13
オズワルド研究院は、ロアの住居からわりあい近いところにあった。 パイオニア2の中にある以上、まだ新しい建物のはずだが、どこか古びた印象を受けるのは、外観や造りが現代ふうではないせいだろう。 物々しい警備もなく、ガードマン一人立っているでもない。誰でも訪れれば良いと言わんばかりに、門も開かれている。 古めかしいベルを鳴らすと、いくらか間があって、女の声が返ってきた。 『はーい、どなた?』 「レディ」ではない。わざわざ人が応対に出ているらしい。 来訪のわけを話し、ロアがここにいるかを問うや、返事より先にロックの外れる音がした。 『どうぞ、入って。すぐに案内を向かわせるわね』 言われるままにドアをくぐると、大きなロビーになっていた。昔ふうの造りを意識しているのだろう。ネオン管の案内板ではなく、金属板に鈍色で図面と文字が刻み込まれている。 我の目には、このほうが楽で良い。
「うわっ、古〜」 ヤンはそう呟きながらも、何故か嬉しそうだった。無人のロビーを見回し、革張りのソファを見つけると、 「懐かしーなー。今時こんなの、他で見ることあるとは思ってなかったわ」 近寄っていって、腰掛ける。やけに上機嫌だ。 「あ、ほころび見っけ」 何がそんなに嬉しいのか。だがなんにせよ、 「よさぬか」 己の物ではない品を、勝手に傷めて良い理由はあるまい。革が擦り切れてめくれ、内部の黄色いウレタンが露出した部分を、指で広げようとするのを止めた。
そこに、正面にのびる通路の奥から、一人のレイキャストが歩いてきた。マット処理された白いボディに、エッジタイプと呼ばれる頭部。レイキャストにしては痩身だろうか。 この研究院に用があって訪れた者かと思うたが、 「イラッシャイマセ。ゴ案内シマス」 彼は機械的な音声でそう言った。どうやらここに住み暮らしているらしい。 ヤンは、レイキャストの声を聞いて呆気にとられている。 「ドウカシマシタカ?」 「あ、アンタ、なんでそんな……」 「ソンナ? ナンデスカ?」 「だって」 「案内を頼む」 そのようなことを知るために来たわけではない。ヤンを遮って案内を乞うと、白いレイキャストは、短く答えて向きを変えた。
一昔前ならばともかく、現在のアンドロイドは、マンと寸分違わぬ声を出すことができる。音声パターンは設計やプログラムの段階で乱数、あるいは設計主によって設定され、そのバリエーションはほぼ無限だ。 中にたまたまこのような設定をされた者があっても、不思議はない。そのようなことをいちいち追及しても無意味だ。 だがヤンには不服なのか、恨めしげな目で睨まれた。目が合うと、顔を背けられる。 極地の天気のように変わるヤンの機嫌を気にしても、やはり無駄なこと。いずれまた、何事かを切っ掛けにがらりと変わるだろう。
レイキャストに連れて行かれたのは、応接室とおぼしき場所だった。 「ココデオ待マチクダサイ」 これもまた古びた布張りのソファを勧め、彼は出て行く。 ヤンはにわかに落ち着きをなくし、部屋のあちこちへと視線を飛ばしていた。何にそれほど緊張しているのか、我には分からぬ。 間もなくして、先刻のレイキャストが戻ってきた。その手にはトレイとグラスがある。 入っているのは、水ではない。 茶、か。 だとすれば、どこまでもオールドファッションを好む研究所だ。 「なに、これ?」 「オ茶デス。ドウゾ」 「オチャ?」 ヤンが知らぬのも無理はない。 テラではとうに栽培されなくなった植物だ。我等の里にはいくらか畑もあったが、まさかこのような場所で出されるとは思ってもみなんだ。 ヤンは我が飲むまでじっと見守っていたが、飲めるものだと確信すると、恐る恐る口に運んだ。 「……変な味ィ」 顔のパーツを全て真ん中に集めたような顔になる。 浄化水や添加飲料しか飲んだことのない者には、慣れぬ味かも知れぬ。 「アンタ、よくこんなの平気な顔して飲めるわね」
「慣れると美味しいのよ」 ヤンに答えたのは、正面入り口の前で聞いたのと同じ女の声だった。 「それに、体にもいいわ」 「そ、そうなの……?」 「いらっしゃい。私はシータ=オズワルド。ここで父の助手をしてるわ」 開けられたドアの向こうに立っているのは、栗色の髪を巻き上げてまとめた、白衣姿の小柄な女だった。歳は30前後くらいだろうか。 その後方にロアがいた。
「わざわざお見舞いに来てくれたのね。ロア、お礼くらい言ったら?」 「…………」 「ありがとう、の一言くらい言いなさい。ほんと、貴方って素直じゃないわね」 「余計な世話だ。べつに来てくれと頼んだわけじゃない」 「子供と同じよ、そんな台詞。ほんとは嬉しいくせに。あ、テンダー。あと、お菓子もお願いね」 「ハイ」 テンダーと呼ばれた白いレイキャストがトレイを持って出て行く。入れ替わりにシータとロアが入ってくると、シータは向かいのソファに腰を下ろし、ロアは彼女の背後に立った。 「このとおり、ロアはもう大丈夫よ。心配かけたみたいね」 「ホントにもう大丈夫なの?」 「ええ。修理は済ませたわ」 「そっか。良かった、大したことなくて」
修理……。 厳密には、調整であって修理ではない。 パルスが同一であった、という事実を隠したいのだろう。 識別パルスが同一であるということは、正規の管理外に製造されているのではないかと疑われる要因になる。 隠蔽しようとするのは、当然だ。 だが、我等がその事実をレイヴンから聞いてしまっている以上、無駄なこと。 むしろ、何を言って良く何を言ってはならぬか、慎重にならねばならぬのは我等のほうだ。 ヤンが何も考えずに口を滑らせそうで、それが案じられた。 あらかじめ釘をさしておけば良かったのだが、今となってはもう遅い。 ともあれ、我等が識別パルスについては既に知っているということは、告げておくべきかもしれぬ。 知っていながら知らぬふりをすることは、我には容易だが、ヤンには無理であろう。これから後もロアと組んでいくことを考慮するならば、余計な面倒の種はまかぬにかぎる。
「隠すことはない。識別パルスが同一の個体があったことは、我等も知っておる」 ヤンが何か言いかけたのを制して告げると、さすがにシータの顔が引き締まった。 「だが、警戒は無用だ。何も問わぬし、知ろうとも思わぬ。むろん、語ろうとも。これからまた行動を共にするのに、不都合がなければそれで良い」
沈黙。 我の言葉が真実か否か、静かに探ろうとする眼差し。微笑は消え、眼鏡の向こうの目には、慎重な知性が窺える。 告げた言葉に、今、偽りはない。 だが、我の言葉を真実とするか虚偽とするか、信用するか否か、判断はシータの心一つにかかっている。疑わしいと思われてしまえば、いかなる言葉を重ねたとて、それを覆すことは難しいものだ。告げておくべきことは、もう告げた。これ以上は、何を言う必要もない。 ましてこの話、早々に片付けて終わらせるほうが、互いのためになるはずだ。 「昨日の調査状況については、本部に問い合わせれば分かろう。今日は調査隊が入っておるそうだ。一段落つくまでは降りられぬのかもしれぬ。今後の予定については、政府の動きがはっきりし次第、打ち合わせるとしよう」 そう切り上げて、立ち上がった。 「ちょっと!」 「ヤン。帰るぞ」 「帰るって、いろいろと話したいこと……」 「明日にするが良い」 知らずとも良いことを教えてしまいかねぬヤンを残していくわけにはいかぬ。 立つように促すと、やがて渋々といった様子で従った。
見送りを辞退し、茶菓子を持って戻ってきたテンダーの脇を抜けて表に出ると、さっそくヤンが噛み付いてきた。 「ロアは、己を試作機体と知っておると思うか?」 問い掛けてやる。 それで察したようだった。 「知らぬならば、そうと疑わせるようなことを言うわけにはいくまい。おぬし、そのことに全く触れずに話ができるか」 「う……」 「まして、ロアがレイヴンの試作タイプであるかもしれぬ、ということ自体、レイヴンが、そうではないかと推測したに過ぎぬ。もし彼の勘違いならば、なおのこと余計なことを言うてはなるまいが。パルスが同一であったことを知っている、というだけであの反応だ。まかり間違って、試作型のことなど口に出してみよ。どうなるか、分からぬでもあるまい」
「分かったわよ。……それにしてもアンタってさ、少しは焦ったり慌てたり、したことあるの?」 赤くなった顔を急に元に戻して、真っ直ぐに見上げてくる。 「よくそう冷静でいられるわよね。時々怖くなるわよ。敵に囲まれてたって平然としてるし、怪我してたって痛そうな顔もしないし。アンタってホント、出来損ないのアンドロイドみた……、っ」 言葉を切る。 「ゴメン。嫌な言い方よね」 「構うな」
出来損ないのアンドロイド、か。 大差あるまい。 そもそも、何を言われたとて言葉は言葉だ。聞こえる音の連なりに過ぎぬ。人の思惑もまた同じ。どう思われておろうと、現実の我はここにこうしてある以上でも以下でもない。何を構うことがあろうか。 だが、ヤンは己の言葉を許せぬのか、よく分からぬ言い訳をして、そそくさと離れていった。
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