1
女三人よればかしましい―――。 昔の人は上手いことを言ったものだ。 三人寄ってさえかしましいのだから、これが四、五人になるとどうかというと、 「キャ――――」 という楽しげな悲鳴に、道路の向こう側を行く人さえ振り返るほど。 ちょっと流行りの路上のカフェテラスは、そんなふうに時折、笑い声や悲鳴で注目を集めていた。
「そういうとさ、この間聞いたんだけど」 と急に真面目な顔になって言い出したのは、ヤンの親友であるモラ。 ヤン、ラルム、アズの三人も、いくぶんかは真面目な顔になってテーブルの真ん中へと身を乗り出した。 「ガル・ダ・バル島に出る幽霊の話、知ってる?」 モラが言う。ガル・ダ・バル島は風光明媚な場所であるが、民間人の立ち入りは許されていない。モラは、小耳に挟んだ噂の真偽を、ここにいるハンターズの少女三人のうち、誰かが知らないかと期待したようだ。 しかし、三人が三人とも、首を横に振る。
行く時のために教えておいてあげるわ、とモラは言うが、 「無理ですよ〜。私たちだと、島に行く許可もらえないです〜」 「そーよぅ。あそこはハンターズ歴が五年、六年はあるよーな、それでいて実績もちゃんとある人しか行かせてもらえないのねん」 「同伴頼まれればくっついて行けるけどさぁ、政府がらみだなんだって、危ないとでも思ってんだわ。あたいたち、誘ってもらえないのよね」 「へぇ。でもさでもさ、だったらちょっと面白い話。ね。そのつもりで聞いてよ」 そう言われなくても、幽霊が出ると言われれば、興味はある。 ヤンとアズは興味津々で、ラルムはおっかなびっくりで、耳を傾けた。
あのね、密林地帯って呼ばれてるところがあるんでしょ? そこのずっと奥のほうに、海岸に抜ける道があるんだって。で、海岸に出ると、すぐ傍に大きな洞窟があるらしいの。 あたしの聞いた話じゃさ、その洞窟は満潮の時には水没してて、干潮の時でも、膝くらいまでは水があるんだって。で、そこに入っていくとね、道は一本道なんだけど、ぐねぐね曲がってて、すぐに真っ暗になっちゃうんだって。 明かりを灯して行くじゃない? で、しばらく歩いていくと、後ろのほうから、ぱしゃ……、ぱしゃ……、って、人が近付いてくるような水の音がするの。ぱしゃ……、ぱしゃ……って、ものすごくゆっくり歩いてるみたいなね。
それで、誰かいるのかと思って振り返ってみると、誰もいないし、その水音も止まる。気のせいかと思ってまた進みだすと、また、ぱしゃ……、ぱしゃ……。 誰か後をつけてきてるんだ、と思って引き返して見てみるとね、誰もいないんだって。 なんか気分悪いじゃない? こっそりとつけられてるみたいでさ。それで、ある人たちは、無視して進んでいったんだって。そうするとまた、ぱしゃ……、と聞こえるのよ。 もう構ってらんない、って思うじゃない? それで、足早にどんどん先に進んで行くんだけどね。
ぱしゃ……、ぱしゃ……、って、やっぱりついてくるの。 それも、変なのよ。自分たちはばしゃばしゃばしゃって感じで、速めに歩いているわけよ? 後から聞こえる音は、ぱしゃ……、ぱしゃ……。でもずっと離れないで、ちょっと後ろからついてきてるたいに、ずーっと聞こえるの。 気味が悪くなって走り出しても、ぱしゃ……、ぱしゃ……、って。 我慢できなくなって、足を止めて振り返ってね、 「誰だ!? いるんだったら出て来い!」 って怒鳴るとね、……返事は、ないのよ。しーんとしてて、洞窟でしょ。自分の声だけ響いてる。 やってらんない、とまた前を向くと―――
「振り返った目の前にね、めちゃくちゃに切り裂かれた女の顔が浮かんでて、『ここにいるのよ』って、にこっ……」 「うぅぅぅ〜、も、もうやめてくださいです〜っ」 ラルムは自分で自分の腕を抱えて小さくなっている。ヤンは身震いして首筋をしきりにこすっていた。一人アズだけ平気な顔で、 「それだけぇ?」 とつまらなそうだ。知らない人のほうが多いが、ホラーやスプラッタ好きにかけてはちょっと限度を無視したところのあるアズには、この程度では物足りないらしい。 するとモラは、 「続きがあるの。それでね」 「ひいぃぃ」 ラルムは両手で耳を押さえて首を振る。 「そんなもの見ちゃったら、逃げ出すじゃない? そうすると、何処までも追いかけてくるんだって。それで、捕まえた人を、『あたしと同じ顔にしてあげる』って言って、ズバッ! ズバッ!!」 モラはナイフかなにかを振り回すような真似をした。
「ちょ、ちょちょちょ、ちょっと待ってよ! それってホントの話?」 ヤンが青い顔で口を挟む。 「あたしは聞いただけだけど、知ってる人けっこう多いよ」 「ヤだ……。そのさ、あたいもそっちなら聞いたことあるの。密林地帯で、この半月ほどの間に何度か、顔をずたずたに切られた死体が見つかったって。あれだけの湿地帯なのに、周りには足跡もなくて……」 「ヤ、ヤンさんまでやめてくださいです〜っ」 ラルムは半分泣きそうだ。しかしヤンは大真面目に、 「これは本当の話よ。……って、ベータからオフレコって言われてたっけ。だからここだけの話にして。ラッシュくらいなら知ってるだろうけど、本当なのよ。だから今、余計に密林地帯への立ち入り、厳しくなってるの」 「や、やだ、やめてよ、ヤン。あたしまで鳥肌立ってきたじゃない」
つい少し前までの賑やかさも何処へやら。しんと静まり返るカフェテラス。 しかし、 「ふぅ〜ん……。そんなことがあったのねん」 さして怖いとも思っていない顔で、アズが呟いた。そして、少し上を見て何事か考えたかと思うと、 「その話、乗ったわよぅ!」 元気良く宣言した。 「え!?」 「洞窟に住むユーレー、あたしが確かめてくるのねん!」 「ちょっとなに言ってんのよアズ!?」 「決〜めた決めた、決めたのねん♪」 「ダ、ダメです、アズさん〜。顔がめちゃくちゃにされて見つかったりしたら……」 「決めたったら決めたのよぅ! そーと決まったら、許可もらえる相棒探すのね〜ん」 「あっ、ちょっと!」 「お代はここ〜。善はいっそげ〜♪」 なにのどこがどう「善」なのかは不明だが、アズはそんな言葉を残して、嬉しそうに人ごみの中へと駆けていってしまった。
2
初夏の密林地帯は、地面から湯気が立ち上るかと思われるほどに暑い。 しかし、幸いにしてハンターズ用のスーツというものは、デザインによる運動性はともかく、耐熱耐寒、あるいは断熱の効果はかなり高かった。 今日のアズの気分は、白らしい。 たいていのハンターズは自分の「カラー」を決めるものだが、アズは気分によって様々に着替える。夏の暑い最中に黒や赤は論外、青はちょっと気分じゃないし、緑もなんとなく、ととっかえひっかえ。出てくるまでに二時間ほどかかっていたりする。 それで待ち合わせの時間は大丈夫だったのか、あるいはそうやって迷う時間も考慮して衣装を選び始めたのか―――、という心配は、無用だ。 アズが相棒に選んだのは、「うちで飼ってるわんわん」、白いヒューキャストのフェンリルだったのである。
二時間が三時間だろうと、待てと言われればなにも言わずに待っている忠犬さながらのフェンリル。 ブーツが汚れるから、と根から根を飛び歩き、届かないところは 「だっこしてよ〜ぅ」 とせがむアズにも、文句一つ言わない。 時折出てくるエネミーは、手間取るほどのこともない。 「んーと〜」 フェンリルの左腕に腰掛けて、アズはマップを眺めている。もう歩くことそのものをやめる気らしい。 「こっちねん」 「分かった」 生い茂るシダ科の植物に隠されて、ずいぶんと見分けづらい道へと分け入った。
蛇行する道はやがて急な斜面へと変わる。 「……足跡、あるわねん」 フェンリルの足を止めさせて、腕から下りることはせずに地面を見ていたアズが呟く。フェンリルの見下ろしたところには、ヒューマーのものと思われるブーツの、靴底の形が残っていた。 少し行けば、それが崩れて滑り落ちたことが分かる。 足元はぬかるんだ泥で、足場にできそうな岩や根も乏しい。覚悟を決めて滑り降りるしかなさそうな道である。 しかし、 「ぽち」 と言ったアズが、彼の首に腕を回してしがみつくと、一つ頷いたきり、フェンリルは躊躇いもなく地面を蹴った。
宙に踊りだし、大きく一度、回転する。張り出した太い枝を蹴り、あとは鞠が弾むような身軽さで、次々と乏しい足場を蹴っていく。 そうして、最後にまた一度だけ身を翻し、ふわりと着地した。 「ふぅ。簡易絶叫マシンなのねん♪」 アズは腕の力を緩め、楽しそうに笑うばかり。どうもこの二人、世間とはズレたところがあるらしい。
着地点から少し右手を見やると、確かにそこに、大きな洞窟が口をあけていた。 ラグオルの潮の満ち引きは緩慢で、テラのそれほど慌しくはない。一度干潮になれば二日は引いたままになる。今からならば、ゆうに丸一日はなんの心配もいらないだろう。 洞窟を調べに行く、とだけ聞かされているフェンリルは、 「あれか?」 とアズに訊き、頷くのを見ると、真っ直ぐにそちらへと歩き出した。 彼は、顔を切り裂く幽霊の話は聞いていないのである。 そして今ようやく、アズはその話をするつもりのようだ。
「ぽち、幽霊って知ってる?」 と問う。 洞窟の入り口は、美しく澄んだ海の色も鮮やかだが、奥は真っ暗で覗き見ることもできない。 「データはある。『死んだマンの霊魂が迷い出たもの』だろう」 答えるフェンリルの腕の上で、アズは手の上に炎の塊を生み出した。少し変わった修練をすれば、マンならば誰にでもできるようになる、テクニックの応用である。ただし、戦闘の役には立たないこんな使い方を、身につけようとする者はまずいない。 そもそも、ライトを使えば済む話だ。 だが、ライトやランプといったものは、アズは一切持ってこなかった。それどころか、端末すらなぜか置いてきてしまっている。フェンリルには、店頭で売られていた格安レプリカのフロウェンの大剣一本以外、全てうちに置いてこさせていた。 装備しているものと言えば、アズはフォマール用のスーツ、フェンリルも、アーマメントパーツと、それに差したシールドユニットのみである。
「その意味、分かる?」 「いや。理解できない」 「んじゃ、幽霊っていると思う?」 「……分からん」 揺れる炎に照らされて、影もまた、赤と黒に揺らめいている。 「実はねん」 アズはようやく、ここに来たわけを聞かせた。 モラが仕入れてきた幽霊の話と、実際に起こっている顔面を切り裂かれて見つかる死体の話。死体のほうは、裏側のネットワークを少し覗けばすぐに分かった。幽霊の噂が流れ始めた時期も。幽霊騒動に前後するように、今までに六人の遺体が見つかっている。
「この奥に行くと、そういうのがいるのか」 話を聞き終えて、フェンリルは顔を上げた。見えるのはアズの手の炎に照らされた周囲数メートルだけで、奥はまったくの闇である。 何故アズが暗視ユニットを積ませなかったのか、疑問は覚えているが、問うことはしない。アズがそうしろと言った以上、そうする理由はある。その理由は、知る必要があれば聞かせてくれたはずだ。彼はそう考えている。 「そーゆー話になってるのねん。で・も」 「でも?」 「そう。ぽちは今の話聞いて、おかしいと思わなかった?」 「……いや。なにかおかしいのか」 「おかしいわよぅ」 アズがそう言った途端。
ぱしゃ……。
背後で、音がした。
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