木製の手桶、木綿の手拭い。 なんとなく温泉にきたなー、という気分のグッズを前に、三者三様の黒ロボたち。 「これなににゃ? ごはん入れるのかにゃ?」 アルは面白い玩具を見つけた時と同じように、じゃれついている。 スケアは、自分たちには似つかわしくない物品に不愉快げな顔をしてはいるが、内心は興味がないわけでもない。バカ正直に表返し裏返し、検分できるアルがひそかに羨ましかったりする。 カルマは、安らぎの象徴を前にして渋面(?)である。
「お膳の用意は七時頃ですから、それまで温泉にでもつかってきたらいかがです?」 アンドロイドに温泉。 別におかしなことではない。 その証拠に、レイキャシールたち五人組が、隣の部屋に泊まっている。 時折、甲高い笑い声が聞こえてくる。
「アル。いい加減にしないと、壊れるでしょう」 「でもー……」 「使い方が知りたいなら、一緒に来ますか」 「行くにゃ!」 「兄さん?」 「ん? あ、ああ」 「行かないんですか?」 「ん、ああ」 「……どっちなんですか」 「うん、そうだな」 聞いちゃいない。
スケアは呆れ果てて盛大に溜め息一つ。 「アル、二人で行きましょう」 「にーにゃんはー?」 「放っておけばいいんです」 「ふにゅ〜」 「ほら、それ持って」 「にゃーい」
スケアとアルが出て行く。 隣のレイキャシールたちの爆笑。 廊下を歩いていく誰かの足音。 仲居さんの張り切った声。 すべて聞き流し、カルマはどんどん怖くなっていく自分の想像に身震いした。 (俺が残ったほうが良かったんじゃないか……?)
そもそも彼等が何故温泉なんかにいるかというと、商店街の福引に当選してしまったからである。 いつもどおり買い物に出かけたレイヴンが、オイルショップのおばさんから大量に押し付けられた福引チケット。持って帰っても仕方がないと、買い物袋を片手に立ち寄った福引所。 買い物の金額からすると、本当は一回分だけのはずなのだが、ご近所および商店街のおばさまがたにやたらと人気の高い三男、四回も引くはめになった。 当てるつもりもないが、どうせなら三等のメンテナンスキットがいいな、などと思っていれば、当たってしまった一等賞。 三名様、温泉ご招待。 普通はペア(二名様)じゃないのか、というツッコミは入れてみたが、満面笑顔のおじさんに往復の航空チケットと宿泊券を手渡され、捨てるわけにもいかず持って帰ることになった。
兄弟一同、いったいどうしろというんだ、とチケットを取り囲んで居間で談義すること一時間。 行きたい、というヴァンとアル、面倒だというタイラントとスケア、どっちでもいいというカルマとレイヴンにきっぱり三等分だったのである。 それなら、行きたい二人を、どっちでもいい二人のうちのどちらかが連れて行けばいいのだが、チケットの有効期間中、ヴァンは運悪く仕事を入れてしまっていた。 二人目、三人目をどうするか、これが問題だった。 カルマとレイヴンが二人揃って家を空けてしまうのだけは、絶対に回避しなければならない。
「私は残るほうの補給管理もしなければなりませんから、ついていくのは兄さんにしてください」 とレイヴンが真っ当な理由で辞退。二人目はカルマに決定し、三人目は公平にくじ引きとなったのである。 タイラントとスケアがそれぞれにくじを引いて、当ててしまったのがスケアだった。 もっとも、スケアの本心としては温泉に興味もあったから、「仕方なく」行く口実ができるのは、悪くなかった。
そんなわけで決まった配分である。 カルマは真剣に考え込んでいる。 女中さんがやってきて、膳の用意をしてもいいかと問いかけたが、やはり上の空。 強者のおばちゃんは「OK」をもらったことにしてさっさと準備をすると、丁寧に頭を下げて去っていった。 やがてあがった二人が戻って、アルがほかほかの体でくっついてきても、カルマはやはり自分の世界に沈んだままだった。
同じ頃、黒ロボ家では―――。 温泉に行けなくて、仕事をすることになったヴァンは、ぶつぶつと口(?)の中で文句を言い続けている。 極めて小さな音というのは、聞こえない時は全く聞こえないが、聞こえてくるとなかなか離れてくれないものだ。 タイラントはイライラしどおしだった。 自分で仕事を入れておいて、たまたま「あんなくだらないもの」の期日が一緒だっただけだ。 悪いのはヴァン、「あんなくだらないもの」に行きたいという気も知れない。
だが、タイラントもバカではなかった。 もし今ここで喧嘩をふっかけてしまい、ヴァンが受けて立ち大喧嘩になったら、まず間違いなく、レイヴンが止めに来るだろう。今は急な仕事を引き受けて出かけているが、そろそろ戻ってきてもいいはずである。 最近どうも過激になっている弟は、手加減を知らない。 十日ほど前だったか、素晴らしい右フックを食らったヴァンの首は、180度回転しかけた。 むろん、喧嘩両成敗の精神でボディブローをもらったタイラントは、その後三日ほど、まともに「食事」ができなかった。
同じところにいないほうがいい。 それに、たまには家事を手伝ってやるのもいいかもしれない。 らしくもない仏心(?)を起こして、タイラントはキッチンに行こうとした。
ところで、独り言というものには、誰かが傍にいて口にしている場合、二通りある。 一.口にするつもりなどないのだが、知らず知らずのうちに呟いてしまっているだけ、というもの。 ニ.その誰かの反応を求めているもの。 言うまでもないが、ヴァンは今回、二番目だった。
少しは賢くなっていくタイラントと違い、いつまでたっても進歩がない。 そんなものをタイラントに期待するほうが間違いだと、いい加減に気付けばいいのに、 「なんだよ、無視するなよ」 行こうとするタイラントの背中に憮然と言い放つ。 最近「我慢」を覚えたタイラント、それでもやはり彼は彼だ。 せめて一言「たまには俺たちも家事の手伝いくらいしよう」と言えばいいものを、完全に無視してキッチンへと……。
不満が溜まっていたヴァンは、あっさりとキレた。 手近にあった雑誌をタイラントの背へと投げつける。 売られた喧嘩を買わずにいられるタイラントではない。 無言で振り返るが早いか、落ちた雑誌を拾い上げ、破り捨てた。 宣戦布告。 「ンだよそれ! まだ読んでねえんだぜ!?」 「捨てるんだろう。捨てるんでないなら、投げることもないからな」 「この……」 そして十分ほどした後には、武器を持ち出さないだけマシという乱闘になっていた。
壁がひび割れ、時には陥没し、戸棚のガラスは粉々、中のものは踏みつけられて大破、カルマ愛用の信楽焼の湯飲みも、アルの気に入っているラッピーマークのお皿も、スケアが数少ない友人から誕生日にもらった写真立ても。 そして、レイヴンがセーラから分けてもらった花も、花瓶ごと粉々のぐちゃぐちゃに……。
喧嘩は続く。 止める者がいないとこれほどひどくなるのかというほどに。 近所のおじさんおばさんニイちゃんネエちゃん、ちびっこからお年寄りまで、ガラスのなくなった窓から、たまに飛んでくる物体を避けつつ、屋内をうかがっていた。
そして帰ってくる三男が一人(二人いるはずはない)。 彼を見たご町内のかたがたは、そそくさと玄関への道をあける。 「どうも、毎日毎日ご迷惑おかけします。すぐに鎮めますから」 にっこりと笑いかける片手には、今の今まで仕事に使っていた鎌が一振り。 この騒ぎに気付くまでは、慌てて走ってでも戻ってきたのだろう。羽撃く翼のように開いたヴァラーハからは金色の光が放たれ、彼の身を包んだままだ。 レイヴンはそこから、いつもと変わりない落ち着いた足取りで玄関の前まで歩く。かすかに拳が震えていることに、気付いた者があったかどうか。 そしていきなり。 フォトンブラスト発動。 双子のミラージュがくるりと踊って、金色と、赤と青。混じり合う、目にも鮮やかな光の乱舞―――。
「葬儀屋の手配でもするか」 心配だから、と様子を見に来たジーンの隣で、勝手についてきたベータが十字をきった。 「馬鹿なことを言うておる場合か。止めねば冗談ではすまぬぞ」 「そうは言ってもなぁ。……どうやって止める?」 「それは―――、う、ぬぅ……」 「やっぱり葬儀屋の手配だな」 携帯端末から本当に葬儀屋をコールする情け容赦ないベータ、背後から 「あの、あそこのおうち、どうかしたんですか?」 柔らかな女の声がして振り返ると、そこに黒い救いの天使がいた。 「お? おまえなら止められるんじゃないか、あの暴走カラス」 「暴走……? カラスって、レイヴンさんですか?」 「ま、ま、いいからいいから」 ベータは状況を把握していないレイキャシール、セーラを引っ張って、半壊しつつある家屋に入っていった。
それから二日後。 すっかり憔悴しきったカルマと、いつもと変わりないスケア、アルたちが戻ってくると、我が家は何故か新築されていた。 傷一つない新品の調度品、まだ折り目の残っているカーテン、見たこともないお揃いのカップセット。真新しい家の中には、屍のように疲れきったタイラントとヴァン、いつもと全く変わりないレイヴンが待っていた。 「いったいどうしたんだ、これは……?」 問いかけながら、カルマはおおよその答えをもう知っている。 「壊した物は壊した者が買いなおす。そういう約束ですからね。例外はありません」 微笑むレイヴンの答えに、カルマは深く深くうなだれたのであった。
(つづく)
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