……風邪をひいた。 まったく、この俺ともあろう者が情けない。 健康管理なんてのは基本中の基本で、それを怠るなんてのは最低だ。 無論、俺が自分からバカな真似して、風邪を引き込んだりしたはずはない。 仕方ないといえば、仕方ないことらしい。 シップで人間と一緒に運んできた、ずいぶん古いタイプのウィルスが、ラグオルで変異してけったいな新種ウィルスと化し、極めてインフルエンザに近い症状を引き起こしているとかいう話だ。 ウィルス自体は、何故かラグオルの空気中でないと生きていられないらしく、つまり、このラグオル風邪を引いているのは、ことごとくハンターズだけ。 体力自慢が多いハンターズにあって、次々と寝込むヤツが出てるってんだから、たしかに無理はないんだろう。
だが、平気でいる奴もいる以上、俺が寝込んでるってのは、情けないには違いない。 まずいかな、と思った日に素直に休んでおけばすぐに治ったのかもしれないが、動いているうちに治るだろう、と仕事に出かけたのがまずかったのか、今朝は寝ていてさえ天井が回っていた。 今日はいったい何日か、何曜日か、何か予定はあったか、何も考える気力もなくて、ベッドの中で鬱々としてると、デスクのほうでコール音が鳴り始めた。 はっきり言って、出られるもんじゃない。 悪いが今日は無視させてもらおう、と思ってしばらく放っておくと、やがてコール音は切れて、留守録モードになった。 メッセージを入れる声で、誰からのどんな用件かは分かる。 一応それには聞き耳を立てると 『ベータ、おらぬのか? もう出たなら良いのだが』 ジーンだった。
あいつのほうから俺に電話してくることがあるなんて、と喜んで……さすがに、跳ね起きて出ることはできなかった。 それでも、放っておくわけにはいかない。 起き上がるだけで目は回るし、立てば足元がふらつくし、その上、何か頭の片隅で引っかかるものもあって何を考えていて何を思っているのか自分でも分からなかったが、とにかくCCの通信回線をつないだ。 モニターに、俺の可愛いヒヨコくんの顔が映る。 端末を操作しているらしく、思わずモニターにキスしたいようなアップ。 これでマスクがなかったらもう最高なんだけどな。 あの可愛い、きれいな黒いお目々。覗き込むと黒い鏡みたいに俺の顔を映して……ああ、可愛い……。いや、男に可愛いって形容詞は何か違うだろう。いやでもこうしてマスク有り状態で見ていればともかく、あの目がもう可愛くて仕方ないんだよまったくもう……。
いや、なに俺は変なトリップしてるんだ。 にしても、……武装してるのか? 武装……? ……? いや、俺に手を貸してほしいことがあるとか……? じゃなくて。 ……なんだ、今、俺は何を思いかけたんだ……?
『おったのか。……例の風邪を引いたか?』 「あ、ああ、いや、まあ」 なにわけの分からん返事してるんだ、俺は。 せっかくジーンが電話してくれたってのに。 もう少し気のきいたことはいえないのかよ、俺。 俺の手を借りたいことでもできたのか、と……ん? いや、ちょっと待て。ちょっと、待て。 ……なにか、ええと……。
『これでは今日の仕事は無理か』 仕事? ……仕事。 仕事!? 仕事だ!! 今日は何日だ!? ってよりいやジーンがこんな格好で俺のところにコールしてくるってことは、今日が約束したその日か!! 何時だ今!? …………10時…………。 約束は9時だろうが俺!! つか1時間も待つまでコール寄越さなかったのかよおまえは!? ああ、もうなんて可愛い……じゃないって!
「わ、悪い。忘れてた」 『気にするな。その様子では起きているのもつらかろう。元より我一人で片の付くものだ』 あああああああ、そうなんだよ、そーなんだよ。 俺が無理やりついていくって言って取り付けた約束だってのに、何してんだ俺は……。 『ベータ。あまり悪いようであれば寝ておれ』 俺が思わずコンソールの上で頭を抱え込むと、それをどう勘違いしたのか、あのジーンが、あ・のジーンが、だ。聞いて分かるくらいには心配そうな声を出した。 ああ、幸せ……だが頭が痛い……。 『誰か呼んだほうが良いぞ。ではな』 「ではな」じゃなくてだったらおまえが来てくれれば俺としては言うことないんだが……って、だから、ジーンは仕事だって。 ふっと消えたモニターの色。 さっさと切るんだからもう……つれないなぁ。いや、またそこがあいつらしくて……ふふふ。
などと甘いレッドゾーンぎりぎりのトリップしたせいか、急に頭の中の熱が上がってきて、世界が歪み始めた。 なんとかベッドに戻るとシーツの合間に潜り込んで、あとは意識不明、俺はいつの間にか眠り込んでいた。
どれくらい寝たのか。 朝も昼も夜もなく、ただ時計だけが進む宇宙空間、シップの中では、昼の日差しも夜の月もない。 いつ目が覚めても、補助灯の光だけが俺の目に飛び込んでくる。 いくらかは楽になったようだ。 何時になったのか、と思って枕もとの時計に手をのばす。 定位置にあった時計は、14:50という表示になっていた。 5時間くらいは寝ていたらしい。
「起きたか」 時計を元のところに置いた時、いきなり声が聞こえて、俺は閉じかけていた目を開けた。 鍵はかけたはずだ。 いや、それはいつもの習慣のことで、昨日帰ってきた時はもう意識朦朧としていたから、かけ忘れていたのかもしれないが、俺の部屋に入ってこれる、というか俺の住処を知っているのなんて、近所の他人でなければ、誰もいない、いや、つかその声わ!? 頭に引き上げかけていたシーツを下ろして声の方向に顔を向けると、俺の可愛いヒヨコくんがそこにいた。 こんな熱っぽい寝起きの顔なんて見られたいもんじゃないぞ!? 髪だって昨日から洗ってないしセットも落とさないまま寝てるからたぶんめちゃくちゃだし……っていえば昼にコールに出たと時からでもう遅いって言えば遅いのか……。 いや、そんなことより。 なんでジーンがここにいるんだ??
「ジーン? なんで、おまえここに?」 「仕事のほうは片付いたのでな。見舞いにでもと思って寄ってみただけだ。……誰も呼ばなんだのか。それで鍵もかけておらぬとは、無用心ではないか?」 「いや……」 つまりそれは、俺を心配して来てくれたってことか? 「勝手に入ったが、返事もなければ鍵もかかっておらぬのでな。すまぬ」 「いや、そんなことはどうでも。……おまえ、俺のこと心配してくれたのか?」 「……そうだな。気にかかる、というのが、そうであれば」
う……嬉しいぞ……。 「キッチンを借りておるが、構わぬか?」 「え?」 「その分では何も食しておらぬのだろう? 食わねば治るものも治らぬ。適当に何か作ろうかと思ってな」 うおおおお、手料理か、手料理なのかっ!? そりゃもうドラゴンの姿焼きでもなんでも、おまえの作るものなら全部残さず食ってやるぞ! 一束100メセタくらいで量り売りしてるその辺の「愛情」とやらより、一滴が10万メセタくらいには匹敵するおまえの「気掛かり」のほうが俺には美味いに違いない。 って、こんな頭でもそんなボケたこと考えられる自分がちょっとイヤなような、好きなような。
ああ……。 ジーンは防護スーツのままだ。 アーマーを外すと、もう体のラインがきれーに出て、……これを女が着たらかなり扇情的なコスチュームだ、と思ったことはあったが、もう俺の頭は本格的にジーンにイカれてるらしい。 俺に比べては薄いし細いながら、スーツに僅かに陰影を刻む筋肉の形が……背中がぁ……。 何かするのに邪魔にならないからか、ボトムのほうはレッグガードなんかもつけたままだが、いっそああいうのも全部取っ払って……。
い、いかん。 危険思考モードに入りつつある。 熱のせいだ。 ただでさえろくなこと考えない頭が、熱暴走してるんだ、きっと。 今近づかれたら、ぼーっと抱き締めそうな自分が怖い。 ドアの向こうに消えて、ほっとしたような、残念なような。
しばらくして、ジーンは温かく湯気の立つスープを持って戻ってきた。 ……いいなぁ……。 熱出して寝込むなんてほんのガキの頃に一度あったかどうかぐらいだが、こうやって誰かが心配して来てくれて、俺のために飯作ってくれるなんて、それも、それがジーンだなんて。 たまには……な。 たまになら、こういうのも、悪くないかもしれない。
新鮮な材料なんか何もない船内で、味気ない缶詰の中身から作ったとはとうてい思えないほど美味いスープをたいらげて、俺がもう一度横になると、ジーンはこれで用は済ませたとばかりに去りかけた。 まあ、意味もなく長々とついているようなタイプじゃない。 その代わり、 「明日も来たほうが良いか?」 部屋から出て行く間際、そんなことを言った。 明日になれば回復してるのかもしれないが、この際、どうせ滅多にあることじゃないんだ。 俺はもちろん、オネガイすることにした。
途端、ジーンの口元にふっと小さな笑みが浮かぶ。 い、いかん……値千金の微笑みだ。 せっかく朝よりはいくらか引いた熱がまた上がるぞ、おい。
「なんだよ」 「いや。おぬしでも、調子の悪いときには人に甘えるものなのだと思ってな」 う……。 そ、それは……おまえだからというヤツで、頼まんでもほっといても押しかけてくるような奴とか、普段から世話焼きな奴なら、たぶん俺は頼んでない。というか、おまえに会いたいからというだけなんで、これ。 なんか無性に恥ずかしいぞ。 世間知らずで十何年過ごしたハイスクールのガキじゃあるまいし、ハンターズとして暮らしてきたほうが長いような30目前の男が、何をこんなことで動揺してるんだ、いったい。 恋は人を無垢な少年に戻すのか? なんてなにバカなこと考えてるんだ、俺は。
「ではな。体は冷やすなよ」 ジーンが出て行って、しんとした部屋の中で、とりあえず明後日には意地でも復帰することを決めてみる。 それから、もしジーンが寝込んだりしたときには、俺がもう毎日でもついていてやろうと決める俺だった。
(おちまい) |