「大丈夫です、まだいけます」 と言う彼女を宥めて何度か休憩をとりながら、レイヴンは第二エリアへと辿り着いた。 もう少し先まで行きたいのだ。そのためには、そこへ行く前にリタイアされても困る。 そう考えてふと、 (騙して利用しているのと同じでしょうか) と気が咎めるのは、友人としてフェリンに好意を持ち始めたからだろう。
だが今更そんなことを言えば、生真面目なフェリンのことであるから、 「私を利用していたんですか!?」 と激昂しそうな気もする。 人間の感情を読むことにかけては、製造理由とは無縁であるはずなのに、何故か得手だ。 (これがヤンさんなら、「最初に言ってくれれば良かったのよ」って笑ってくれそうですけど) レイヴンは、申し訳ないと思いつつも、フェリンには黙っていることにした。
そうして、特に何事もないまま、二人はレイヴンの目的とする場所へと着実に近付いていた。 あとは、滝の広間の先の分かれ道を左へ。そしてその先の小部屋から左へ。そこから道なりに行った先に、その場所はある。 レイヴンが選ぶ道を、フェリンはなんの疑問も不審も覚えず、素直に頷いてついてくる。 (怒られてもいいから、やっぱりちゃんと話して、謝ったほうが……) そんなことを悩みながら、レイヴンは滝の広間を抜けた。そして、左へ。
「あ、あの」 今まで黙ってついてきたフェリンが、いきなり声をかけてきた。アンドロイドに心臓はないが、一瞬体内で、全ての機能がスリップしたような、妙な感覚になる。 「なんですか?」 「そっちへ行くんですか?」 フェリンの顔は、眉を寄せてその眉尻を下げ、困惑と忌避を示している。 「駄目ですか?」 レイヴンは体内レーダーを確認し、 「でも、こちらにもエネミーがいますし」 トレーニングならば、手頃な数のいる場所へは足を運んだほうがいい。良心の呵責を感じながらも、まだ決断はできず、誤魔化す。 するとフェリンは、 「もしかしてレイヴンさん、あの噂、知らないのでしょうか」 と言った。
レイヴンは戦闘を好まない。だから、友人に助力を請われた時以外には、積極的に仕事を受けたりはしない。せいぜい、廃棄警告だけは来ないようにするだけだ。無論それでは、ギルドに飛び交う情報には疎くなる。 タイラントは毎日のように出かけているが、彼は噂などというものには興味を示さない。戦闘に役立つデータしか、聞こえてこないのかと思うような有り様だ。カルマはカルマで半隠居状態である。レイヴンが「それじゃ廃棄される」と言うから、今はインストラクターの資格をとろうとしていて、ハンターズとして動くこともあまりない。 これでは、この二人がうちで、耳にした噂を話すということもない道理。 もちろん、買い物に出たり遊びに出た先での友人・知人は少なくないが、そういった相手はハンターズではないことも多く、入ってくる話も、自然、こんな危険区域とは縁のないものだった。
「噂って、なんですか?」 レイヴンが問うと、フェリンは、この先にベンテンサマがいるのだ、と言った。 ベンテンサマ。 そんな言葉はデータにない。今まで聞いたことすらない。とすると、なにかの専門用語か、かなり特殊なケースでしか使われない単語だろう。だが、「サマ」が「様」だとすると、人の名前だろうか。 「ベンテンサマって、なんですか?」 「私も聞いただけですが、嫉妬深い、女の神様のことだそうです。大昔のイーストエッジの宗教に、そんな名前があるんだそうです」 「ええと……つまり、この先に、そんな神様が?」 神というものは、知識にはあっても、まるで理解できない。だが、神というものはそんなふうに、ひょっこりと「いる」ものでないことは確かだ。
フェリンは、ベンテンサマの噂について話し出した。 「ベンテンサマに似ているので、そう言われているようです。私が聞いた話では、この先に男女二人で行くと、嫉妬したベンテンサマのせいで、行方不明になってしまうとか」 「は、はあ」 つまり、「自分は一人身なのにイチャついてるなんて悔しいわキーっ」と、誘拐してしまうらしい。そんな行動でたとえられるのだから、ベンテンサマというのは、とても神とは思えない。そんな神がいた……想像したのだとすると、昔のエッジアンというのは、かなり変わった発想をしていたのだろう。 「あ、信じてませんね。でも、この先に行った二人が行方不明になるのは、本当です。これはギルドと警察機構に捜索願いも出ています」 フェリンの顔は、真剣だった。
神かどうかはともかく、男女二人で行った場合のみ、帰ってこなくなるのは本当の話だという。ということは、そういう二人を狙って誘拐する者がいるのだろう。 それが人間の仕業としても、おかしな話だった。 何故男女二人、セットでなければならないのだろう。 男と女が同数必要だとしても、最終的に数があえばいいのではないだろうか。それに、ベンテンサマは恋人同士に嫉妬するようだが、ハンターズで男女二人組となると、必ずしもそうとは限らない。むしろ、万一のことがあって目の前で失うのは嫌だから、とあえて組まないようにすることのほうが多いと聞く。
妙な話。 そして、見ないはずの夢を見たという、妙な出来事。 「妙」が相乗されている。 それは偶然なのだろうか。 それとも、二つの「妙」は通じているのだろうか。
「……ということは、一人で行けば、問題はないんですね?」 「え?」 「そんな話を聞いたら、なにがあるのか確認してみたくなりました」 また嘘をついてしまったと思いつつ、レイヴンは、フェリンには何処か、エネミーの入れない場所で待っててもらい、確認しにいこうと決めた。 「男女ペアでないとベンテンサマは出てこないにせよ、なんらかの証拠があるかもしれませんから」 「それはもう、先に確認した人がいます。男同士、女同士、あるいは一人、三人以上。何度か調査されているようですが、どのケースでもなんの異常も発見されていません」 それもまた、妙なことだった。
フェリンも気になって、いくつかのデータベースを使い調べてみたところによると、行方不明者は合計で六組あった。うち四組は、明らかにこの先で消えたとわかっているわけではない。ただ、行く先のない探索であったり、あるいは殲滅依頼で、この辺りに来ただろうことだけが確かだ。 あとの二組は、間違いなくこの先に入っていることが確認されている。
第一のケースは、四人パーティを直前の小部屋で二つに分けた、というチームだ。男三人に女一人、というパーティが、そこで別れた。そして、いつまでたっても、男女ペアで例の場所に入っていったほうは、戻ってこなかった。無論、探しに行ったが、なにもない。近くに戦闘の形跡があったものの、それは分解されずに残っていたエネミーの死体からして、特別ななにかとの戦闘ではなかったらしい。
第二のケースは、 「気になることがあるから、このポイントに行ってみる、と友人に話して出かけた二人組があったそうです」 理由を聞いても、ちょっと気になることがあるから、としか言わなかったらしい。そして、帰ってこなくなった。やはり男女二人のペアだった。無論、そんな話を聞いていた友人は、手強いエネミーがいたのかもしれないと、四人でパーティを組んで調べに出かけた。だがやはり、なにもなかったという。
消えたのは全て男女二人のペアで、六組。 うち二組までが、例の小部屋で消えている。 だとすると、残りの四組も同じ場所で消えた、と考えても不自然ではない。
誘拐の痕跡を完全に消せるとすれば、そういったことに手馴れた者の仕業で、大掛かりな「組織」がからんでいるだろう。 誘拐した人間を収容しておく場所も必要なのだから、小悪党にできることではない。 しかし、何故男女二人なのか。 その疑問にだけは、どう考えても、どんな答えも出せなかった。
「一人なら、なにもないんですね?」 なにもないなら、それでもいい。なにもない、ということを確認し、そして帰り、検査してもらいに行けばいい。 「やはり、見てきます。この通路ならまずエネミーも入ってきませんから、ここで待っていてください」 「レイヴンさん!」 「なにもないことを見てきたいだけですから」 なにかあることを確かめる必要はない。 一人なら何事もない、と確信はできないのか、引き止めたがるフェリンをなんとか説得し、レイヴンは、左の道へと入っていった。
通路も、小部屋も、異常はなかった。 エネミーの様子も普通で、レーダー類の反応も正常だ。 問題の小部屋の前にまで来ても、僅かな異変もない。 体内に組み込まれた全てのレーダー類を駆使して周囲を探査するが、やはり異常は…… 「え?」 ない、とは言えない。あると言えるほどのものでもないが、ほんの僅かに、フォトン波の形状がおかしい。 位置は、正面に見えている小部屋の壁際、いや、壁の中だ。 どうなっているからどうおかしい、とはレイヴンには分からない。むしろ、単なる誤差でしかなかったとしても、問題ない程度だ。
近付いてみれば、もう少し反応も大きくなるだろうか、とレイヴンが一歩踏み出した。 その途端、全ての計器が一斉に異常な反応を示した。 「!?」 提げていたグングニルを構える。 周囲を等しく警戒した時、後方の通路に、マンの反応があった。 それが走るよりも速いスピードで近付いてくると、あっと言う間もなくレイヴンの横を飛び抜けていく。 レーダーはノイズにしかならないような数値で揺れ動き、なにがなにかも分からなかったが、レイヴンの脇を飛んでいったのはフェリンだった。
入ってきたのだ。 心配になったかして、ベンテンサマの領域に。 レイヴンはフェリンを追いかけて走ったが、間に合わなかった。 彼女は、正面の壁の中に、飲まれて消えた。
「そんな馬鹿な!」 レイヴンは小部屋に駆け込み、奥の壁に触れる。 ホログラムなどではない。間違いなく、他のものと同じ壁だ。 人間がすりぬけることなど、とてもできそうもない。 だいたい、フェリンの姿は、突風に飛ばされていたという様子ではなかった。水かなにかに流されていたようだった。 そんなものは、ここにはない。レイヴンにはそんな水流は感じられなかったし、見えもしなかった。 だがまるで溺れてもがくようにしながら、フェリンは悲鳴一つ上げられず、壁の中に消えた。
「フェリンさん!!」 大声で呼ぶが、返事はない。ただ反響するだけだ。 (ありえない) 流されていく途中、フェリンの反応はあった。全てのレーダーに記録が残っている。だが、もしこの壁に仕掛けがあって、隠し通路や隠し部屋に入ってしまったのだとすれば、壁の向こうに反応が続いたはずである。 だが、彼女の記録は、壁に吸い込まれた時点で途切れている。 フル出力すれば、上層、下層にいるハンターズの反応さえキャッチできるが、正面の、フェリンがいるはずのところには、なにもないのだ。 ただほんの僅かに、まだ、フォトン波の乱れが残っている。
たとえ一人ででも、入るべきではなかったのだ。 フェリンがついてくる可能性は、彼女の性格からして、低くはなかったのだから。 たった数時間の付き合いでなにが分かると言われればそれまでだが、強くなりたい、と自主的にトレーニング時間を作るほどだ。生真面目で、努力家で、向上心もあれば、勇気もある。その反面、いい加減にはなれない、という欠点も出てくる。 自分が頼んだトレーニングの途中で、たとえそれに関わりがないとしても、パートナーにもしものことがあれば、自分の責任だ―――、と考えても、不思議はない。そして、充分に警戒すれば、不測の事態にも対応できるはずだ、と。 生真面目で真っ直ぐなのは、捻じ曲がった裏の世界を知らないからでもあるだろう。正義も道理もなにも通じない世界のあることを、フェリンは決して認めないだろう。そして、許しもしないだろう。 ならば、おとなしく待っているより、真実を確かめてやろうと追ってくる可能性のほうが、圧倒的に高い。
レイヴンは壁に拳を打ちつけた。加減をなくせば、この程度の壁は破壊できるパワーだ。きれいに塗り固められた壁は崩れ、その向こうの、洞窟の岩肌が露になる。 「フェリンさん!!」 返ってくるのはただ自分の声。 理由を言っておけば良かったと、もう一度壁を殴る。そうすれば、ついては来なかったに違いない。 確かめるのは行方不明事件のことではなく、妙な夢のことだと言っておけば、何故最初にそう言ってくれなかったかと怒っても、ついてはこなかったはずだ。 あまりにリアルな夢だったから、誰か閉じ込められて助けを求めている人がいるのかもしれない気がした。そんなふうに話しておけば、どんな問題もなかった。 だが、後悔してももう遅い。
その時、 「あ……ああ、あ……」 震える溜め息に似た泣き声が、背後、部屋の中ほどから聞こえた。 グングニルを構えて振り返る。 そこには、夢で見た白いワンピースの女性が座り、泣いていた。 だがその姿は、半ば透き通り、向こうの地面が見えるものだった。
(ホログラム……?) だが、声はその半透明の体から聞こえる。ホログラムであれば、音声の再生装置がなければならない。声が聞こえるところに、それがあるはずだ。 地面に隠されているのかと思うが、 「あぁ……う……」 顔を覆う手の下、宙にあって透き通っている口から、声は聞こえてきた。 第一、そこにはどんな熱反応もない。
長刀を構えたまま、しかし、レイヴンにはその女性の姿を切りつけることはできなかった。 ホログラムならば無駄である。 だがもし、なんらかの生命体だとすれば。 マンの姿をしているのだ。 世の中には不思議なこともあるし、自分にはできないことでも、それをやすやすと行える者もある。 どんなレーダーにも反応しないこういったモノを、誰かが作り出した可能性もゼロではない。 しかし、そこまで理屈で考えるより早く、レイヴンは一つの言葉を思いついていた。
―――幽霊
足がないと言われることもあるが、それは演出や絵画としての表現手法だろう。 半透明でないこともあるが、半透明なものもある。 詳しいデータはないが、読書した記憶の中には、いろいろな幽霊がいた。 幽霊が実在するかどうかは今もって科学的に解明はされていないが、ということは、存在しないと解明されたわけでもない、ということだ。 これがなんであるかの回答として、幽霊という選択肢は否定できない。
「……貴方は、誰なんですか」 通じるかどうかは分からないが、試してみないことには、通じないとも言えない。レイヴンが問うと、女の姿は答えず、かわりに、顔を上げた。 手を退かした向こうの顔は、美人といって差し支えなかったが、その整った顔が、醜悪な笑みに歪む。 アンドロイドの感覚でも、あまり見たくはないものだ。 そのままの顔で、「彼女」はレイヴンの背後、突き当たりの壁を指差した。
出して、あげないの?
声なのか、なんなのか。 聴覚センサーは、まるでジャミングされたように曖昧で、はっきりと感知できない。だが、そんな言葉が伝わってきた。 「……いるんですか、あの向こうに」 この女性が感じられないならば、同じような材質・性質のものでレーダーが役に立たなくなっていることも考えられる。 問いかけには、言葉ではなく「いる」という感覚が返ってきた。
ならば、とレイヴンは壁に向き合った。 背後から襲ってくるとしても、どうするすべもない。相手がなんなのかも分からないのでは、向き合っていたところで応戦できないこともある。ならば、背を見せても同じだ。 アーマメントパーツに差し込まれたユニットを、全てパワーブースターにかえる。 そして、グングニルを仕舞い、黒紫の大鎌を出した。 フォトン刃が薄赤く灯る。 足元に薄く溜まった水が、光を反射して仄かに赤く染まる。 ソウルバニッシュ。 持ち主の生命を吸い取り、心を狂わせ、魂すら切り裂くという異様な武器だ。 レイヴンはふと、 (これも、一種の霊的な存在でしたね) そう思えば、背後のものが幽霊であっても不思議はない。そんな気がした。
ゆっくりと、パワー出力を上げる。 60%に抑えていたところから、70、80と。 壁の強度は、拳でさえ破壊できる程度だ。フル出力する必要はない。 厚みがどれほどあるのかだけが気掛かりだ。 下手をすると、この奥にいるらしいフェリンまで切りかねない。 だが、レーダーの反応は正常だ。 レーダーが「鉱物しかない」と検知した部分には、生体は紛れ込んでいない。 レイヴンはソウルバニッシュを構え、体重を乗せて振りぬいた。
壁が切れたのは一瞬。 あとは、衝撃と圧力に負けて崩壊するような有り様で、岩は粉々になって崩れ落ちた。 「え……ッ!?」 レイヴンが驚き、思わず声を上げたのは、その瓦礫の中に、マンのものと思われる骨を……バラバラになってはいるが、薄汚れた白いワンピースを身につけた、一揃えの骨を見つけたからだった。 そしてまた、空気の水流。 崩れ落ちた壁の向こうから、今度は押し寄せてくる。 その流れの中にフェリンと、これまでに行方不明になっていたものと思われる、十二人の人間がいた。
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