黒ロボ家の夜

 夕暮れの風が心地よく吹き抜けていく、ラグオル午後五時。
「にゃんにゃかにゃ〜♪」
 かなり意味のない歌声……かすらも定かではない音声の主を連れて、レイヴンが帰宅する。
 戦闘ダメ、家事ダメ、と何をさせても役に立たないアルだが、マグと遊ばせておくには問題がないのが、せめてもの救いである。
 今日も一匹のマグを伴って、無事に家の中にまで連れ戻り、まずは一安心。
 アルがマグを遊ばせているのか、マグに遊ばれているのかはあえて問わず、レイヴンはこれから帰ってくる兄弟たちのため、補給用の燃料調合にとりかかった。

 この調合をあえて「料理」というならば、その光景は一般のヒューマン家庭と大差ない。
 オイルの缶や固形燃料のパック、混合するためのボウル、温めるためには鍋もある。
 あまり文句を言わずに摂取してくれるカルマとヴァンはいいのだが、気に食わないと摂ってくれないタイラント、スケアクロウ、駄々をこねるアル用のものには細心の注意が必要だ。

 六時過ぎ。
 カルマとタイラントが前後して戻ってきた。
「にーにゃー、おかえにー」
 ドアの開く音とアルの声でそれを知る。
 ただいま、の一言もなく、タイラントは台所の隅にドンッと荷物を置いて出て行く。朝に破壊した戸棚、言われたとおり買っては帰ってきたらしいが、ここに置くべきではない。それをあえてこうする兄の振る舞いに、レイヴンは溜め息をついた。
「手伝うか?」
 カルマがそう言って顔を覗かせる。これは毎日のことだ。そして、
「アルを見ていてください」
 とレイヴンが答えるのも。
 料理を手伝ってもらえるのもありがたいが、アルが何かしでかさないか、見張っていてもらったほうがいい。
 カルマもそれは分かっている。ただ、レイヴン一人に家事全部を任せて申し訳ない、という思いが絶えないのである。

 六時半。スケアクロウ帰宅。
 仏頂面を見て(分かる者には分かる)、実地試験の結果が思わしくないことを悟ったカルマは、迂闊なことを言って面倒を起こしたくもないと、そっとしておくことにした。
 むろん、彼の気遣いを台無しにする輩も、いる。
「どーだったにゃー?」
 と尋ねるアルは、単に無邪気なだけなのだが、
「うまくいってたらもう少しマシな顔で帰ってくるだろうよ」
 虫の居所がいまだに悪いらしいタイラントの言葉に、スケアがぴくりと反応する。
「満足のいく結果が出なかっただけです」
 そう一言残して、書斎に篭もってしまった。
 こうなると、「夕飯」には現れまい。

 七時少し前、ようやくヴァンが帰ってくる。趣味の悪い花瓶と、不経済に大きな時計を抱えていた。
 それを一瞥して、タイラントが鼻で笑う。
 これはまずいかな、とカルマが逃げ腰になった時、
「さっさと済ませてください」
 いつの間にかレイヴンが居間との境に立っていた。
 いつもどおりの、寒気がするほど穏やかな「笑顔」である。……この表現が適当かどうかはともかく。
 これに逆らう度胸のある者はそうそういない。なんにも分かっていないアルくらいのものだ。

 スケアのもとにも、毎度のごとくレイヴンが届けにいく。こういうことは自分の役割だと割り切っているのか、一度としてほかの誰かに、届けてくれ、と言ったことはない。
(俺が行ってトラブル起こすよりは、いいしな)
 言い訳である、カルマ。
 しばらくたつと、先に補給を終わらせたスケアが顔を出したが、
「先にシャワー使わせてもらいます。今日は疲れたんで、もう休みますから」
 レイヴンしか見ない。
 これは明日にも引きずりそうだな、と心配するのはカルマだけで、タイラントは「シカト」、ヴァンはアルの手伝いにかまけて無視。言うまでもないが、アルがそういったことに気づくはずもない。

 そして、事件は起こる。

 タイラントの後ろを通り抜けようとしたスケアの肘が、タイラントの背中に当たった。
 オイルが跳ねてボディに付着する。
 そのまま行き過ぎるスケアが、そのことに気づいていたかどうかは問題ではない。
「ごめんなさいの一言もないのか」
 タイラントに言われて、
「ああ、すみませんね」
 しれっと言い返す。これはおそらく、発端が故意であるか否かには、関係がない。
 タイラントはむっとしたようだが、そこで食って掛かるのは大人げないと分かるのか、あえて何も言わなかった。のだが……
「なに細かいことうるさく言ってんだよ。だから兄貴はガキだって言われるんだぜ」
 タイラント、ヴァンを睨む。
 ヴァン、タイラントを睨み返す。
(あああああ、なんでうちの奴等は喧嘩せずにいられないんだ)
 カルマ、頭を抱える。

 最悪の沈黙が一秒、二秒と続き、珍しく、タイラントが無言で椅子から立ち上がった。
 ここで喧嘩を始めれば、最終的にはレイヴンに怒鳴られ、破損した家具の弁償を言い渡されるのは明白である。ほぼ毎日のように繰り返すこと半年、少しは学習したものらしい。
 顔を合わせているから喧嘩にもなるのだ。
 しかし、六人で暮らすには狭すぎるこの家、部屋はダイニングキッチンを入れて四部屋しかない。
一、居間(兼寝室)。
二、書斎。
三、台所。
四、武器庫。
 おそらく、シャワーが終わったスケアは書斎に篭もるだろう。夕食が終われば、全員が居間に移動してくる。そのときにわざわざ場所を移すのも腹立たしい。
 となると、タイラントがヴァンの(そしてスケアの)顔を見ないようにするためには、行ける場所は一つしかない。

 武器の手入れでもしていれば、少しは頭も冷えるだろう。
 そう考えて武器庫に向かおうとするタイラント。
 だが、そういう大人の対応をされるとつまらないのがヴァンである。聞こえよがしに鼻で笑った。
 タイラントの性分からして、こういうのが最も頭にくる行為だったりする(自分ではやるんだが)。
 テーブルの上に残っていたオイル入りのグラスを掴むが早いか、ヴァンの顔目掛けてぶちまけた。

「うわっ! なっ、なにすんだよ!」
 顔を拭うのもそこそこに、ヴァンが勢いよく立ち上がる。
 足がテーブルにぶつかり、彼等の体重やパワーに比べては軽く脆すぎるテーブルは、呆気なく引っくり返った。
「あーっ、ごはん〜っ」
 アルが床に転がったグラスを拾おうとしたが、カルマはそれを捕まえて小脇に抱え、慌てて台所から離脱した。
「にーにゃん、ごはんまだ全部食べてにゃいよ〜」
「あとにしろ。今そこにいたら、こっちまで危ない」
「喧嘩にゃんていつものことにゃー?」

 たしかに、喧嘩はいつものことだ。
 だが、あそこで繰り広げられたことだけは、今まで一度もなかったのである。
 壊れ物も多く、そしてなんの悪意か、それらはたいがい、投げるのに手ごろなサイズに作られている。
 それよりなにより、台所というのは、一家の家事を担う者にとっては戦場であると同時に憩いの場でもあり、己の城でもある。
 カルマはアルお気に入りのナラカを連れてきて遊ばせつつ、断続的に続く破壊音と、それに混じる罵声を聞きながら、大事にならないことを必死で祈った。

 ふらーりと、台所から黒い影が出てくる。
 視界の端にそれを見たカルマは、駆動炉が凍りつくような予感を覚えた。
 喧嘩を止めるのはレイヴンの役目だが、そのレイヴンを宥めるのは自分の役目だ。
 分かりきっているが、動けない。
 武器庫に入っていくレイヴンを黙って見送り、友人から贈られた愛用のソウルバニッシュを手にして出てくる姿を、そのまま目撃した。
 属性、マシン60。
 エクストラアタックなら、ほとんどの敵を一撃で屠るという大鎌。
「にゃ? レイにーにゃん、今からお仕事かにゃ?」
 アルの呟きに、レイヴンは振り返り、にっこりと微笑んだ。
「すぐに済みますよ。そうしたら、一緒にお風呂にしましょう」
「わーい、にーにゃんとお風呂〜♪」

 カルマは迷った。
 命がけでも止めるべきか、それとも、止めても無駄だと割り切って修理の手配をするべきか。
 迷う間にレイヴンは台所に戻り……。
 カルマはアルを放り出して台所に飛び込んだ。
 今しも鎌を振り上げていたレイヴンに後ろから組み付き、渾身の力を振り絞る。
「よっ、よせ! 自分の兄弟を殺す気か!?」
 カルマの悲鳴で我に返ったタイラントとヴァンのヒートしきっていた回路は、一気にクールダウン完了した。
「死なない程度に手加減はします。放してください」
「い、いいから。いいからおまえは、アルを寝かしつけてくれ。あとは俺がちゃんと言い聞かせておくからっ。な? なっ??」
 うっすらと笑う弟に寒気を覚えたカルマは、半ば引きずるようにしてレイヴンを台所から連れ出し、アルの前に立たせると、自分は急いで引き返した。

「にーにゃん、もういいにゃ?」
 間もなく、スケアと入れ替わりにバスルームに入ったらしいことが音で分かった。
 カルマは魂まで吐き出しそうな溜め息をついた。
「……おまえたち、死にたくなかったら、ここでだけは暴れるんじゃない。それから、明日の朝までに掃除をして、壊したものは買いなおしてくるんだ」
「明日の朝までって、掃除はともかく、店なんかほとんど閉まってるじゃねえかよ!?」
「開いている店と、家具を譲ってくれそうな友人のところを走り回るのがいいか、それともあの鎌で首はねられるのがいいか、よく考えるんだな。俺も巻き添えをくって殺されたくはないからな。もう知らんぞ」
 カルマも台所をあとにした。

 背後では、どちらが掃除をするか、買い物に行くか揉めているようだ。
 次第に声高に言い争いはじめる。
「また喧嘩を始める気か?」
 カルマは声だけ、奥へと飛ばした。
 ぴたりと静まり返った台所から、やがてタイラントが現れて、玄関へと消えた。
 カルマは何故か、内燃機関が痛むのを覚えた。
(よくヒューマンが、胃が痛くなるとかなんとか言うが、これがそうか)
 腹部を押さえつつ、テレビの天気予報を眺める。
 明日は快晴のようだ。
 我が家にも青空が広がってほしいものだと、切に願わずにはいられない長兄であった。

つづく