引き受けてもらえる、となった途端、カルマの中では、友人に犯罪をおかさせることへの不安が爆発的に膨れた。
 本当にいいのか、と念を押し、思いとどまらせようとする気配がなきにしもあらずのカルマを、今度はラッシュが引っ張って話を進めようとする。
 希望の材質、タイプ、外装を換えるといっても、いくつかの選択肢があることなど。答えにくそうなカルマを無視して、矢継ぎ早の質問である。

「外見はそのままでいいのか? 色やヘッドモデルを換える程度なら、ついでに行えるが」
「いや、それは……」
「それに、どうせ換装するなら、ノクト・ザインを使ったほうがはるかに耐久力が出る」
「そんな高級な素材まで使うことは……」
「実を言えば、おまえの希望している、この現行タイプと同型の外部装甲のほうが、入手には金がかかる。こちらはシップに積んできた総数も管轄企業も全てチェックされているからな。その目をくぐるのに、いくらか特殊なルートを使う必要があるんだ。その点ノクト・ザインなら、この研究所にもあるし、外装素材としての注目は薄い。研究用として簡単に購入できるし、使用報告も義務づけられていない。費用からいっても、時間から考えても、更に性能を問題にしても、ノクト・ザインを使用したほうがいいと思うんだがね」
「いや、しかし俺はその……新型の連中を上回るような力は、欲しくないんだ。我が儘だとは思うんだが、俺はあくまでも古い世代のアンドロイドなんだし……。費用や時間のことなら、気にしてない。あんまり莫大な金額になるのは困るが、常識の範囲でなら、なんとかできると思う。だから」
「そう言うなら、べつに構わんさ。その線で調達してみよう」
 言いながら、既にラッシュはCCを立ち上げて、誰かと交渉にかかっていた。

「それで、モデルも完全に今と同じか。ドレシングルームを利用したことにして、いっそ変えてみないか? なにせ、レイヴンとはIDプレートでしか見分けがつかんからな」
「なに言ってるんだ。マンにはまぎらわしいかもしれないが、俺たちはパルスでどうとでも判別つくじゃないか」
「そのパルスだが、俺は受信端末は外してるんでね」
「へ?」
「ほとんどここに篭もりっきりだ。訪ねて来る奴はかぎられている。そんなものを積んでおく隙間があれば、メモリ容量が欲しくてな」

 ラッシュはなんでもないことのように言ったが、カルマは感心するというより呆れて声が出なかった。
 いくらなんでも好き勝手にやりすぎなんじゃないだろうか。そんな思いがよぎっていく。
 そしてふと、そこまでの無茶ができるラッシュは、いったい何故それほどに自由なのかと、昔から何度も覚えた疑問を、今また覚えずにはいられなかった。
 だがそれは、おそらく、尋ねても答えてはくれないだろう。
 それなら尋ねるだけ、お互いに面白くない。
 カルマはそれ以上考えるのはやめた。

「け、けどな、ラッシュ。おまえが俺をレイと間違えたことはあるか? ないだろう?」
「まあ、間違えそうになることはあるが、な」
「ベータだって、俺をレイと呼んだことはない。それに、レイは俺がこの姿だから、あの姿で生まれたんだ。それなのに、俺が勝手に換えるのはひどいじゃないか」
「分かった分かった。分かったから、そうムキになるな。俺が悪かったよ」
「ムキになんか」
 なってない、と言いかけてカルマは、思い出した自分の声がいやに強いことに気付いた。
 腹を立てた、というほどでもないが、どうも聞き捨てならないことを言われたような気がして、反論していた。
 なにか許せなかったのかは、考えても分からない。

「なんにせよ、可能なかぎり望むとおりにしてやろう。感謝することだな。俺がいたことに」
「あ、ああ。それはもちろん。こんな……法を破る手伝いまでさせて」
「それは気にするな。バレなければいいだけのことだ。とは言え、よく組む連中には自分から言っておいたほうがいい。急に耐久力が上がっていては何事かと思われるだろう」
「分かってる」
「じゃあ、俺は準備にかかろうか。用意が整ったら連絡しよう」
「頼む」

 ラッシュはこれから、いろいろと忙しくなるのだろう。
 カルマはさっさと引き上げることにした。
 他の誰かがここにいると、やりにくいこともあるかもしれないと思ったからだ。
 法に触れ、それを掻い潜る以上、それは裏の道を辿ることになる。それは誰もが見ていい道ではない。そしまた、その道を辿るところを見られたいものでもないだろう。

 だが、カルマが立ち上がると、どうしたことかラッシュも共に椅子を離れ、なにをするのかと思えば、ついてきた。
「出かけるのか?」
 カルマが問うと、
「たまには見送ろうかと思ってな」
「は? どうしたんだ、いったい」
「まあ、気にするな」
 ノイズめいた薄い笑いで誤魔化される。

 長い順路を歩く間、ラッシュは特になにを言うでもなかった。
 沈黙に困ったカルマだが、自然に話し掛けられるような話題も思いつかない。
 どうにも落ち着かないのをこらえながら歩いていく。
 結局、正面ロビーに出るまで、ラッシュはただ黙って横を歩いているだけだった。

「それじゃあ、いろいろと面倒をかけるが……」
 表に出てカルマが振り返る。
 言いかけた言葉を
「いつの間にか、本物の兄貴になったな」
 ラッシュははっきりと笑った声で、遮った。

「え?」
「レイヴンという弟ができた時、俺に報告に来ただろう?」
「あ、ああ?」
 何故急にそんな話をするのかが分からず、カルマはラッシュをうかがう。
 だがアンドロイドの表情などというものは雰囲気でしか分からない。
 カルマに分かったのは、ラッシュはこれを言うためについてきたんじゃないか、ということだった。
 どうしても今言いたいことだが、言葉がまとまらない。だから、その時間を作るため、引き止めるのではなく、ついてきた。
 なんとなく、そうじゃないか、と思うと納得がいく。
 いくら読めない相手とは言え、10年近い付き合いなのだ。まるで理解していないわけではない。

「どうして急にそんなことを」
「あの時のおまえは、嬉しそうだったよ。俺に弟がいた、家族なんてものがあったんだ、とね」
 カルマの問いはやんわりと無視して、ラッシュは自分の言葉を続ける。
 言われて思い出すと、妙に気恥ずかしかった。
 あの時は少し感情に流されすぎて、今思い返してみると、幼稚なほど「はしゃいで」しまったように見える。
 レイヴンと会ったその時にはなんとない喜びだったものが、彼と別れて時間がたつにつれ、エネルギーと共にその喜びが体中を駆け巡るようで、それは不思議な力に似て、抑えられなくなった。
 俺に弟がいたんだ、とそう思うと、力強いあたたかさと、制御のきかない嬉しさが募って、その勢いのまま、どうしてもそれを誰かに言いたくて、わざわざ押しかけてまで話したのだ。誰かに話して分散しないことには、体の中の力に負けて、自分が爆発しそうにさえ思えたせいもあった。

 大事にしていた出会いの喜びだが、言われてあらためて思い返すと、途端に恥ずかしさで塗り替えられる。
 だが、ふと目が合って感じた視線は、優しさよりも厳しさに近かった。
「だがあの頃のおまえは、弟がいるがための兄でしかなかった。俺はそう思ってる」
 声音の微笑が薄くなる。
 柔らかさの代わりに、揺るぎない堅さが滲み出る。

「……どういうことだ?」
「簡単に言えば、こうだ。もしあの後すぐに、実は勘違いだった、と言われたら、おまえはその場で兄ではなくなっていた。そしてただ落胆しただろう」
 言われても、よく理解できない。
 理解できない、という意思を隠しているつもりはないし、ということはラッシュは気付いているはずだが、彼はそのまま続ける。
「だが今は違う。今もし誰かから、レイヴン……とタイラント、いや、彼は違うか。ともかく、レイヴンとおまえにはなんの関わりもないと言われても、どうしても思ってしまうだろう。あいつは俺の弟だ、と」

 今誰かから、そう言われたら。
 実はレイヴンの勘違いで、自分が彼のモデルではなかった、と言われたら。
 つまり、「兄弟」なんかではない、と言われたら。
(そんなこと……急に言われても……)
 兄さん、と呼んで慕ってくれるレイヴンは、間違いなく自分の弟だ。
(レイが俺のことをそう呼んでくれるんだったら……そんなつながりなんか、なくたって)
 それは間違いない。

 それは分かるが、それとラッシュの言葉とは、どうしてもつながらなかった。
 本物の兄。
 弟がいるがための兄。
 当たり前ではないだろうか。
 弟がいるから、兄という立場の者もいる。
 弟がいなくなったら、兄ではなくなる。
 
「よく分からないんだが……」
「分からないなら、それでもいい」
 突然、声が頭の中に響き残る。
 ほんの時折聞かせる、ラッシュの本物の声だ。
 カルマは眩暈に似た揺らぎを感じて、色もなければ上下左右もない空間に放り込まれたような心地になった。
「分かることは重要じゃない。おまえが彼を弟だと思っていること。自分の寂寞のためではなく、彼の寂寞のために罪をおかそうということ。……大事にするといい。そのためなら、俺にできることはしてやろう」
 声と言葉が、確かな力を持ってメモリに刻まれていく。
「セキバク……? なんなんだ、いったい……?」
「今言った。分かることはない。言葉の意味なら辞書にあるが、そんなものに大した意義はない。それは今、おまえの中にあるんだ。言葉にはならずとも、おまえの中に今ある気持ちを、大事にするといい。その気持ちだけが、機械の体の俺たちを、本物の兄弟にしてるんだろうからな」

 足元が定まらなくなり、カルマは大きくよろめいた。
 腕をとられて、我に返る。
「うう……」
「すまんな。つい加減を忘れた」
「い、いや、いいんだが……。相変わらずとんでもない声だな。その声で言われれば黒も白になりそうだ」
「そのために、俺はこの声を持っているんだがね」
 さらりととんでもないことを肯定してのけて、ラッシュはカルマの腕を放した。

「それは……いや。尋ねるのはやめておく。聞いても、俺には理解できそうもないしな」
「フフ。まあ、仕事のほうは引き受けた。おまえはせいぜい、調子を整えておいてくれ。おそらく今週中に一度、今の外装パーツのデータをとらせてもらう。パーツが揃うのが、早くて今月末だな」
「分かった。じゃあ」
「ああ」

 軽く片手を上げて、ラッシュは研究所の中に戻っていった。
 カルマの中には言葉が残ったが、思い返しても理解はできない。
 本当にラッシュの言うとおり、言葉を理解しようとすることに意義がないなら、考えるだけ無駄だ。
 大事なものは、今の気持ちそのものだ、と彼は言った。
(今の気持ち、か……。今の気持ち……。いてくれと言うんだったら、いてやりたい……ただそれだけなんだけどな。俺だって、レイやタイラントに……みんなに会えなくなるのは、嬉しくはないんだし。こんなものが、そんなに大したものには思えないんだけどなぁ)

 一緒にいたい。
 哀しませたくない。
 笑っていてほしい。
 自分を必要としてほしい。
 必要としてもらえると嬉しい。
 そんな他愛ない、誰でも持っているような当たり前の気持ちだ。
 大事だということは分かるが、カルマには、あれほど強烈な声で言われなければならないほど特別にはどうしても思えなかった。

(……考えても仕方ない、か。それより、レイたちに言うにしても、どう切り出すかな……。いきなりじゃ驚かせるし、おまえが言ったから、なんて押し付けたくもないし……)
 道々、また考え込むカルマ。
 おそらく家に帰り着いても、まだ答えは出ていないだろう。
 しかし遠回りしよう、とは思いつかずに歩いていくのだった。


(おわり)

元ネタはKarmaプレイヤーからもらったメール。
そこでは、カルマが相談しているのはベータだったんだが、
PSO−rのシビアな設定でいくと、ベータにはそこまで無茶をする力はないので
無茶し放題のラッシュが相手役となった。

ただ、実際のラッシュは、換装を引き受けたりはしないと思われる。
違法改造されたカルマが、そのことで法的に裁かれてしまうことを
なによりも懸念するだろうから……。