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帰ると、届けられていたラグオル調査本部からのメールで、明日一日はハンターズの降下を禁じる旨を告げられた。 予想どおりだ。 時刻はまだ昼。 とりたててすることもない。 余力があるならばトレーニングに時を費やすも良いが、今日、明日はゆっくりと身を休めておくべきだろう。 手持ち無沙汰な様子で居間におったローザ様にそう告げると、なにかを躊躇うように、曖昧に頷かれた。 「なにか」 問うが、今度もやはり曖昧に、首を横に振られる。 今は言いがたいことならば、無理に聞くこともない。 「少し眠るが、何かあれば起こしてくれれば良い」 また曖昧に頷くのを確かめて、我は部屋に戻った。
寝台に横になり、アイガードを外す。 我の部屋には電灯といったものは一つもない。我には無用のものであるし、客があれば、このような私室ではなく居間に通す。 窓もなく、通風孔を除けば完全に密閉された室内は、常人の目には何も見えぬのだろう。 だが、我には全てが黒の濃淡ではっきりと見える。 一条の光もささぬような場所にあってさえ、何故か、見えぬものがない。 目を閉じるとようやく、瞼の裏という扁平な「黒」一色に視界を塞がれる。これが最も「闇」と人の言うものに近いのだろう。 奇形に生まれついたのは事実だが、これほどに人の目が特異な発達を遂げることがあるというのも、我がことながら、不可思議なものだ。 今は、この目を役立てることは、ほとんどない。 陽光の充分な昼のラグオルを探索するに当たっては、むしろ厄介だ。 暗がりを見通すことができるかわりに、月光ほどの光ですら、まともに目を開けておることができぬ。 戦闘中にアイガードが破損しようものならば、一切の身動きがとれぬようになる。目を閉じたところで、陽光の激しさは、瞼越しですら凶器だ。 それこそ、白い「闇」……。
「ジーン、起きておるかえ?」 思考の隙間にローザ様の声が滑り込む。 枕もとからアイガードを取り、身につけると、ベッドから降りてドアを開けた。 「なにか」 「そなたに来客じゃ。ロア、というのはもう一人のチームメンバーではなかったかえ?」 「いかにも」 「どうする?」 「どうする、とは?」 「疲れておるのじゃろう? 眠っておると言うて、断ってやることもできるが……」 「構わぬ。用件もなしに来る相手ではない。出よう」 「そうかえ……」
短い付き合いの中でも、ロアが極めて事務的な判断を下すことは承知している。大した用もないまま、ただ立ち寄るなどということは、まずするまい。まして、こちらの来訪の直後に、わざわざ我のもとへ足を運んだとなれば、相応の用件があると見たほうが良い。 居間のテーブルの上には、表の光景を背後に敷いて、ロアの姿が浮かんでいた。 「何かあったか」 我が問うと、 『話がある』 切りつけるような端的さで言われた。 コールを利用せずわざわざ来訪したということは、じかに会って話すべき、込み入った話題ということだろう。 となれば、おそらくは、識別パルスに関したこと。 余人をまじえたい話ではあるまい。
ロアを中に上げると、案の定、ローザ様を見て足を止めた。 「ローザ様。すまぬが、少し出ていてはくれまいか」 「わらわには聞かせられぬ話かえ」 「我は構わぬと判断したとて、ロアにとっては、他に人がおらぬほうが良い話かもしれぬ」 「……分かった。端末を持って行くゆえ、話が済んだら連絡を寄越しや」 「承知した」 「それと……ロアと言うたか。そなたのようなアンドロイドには分からぬかもしれぬが、ジーンは疲れておるのじゃ。長話をされては困る。今も、寝ておったところを起こしたのじゃから……」
「ローザ様」 埒もないことを。 そのようなことを教えることに、なんの意味があると。 重要な話があるならば、休養よりはそれを優先させるのが道理。ましてロアとは今後、共にラグオルの調査に当たらねばならぬ以上、交換すべき情報は充分に交換し、検討しておくべきではないか。そのようなことも分からぬローザ様ではあるまいに。 主に意見できる立場ではないが、ローザ様のため、あまり幼い振る舞いはせぬよう、たしなめたほうが良いのかもしれぬ。 だが、我が何か言うより先に、 「分かってる。無理にこき使って壊れられてはたまらんからな」 ロアが剣呑に言い放った。 ローザ様は一瞬、何か反論しかけたようだったが、口を引き結んでそのまま外に出て行った。
ドアが閉まると、 「これだから女は」 ロアが小さく吐き捨てる。 主のことを悪し様に言われては良い心持はせぬが、ロアにとれば、ローザ様とてただ一人の女に過ぎぬ。今ここで何を言うこともあるまい。 「それで、何用だ」 余計な話は、我とても好むところではない。 椅子を勧めて、向かいに腰を下ろす。 ロアは黙って腰掛けると、 「識別パルスのことは、誰に聞いた」 前置きも躊躇いもなしに、本題とおぼしきことを切り出した。
だが、その問いでは何について答えれば良いのかが分からぬ。 「識別パルス、というものの存在についてか。あるいは、レイヴンとおぬしのパルスが同一であったという事実についてか」 問い返した。 「後のほうだ」 「誰に聞くまでもない。おぬしがあの場で、『己が二人』と言うた時点でそうではないかと。後にあの場におったレイヴンの口から、二人のパルスが同一であることは確認できた」 「レイヴン、というのか。あの……『俺』は」 なるほど。 たとえパルスは変更されたとて、既に成されてしまった認識は覆せぬか。ロアにとっては、あの時あの場で会ったレイヴンは、あくまでも「もう一人の己」のままらしい。 あらためて対面すれば、それが初対面ということになるのかもしれぬ。
「……で」 不意にロアの口調にキレがなくなる。 束の間の停止時間。 言うべき内容について迷っておるのか、言うべきか否かについて迷っておるのか。 次の言葉を待つ。 「それで」 まだ迷いは晴れぬと見える。 沈黙の間、テーブルの上で組まれたロアの手、腕を見やる。 クロウ=アラニスの手によって設計されたアンドロイドには必ずある、「A」の署名。 レイヴンは「羽のような」と説明した。「クロウ」にカラスという意味を持たせれば、たしかにそうも見えるのかもしれぬ。 だがクロウ=アラニスは、そのようなロマンチストではない。 ラインに打ち込まれた楔のようなその模様は、オールドイングリッシュの「A」、アラニスの頭文字に過ぎぬ。 それが、ロアの腕にも、あった。
この「A」の署名、これに似たものを他人が使うことを、クロウ=アラニスはひどく嫌悪しておった。 試作機体か否かはまだ確定せぬが、ロアもまたクロウ=アラニスによって設計されたことは、間違いない。 これで一つ、確かなことが分かった……。
「それで、奴とは、他に何か話をしたか」 己の思考に没頭しすぎていたらしい。 不意にロアの声がして、我に返った。 今の言いようは、らしくもなく、曖昧だ。
慌てて後を追ってきたような来訪の理由。 我等がレイヴンの口から余計なことを聞いてはおらぬか、それを確かめるためなのか。 それとも、それは我の思い込みに過ぎず、単に「己と同じパルスを持つ者」のことが気にかかるだけなのか。 曖昧な物言い。 これまでのロアの言動とは食い違うその曖昧さゆえに、前者のような気がしてならぬ。 オズワルド研究院の応接室を満たしたような、言葉と真意を探る、張り詰めた静寂と沈黙。 互いに望まぬ結果にならぬためには、最大限、慎重になるほかない。
「レイヴンのことが気にかかるのか。それとも、パルスが同一である理由について、何か聞かされておらぬかを案じてるおるのか。どちらだ」 「それは……」 「もし前者ならば、次に会うた時にでも本人とゆっくり話してみるが良い。もし後者ならば……、先にも言うたが、たとえおぬしが違法製造されておろうが、そのようなことに我は関知せぬ。今はラグオルの調査が最優先事項だ。そのことに支障がないかぎり、パルスのことなど取り沙汰する気はない。ましておぬしの能力は、他のヒューキャストと比べても秀でたものがある。今は、共に戦うに不足ない相手があることのほうが肝要だ」 これは、事実だ。 違法製造、という言葉は、正規の生産ラインから外れた試作機体であることも含んでいる。 我の言葉をロアがどう解釈するかは分からぬが、我に今言えることは、これだけだ。
思考の波を示すように、ロアの目に当たる部分の光が微かに揺らいでいる。 やがて黙って立ち上がり、その後で、背を向けつつ 「違法かどうかなんぞ、俺は知らん。知りたくもない。だが、これだけは言っておく。俺は、戦闘能力で他の奴に劣ると思ったことはない。他の誰よりも優れているとは言わんが……、その辺のボンクラとは、違う」 「半月あまり共に戦うておるのだ。とうにリタイアした者も多い中で、まだ余力を残しておることならば、我にも分かっておる」 「……俺と組んだことを、後悔はさせん。……それだけだ。邪魔したな」 振り返ることもなく、ロアは出て行った。
我はローザ様に話が終わったことを連絡し、あらためて考えた。 ロアは己自身のことについて、何をどの程度まで知っておるのか。 今は触れぬと決めたその問題だが、いつかそれに向き合わねばならぬ時が来るのか否か。 そして、その時に我は何を言い、どう動くのか、動かねばならぬのか、動かねばならぬようになっているのか……。 ……未来のことは、闇の中。標もなく彷徨うても仕方あるまい。 今は、まもなく訪れる近い未来について、考慮すべきかもしれぬ。 機嫌よく出て行ったわけではないローザ様のこと。不機嫌なまま帰ってくるとすれば、それを宥めることが第一であろうから。
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