鋼の絆

「どうした、あらたまって話とは」
 その日、カルマはラッシュに会うため、ランドルフ研究所を訪れた。
 覚悟を決めてきたのだが、いざ顔を見ると、なにも言い出せない。
 三日ほどほとんど寝ずに考えて、言うと決めてきたことなのだ。それでもいざとなると口に出せない自分の優柔不断さというか、臆病さが少し嫌になる。

 そんなカルマに関わらず、ラッシュはずいぶんと高価そうな椅子にゆったりと腰掛けたまま、促そうともしない。
 黙っていないで、「言え、さもなければ忙しいんだから帰れ」とくらい言ってくれればいいものを、と思いながら、カルマは内心、ひそかに溜め息をついた。
(まあ、そういう奴じゃないんだけどな)
 まずもってちっとも忙しそうではないし、カルマの躊躇いを見抜いていたとしても、親切に発破をかけてくれる相手ではない。
 昔はもっとあれこれと世話焼きだったような、と余計なことを考えかけて、カルマは慌てて思考を切り替えた。

 今日ここに来たのには、重大なわけがあるのだ。
 一大決心してきたのである。
 これまで法に触れるようなことは一切してこなかった自分が、あえて自ら、その法を破ることになる。
 そんな頼みごとをするために、訪れたのだ。

 カルマがラッシュの研究室に入ってから、時計の長針は半周した。
 それでもラッシュはべつに苛立つでもないし、促そうとするでもない。
 次第にカルマの思考ポイントはずれてきて、
(どうしてただ待ってるんだ?)
 というところを巡りはじめた。
 たとえラッシュが暇を持て余しているとしても、無駄な時間を費やすことを喜びはしないはずである。
 それがただこうして、黙り続ける自分を前に、じっとしている。
 なんの考えもなしにそんなことをしているとは思えない。とすると、いったい何故なのか。

(いや、そんなことはどうでもいいじゃないか。だいたい、悪いと思うならさっさと言えばいいんだ)
 カルマは小さく頭を振った。
「ラッシュ。頼みがあるんだ」
 それから、覚悟を決めてそう言った。
「なんだ?」
 いつもと変わらない美しいテノールで続きを促される。
 カルマは、
(法律より、大事なことだってきっとある。ラッシュなら、分かってくれるはずだ)
 心の中で、昨日から何度繰り返したかも分からない言葉をもう一度繰り返した。

「その、こんなことは違法なのは分かってるんだ。だが、どうしても、なんとかしたいことで……」
「ふむ。自分一人で法を破るならまだしも、俺まで巻き込むことを承知で来た、というわけか。そこまでして、俺になにを頼みたいんだ?」
「その……悪いとは思う。思うんだが……手を、貸してほしいんだ」
「なにをしろ、と?」
 言うしかない。
 そのためにここに来た。
 そのために、ずっと考えていたのだ。
「外装を、新しいものに換えたいんだ」

 アンドロイドというものは、基本的に誕生時のパーツと機能のままで生きなければならない。
 それは、マンが簡単に腕や頭を交換できないことと同じだ。
 破損したりすれば交換することはできるが、あくまでもその時には、元のものと同じ素材、同じ性能のものを使わなければならない。
 これに背くことは、れっきとした犯罪である。
 マンのような拒絶反応もなく、設備と技術さえあればいくらでも強くなれ、また若返ることもできるアンドロイド。できるからといってその自由を許してしまっては、人間社会のバランスが崩れる。
 他にも様々な問題や危険性があり、搭載機能や使用パーツの交換は、厳しく制限されている。

 RAGOが正式に発足して以来、やっと「同一素材であれば、外装の交換を認める」という新法ができた。
 だが、外見的な個体差の小さいアンドロイドがそれを行うと、マンには見分けがつかなくなる。アンドロイド同士はパルスで識別できるから良いが、マンから見れば別人になってしまうのである。
 結局「自分が誰か分かってもらえない」ということが、アンドロイドたちに換装をやめさせていた。

 だが、カルマが今日頼みに来たのは、そういうレベルでの換装ではなかった。
 素材を新しいものに換え、見かけはともかく、基本性能を引き上げたい、という意味だ。
 あえて説明せずとも、ラッシュならばそれが分かるはずである。ただ外見を換えたいだけならば、RAGOの用意した専門工場「ドレシングルーム」へ行き、相応の金額を支払うだけでいいのだ。そうせずにあえてここを訪れたということで、カルマの意図は読めているはずである。
 カルマはじっとラッシュの反応を待った。

 ラッシュはものの数秒間沈黙していたが、ゆっくりと背もたれから体を起こした。
「それで、何故俺のところに? そういう頼み事なら、オズワルド博士に頼んでもいいんじゃないか?」
「それは……その……」
「俺なら法律違反で捕まってもいいというわけか。冷たいな」
「分かってて言ってるだろう。さんざん積み替えだの組替えだのやっていて、今更そんなこと」
「カルマ。それはな、俺自身のことだから可能なんだとは思わないか? かつての政府も総督府も今のRAGOも、俺が自分の体にしていることだから、文句が言えない。だが、それを他人に施した途端、表立って咎められるようになるかもしれんだろう? だとすれば、おまえの犯罪に手を貸すことで、これまで保ってきた俺自身の立場というものまで、崩れるかもしれんわけだ」
 ラッシュの声はいつものように笑みを含み淡々としていたが、それは、まぎれもない事実だった。

 ラッシュが何故、いかにして換装どころか機能交換の自由まで手にしているかは、カルマも知らない。
 だが、ラッシュの言うとおり、なんらかの事情があって自分自身のことに関するかぎりには許されているとしたら、他人に手をかけたところで、堂々と法のもとに裁くことができるようになってしまう。
 単純に、「自分がさんざんやっているんだから、なんとかしてくれるだろう」と考えていたことが悔やまれた。
 できるに違いない、という期待が裏切られたのもある。
 なにより、浅はかな考えで友人を犯罪に巻き込もうとしたこと、そして、それをしっかりと見抜かれてしまっていることが、どうしようもなく心苦しく、恥ずかしかった。

「そ、そうだな。すまん。馬鹿なことを言った」
 図々しさとかふてぶてしさとは無縁のカルマである。
 一刻も早くこの場を立ち去りたくなった。
 だが、立ち上がると同時に、
「しかし、何故そんなことを思い立ったのかは知りたいね」
 呼吸をはかったように、引き止められた。
 振り返ってちらりと見たラッシュは、笑っているような気がする。
 嘲るでもなく呆れるでもなく、侮蔑するでもなく。
 カルマは少しほっとして、そういう話を聞かせればいくらかは興味を満たしてやれるし、償いにもなるんだろうか、と椅子に戻った。

「大したこと……じゃない、とは言えないんだ。いや、大きなお世話なのかもしれないけどな。どこから話すか……」
「どこからでも。話の辻褄は俺が適当に合わせる。思いつくままに話してくれていい」
「そうか。そうだな。じゃあ、きっかけから話す。五日前なんだが、レイと話していてな。俺がなにげなく、『そろそろ隠居させてくれてもいいだろう』と言ったんだ。いつもなら、『またそんなことを』とか、適当に流すのに、どうしたんだか、その時にかぎっていやに真剣な様子で、『本気で言ってるんですか』と……」

 カルマは生粋のヒューキャストである。
 隠居、すなわち、ギルドを脱会しハンターズを引退すれば、意図的寿命が適用される。引退して一年たつと、廃棄される運命なのである。
 戦闘用に作られたアンドロイドは、戦わなくなった時点で役に立たない。
 パワーだけなら工事や建設にもいかせるが、彼等にはそこで働くだけの予備知識がないのだ。むろん、それは後からデータとして入れることも可能ではあるし、学習もできる。だが、AIのデータ容量は限られている。起動して10年もたっていれば、なにかを忘れずには新しいことを覚えるのが難しくなる一方、新しいデータを保持しておく力が小さくなっている。マンの脳と同じだ。
 そして、生粋の戦闘アンドロイドのAIは、戦闘に関する知識や記憶を第一位の優先度でストック、保持するようになっているため、今更別の分野の知識を蓄えるのは難しい。
 つまり、引退後に別の職について活躍する、というのはほぼ無理と言ってよかった。

 隠居したい、というのは、あと一年で廃棄されてもいい、というのと同じことだ。
 カルマとしては、もう自分は10年も生きてきたし、そろそろ新型に居場所を譲る時だろうという思いがあった。
 エネルギー物資が限られている現状では、無制限に新しいアンドロイドを増やすことはできない。
 マンと違い、作らなければ増えないアンドロイドは、総体数の管理も容易だ。そして、管理できるがために、管理されている。
 旧式のアンドロイドが消えないかぎりには、新型は活動できないのである。
 戦闘経験という財産のあるカルマだが、新型のヒューキャストたちと比べると、その経験、そこから生まれた技術以外には秀でたものはほとんどといっていいほど存在しなかった。
 そして、経験というものは誰しもが得られる財産でもある。技術は経験を繰り返すことで高めていける。
 自分の経験だけが特別に高級だと思うようなカルマではないし、周囲の評価に関わらず、自分と同程度の技術なんてものは、身につける気になれば誰でもいずれ手に入れられる、とも彼は思っている。
 それなら、戦闘スペックで劣る老兵は去り、新たに生まれてくる者があってもいいはずだ、とそう考えていた。

 レイヴンにも、そう話した。
 いつかは去らなければならない。
 そして今は、星と人類の未来のため、少しでも強い力が欲しい時でもある。
 いつまでも自分のような旧式がしつこく粘っていてはならないんじゃないか、と。
 それはカルマ自身にとっては、極自然に納得ができ、更に従うことのできる道理だった。

 だが、「そんな話は聞きたくありません」と、静かに、しかし本当に怒ってしまったレイヴンを見て、問題は自分一人のものではないと気付いた。
 いてくれ、と願う者がいる。
 経験や戦闘力などとは関係なく、「自分」という存在がそこにいることを願う者がいる。
 嬉しいと同時に、つらかった。
 残ってやったとしても、時がたつにつれ少しずつ機能も衰えていく身で、いずれ何もしてやれなくなる体でいるのが、急につらくなった。

「だからな、だったらせめて、もう少しくらい『力』がほしいと思ったんだ。持久力とか、攻撃力は、いい。それを得ようと思ったら、体の中からいじらないと駄目だろう。そこまでしようとは思わない。ただ、せめて外装だけでももう少し強化できれば、直接的なダメージは減るから……。いてくれ、と言われると……俺はよっぽど意思が弱いんだな。まあ、すまん。そんなことでおまえを巻き込むのは、身勝手すぎるよな」
 ずいぶんと情けない話をしていると思ったが、相手が相手だ。
 同じヒューキャストとして、カルマが初めて戦場に立った時、既に一流と言われていた大先輩であり、直接に指導を受けたこともある。
 当時相次いで作られた生粋のヒューキャストの中で、何故かパワーレンジが低く敏捷性や演算能力を高められたカルマは、なかなかハンターズという仕事に馴染めなかった。
 ただ力押しで戦うことだけを仲間に求められ、応えられずに混乱し、迷っていた。
 そんな時にラッシュに出会い、力ではなく技で戦うすべを教えてもらった。
 そんな相手だ。
 カルマがどんなに虚勢を張ったところで、ラッシュの目には子供の空威張りにしか見えないのだろう。
 そう思うと、少しは気が楽だった。

「本当に、悪かった。その、なんとかできるんじゃないか、と思ったから来たんだ。なにも、おまえなら咎められてもいいとか考えたわけじゃない。それだけは……」
「そんなことも分からん奴だ、と思われているとしたら、哀しいね」
「う……。その……」
「まあ、いいさ。それで、ご希望は?」
「え?」
「だから、外装を換えるんだろう? どんなものがいいんだ」
 ラッシュがデスクの上に両肘をついた。組み合わせた指の上に、顎を乗せる。

「ラッシュ?」
「俺は一言でも、『断る』と言ったか?」
「じゃあ……!?」
「ワケがあるとすれば、おまえのことだ。そんなところだろうとは思っていたよ。ただな、できるからといって、容易に行えるわけじゃない。おまえの性格も少しは分かっているつもりだが、新たな力を得た途端、世界が変わることもある。そして、それと同時に心までがらりと様相を変えることもある。俺としては、言質をとっておきたくてね」
「ラッシュ」
「おまえがなんのために力を望むのか、それでなにをするのか。俺はこれを記録として残す。そして、おまえが今の言葉を裏切った時には、もう俺の知ったことじゃない。ありていに言えば、絶交、というやつだな」
 古臭い言葉を持ち出して、ラッシュは小さく笑った。


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