Scar-back Knight

 少し気のきいた者ならば、これを「死の足音」とでも言うのかもしれぬ。
 カカッ、カカッ、と硬く響くその音は、ゆっくりと、しかし確実に近づいてくる。
 二足歩行の相手ならばこのような足音にはなるまい。
 相手は間違いなく、カオスブリンガーだろう。

 普段のことであれば、奴の射程範囲外から弾一つで仕留めるなど造作もないことだが、今は座っているだけでも、右腿の傷口から血と共に力が抜けていくのが分かる。
 傍らに転がるディメニアン、今は屍だが、こやつから食らった一撃の跡だ。
 油断をした、というわけではない。
 接近戦になれば取り柄の一つとしてない我が、単独で遺跡調査に出向くなど、これがそもそも無茶であったろう。
 名指しで、我のみを指定した依頼だった。敵の数は少ないが、通路の大半がエネルギー不足から漆黒の闇に覆われているという。なるほど、たしかに我に向いた仕事には違いあるまい。

 だが踏み込んでみれば、尋常ならざるエネミー数で、退路すら奪われた。
 前調査の不行き届きか、あるいは、仕掛けられた罠だったか。
 今更、どちらでも良い。
 足音はもうすぐそこまで来ている。
 目を開けているのもつらい有り様では、左腕の一撃でさえ耐え切れまい。

 闇の中に、特徴的な長い右腕が覗いた。


 観念したと同時に、起きている気力も完全に失せたのか、我はそこで意識を失っていた。
 だが、こうしてものが考えられるということは、無事であったということだ。
 目を開いてみると、遺跡の天井が見える。
 足元のほうがおぼろげに明るいのは、感触からして、レスタだろう。
 誰かが助けてくれたのだろうか。
 だが、足音はカオスブリンガーのもの一つだけで、交戦しうるほど近くには誰の気配もなかった。
 それとも、単に我の注意力が薄れていただけで、間近に別のハンターズが来ていたのだろうか。

 誰がいるのか、と顔を動かす。
 と、真横にあったのは、蹄だった。
 蹄から、伝うようにして視線を上げていく。
 信じがたいことだが、そこには攻撃に移る様子もなく、カオスブリンガーが一体、佇んでいた。
 そして、足元にいてレスタをかけているのは、どういうことか、カオスソーサラーだ。奴の左肩に浮いている浮遊体が、淡く輝き続けている。

 これをこのまま、ストレートに解釈するならば、こういうことになる。
 あの時現れたカオスブリンガーは我を攻撃せずに見逃し、あまつさえカオスソーサラーが傷を治そうとしている、ということだ。
 彼等は、どういうつもりなのか。
 まさか敵である我を助けようというのだろうか。

 これが人間であれば、なにか聞き出すため、それまで生かしておくために、あえてこの一時の命を永らえさせる、ということもあるだろう。
 だがエネミーたちの思考は極めて単純かつ明快だ。そのような持って回ったやり方をする者はなく、全てが真正面から、生命力と腕力にものを言わせて向かってきただけである。

 理解できぬ。
 傷こそ塞がりつつあれど、まともに動くこともできぬ今は、様子を見る他すべはない。
 癒されるままにしていると、やがてソーサラーが揺れるようにして退いた。見下ろした足に、傷はもうない。動かそうとすると半ば麻痺したようでぎこちないが、いずれ馴染むだろう。
「どういうことだ」
 通じるとも思えなんだが、言葉にしてそう問うた。
 答えはなく、ソーサラーは消えていなくなる。再び現れることもない。
 残されたのは一体のカオスブリンガーだけで、なにを考えているものか、時折首を巡らせながら、そこに黙って立っている。

 攻撃してくる意思だけはないらしい。
 ならばいつまでも警戒していても仕方あるまい。
 今生きてあることのほうが不思議な状態なのだ。気まぐれのように拾った命ならば、そう惜しむこともなかろう。
 ここがどのような場所なのか、辺りを見回す。
 動力制御室あたりだろうか。
 複雑な機器が壁面を埋めている。そのせいもあるだろうが、ずいぶんと狭い。人間などに似た形状の上半身に、馬に似た下半身というカオスブリンガーは、立っていると頭が天井に届きそうでもある。

 出入り口は一箇所のみ。
 小銃の一丁くらいはPPCに入っているが、この至近距離で戦うとなれば、我の撃つ一発よりは相手の一撃のほうがはるかに強烈である。勝ち目はない。
 戦わず逃げようとしたところで、出口を塞ぐように立っているカオスプリンガーをかわしてのことになる。体力が回復したところで、おそらく我では不可能だ。もっとも、今すぐに逃げ出さねばならぬような危機感は微塵にも感じておらぬが……。

 状況から判断すれば、この場所に閉じ込められている、と見て良いのだろう。
 ソーサラーにせよブリンガーにせよ、遺跡に出現するエネミーの中では強力な部類に入る。ともすると知能も発達し、なんらかの策を立てるまでに進化したのかもしれぬ。ダークファルスの支配から開放されたことで知性の発達が促された、ということもあるだろう。とすれば、手に入れた駒を生かして利用しようとしたとて、不思議ではない。
 どの道、あまり安穏とした先は待っているまい。

 消えたソーサラーは戻っては来ず、そのままいくばくかの時が過ぎた。
 周囲の者は良い変化だと言うが、空腹を覚えるようになったことは嬉しくない。
 PPCの時計を確認すると、遺跡に入ってからまる三日が過ぎている。食事は、一日目の夕方頃に摂っただけだ。まる半日は意識を失っていたらしい。
 万一のことを考えて、ディメイト程度は充分に持ってきている。
 しかし、いかに攻撃の意思はないとは言え、見張りがそこにいる状態で、食事など口にするのもどうだろうか。

 そう思い、見張りのカオスブリンガーを見上げたと同時に、奴もまた顔を振り上げた。
 出入り口を見やる。
 複数の乱れた足音が近づいてくる。
 ハンターズだろうか。それにしては、足音も殺さずにバタバタと、あまりにも無神経だ。
 では、と思えば、現れたのは案の定、ディメニアンの群れだった。

 この不可解な静寂の時は終わり、いよいよ何かが始まるのだろうか。
 ディメニアンが入ってくる。
 我を確認した途端、狭い戸口に構わず、一気に雪崩れ込んでくる。
 咄嗟に応戦しようとしたが、長銃は先刻の混戦で失ったばかりだ。まして、傷が塞がっただけの足はいまだ思うようには動かぬ。
 それでも小銃を取り出し、腕を伸ばした。
 途端、大きなものが風を切る音がして、それに重い打撃音が重なった。
 そして、独特の射撃音。

 カオスブリンガーがディメニアンを攻撃していた。

 入ってきたものは片っ端から左腕で斬り倒し、戸口に現れる影に向かって右腕を上げる。
 この攻撃力は、我等の最新兵器をも上回っている。
 ディメニアンの群れは、瞬く間に全滅した。

 どういうことなのだろうか。
 「仲間」という認識はないだろうが、敵ではない存在のはずだ。それゆえに今までも、こちらがあえて狂わせるのでないかぎり、同士討ちを見たことはない。
 よほど特殊な策でも立てられ、それに従って、我を保護するためならば味方を殺しても良い、ということになっているのだろうか。
 紫色の血溜まりを踏み越えて、カオスブリンガーが傍に来る。
「どういうことだ」
 もう一度、言葉にした。
 答えを聞くことはできなんだが、害する気は一切ないと言わんばかりに奴は脇腹を向け、四本の足を折ってその場に座り込んでしまった。その巨体に塞がれて、出口は見えなくなる。外からも我の姿は見えぬだろう。

 気配はカオスブリンガーのものに誤魔化され、匂いはディメニアンの血に混じる。
 静かなものだった。
 たまに、襲撃というわけではなく近づいてくるものはあったが、カオスブリンガーがそこにいるのを知ると、縄張りをおかしてはならぬと思うのか、さっさと立ち去っていった。
 これでは、まるで我はカオスブリンガーによって守られているようではないか。
 どういう理由であれ、思いがけぬ状態だ。

 このカオスブリンガーと、先刻のカオスソーサラー、この二体がなにを考えておるのかがまるで分からぬ。
 分かっているだけのことから、一番もっともらしい答えを作り上げるならば、こうだろう。
 なんらかの策謀により、我を生かして利用することにした。死なれてはまずいので傷は治した。この作戦について知っている者は極一部で、大半のエネミーは知らない。それゆえ、襲撃してくるものを追い払うため、見張りも兼ねてこのカオスブリンガーがついている。とすれば、姿を見せないソーサラーのほうがブリンガーよりも高位であり、諸々の準備に取り掛かっている、ということにもなりそうである。

 それが最も分かりやすい説明だ。
 だがそれにしては、敵意も殺意もまるで感じさせぬのが不思議だ。
 ただ静かにそこにいるだけで、このカオスブリンガーが気を荒立てるとすれば、他のエネミーが近づいてきた時だけである。
 どころか、時折、まるで我の足でも案じているかのように、左手でそっとこの足に触れてくる。先端の刃で傷つけぬようにと思うのか、それとも傷が癒えていないことを考えるのか、あくまでもそっとだ。
 利用するために生かしておいている、という、いわば「捕虜」に対する扱いとは到底思えぬ。我が身そのものを案じてくれているかのようではないか。

 何をしようとしている、などと何度か話し掛けてはみたが、言葉は通じぬらしい。音として聞こえてはいても、まるで知らぬ言葉だろう。
 奴の「目」にあたるらしい亀裂を覗いてみても、表情は分からぬ。もとより表情など、たとえそれがマンのものであれ、我に読める類のものではないが。

 カオスブリンガーの意思は分からぬものの、他のエネミーについて一切考えずに済むのは気楽だった。
 空腹はディメイトで満たし、細胞が蘇生したばかりの足は揉み解し、動かし、少しずつ慣らす。
 一日もすれば立てるようになった。
 だが、それだけだ。
 ここから出ることはできそうもない。
 いかに敵意はないとは言え、我に撃たれる程度のことは警戒しているのか、カオスブリンガーにも隙はない。
 奴に我を出す気がなければ、ディメイトが尽きた後は飢えて死ぬだけだろう。

 危険かもしれぬ、と試さずにいたが、PPCで外部と連絡をとろうとすれば、カオスブリンガーはどうするだろうか。
 我が何をしようとしているのか理解できずに見逃すか、理解できぬことは阻むか、それとも理解したうえで、攻撃してくるか。

 スイッチを入れる。
 コールよりはメールのほうが良かろうか。
 それともコールのほうが、用件を伝える前に阻まれても、何事か起こっていることだけは伝わるだろうか。
 暫時迷い、コールを選んだ。
 兄にかけると、即座につながった。

『何処にいる』
 余計な問答も抜きに問われる。数日で片付く、と言ってきたものが、その数日が過ぎても戻って来ぬものだから、妙だとは思っていたに違いない。
「遺跡だ。身動きがとれぬ」
『座標は』
「208.756.211」
『待てるか』
「それは問題ない」
『すぐに行く』
 ブツリと回線が切れた。

 さて、どうなるだろうか。
 カオスブリンガーを見る。
 じっと我のすることを見ていたようで、すぐさま目が合った。
 阻もうとはしなかった。
 だが、それまではじっと座っていたものが、前足を立て、立ち上がった。

 出口に向かう。
 捕虜に動きがあった、と連絡をつけに行くつもりだろうか。
 そう思うが、意に反して立ち止まり、我を振り返った。
 半身を外に出してじっと振り返っている様は、一緒に来い、と待っているように見える。
 慎重に、傍に行く。
 悪足掻きになろうが、不意の一撃が来れば避けるくらいの心積もりはしていた。
 だが予想はことごとく裏切られるものらしい。カオスブリンガーはまた数歩先に行き、振り返る。

 ついていけば、「黒幕」のところにでも連れて行かれるのだろうか。
 もう一度兄につないだ。
『なんだ。俺が行くまでなんとか』
「いや、今のところ危険はないが、移動する」
『いいだろう。無茶はするな。座標はこまめに教えろ』
「分かっておる」
 現状については、説明しても意味はないだろう。
 兄はそういった些事には関心を持たぬ。自らの行動に必要な情報しか求めぬ。
 第一、「カオスブリンガーが傍にいる」となど伝えれば、どうなることか。徒に急がせるだけで、それでもさほど違いはあるまい。ソーサラーのように瞬間移動ができるわけでもないのだ。

 それに、もしこの有り様を説明すれば、誰もが何事かと思い、あるいは我の言葉が偽りではないかと疑うだろう。
 道々、襲撃はある。
 だがそれを全て、隣を歩むカオスブリンガーが引き受け、片付けていくのだ。
 そして連れて行かれたのは、我があの制御室に連れて行かれる直前までいた場所だった。

 そこまで来ると、カオスブリンガーは足を止めた。
 我は兄に、最終座標を告げる。
『あと2分だ』
 そんな声と共に、遠くで爆音が上がる。どうやらテクニックまで全開にしているらしい。そうなれば、兄自身の疲労も並ならぬだろうが、下手なチームよりも行動は素早いだろう。
 ラフォイエでも撃ったのか、壁が小刻みに震動し、砂粒のような欠片を落とした。

 カオスブリンガーがくるりと身を翻した。
 元の道へと駈け戻っていく。
「待て!」
 思わず呼び止めた。
 言葉は通じないだろうが、呼ばれたことは分かったのだろうか。蹄の音が止まり、振り返る。

 助けに来る者をおびき寄せる餌にしようというのならば分かる。
 そうであれば、物陰にでもひそみ、相手が我を見つけて一瞬でも気が緩んだ隙をつこうとするだろう。
 それとも、自分では勝てぬ相手と悟り、逃げようというのだろうか。
 ならば「餌」として生かしておいた我を、この場で殺すなり、あるいは連れ去るなりしても良いはずだ。

「我を、まさか助けたのか? 助けて、守っていただけだとでも」
 言葉は通じない。
 カオスブリンガーは、黙って奥へと駈け去っていった。

 兄は説明を求めたが、説明のしようがなかった。
 なにせこの身はほぼ無傷だ。
 怪我をした形跡はあれど、治癒している。我の精神力さえ充分であれば、レスタによって治癒速度を上げることはできるのだから、それは不思議ではない。
 では、無事でありながら何故四日も五日も連絡も寄越さずにいたのか、ということになる。
 まさか、カオスブリンガーに見張られていたが結局は何事もなく、むしろここまで護衛してもらった、とは言えない。

 通信できるチャンスを待った、と嘘とも本当ともつかぬ言い訳をすると、兄なりに納得はいったのか、ほっとしたようだった。
 案じてくれるのは良いが、触れられるのは困る。
 読まれれば、我が今なによりも気にしている、カオスブリンガーの振る舞いのことが分かってしまうだろう。
「すまぬが、早く帰って、休みたいのだ」
 そう言って退けると、兄はその場にテレパイプを開いた。
 

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