14


 帰ると、届けられていたラグオル調査本部からのメールで、明日一日はハンターズの降下を禁じる旨を告げられた。
 予想どおりだ。
 時刻はまだ昼。
 とりたててすることもない。
 余力があるならばトレーニングに時を費やすも良いが、今日、明日はゆっくりと身を休めておくべきだろう。
 手持ち無沙汰な様子で居間におったローザ様にそう告げると、なにかを躊躇うように、曖昧に頷かれた。
「なにか」
 問うが、今度もやはり曖昧に、首を横に振られる。
 今は言いがたいことならば、無理に聞くこともない。
「少し眠るが、何かあれば起こしてくれれば良い」
 また曖昧に頷くのを確かめて、我は部屋に戻った。

 寝台に横になり、アイガードを外す。
 我の部屋には電灯といったものは一つもない。我には無用のものであるし、客があれば、このような私室ではなく居間に通す。
 窓もなく、通風孔を除けば完全に密閉された室内は、常人の目には何も見えぬのだろう。
 だが、我には全てが黒の濃淡ではっきりと見える。
 一条の光もささぬような場所にあってさえ、何故か、見えぬものがない。
 目を閉じるとようやく、瞼の裏という扁平な「黒」一色に視界を塞がれる。これが最も「闇」と人の言うものに近いのだろう。
 奇形に生まれついたのは事実だが、これほどに人の目が特異な発達を遂げることがあるというのも、我がことながら、不可思議なものだ。
 今は、この目を役立てることは、ほとんどない。
 陽光の充分な昼のラグオルを探索するに当たっては、むしろ厄介だ。
 暗がりを見通すことができるかわりに、月光ほどの光ですら、まともに目を開けておることができぬ。
 戦闘中にアイガードが破損しようものならば、一切の身動きがとれぬようになる。目を閉じたところで、陽光の激しさは、瞼越しですら凶器だ。
 それこそ、白い「闇」……。

「ジーン、起きておるかえ?」
 思考の隙間にローザ様の声が滑り込む。
 枕もとからアイガードを取り、身につけると、ベッドから降りてドアを開けた。
「なにか」
「そなたに来客じゃ。ロア、というのはもう一人のチームメンバーではなかったかえ?」
「いかにも」
「どうする?」
「どうする、とは?」
「疲れておるのじゃろう? 眠っておると言うて、断ってやることもできるが……」
「構わぬ。用件もなしに来る相手ではない。出よう」
「そうかえ……」

 短い付き合いの中でも、ロアが極めて事務的な判断を下すことは承知している。大した用もないまま、ただ立ち寄るなどということは、まずするまい。まして、こちらの来訪の直後に、わざわざ我のもとへ足を運んだとなれば、相応の用件があると見たほうが良い。
 居間のテーブルの上には、表の光景を背後に敷いて、ロアの姿が浮かんでいた。
「何かあったか」
 我が問うと、
『話がある』
 切りつけるような端的さで言われた。
 コールを利用せずわざわざ来訪したということは、じかに会って話すべき、込み入った話題ということだろう。
 となれば、おそらくは、識別パルスに関したこと。
 余人をまじえたい話ではあるまい。

 ロアを中に上げると、案の定、ローザ様を見て足を止めた。
「ローザ様。すまぬが、少し出ていてはくれまいか」
「わらわには聞かせられぬ話かえ」
「我は構わぬと判断したとて、ロアにとっては、他に人がおらぬほうが良い話かもしれぬ」
「……分かった。端末を持って行くゆえ、話が済んだら連絡を寄越しや」
「承知した」
「それと……ロアと言うたか。そなたのようなアンドロイドには分からぬかもしれぬが、ジーンは疲れておるのじゃ。長話をされては困る。今も、寝ておったところを起こしたのじゃから……」

「ローザ様」
 埒もないことを。
 そのようなことを教えることに、なんの意味があると。
 重要な話があるならば、休養よりはそれを優先させるのが道理。ましてロアとは今後、共にラグオルの調査に当たらねばならぬ以上、交換すべき情報は充分に交換し、検討しておくべきではないか。そのようなことも分からぬローザ様ではあるまいに。
 主に意見できる立場ではないが、ローザ様のため、あまり幼い振る舞いはせぬよう、たしなめたほうが良いのかもしれぬ。
 だが、我が何か言うより先に、
「分かってる。無理にこき使って壊れられてはたまらんからな」
 ロアが剣呑に言い放った。
 ローザ様は一瞬、何か反論しかけたようだったが、口を引き結んでそのまま外に出て行った。

 ドアが閉まると、
「これだから女は」
 ロアが小さく吐き捨てる。
 主のことを悪し様に言われては良い心持はせぬが、ロアにとれば、ローザ様とてただ一人の女に過ぎぬ。今ここで何を言うこともあるまい。
「それで、何用だ」
 余計な話は、我とても好むところではない。
 椅子を勧めて、向かいに腰を下ろす。
 ロアは黙って腰掛けると、
「識別パルスのことは、誰に聞いた」
 前置きも躊躇いもなしに、本題とおぼしきことを切り出した。

 だが、その問いでは何について答えれば良いのかが分からぬ。
「識別パルス、というものの存在についてか。あるいは、レイヴンとおぬしのパルスが同一であったという事実についてか」
 問い返した。
「後のほうだ」
「誰に聞くまでもない。おぬしがあの場で、『己が二人』と言うた時点でそうではないかと。後にあの場におったレイヴンの口から、二人のパルスが同一であることは確認できた」
「レイヴン、というのか。あの……『俺』は」
 なるほど。
 たとえパルスは変更されたとて、既に成されてしまった認識は覆せぬか。ロアにとっては、あの時あの場で会ったレイヴンは、あくまでも「もう一人の己」のままらしい。
 あらためて対面すれば、それが初対面ということになるのかもしれぬ。

「……で」
 不意にロアの口調にキレがなくなる。
 束の間の停止時間。
 言うべき内容について迷っておるのか、言うべきか否かについて迷っておるのか。
 次の言葉を待つ。
「それで」
 まだ迷いは晴れぬと見える。
 沈黙の間、テーブルの上で組まれたロアの手、腕を見やる。
 クロウ=アラニスの手によって設計されたアンドロイドには必ずある、「A」の署名。
 レイヴンは「羽のような」と説明した。「クロウ」にカラスという意味を持たせれば、たしかにそうも見えるのかもしれぬ。
 だがクロウ=アラニスは、そのようなロマンチストではない。
 ラインに打ち込まれた楔のようなその模様は、オールドイングリッシュの「A」、アラニスの頭文字に過ぎぬ。
 それが、ロアの腕にも、あった。

 この「A」の署名、これに似たものを他人が使うことを、クロウ=アラニスはひどく嫌悪しておった。
 試作機体か否かはまだ確定せぬが、ロアもまたクロウ=アラニスによって設計されたことは、間違いない。
 これで一つ、確かなことが分かった……。

「それで、奴とは、他に何か話をしたか」
 己の思考に没頭しすぎていたらしい。
 不意にロアの声がして、我に返った。
 今の言いようは、らしくもなく、曖昧だ。

 慌てて後を追ってきたような来訪の理由。
 我等がレイヴンの口から余計なことを聞いてはおらぬか、それを確かめるためなのか。
 それとも、それは我の思い込みに過ぎず、単に「己と同じパルスを持つ者」のことが気にかかるだけなのか。
 曖昧な物言い。
 これまでのロアの言動とは食い違うその曖昧さゆえに、前者のような気がしてならぬ。
 オズワルド研究院の応接室を満たしたような、言葉と真意を探る、張り詰めた静寂と沈黙。
 互いに望まぬ結果にならぬためには、最大限、慎重になるほかない。

「レイヴンのことが気にかかるのか。それとも、パルスが同一である理由について、何か聞かされておらぬかを案じてるおるのか。どちらだ」
「それは……」
「もし前者ならば、次に会うた時にでも本人とゆっくり話してみるが良い。もし後者ならば……、
先にも言うたが、たとえおぬしが違法製造されておろうが、そのようなことに我は関知せぬ。今はラグオルの調査が最優先事項だ。そのことに支障がないかぎり、パルスのことなど取り沙汰する気はない。ましておぬしの能力は、他のヒューキャストと比べても秀でたものがある。今は、共に戦うに不足ない相手があることのほうが肝要だ」
 これは、事実だ。
 違法製造、という言葉は、正規の生産ラインから外れた試作機体であることも含んでいる。
 我の言葉をロアがどう解釈するかは分からぬが、我に今言えることは、これだけだ。

 思考の波を示すように、ロアの目に当たる部分の光が微かに揺らいでいる。
 やがて黙って立ち上がり、その後で、背を向けつつ
「違法かどうかなんぞ、俺は知らん。知りたくもない。だが、これだけは言っておく。俺は、戦闘能力で他の奴に劣ると思ったことはない。他の誰よりも優れているとは言わんが……、その辺のボンクラとは、違う」
「半月あまり共に戦うておるのだ。とうにリタイアした者も多い中で、まだ余力を残しておることならば、我にも分かっておる」
「……俺と組んだことを、後悔はさせん。……それだけだ。邪魔したな」
 振り返ることもなく、ロアは出て行った。

 我はローザ様に話が終わったことを連絡し、あらためて考えた。
 ロアは己自身のことについて、何をどの程度まで知っておるのか。
 今は触れぬと決めたその問題だが、いつかそれに向き合わねばならぬ時が来るのか否か。
 そして、その時に我は何を言い、どう動くのか、動かねばならぬのか、動かねばならぬようになっているのか……。
 ……未来のことは、闇の中。標もなく彷徨うても仕方あるまい。
 今は、まもなく訪れる近い未来について、考慮すべきかもしれぬ。
 機嫌よく出て行ったわけではないローザ様のこと。不機嫌なまま帰ってくるとすれば、それを宥めることが第一であろうから。

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