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 この、パイオニア2という宇宙船は、巨大な国家だ。
 政治機構までそっくりそのまま積み込んだ、宇宙を泳ぐ「国」。
 国の中枢である母船を中心に、いくつもの「都市」規模の船が周辺に配備されている。
 我等のようなハンターズが暮らせるのはあくまでも都市船で、中央の母船に渡ることが許されておるのは、政府関係者、軍部の者、政府から正式に認定された顧問科学者、そして一部の特権階級の者たちだけである。
 パイオニア2には、こういったお偉方以外に、我々のようなハンターズ―――金で仕事を引き受けるなんでも屋のようなものだ―――と、一般市民が多数乗っている。
 都市船の街の光景は、テラの地下都市と大差ない。
 原色のネオンが天井から床まで八方を彩り、明滅を繰り返している。
 我はあまりこの光は得意ではないが、致し方ない。

 この二年の間にすっかり通い慣れた雑貨店に立ち寄り、ローザ様の愛用する香水を買うと、その足で食料品店を二軒ほど回る。
 食料も衣料も厳しく管理されているという話だが、我には充分な量に思える。確かに物資は制限され、かつてテラにいたときのような気侭には選べぬであろうが、その程度のこと、搭乗前から分かりきっていたことだ。
 だがそれも、ラグオルに着くまでのこと……、ラグオルに着けば、全てが変わるのだろうか。

 パイオニア2に搭乗した理由は、人それぞれだ。
 我等の場合、里の重鎮たちに決められたに過ぎない。
 里を支配する大老たち、彼等を支配する親老、その娘、それがローザ様だ。
 彼女は、里の「老」たるに相応しい能力を持つ者を生み出せる、最も強い遺伝子を持つ者と言える。
 里の存続のため、決して害されてはならぬ身。
 それゆえ、ローザ様を一刻も早く、安全で快適な生活空間へと移住させる必要がある、……という決議であった。
 パイオニア2の搭乗には莫大な費用がかかる。一度に乗船させられるのは、里の財力では二人が限度だった。
 我がローザ様の護衛を命じられ、それに従った。
 なんらかの目的があって自ら移住を決意したわけではない。我等はただ、大老と親老の言葉に従っただけに過ぎぬ。そしてこれからも、彼等の命じるままに動かねばならぬのだろう。
 それでも、辿り着けば何かが変わるのだろうか。

 ローザ様は、それを期待している。
 これまで里から出ることもままならなんだローザ様が、今は、当たり前の都市の中に組み込まれて暮らしている。それと同じように、何かが少しでも変化し、新しい生活がラグオルにあるのではないかと、我に言う。
 期待と、不安の混じる目で。
 ……それを彼女が望むならば、叶えば良いとは思うが、果たして……。

「む、すまぬ」
  考え事をしていたせいで、店に入ってきた女と肩がぶつかった。
「いーのよ、気にしないで」
 浅黒い肌の、小柄な娘だった。
 屈託なく我を見上げて笑って、小走りに店の奥へと入っていく。
 流行りなのか、街でよく見かける型のジャケットの胸元に、ハンターズの証であるライセンスプレートがあった。
 ハンターズにしては、まだずいぶんと若いかもしれぬ。
 だが近年、ハンターズの養成所に登録する者の年齢が低くなってきているという。
 詳細な理由はそれぞれにあろうが、他に身を立て糧を得る手立てがなくなってきている、ということか。
 ローザ様のことなど考えておったせいか、いつもならば考えもせぬことが頭をよぎる。
 里の娘として不自由を強いられる者がある一方、娘としての幸せを好きに選べるはずの者が、自ら殺伐としたハンターズなどになろうという。
 もし、今の娘、なにかやむをえぬわけがあって、まだ二十歳にもなるまいにハンターズとして生きることを選ばざるを得なかったのだとすれば、そのような者を作り出してしまうテラは、病んでいるどころか、狂ってきているのかもしれぬ。
 だとすれば、病み、老い、狂気にとらわれた星など捨て、パイオニア2に乗ったことは、正しい選択と言えるのかも……。

 このようなこと、考えたとて意味はない。もうよそう。
 くだらぬ思考を追い出し、我は買い物の内容をもう一度確かめて、店から出た。
 とその時だった。
「ちょっとアンタ!」
 店の奥から張りのある高い声が飛んできた。
 何事かと振り返ると、先刻の娘が、大の男の手首を掴んで彼を睨みあげていた。
「あたいのお尻触るなんて、いい度胸してんじゃないのさ!」
「なに言ってんだ、このアマ!?」
 ……喧嘩か。
 気の強い娘だ。
 店主がおろおろと首を巡らせて、我を見ると、哀願の目になった。
 確かに、店の中で暴れられてはたまるまい。
「触るほどのモノが何処にあるってんだよ、ああ!?」
「なんですってぇ!?」
 今にも掴みあいになりかねない気配だった。
 娘は、体重ならば己の三倍はあろうかという男を相手に、怯みもせず向かい合っている。
 ヒューマンの女でハンターやレンジャーとして登録しておる者の数などたかが知れている。とすれば、彼女はおそらくフォース。
 フォースとしての力量に自信があるならば、強気に出るのも無理もないが、船内でのテクニック使用は法に触れる。

 喧嘩腰になってはみたものの、娘もここでは分が悪いと気付いたらしい。
 褐色の頬に焦りが窺える。

「その辺にしておいたが良いぞ」
 放っておいては、あとで我が何を言われるかもしれぬ。
 仕方なく声をかけると、男の目がこちらに向いた。
 その瞬間。

 娘は男の股間を思いきり蹴りあげていた。
 蛙の断末魔のような声をあげ、男は股間を押さえて前屈みになる。
 馬鹿なことを。
 一撃は強烈だが、それに付随する怒りも強烈だ。
 男の顔は見る間に赤く変わり、やがてドス黒い憤怒の形相になった。
 このままでは見境なく店内で暴れはじめるだろう。
 我は娘の手をとると、強引に引っ張って店から逃げ出した。

「なっ、なんで逃げんのさ!?」
「あの場所で暴れて、弁償代を払うというのか」
「そ、それは……」
 後ろから、床を揺るがすような勢いで男が走ってくる。
 通行人たちは慌てて道の左右に散って、素知らぬ顔になる。
 我もレンジャーとして通じるようそこそこ鍛えはしたが、腕力勝負に自信はない。あの大男、傷んだジャンパーの袖、上腕部にライセンスプレートがあるところからして、あれでもハンターズということになる。ハンターとして登録していればまず間違いなく、たとえレンジャーであったとしても、真っ向から組み合っては我に分はない。
 なるべく細い通路を選び、右に曲がり左に曲がり、なんとか引き離そうとするのだが、男は体格に似合わず敏捷だった。
 娘の息も上がり気味で、大男との距離は次第に縮まってきている。

 どうするか……。
 我が喧嘩の相手をすれば、この娘は逃げおおせるであろうし、大男のほうは、気さえ晴れれば娘のことは忘れるかもしれぬ。
 仕方あるまい。
 足を止めようとした時、ふと、道端のアンドロイドと目が合った。
 ちょうどそこの店から出てきたらしい黒いメイル=アンドロイドは、行く手を阻むように道の真ん中に立ったが、すぐに身を斜にして、通してやる、という意思表示をした。
「事情はよく分からんが、捕まればとんだことになりそうだ。奴は俺が止めてやるから、行け」
 よく通る低い声で告げると、我等の進行方向へ顎をしゃくった。その胸元に、ライセンスプレートがある。どうやら彼はヒューキャストらしい。

「すまぬが、頼らせてもらおう」
 すれ違いざま、我は黒いヒューキャストにそれだけ告げると、そのまま娘の手を引いて走った。
 背後で派手な音がする。走りながら一瞬振り返って見ると、大男が道端の看板に埋もれるようにしてひっくり返っていた。
 アンドロイドには、人間を意図的に傷つけることがないようプログラムが組み込まれているが、それも昔に比べればずいぶんと緩和された。積極的な攻撃に出ることはできずとも、掴みとめる、突き飛ばす、といった応戦は可能になっている。
 ヒューキャストの腕力は、マンの男と比べても格段に上だ。足止め程度は造作もなかろう。
 いずれあらためて礼をせねばなるまい。

 だいぶ走って足を止めると、我はともかく娘のほうは、しばらくはまともに口もきけぬ有様だった。
 長いこと膝に手をついて肩で息をしていたが、一度大きく深呼吸すると、背を起こす。
「た、助かったわ。あの一発でアイツ、のびると思ったんだけどね」
「女の細い足では、蹴ったところで威力もない。それより、礼は今のヒューキャストに言うたほうが良かろう。我はただ逃げただけゆえな」
「んー、でもアンタも、一応止めてくれたしさ」
 口調はずいぶんと伝法だが、素直な娘だ。
 大きな目がよく光を弾いて、瞬きの間に表情を変える。
 顔立ちも造作よく整っており、愛らしい。
「もう心配はないと思うが、気をつけて帰れよ」
「うん。サンキュ」
 鮮やかな笑顔を残して、くるりときびすを返し、娘は小走りに路地を抜けていった。

 我は念のため、あの大男とヒューキャストの喧嘩の成り行きを見に戻ることにした。
 そう思って引き返したのだが、戻った時には、そこには大の字になって転がっている大男の姿しかなかった。
 見物していたらしい者たちに問うと、この大男をあっさりと片付けて、ヒューキャストは立ち去ったという。
 礼を言うにも、せめて名前と所属くらい分からねばなるまい。
 誰か知る者はないかと問うが、誰も知らぬと言う。
 このシップに最初から乗っているのならば、今までに一度くらいは誰かが見かけたことがありそうである。となると、なんらかの事情で他船から移転してきて間がないか、それともただ立ち寄っただけであるに違いない。
 シップ間の移動は面倒が多い。何処にいるのかも分からぬ相手を、こちらから探しにいくとなると大した手間だ。
 いずれまた会えれば良いのだが……。

 なんにせよ、余計な時を費やしてしまった。
 これでは、帰るなりローザ様から、また「女の尻でも追いかけておったか」などと言われるだろう。
 よくは分からぬが、何故かローザ様はそういった類のことを言いたがる。
 我がそのような雑事には関われぬ身であることは承知しておるはずなのだが、事あるごとに「女」を引き合いに出してくる。
 そうすることで楽しんでおられるなら、構いはせぬが……。
 そうして少し急ぎ気味に戻った我を待っていたのは、案の定、思ったとおりの一言だった。


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