黒ロボ家の面々

「レイヴン」
 ある朝のことだった。
起きてくるなり、思案顔のカルマが、やけにあらたまった様子で三男を呼んだ。
 AM7:30、キッチンである。
「どうかしましたか?」
 手を動かしつつ、レイヴンが顔だけで振り返る。
「ずっと聞こうと思ってたんだけどな」
「はい?」
「俺の湯飲み、何処にしまったんだ?」

 ぴたりと、レイヴンは手を止めた。
「あの……兄さん」
「なんだ?」
「湯飲みって、あの桜模様の信楽焼のやつですよね?」
「ああ」
「……見なくなって、もう一週間以上たちますよね?」
「ああ」
「知ってて、諦めたんだと思ってたんですけど……」
「……え?」
「兄さんたちが温泉に行っている間の喧嘩で、割られてるんですよ」

(割られてる……?)
 割られてる。
 つまり、もうないということだ。
 それだけの事実をAIが処理するまでに、えらく時間がかかった。
 あの、渋い風合いの淡々とした中に、物言いたげな含みのある、美しい、小さな器。
「は……は、はは……。そ、そうか……。ま、まあ、仕方ない、な、うん。……そうか。割れたのか……」
 虚ろな笑いを残して、カルマはふらふらと立ち上がり、鴨居に頭をぶつけつつ台所を出て行った。

 それからというもの、カルマのしょぼくれた様子は見るも憐れだった。
 たしかに高価ではあったが、いわくのある品ではない。ないが、それにも関わらず気に入って大切にし、オイルが染み付くと洗うのが大変だというレイヴンに無理を言ってまで愛用していた物だ。
 それも「死に目」に会えないままお別れしたものだから、なくなってしまった、という事実が今一つ信じられない。
 戸棚の中にその姿を目で探しては、そういえばなくなったんだな、などと再認し、そのたびに落ち込みなおす始末である。

 さすがにその有り様は誰が見ても、何かあったな、と分かるものだった。
「元気にゃいにゃ〜。どーしたにゃ〜?」
 アルがうろうろとまとわりついてくるのに、「なんでもない」と返す言葉も力なく、笑いも乾ききっている。
 こうなると、いかに普段が傍若無人であろうとも、タイラントたちも心配になってくる。
 結果、事情を把握しているらしいレイヴンを捕まえて、カルマ抜きでの家族会議となった。

 カルマが眠り込んだ後で、こそこそと書斎に集まってくる次男以下。
 どうしたんだと尋ねる兄一人弟三人に、レイヴンは溜め息混じりに答える。
「湯飲みのせいですよ。あの時に壊したでしょう」
 あの時―――。
 タイラントとヴァンの頭の中には、首もと一寸でセーラの声により止められた大鎌の恐怖が蘇った。
 思わず身震いする二人に構わず、レイヴンは何事もなかったかのように続ける。
「まさかこう何日も引きずるとは思いませんでしたが」
「で、でもよ、あれって、もう二週間くらい前だろ? カルマ兄貴がおかしくなったのって、三日ほど前からだぜ?」
「気付いてなかったんですよ。認めたくなくて、気付かないことにしていたのかもしれませんが……」

「湯飲み一つで大袈裟な。くだら……」
 言いかけたタイラント、じろりとレイヴンに睨まれて咳払い一つ。
「いずれは思い切りもつくでしょうけど、しばらくはこの調子でしょうね。少しは悪いと思うのなら、家の中で喧嘩はしないようにしてください。いいですね」
 最後を小言で締めくくって、レイヴンが出て行った。
 それに続いて、ぞろぞろと居間(寝室)に戻る四人。
 思いもそれぞれに―――。

 翌夕方。
 ベータに頼まれて仕入れの手伝いに行っていたカルマが戻ってきた。
「ったく。こっちはおまえをアテにしてんだぜ」
 玄関先から、ベータの苛立った声が聞こえてくる。
 一人で留守番していたスケアは、なんとなく耳をそばだてた。
「調子が悪いんだったら、できないならできない、無理なら無理って断ってくれよ。おまえはなんだって嫌な顔しないで引き受けてくれるけどな、人がいいのにも限度ってもんがあるだろう」
「あ、ああ……悪い」
「こうなっちまうと、おまえの言うOK、何処まで信じていいのか分からなくなる。だいたい、イエスとしか言わない奴のイエスってのは、信用ならないんだ」
「……すまん」

(そんな言い方しなくても……)
 思うが、わざわざ玄関にまで出て行って口を挟めるスケアではない。
「おまえ一人のことじゃないんだ。おまえのこと信じて戦ってる俺たちまで、巻き込まれるんだよ」
「ベータ。よさぬか。大事には到らなんだのだ。我ももうなんともな……」
「おまえは黙ってろ。いいか、カルマ。おまえが無茶やるのは勝手だ。勝手だがな、俺はおまえのぶっ壊れるとこなんざ見たかないんだ。―――それが分かったら、無理な時には無理だって言ってくれ」

(いつも兄さんのことをアテにしてるくせに、勝手な人だな。そういうこと、察してあげるのが友人ってものだろうに)
 ベータが(どうやら毎度のごとくジーンも一緒のようだが)出て行く気配がする。
「ただいま」
 それからあらためてカルマの声がした。
 会話から事情は察していたが、いくらか怪我をしているようだ。スケアは黙って救急箱を取りにいった。
(そんなにあの湯飲み、気に入ってたのか……。……代わりの買ってきたら、喜んでくれるのかな……。でも、湯飲みならどんなのでもいいってわけじゃないだろうし、いらないって言われたら嫌だし……)

「すまんな」
「無理はしないでください。僕らと違って旧型だし、装甲弱いんですから」
「あ、ああ。そうだな」
 言うだけ言って、スケアは自己嫌悪に陥った。
 「無理しないでください」で止められない自分が、一瞬、心底嫌になった。
 黙々と薬を塗りこみ、補修プラスターを貼り付ける。
(……湯飲み、買ってこようかな。でも、どうやって渡せばいいんだろう)

「たぁだいまー」
 黙考する耳に、ヴァンの声。
「あー、疲れた。レイ兄。飯、先食っちゃダメ?」
「レイヴン兄さんなら、まだ戻ってきてませんよ。一度帰ってから、足りないものがあるとかで、また買い物に出かけましたから」
「腹減ったなー……」
「自分で作ったらどうですか。作れるなら、ですけれど」
「うるせえよ。なんだっておまえ、一言多いんだよ」
「性分ですから」
 ふん、とヴァンはそっぽを向き、愛用のカラドボルグと、戦利品らしい品の入ったバッグを持って、武器庫へと入っていった。

 やがてタイラントも戻り、間もなくしてレイヴンが買い物から帰ってくる。相変わらず商店街でオマケ攻撃に遭ってきたのか、荷物が腕一杯になっていた。
「遅くなりましたね。すぐに作りますから」
「あー、レイ兄〜! 俺腹減って仕方ないからさー、先にオイルだけでもー」
 武器庫から、ヴァンの声が飛んでくる。
「はいはい。じゃあ、みんなの分もオイルだけ先に出しますね」
 エプロンをつけて台所に立つレイヴンと、生返事をしているカルマを眺めつつ、スケアはもう一度考える。
 明日にでも代わりの湯飲みを買いに行こう、と。
 壊したのは自分ではないが、とにかく、こんな情けないカルマの姿は見ていたくない。
(だいたい今日だって、無事だったから良かったけど、危なかったみたいだし)
 そうしよう、と決意する。
 何処に売っていたか思い出そうとしていると、ヴァンが武器庫から出てくるのが目の端に見えた。

 彼はカルマの前に行き、
「兄貴。これ」
 茶色の箱を差し出した。
 シンプルな褐色の包装をした、片手に乗る程度の小さな箱。
「その、一応同じの探してみたんだけど、見つかんなくってさ。これじゃ代わりになんねえかもしんねえけど……」
「ヴァン……。これ、ひょっとして」
「あっ、開けんなよ!」
 開けるな、というヴァンの前で、カルマは包装を取り払い、箱を開いていた。
 中から出てきたのは、素焼きの湯飲みだった。

 「あれ」に似ているのは色と形だけで、模様も違うし、風情が感じられるほどの深みはない。だが、似ている物を探そうとしたことだけは、よく分かる品だった。
「これ……」
「用意できましたよ。そっちに持っていきますか?」
「え? あ、ああ。そうだな」
 レイヴンの声に返事だけ返しながら、カルマはじっと湯飲みを見つめている。
「やっぱ気に入らねえかな……?」
「……い、いや」
「あれ? それ、ヴァンも買ってきたんですか? せっかく驚かせようと思ったのに、先を越されてしまいましたね」

「え?」
 レイヴンが持ってきたトレイには、金属製のカップに混じって、見慣れぬ湯のみが一つ乗っていた。
「そ、それ、レイ兄が……?」
「九谷焼のいいのがあったんで、どうかと思って」
 色も大きさも違えども、シンプルな中に静かな趣のある逸品だった。
「伊万里とどちらがいいか悩んだんですが、兄さん、落ち着いたもののほうが好きでしょう」
「おまえたち……」
 カルマの声は微かに震えていた。
「お、俺は、だって、壊したの俺だし、その……」
「兄さんが落ち込んでいるところなんて、見ていたくありませんからね。気に入ってもらえるといいんですが」
「……ありがとう。二つとも、大事にする」
 こうしてカルマの手元には、新たな「大切な湯のみ」が戻った。

 スケアは考え直す。
 明日になって渡すのは、いかにも体裁を取り繕っただけのようじゃないか、と。
 こんなことなら悩んでいないで行動してしまえば良かったと思ったが、後悔先に立たず、である。
 ほのぼのしている三人を遠巻きに眺めながら、そんなことにまるで興味もないようにむっつりしているタイラントに気付き、自分は彼と同類なのかと落ち込んでみたりした。

「ところで、アルはまだ帰ってきてないんですか?」
「え? レイ兄と一緒だったんじゃないの?」
「いえ。今日は用事があるとか言って、保育園にはついてこなかったんです。遅くなるまでに帰りなさいとは言ったんですが」
「また迷子にでもなってんのかな」
「探しに行くか」
 すっかり立ち直ったカルマ、声音にも覇気が戻っている。
 ますます落ち込むスケアは、ついていくとも言えずに、一人黙々とオイルを流し込む。
「それぞれ行きそうなところに分かれましょう。行き違いになるといけませんから、タイ兄さんとスケアは、ここで待機しててください。もし戻ってきたら、端末に連絡を」
「分かってます、いちいち言われなくても」
「それならいいんです。じゃあカルマ兄さん、ヴァン、行きましょうか」

 レイヴンにそのつもりはなかったのだろうが、気遣い組と無神経組に分けられたような気がして、スケアは情けなくなってきた。
 一言も口をきかないタイラントと共に取り残されると、自己嫌悪はますます深くなる。
 この状況をタイラントはどう思っているのかと思ったが、それを問えるスケアでもない。二人して、際限のない沈黙に包まれる。
 その居たたまれない静けさを破ったのは、ドアの開く音だった。

「たにゃいま……」
(アル!)
 スケアが玄関に飛んでいく。と、そこには、あちこちに怪我をしたアルが半ば泣きべそをかきながら立っていた。
「何をしてたんです。こんなに遅くまで」
「う〜……」
「いいから、入りなさい」
 居間へと連れて行くと、丁度タイラントがカルマたちに連絡を入れているところだった。

 三分もしないうちにカルマ、レイヴン、ヴァンが戻ってきて、アルを見て驚く。
「用事ってなんだったんだよ。こんなに怪我して……。それとも、どっかでいじめられたのか?」
 だったら仇をとってやる、と言わんばかりのヴァン。
 すると、アルはずっと握り締めていた右手を少し持ち上げた。
「おかね……」
「お金?」
「おかね、ほしかったのにゃ……」
「欲しい物があるなら、私かカルマ兄さんに言いなさいと言ってるでしょう」
「だって……、にーにゃんに新しいの……」
「え?」
「買ってあげたかったのにゃ……。でも、いっしょーけんめー頑張ったけど……、こんだけしか、おかね……」
 アルの右手からカルマの手の中へ、じゃらじゃらと落ちてきたのは、小銭ばかりでおよそ500メセタ。
 この時代、実用性がなく、完全に趣味のものとして作られている「伝統工芸品」を買うには、少なくともこの十倍は必要で……。

「にゃぅ〜……」
 泣き出した(らしい)アルに、レイヴンはせっせと薬を塗ってやり、カルマはいじらしさに耐えかねて、頭を撫でてらずにはいられなくなった。
 ちなみに涙もろい長兄、もらい泣きしそうになるのを必死にこらえている。
「ほら。これは自分で使え。俺はその気持ちだけで充分だから」
「でも……」
「じゃあ、明日一緒に買い物に行こうぜ。俺、仕事ないしさ。これで買えるやつ、なんでもいいから、一緒に探そう。な? そうしようぜ」
「うん……」

 ほんわか組が正視に耐えず、タイラントとスケアはほとんど同時に立ち上がった。
 かち合って一瞬動きが止まり、タイラントは武器庫へと消えた。
 スケアは書斎へ。
 ドアを閉めてもたれかかり、うなだれる。
(これじゃあ、まるで僕がなんとも思ってないみたいじゃないか)
 カルマの憂鬱は晴れたが、今度はスケアがだんだんと憂鬱になる番だった。

 翌朝―――。
 鬱々とテーブルにつくスケアには、いつもと全く変わりない他の兄弟たちが、やけに眩しく見えた。
 直情型の兄弟たちの中で、どうしても感情を行動に出せない自分だけ、違うモノのような気がしてブルーになる。
 あれこれとよく気が付くレイヴンが、自分の様子については一言も口にしないのが、鬱に拍車をかけていた。
(僕のことなんて、どうでもいいのかな。だから、冷たいとも思ってなくて、どうでもいいのかもな……)
 人生も思考も、様々な坂道で構成されていて、一度転がり始めると勢いがつき、何処までも落ちていくし、ハイにもなる。
 手元だけを見て、他は何も目に入っていなかったスケアは、突然隣のタイラントが立ち上がったことで我に返った。

 彼のかけていた椅子が、派手な音を立てて倒れる。
 どうしたのかと、ぼんやりとした頭で景色を見ると、カルマの前に、また一つ見知らぬ湯飲みがあった。
「これは?」
 カルマが訝しげにそれを取り上げる。
「俺が買ってきたのでもないし、レイ兄のでもないよな?」
 カルマの持っているそれは、薄い青の中に白く、雲に見立てたかのような筋の入った、美事な品だった。
「私が気付かないとでも思ったんですか?」
 レイヴンはタイラントを見て、少し笑った。
「どうせ兄さんのことですから、買ってきたのはいいものの渡す口実が見つからなくて、諦めたんでしょう。でも、だからって湯飲みを武器庫に置いたりすれば、余計に目立ちますよ。隠したつもりでも、ね」
「行ってくる!」
 怒鳴るように言い捨てて、タイラントは足に引っかかった椅子を蹴り飛ばし、出て行った。

「仕方ありませんね。兄さんの心遣いに免じて、この椅子は私が買ってきましょう」
 折れた椅子の足を拾い上げて、レイヴンは軽く肩を竦めた。
「それから、スケア。こういうことに、出遅れたも何もないんですよ。何かしてあげたいと思ったのなら、今日、ヴァンとアルと一緒に行ってらっしゃい」
「ぼ、僕は……!」
「なんですか?」
「僕は、そんなつもり」
「あったんでしょう?」
 笑いかけられて、スケアは言葉をなくした。
 頷くしかなかった。
 そしてふと、
(この家の中でレイヴン兄さんに適うのって、もう誰もいないんじゃ……)
 と思うスケアであったとさ。


つづく