が出されていたようだ。 教師がプロジェクターに出した言葉は 『お父さん』 だった。
(……難問を出されたわけか) ラッシュはラルムの小さな背中を見た。 共に暮らして日が浅く、それも、萎縮しきっている彼女は、とても打ち解けているとは言えない。そんな相手についてなにをどう書けばいいのか、よほどに苦労したことだろう。書いてなくても仕方がない。 書いてないとしても、どんなことを書いたにしても、できるならば来られたくはなかったに違いない。ラルムの様子が来てほしくなさそうだった理由が、ラッシュにも納得できた。 だが、もう来てしまっている以上、今更出て行くわけにもいかない。彼女が指されないことを願うだけだ。
ラルムはまるで先生に見つかるまいとするかのように、俯いて小さくなっている。 しかし見つかるもなにもなく、 「ルーレットで一人ずつ当てますよ」 プロジェクターに四角い升目が表示された。この教室の机の配置である。 これで一人ずつ、機械任せのランダムで当てていくことにしたらしい。 机の升目を赤い光が移動する。それが目で追えなくなるほど速くなって、やがてぴたりと止まる。 それがラルムの場所でなかった時には、ラッシュもほっとした。そしてふと、 (割り込んで、操作してしまおうか) などと無茶なことを考えた。 アンドロイドにはある程度の電波を出すことができる。しかしそれは通常、近距離の無線連絡に使ったり、体の各パーツへと送られる制御信号の応用程度である。独立して存在するCPUに遠隔操作で割り込むことができるのは、ラッシュの特異性があればこそだ。 (こんな場所で使っているものにかかっているプロテクトなどあってなきがごとしだが……) そこまでするのもどうだろうか、などと考えているうちに、少年の発表が終わった。ほとんど悪口に埋め尽くされていたが、そんな父親が大好きなのだとよく分かる、良い作文だった。 思考を一旦取りやめて作文内容を思い出し、これが親子というものなのだろう、とラッシュは思った。
知人や友人などというものは、自分にとって都合が良い部分や、あるいは快い部分を見て好きになる。欠点だらけでも、それでも好きだと言えるには、よほどの絆がなければならない。そんな絆をうまく育めた者たちが、本当の親子であり、夫婦であり、親友に違いない。 それに比べれば、戸籍を整えただけで会話すらぎこちない自分たちは、ただの同居人、少女と保護者でしかない。 (いつかは、親子と言ってもおかしくない気分になれるのか。それとも、アンドロイドには永遠に無理か) アンドロイドだから、とは思いたくない。マンの大人でも、名ばかりの親が少なくない。 だがやはり、「人間」と無理に呼んでも、マンとアンドロイドは別の種族なのだ。アンドロイドには「マンに作られたもの」という劣等感が常に存在し、マンには「自分たちが作ったもの」という優越感が存在する。 (間違ったのか……。いくら憐れでも、養子にすることはなかった。後見人で充分だったのかもしれんな。そのほうが、ラルムには自然だったのかも……) 「親」と思って無条件に頼って良い相手があったほうがいい、と考えて養子にした。足りないもの、ほしいものを与えてやろうとも思った。だが、それは「親」という立場でなくともできることだ。 (いればいいというものではない。むしろ、いないほうがいい「親」もある) 再び動き始めた赤い光を見ながら、考えていた。
→NEXT |