それから一騒動あった。
 どうやら我は罠にはめられたようで、それを探り出した兄が動いていたのがそれだ。
 だが我は自分の部屋から出ることもなく、考えることと言えば、あのカオスブリンガーのことだった。
 日が過ぎるほどに、「あれはただ、我を助けようとしてくれたのだ」という思いが強くなってくる。

 奴等の中にも、人間を獲物と見なさず、また、敵意を抱かぬものがあるのかもしれぬ。
 ありえぬとは言えぬ。
 ダークファルスによって生み出され、その尖兵として戦っていた時は我等の「敵」として動いていた。だがその支配から開放された後、彼等自身の自意識は、我等を敵とは見なさなかったのかもしれぬ。
 自意識、という問題になれば、より強靭であり、高度な生命体であると思われるソーサラーとブリンガーがいたことは頷ける。自意識を生み出せるほど複雑な知能を与えられなかったものは、相変わらず侵入者=敵・獲物と見ているのだろう。
 高等なものの一部は、人間を殺すべき相手とは見ていないのかもしれぬ。
 それゆえ、動けぬ我を……助けるだろうか?

 あえて向かってはこなかった、というならぱ分かる。
 だが、傷が癒えれば、我が彼を撃つかもしれぬのだ。
 殺そうとはしなかった。傷だけ消して立ち去った。そうならばともかく、我が意識を取り戻し、動けるようになってまで、何故傍にいたのだろう。
 我がまるで接近戦は不得手である、とまで分かっていたのか。どうやって? あの時の我はいかなる武器も手にしてはいなかった。もし長銃を傍らに置いていれば、彼等も今までの経験で、この武器を持つものは近づいてしまえば怖くない、と知っており、それに従ったかもしれぬ。だがあの時の我は、間違いなく素手であり、いかなる武器も手にしてはおらなんだ。
 ヒューキャストの中には、真正面からカオスブリンガーと切りあえる者もいる。ヒューマーでも、巧みに立ち回って引けをとらぬ者がある。我がそうではないと、どうやって判断したものか。形状、すなわち装備だろうか。

 これまで生きてきて、かように気にかかることはついぞなかった。
 不可解極まりない謎は、昼も夜も頭の片隅に居座りつづけた。
 そしてとうとう、疑問は決意に変わった。

 確かめに行こう。
 もう一度会えるかどうかは分からぬし、その時にまで友好的に終わるかどうかも分からぬが、もし彼等の中にも人間にとって友好的な存在があるのならば、「敵」としか見ておらぬ現状は、決して良いものではないはずだ。
 だが、誰を同伴することも難しい。
 そもそも、カオスブリンガーとカオスソーサラーに助けられた、という話自体、まずは誰も信じまい。
 我は単独で、再び遺跡に降りた。

 あのカオスブリンガーに出会った場所を目指す。
 他にはいかなる手がかりもない。
 できるだけ戦いは避けた。
 体力を消耗したくない、という理由だが、「敵」ではないものが混じっているならば、助けられた恩があるのだ。彼等を無闇に殺したくはない。
 相手が何であれ、恩には義をもって報いねばならぬ。

 甘いだろうか。
 甘いだろう。
 やがて身をもって思い知った。
 ディメニアン程度はともかく、カオスブリンガーやカオスソーサラーたち、全てが友好的な存在になったわけではない。だが一方で、ダークファルスの支配から解き放たれて自由になり、知能が発達したのも間違いなかった。

 ハンターズのやりようを見て覚えたものか、連携されると逃げるのもままならぬ。
 ただ突進してくるディメニアンを盾に、奴等の後方から冷気が押し寄せる。生きることと殺すことしか考えておらぬ戦闘生物らしく、味方を巻き込むことなど躊躇いもせず砲撃が来る。
 縄張り、という意識はなくなったのか、一度発見され捕捉されたが最後、何処までも追ってくる。
 狭い通路で背後から熱線が飛び、転がり込んだ部屋にはソーサラーが先回りしてチャージを済ませている。
 幸い、味方を「仲間」と認識しておらぬがため、助かった。
 我が身を沈めて後方からの狙撃をかわすと、それは正面にいたソーサラーの腹を貫いた。

 攻撃力に対して防御力が乏しいのが、奴等の最大の欠点だ。一撃でソーサラーは散っていく。
 だが、味方を殺したことで一瞬とても戸惑うこともない。
 続けざまの乱射をぎりぎりでかわす。
 現れたディメニアンに構っている暇はなかった。盾にできるほど強靭でもない。ただ、逃げていれば、我を追って撃ち散らすカオスブリンガーによって、勝手に倒されていく。

 もう一体、出てきてくれぬものだろうか。
 体力がもたぬ。
 うまく直線上に誘えば、正面からの同士討ちで二体ともに片付けられるかもしれぬ。
 いや、せめて一瞬でもいい、撃てるだけの態勢を整えられれば、それでいい。
 長引くほどに不利になるのは我だ。
 食らえば、腕や足程度簡単に吹き飛ぶ。当たり所が悪ければ即死だ。

 プロテクターが重く感じられる。
 疲労していなければ、無視できるほど軽量化されたもののはずが。
 ハンターズの装備は、我には向かぬ。
 このようなものを身に付けては、構えにくい。

 そのようなことを考えたのは、半ば現実逃避に近かったかもしれぬ。
 喉が焼けるように熱かった。
 呼吸を整えることもできず、咳き込んだ拍子に、床に広がる血に足をとられた。
 転倒した瞬間を、利用する。
 体を丸めて転がり、起き上がりつつ、狙いを定める。
 賢くなっただけに、我がその態勢から反撃してくるとは思わなかったのか、怯んだカオスブリンガーの喉元に、弾は食い込んだ。

 棹立ちになった。
 そのまま倒れてくれれば良かったが、致命傷には到らなかったようだ。
 激怒を表すのか、何度も何度も後足で立ち上がり、前足で床を蹴りつける。巨体が起こす震動に、床の血に波紋が生まれる。
 無論、そのような大仰な動きなど、我にとれば恰好の好機に過ぎぬ。
 だが怒り狂った効果なのだろうか。弾は全て弾かれた。

 右腕が上がる。
 これまでかと思った。
 だがすぐに下げられた。
 近づいてくる。
 撃つが、無駄だ。
 逃げ切るしかない。
 近づいてくるに合わせて、向かい合ったまま後退する。
 壁にまで追い詰められれば、後はない。
 だが、奴の攻撃の隙をつけば、すぐ左脇の通路に飛び込めるだろう。

 背中が壁に当たった。
 顔は向けず、通路への出口までの距離をはかる。こういう時、目の動きを読まれずに済むアイガードがありがたい。
 カオスブリンガーが右腕を上げる。
 至近距離から食らえば、腹くらいきれいに消し飛ぶ威力だろう。
 だが、撃つ直前には必ず筋肉が緊張する。
 それを見逃さずにいればいい。

 だが、カオスブリンガーはその右腕を、壁に突き刺した。
 我の左腕の真横だ。
 掠ったのか、焼けるような感覚。
 その砲身の向こうに、出口があった。

 読んでいたのだろう。
 我がどう逃げるか。
 追い詰めて、退路を奪った。
 右に逃げれば、奴の左腕の一撃が待っている。

 では、意表をつくには、どうすれば良いか。
 下しかない。
 よほどに身が軽ければ上という選択肢もあるが、我には無理だ。第一、鳥でもないのに空中にいるのは、危険すぎる。

 砲身の下をくぐって左に逃げるか。
 それともいっそ、奴の足の間、腹の下に入り込むか。
 だが、もしその動きを読まれていれば、蹴りが来ることは言うまでもない。

 追い詰められてからの時間が、あまりに長かった。
 楽しんでいるがためだ、と気付いた時には、疲れに似たものが全身に広がっていくのが分かった。
 人間を見れば力任せに攻撃してきたものが、知性を得て、獲物をいたぶる快感に目覚めたというのだろうか。
 ただ殺すだけでは飽き足らぬ、と、怒りのなせる業だろうか。
 だがこれでは、あまりにも人間的すぎる。

 捕食に走る獣のような純粋な殺戮生物が、知能を得て人間じみ、殺戮と快楽をつなげるようになった。
 この我が「可笑しい」と思うのだから、これはよほどに皮肉な発想なのだろう。
 だが口元が笑みを作るのをこらえきれぬ。

 その笑みを、意味はともかく、理解したようだった。
 両方の前足、その膝で蹴り上げられた。
 爪先が浮く。膝は胸部のプロテクターに食い込んだが、衝撃が肺にまで伝わる。この近距離では、防護スーツの緩衝能力も役には立たなんだらしい。
 息ができず、膝から力が抜ける。
 背が壁を滑ったところで、右肩に衝撃が落ちた。
 左腕の刃が耳を掠めて、肩に埋まっていた。

 いたぶることを覚えたのは、今なのか、それとも以前から覚えていたのか。
 本来の使い方をすれば一撃で仕留められるものを、右腕の砲身で殴りつけられる。
 アイガードが罅割れ、破片が目尻に刺さる。

 まったく、余計なことをしようとしたものだ。
 珍しいこともあったものだ、と放っておけば良かったものを、確かめようとしたがためにこの様だ。
 もっとも、あの時助けられていなければ死んでいたことは間違いない。
 少し遅くなった。
 ただそれだけだ。

 何度か殴りつけられて転がると、足に重みが加わった。
 踏み千切るつもりだろう。
 我の足など、あの巨体と力であれば、容易に踏み抜けるに違いない。
 それがたまたまあの時怪我していた右の腿で、この十日ほどの間が、死に際に見た夢に過ぎぬような気もした。

 骨の軋みが体の中を通って耳に響く。
 少しずつ、ゆっくりと痛みと重みが増していく。
 嫌な奴だ。
 なにもこのように人間じみた真似をせずとも良いものを。
 こらえようとしてもこらえきれぬ、半ば反射のような苦鳴を楽しんでいる節さえある。時折、ふっと力が緩む。

 いつまで続くのか、半ば気も遠くなりかけた。
 そこへ突然、ドドド、と床から体に震動が響いた。

 それが何かは分からなかった。
 ただ、足に加えられていた重みが消えた。
 どうかしたのかと顔を向けると、上にはカオスブリンガーがいた。
 だがそれは、我の体を跨いで立ち、両腕を振り上げ、叩きつけるように振り下ろし、前足で床を蹴りつけた。
 右腕を上げ、続けざまに撃つ。
 殴られたために聴覚が麻痺しているのか、音は聞こえぬ。
 だが見やった先で、別のカオスブリンガーが五体粉々に飛び散って果てた。

 このような変わり者、二体もいるとは思えぬ。
 ならば、今また我を助けたのは、あの時のカオスブリンガーだろうか。
 見分けることもできぬが。

 彼は我を見下ろし、すぐさま顔を上げると右へ、左へと振り向ける。
 それに答えるようにして、一体のカオスソーサラーが現れた。
 おそらく、我等には分からぬだけで、彼等にも意思疎通の手段があるのだろう。双方の動きから、なんとなく窺い知れる。
 どうやら揉めているようだ。
 おそらくは、傷を治してやれというプリンガーと、拒まぬまでも、気乗りせぬソーサラーと。
 だがやがてソーサラーは、左肩の浮遊体を高く持ち上げた。

 カオスソーサラーはしばらくの間そこにいて、何度かレスタを重ねると、またふいと消えてしまった。
 残ったカオスブリンガーは、あの時にもこうしたのだろう。左手の刃の端をプロテクターの端に引っ掛け、上体を倒したままのろのろと歩いていく。引きずるしかない我の体を、できるだけ揺らさぬようにするためだ。
 しばらく引きずられて連れて行かれたのは、ずいぶん奥まった位置にある、あの制御室だった。

 ここが彼の住処なのだろうか。
 それとも、本来は「敵」である者を匿うために選んだのだろうか。
 だがもう疑いようはない。
 殺す必要がないゆえに殺さずにおいたのではない。
 利用しようという腹も、おそらくはない。
 死なせまいと、ただそれだけで助けてくれたのだ、あの時も。
「何故」
 問うが、我の言葉では通じぬ。
 言語があれば翻訳も可能であろうが、カオスソーサラーとの意思疎通は無言だった。テレパスなのかもしれぬ。だとすれば兄ならば分かるかもしれぬが、それも無茶な話だ。

 間もなくして、制御室にもソーサラーが現れた。
 同一個体なのか、あるいは数体いるのか、やはり見分けようもないが、またしてもレスタをかけてくれる。
 さっさと立ち去るところからして、やはり彼は(彼等、かもしれぬが)このカオスブリンガーに頼まれて、渋々と手を貸してやっている、というところではなかろうか。

 我の他にもいるのだろうか。遺跡の奥地で怪我をしたところを、奇妙なカオスブリンガーに救われた、という者は。
 いれば噂になりそうなものだが、誰もが「妙な話ゆえに」と口を閉ざしているのかもしれぬ。
 相変わらずカオスブリンガーは、出口……入り口を見張るように、傍らに蹲っている。
 我が出て行こうとする時まで、こうして番をしているつもりなのだろう。
 出て行く時には、他の人間がいるところまで護衛を。

「何故だ。おまえは戦おうとは思わぬのか」
 言葉は通じぬ。
 声に反応してこちらを向き、じっと我を見るだけだ。
 ともすると今、彼も我へと話し掛けているのかもしれぬ。言葉ではない何かで。
 やがて諦めたように、顔の向きを戻した。

 我は兄に連絡をつけた。
 助けに来てくれ、というのではない。
 変わったカオスブリンガーの存在が確認されていないか、確かめてもらいたかった。
 表の情報から裏の噂まで、兄ならば一時間もあれば集めてくるだろう。
 今何処でどうしているかは、適当に誤魔化した。
 帰る時になれば、迎えに来てもらえばいい。

 返答はすぐにあった。
 助けられた、ということはないが、戦わずに逃げるカオスブリンガーはいたらしい。
 遺跡に降りるような猛者ならば、おとなしく見送るようなことはない。仕留めるべく背後から狙い撃ったが、反撃してくるでもなく、そのまま逃げられたという。
『同じような話が他に二件ある。どうした。おまえも出くわしたか』
「そのようなところだ」
『深追いはするな。小賢しいのが出てきている。誘き寄せてハメるつもりかもしれん』
「分かっておる」

 そもそも、戦おうとせぬものまで、見かければ殺して当然ということ自体、おかしいではないか。
 コールを切った後で、そう思った。
 「エネミー」と見れば即座に攻撃に移るハンターズは、獲物を見れば食らおうとする獣とどれほど違うのか。
 苦痛を与えることを快感と思うカオスブリンガーは、あまりにも人間的だ。
 では、「敵」の姿を持つ我を助けるこのカオスブリンガーは、「何」と言えば良いのか。……これもまた、人間的な仕業のはずなのだが。

「すまぬ。助かった」
 礼を言うておらなんだことを思い出し、通じぬのは承知で告げた。
「だがおまえも、ハンターズに狙われたことくらいあろう。我を危険とは思わぬのか」
 兄の話からすれば、と彼の背中に目を向ける。弾傷と、投刃のものと思われる傷があった。兄の話にあった「逃げるカオスブリンガー」が彼だとすれば、そうしてつけられたものだろう。
 カオスソーサラーの使うテクニックでは、この傷は消せなんだのだろうか。
 何を考えもせず、その傷を撫でた。

 カオスブリンガーが大きく身じろいで我を見た。
「驚かせたか」
 通じぬと分かっていても、話し掛け、声を聞かせることで、我にも敵意はないということを示したかった。
「ハンターズの間では、腰抜けと言われておるようだ。愚かな話だ。力あれば立ち向かってくるが強者と思い込んでおる。もしおまえが、我が身が傷ついたとて無益な戦いは避けようと、あえて逃げておるだけならば、真の弱者はどちらであろうな」
 意味は分からぬまでも聞く気はあるのか、じっとこちらを見ている。
「だが、何故同族より我を救う? 戦いたくないならばなおのこと、同族を敵にすることもあるまいが。我のような異種族の者のために」

 彼もなにか話しているのだろうか。
 口らしい口はなく、声も聞こえぬが、我が語り終えても視線を外そうとせぬ。
 彼が我を見ている間は、我も彼を見ていることにした。
 耳には聞こえずともなにかを語っているならば、それが聞く意思のあることの証になろうか。

 そのまましばし、疲労と負傷のために意識が朦朧としてくるまで、つながることのない会話を続けた。
 一晩が過ぎ、再び現れたソーサラーの、追い立てるようにかけてくれたレスタを最後に、制御室を後にした。
 兄と落ち合う直前まで、やはりカオスブリンガーは傍に付き添ってくれていた。


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