The ghost in the wall

 夢は、睡眠中に脳が、記憶を整理するついでに生じるものだという説がある。
 その理屈からいけば、アンドロイドも夢を見る。
 機能の大半を眠らせて維持モードに入るという「睡眠」中、事実として彼等のAIは、情報の整理を行っている。
 ショートメモリーの中から重要度に応じて情報をピックアップし、ジェネラルメモリーに移し変える。その一方で、不要と判断された過去のデータを圧縮し、メモリーの下層に送り込む。また、極端に長い時間想起されることのなかった情報を、削除したり、あるいは簡略化することもある。
 そうった記憶の整理は、意識されることはない。
 だが、完璧にブロックされているわけでもないため、時折は「夢」になる。

 その夜、レイヴンは奇妙な夢を見た。
 いや。
 彼はその日初めて、夢を見たのだ。
 レイヴンにはその製造理由に基づいて、睡眠中の情報整理時には一切の漏洩がない、という性質がある。すなわち、彼は夢を見ないように作られているのだ。
 自分が「何」であるかを自覚しているレイヴンは、同時に、自分が夢を見ないということも知っていた。
 したがって、極正確に表現するならば、「夢を見るという奇妙な体験をした」ということになるだろうか。

 なにかエラーでも起こったのだろうか。目覚めた彼がそう考えたのは、妥当である。
 しかし体内スキャンの結果はグリーンで、なんの異常も検出されない。
 オズワルド博士に検査してもらおうかと思いつつ、レイヴンは夢の内容を思い返した。

 そこは洞窟エリアの奥だった。
 実際に踏み込んだこともある。
 アンドロイドの夢に出てくるものは、理屈の上では、全て現実に存在するものだ。マンの夢ほど変貌を遂げることはなく、せいぜいで地形のつながり方がおかしいという程度。実際の地形とまったく同じ場所が出てくることは、珍しくない。
 発電施設を兼ねた地下洞窟の、地下水が染み出した第二層。
 滝の広間を抜けた先。
 そこで、ヒューマンの女性が泣いていた。

 他には誰もいない。
 エネミーも存在しない。
 レイヴン自身もそこにはいない。
 ただ、オールドスタイルのワンピースを水に濡らして座り込み、顔を覆って泣いている女性がいる。
 細い金髪は背中を越えて床に散るほど長く、浅い水面に漂う。
 手で覆われた顔は見えなかったが、肌や声から判断するに、二十代前半ではないかと思われた。
 か細い声で泣きながら、彼女は時折、なにかを呟いているようだった。
 それを聞き取ることはできなかったが、人の名前のようではあった。

 ただそれだけの夢だった。
 他のアンドロイド、あるいはマンが見た夢であれば、別におかしくもなく、とりたてて不思議にも思わないような内容だろう。
 問題は、それを見たのが、夢を見ないはずのレイヴンである、ということだった。

「どうした」
 キッチンの椅子にかけて、何故こんなものを見たのだろうと考えていると、後ろからタイラントの声がした。
 なにをするでもないのに、座ってから三十分が経過している。なにか考え込んでいると思われたらしい。
 この異常……正常であるはずのことが異常になってしまうわけだが、そのことを話せる相手は限られている。
 レイヴンが「何」かを知っている者だけだ。それはカルマとタイラント以外には、ケインとシータの両オズワルド博士、あとはせいぜいで、勘付いても黙っているらしいラッシュくらいものである。
 相談する相手としては、タイラントは丁度いい。

 だが、こんな話を聞かせれば、タイラントは即座に
「じいさんに調べてもらえ」
 と言うだろう。どれほど無愛想に素っ気無く振る舞ったところで、あれこれ心配することについては、時折はカルマさえ上回る次兄である。
「少し気になることがあるんですけど、大したことじゃありませんから」
 とだけ、レイヴンは答えておいた。
 こんな話をしてタイラントを慌てさせることはない。
 検査の必要があるかもしれないことは、分かっている。ならば兄たちになにを問う必要もない。オズワルド博士を訪ねて事情を告げ、検査の結果が出てから、告げる必要があれば、告げればいい。

 そんな返事で完全に納得したわけではないようだが、タイラントはそれ以上追及してこなかった。
 言わなければならないことだけはちゃんと言え、とだけ、視線が語っている。
(博士のところに行くか……でも)
 それからまた少し考えて、レイヴンは決めた。
 検査してもらいに行く前に、少しは原因らしいものを自分で把握しておいたほうがいい。
 強烈な記憶ならば他にもあるだろうに、何故、ただ泣きつづける女性の夢など見たのか。それほどあの場所で印象深いことがあっただろうか。
 レイヴンは、夢で見た場所へ行くことにした。

 アンドロイドだけで仕事に行くのは、あまり賢いとは言えない。
 そして、不都合もある。
 たとえば強盗に出会ったとき、アンドロイドでは抵抗ができない……ことになっている。逃げることはできるが、応戦ができないのである。戦闘用のアンドロイドとして作られるハンターズ=アンドロイドが、もしマンを殴れるように作られていたらどうなるかは、分かるだろう。マンの生死は、アンドロイドたちの良心次第ということになってしまう。
 特に命令もないままでは、人間を相手に戦闘ができないのが、アンドロイドだ。
 レイヴンにもタイラントにも、実はそういう制限は存在しない。マンをフルパワーで蹴り飛ばすことさえできる。だから、襲われてもそういった点では怖くない。
 ただ、そんなことが露見すれば、違法機体であるとも知れてしまう。それがまずかった。

 戦闘能力を考えれば、地下発電システムの第二エリア程度、レイヴンには散歩も同然だ。
 むしろ同伴者がいないほうが、手加減なく戦えて楽でもある。
 だが、夢を見た。そのことでかえって、自分は夢を見ないはずの逸脱した存在である、とつきつけられた。そして、だからこそ普通のアンドロイドに徹して行動したほうがいい。そんな気がした。
 レイヴンは、
(たぶん、ただ行って、そこを見て、帰ってくるだけですから)
 何事もない、ただ行って帰るだけのこと。依頼として同伴者を求めるのも大袈裟すぎるし、そこに行ってなにをするという目的もないのでは、不自然でもある。
 逆に、同伴者を求めている相手はいないか、と探した。

 問題の場所は、何処かへの通過地点ではない。あえてそこへ行かなければならないような、行き止まりだ。
 思ったような募集要項はなかなか見つからなかった。
 何日もかけて見つけたのでは、危険かもしれない。もし自分の体になんらかの異常が発生しているならば、検査を日延べするのはまずい。万一「黒い箱」が開いてしまえば、どうなることか。
 次々とギルドのデータをスクロールする。
 一通り見終わってもめぼしいものはなく、次には、ハンターズ専用のインフォメーションボードから、「同伴者募集」で検索をかけた。

 丁度いい話を見つけたのは、昼過ぎだ。
 書き込み人の名前は「フェリン・バルグ」。
 内容は、以下のとおり。
『実戦トレーニングに協力してくれるパートナーを探しています。レイマールとなってまだ日が浅いため、まだ充分な援護はできないかと思います。それでも構わないというかたがいれば、よろしくお願いします』
 行き先を何処にしたい、とは書かれていない。ということは、話し合いで決められるということだろう。それならば、よほどの新米でないかぎり、洞窟エリアというのは手頃なはずだ。
 そして、トレーニングが目的ならば、どんなルートをとっても問題はない。

(万一誤射があっても、私の装甲ならば問題ないでしょうし、いざ危険になれば、殲滅するのも難しくはないですよね……)
 レイヴンは、このフェリンというレイマールに返信してみることにした。
 IBのレスは、ギルドのコンピューターを通して、当人が登録したアドレスへメールとなって送られる。返信から十分もした時には、レイヴンの記入しておいた端末のアドレスへと、フェリン=バルグから連絡が入った。
 メールのやり取りでは手間がかかると思ったので、コールのほうだ。
『フェリン=バルグです。レイヴンさんに間違いないでしょうか』
 レイマールは、固い声でそう名乗った。

 


 実戦トレーニングというものは、後見するほうにも危険が高い。だからなかなか返事がなく、フェリンも諦めてかけていたらしい。
「明日には削除しようと思っていました」
 と言う。
 連絡をつけた翌日、ポートの中である。

「あの」
「はい?」
「頑張りますので、よろしくお願いします」
 フェリンは深々と頭を下げた。
 謝罪以外で頭を下げるのは、グランイーストやイーストエッジといった、東方の出身者であることが多い。彼女は名前からして大ロシア(ロシア・東欧)系のようだが、誰かからそういった挨拶を教えられたのだろうか。だが、悪くはない。
 会ってみた感じでは、こんな依頼を出すに相応しい、生真面目な女性のようだった。

 行き先もルートも、フェリンは全てレイヴンに任せる、と言った。
 危険すぎず、楽すぎないところで、今のフェリンに合った場所として、地下洞窟は丁度良かった。
 装備品やこれまでの仕事内容を聞いても、それはおそらく妥当な選択だろう。
 フェリンがハンターズとして正式に登録されたのは、パイオニア2がラグオルに降下した後である。家族と共にパイオニア2に搭乗し、その中に設けられた養成所で候補生として訓練を受けた。
 ラグオル・クライシスには、さすがに参加していない。
 実戦に出るようになったのは、ダークファルスが討伐された後になってからのことだ。

 だが、彼女は最初から、積極的に戦闘依頼を受けてきた。
 それも、ずいぶんと手堅く、賢い選び方である。
 常に自分の力量を考え、ひどい無茶をして先走ることがない。ハンターズになりたての人間は、えてして自分が特別に強くなったように錯覚するものだが、フェリンにはそれがなかった。
 フェリンは、新米があまりやりたがらない、地味で目立たない、援護専門のような仕事を積極的に選んできたようだ。
 たぶん、候補生として訓練を受けている時に、そういったことをしっかりと教える教官に出会ったのだろう。
「派手な活躍がしたいなら、俺みたいな天才になるか、さもなきゃハンターになんな」
 とはベータの言葉だが、言いえて妙である。そもそもレンジャーという職業自体、手堅く堅実で、地味な行動を求められるものなのだ。

 ともあれ、パイオニア2の中で起動したレイヴンにとってさえ、フェリンは後輩に当たる。
 それでも、彼女の真摯な尊敬の眼差しは、レイヴンにはなんとなく落ち着かないものだった。マンならばこれを、「くすぐったい」と表現するのだろう。
「さすがですね、こんなに簡単に」
 お世辞でも嫌味でもなければ、卑屈にもならない、何処までも純粋な賞賛。固かったフェリンの表情も、自然にほぐれて畏敬を表している。
「あ、あの、私はアンドロイドですから、貴方がたマンと違って、こういうパワーは努力して身につけたものではないんです。それこそ作ってくれた人からもらっただけで」
 謙遜でもなんでもない。それは事実だ。もしアンドロイドが賞賛されるとすれば、それはテクニックという面においてだろう。力任せで薙ぎ倒すだけの自分にそんな目を向けるのは勘弁してくれと、レイヴンは狼狽する。
 だがフェリンはいたって真面目な顔で首を振り、
「でも、アンドロイドの体も、鍛えなければなまります。それだけの力を出すためには、相応の努力もされてきたということです」
 視線に変化はない。

 たしかに、とレイヴンは思う。
 普通のアンドロイドがこれだけのパワーを持とうとすれば、大変な鍛錬が必要だろう。だがこれすら、自分には与えられたものなのだ。
 苦労して苦労して、手にしたものではない。生まれた時からあったものだ。
 だが、そんなことは言えない。
 フェリンがどの程度の知識を有しているか分からないが、もしアンドロイドの製造や規約に詳しければ、製造段階からこんなパワーを与えられているのは違法にあたると、分かってしまう。
「そんなこと、ないんですよ」
 謙遜されることはない、と言うフェリンに、レイヴンはもうなにも言えなかった。

 ともあれ、少し生真面目にすぎるところはあったが、フェリンというレイマールは、レイヴンにとっては、これから後も付き合っていきたいと思える相手だった。
 実戦トレーニングの相棒が見つからないならば、また同行してあげようとも思う。
 それに、気になることもあった。
 エネミーの数が少なく、余裕がある時、彼女はヴァリスタを使う。
 麻痺性のあるフォトンを組み込んだハンドガンで、倒すよりも足止めを目的とし、攻撃力はさほど高くない。敵を倒すことを戦闘と考えるたいていのレンジャーは、あまり使わない武器だ。人気がないから製造数も少なく、よって値段も高い。更に、麻痺効果はエネミーの体表の、そのフォトンが浸透しやすい部分に撃ちこまなければ意味がないため、腕前以前に、銃器そのものの精度も問われ、また値段がつり上がる。

 正直なところ、彼女が持っているヴァリスタは、今のフェリンの力ではとても購入できない代物と思えた。弾道をSメモリーから読み出せば、銃口の向きと着弾地点までがほぼ完全な直線である。風のない地下洞窟では、ことさらはっきりとそれが分かる。
 もしこれを、射撃精度に優れ、射撃ポイントを把握したレンジャーが使えば、ほぼ90%の確率で敵の行動能力を奪うだろう。
 それほどの逸品を、ハンターズになって一年にもならない新米レンジャーが持っているとすればそれは、人から譲り受けたと考えられる。
 実際、フェリンの手にあるヴァリスタは、ずいぶんと使い込まれたものだった。

(もしかすると)
 とレイヴンは、かつて大変な世話になったレイキャストを思い浮かべた。
 だが、そのレイキャストにとって愛用のヴァリスタは、自分の右手の一部と言っても過言ではないほど大切なものだったはずだ。
 汎用型とはとうてい思えない戦闘スキルを身につけた、真に尊敬すべきハンターズ=アンドロイド。
 仲間の安全を確保し、彼等が戦いやすい場を作ることが自分の務めと、地味な援護を厭わず、むしろ好んでさえいた。
 彼は今、ほとんど現役は引退している。
 無論、請われれば出て行くが、自分から仕事を受けることはめったにもない。
 戦闘用に作られるハンターズ=アンドロイドは、戦わなくなれば廃棄されるものだが、特別な技能があれば、それを免除される。それはつまり、戦闘以外の部分でも有用であることだ。そのレイキャストは、ハンターズ養成所のインストラクター免許を持っており、今はそちらに出勤することのほうが多い。

 ありうる、と思った。
 フェリンにレンジャーのなんたるかを教えたのは、彼ではないだろうか。時期的に、フェリンが養成所の最終段階に入った頃と、彼がインストラクターの仕事をするようになった頃は、一致する。
 もしそうならば、と思って見ていると、フェリンの戦い方は彼によく似ていた。
 そして……
(もしあれが、あのヴァリスタなら、……彼女は特別だってことですよね。後継者のような意味も出てきますし)
 レイヴンはギルシャークをあしらいながら、背中合わせにショットを撃っているフェリンを振り返った。

 

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