黒ロボ家の始点

 ラグオル・クライシス。
 かつて星を覆っていた暗雲。
 勝ち得た平穏のありがたみを忘れないため、と半壊したまま残された第一セントラルドーム。
 その高台からは、間近にそれが見えた。

 ゲートを抜ければすぐそこに、正面入り口がある。
 今もそこは開かないが、時折訪れる者たちが置いていく花で飾られている。
 平和の風が吹き抜けていく。
 見上げると、空は青く、雲は白く、緑色の蝶が、つがいだろうか、戯れるように飛んでいく。
 レイヴンは日差しの場所に手を翳し、金属質の指に反射する光に、光度センサーの出力をしぼった。
 グレーがかった世界の中でも、やはり陽光は眩い。

 手に入れた故郷。
 これから生きる場所。
 何事もなく、ただ平穏に。
 戦うために作られ生まれてきたとは言え、戦いに没頭するわけにはいかない彼にとって、穏やかな時の流れと、優しい命に溢れた空間は、何にも替えがたい重要なものだった。
 そしてこの高台は、思い出の場所。
 全ての、本当のあたたかさの、始まった場所なのだ。
 淡々と降りしきっていた氷雨がやんで、不意に顔を覗かせた太陽のような、あるいは、冬に混じった春の風のような。

 ゲートの近くに立って、テレポーターを振り返る。
 見えている光景に、記憶回路から呼び出した映像がぴたりと重なる。

 あの時、誰かが自分たちを追うような形で近づいてきていることには、ずいぶん前から気付いていた。
 その誰か、三人の者が、すぐ間近に来ていることも。
 だが、待とうという気はなかった。
 あらかじめ三人から四人のチームに分けられていたのだし、それがたとえその時、自分たちは二人になっていたとしても、わざわざ別のチームと合流する気はなかった。
 この高台を縄張りにしていた原生生物を倒し、爆発の余波でかガタついたゲートをユーサムが修復していた、その時だった。

 テレポーターが作動して「彼」がそこに現れた。
 個体識別用のパルスがアクティブ受信され、「彼」が自分と同じパルスを持っていることを知った時、頭の中に出てきた言葉は、ただ一つ。
(「兄さん」……)
 そんなふうに呼べるどんな絆もないことは承知していたが、「自分となんらかの繋がりのある者」、自分のモデルとなって存在している「前身」、「試作機体」のことは、自分より先に生まれた「兄」だと、思いたかった。
 思おうとして、思い続けていた。
 そんな勝手な思い込みは、最初はひどく疎んじられていたが、やがて「彼」もそれを許してくれるようになった。

 そして、「アノ時」。

 「アノ時」、記憶はないが、記録が残っている。
 それまでずっと、嫌うことはなくとも、「兄」という認識のされかたに困惑しているようだった「彼」が、初めて叫んだ。
「あれは俺の弟だ!」
 そして、その時から本当に「兄弟」になったのだと思った。

 そんな出来事は、他のどの兄弟たちとも持ってはいない。
 当たり前のように受け入れてくれたカルマの優しさには、どれほどほっとしたかも知れないし、最初から「弟」として作られたヴァンやスケアの、プログラムに支えられたほどの確かさは、「彼」との間にはない。
 無邪気に「兄弟」という関係を受け入れて慕ってくれるアルほどの、素直さもない。
 だが、不安という嵐に揺さぶられ続けた中、掴み取ってきたような手応えが、「彼」との間には存在している。
 傷ついた分、傷つけた分、手に入れたその絆は、今も特別なものだ。

 全てはここから始まった。
 この場所で「ロア」に会った時から始まった。
 兄だと思いたかった彼に出会ったここから、始まった。
 だから今、ここに戻ってきた。

 セントラルドームを振り返り、崩れ落ちた屋根を見上げる。
 ここで出会い、歩きはじめた。
 平和を手に入れた時、一緒に暮らして欲しいと言ったのはレイヴンだった。
 カルマは即座にOKしてくれたが、タイラントは渋った。
 照れているというのではなく、そうすることの無意味さに困っているようだった。
 それでも頼み込むと、渋々ながら引き受けてくれた。
 共に暮らすことも無意味だが、離れて暮らすことにも取り立てて意味はない。そんな了承の仕方だった。
 それでも、二人の兄と共に過ごす時間は満たされていた。
 レイヴンの他愛ない呟きを真に受けて、ケインとシータがそれぞれに弟を作り出してくれ、そこにアルが転がり込んできて、賑やかになった。

 だが、その結果は。
 コミュニケーションと言えるレベルかどうか。
 何より、そんなふうに毎日繰り返されるいさかいと、それを止めるための茶番に、真実嫌気がさしてきてはいないか。
 「日常」から離れて考えたくなり、家を出てきてしまったが、今頃どうなっているのかと不安は尽きない。
 それでも、答えを出すまでは、帰っても同じことの繰り返しにしかならないような気がした。

(……!?)
 沈み込む感情の片隅に、急激な変化情報が走る。
 体内レーダーに、先刻からずっと映っていた四人組の反応が、突然慌しく乱れていた。
 そこに、大型生命体の反応が出現している。
(ヒルデベア……!? いや、これは、まさか新型の!?)
 ヒルデベアの亜種として、ヒルデルトと名付けられた大型生物が、未開発のエリアで確認されている。
 だがこの辺りにはいなかったはずだ。
 確認は、行ってからすればいい。今は、それどころではない。

 レイヴンは念のためにと持ってきたソウルバニッシュのデータを解凍し、物質化するや、それを手に、テレポーターを無視して高台から飛び降りた。
 体重と着地の衝撃で地面がめくれ上がるが、構わず駆け出す。
 そこに、凄まじい悲鳴が聞こえた。

 相手がもし本当にヒルデルトならば、まともに戦ってもダメージは見込めない。
 バーサークプログラムを発動する。
 駆けつけたそこにいたのは、巨大な角を戴冠するように頂いた、ヒルデベアよりも更にニ周りは巨大な生物だった。
 一度だけ、開発事業団に雇われて護衛したおり、遭遇したことがある。
 その時は、無駄に戦うよりは、とやり過ごしたが、今はそれが叶う状況ではない。

「逃げてください!」
 襲われているのは、訓練に訪れたらしい新米ヒューマーが三人と、教官らしい男だった。
 だが、既に一人の少年は骸と化している。
 鎌に組み込まれたプログラムが、持ち主からエネルギーを吸い上げる。
 人間よりも純粋な状態のエネルギーで動くアンドロイドの場合、その効果も絶大だが、反動も激しい。
 一振りで、エネルギー残量を警告する体内アラームが作動した。
 だが、背を切り裂かれながら、ヒルデルトは倒れない。
 飛んでくる拳を転がってかわす。
(脚か!)
 トドメをさせないなら、追って来れないように動きを封じるのが最良の手段である。
 片足を切り飛ばすつもりで、もう一度プログラムを発動させた。

 だが、肉の半ばまで食い込んだきり、鎌は動かなくなった。
 切り裂かれた激痛でか、収縮した筋肉に挟まれて引き戻すこともままならない。
 怒りにぎらついた目が自分を見たことに気付き、レイヴンは鎌を手放して横に飛びのいた。
 爪先をかする圧力に慄きながらも、地面を数度転がって態勢を整える。
「早く逃げて!」
 まだもたもたと残っている教官と生き残りに怒鳴る。

 ヒルデルトの怒りは今、自分一人に向いている。
 レイヴンはたったニ振りでレッドゾーンに入った体力を振り絞って、手近なゲートを目指した。
 この辺りの地理は完全に把握している。
 この広大な区域の向こうには、頑丈なゲートに囲まれた広場がある。
 そこに閉じ込めれば、時間は稼げるはずだ。
 追ってきていることを確かめながら移動し、誘い込む。
 その背に、突然正体の知れないショックが走った。
「ツあっ!?」
 体の自由が奪われ、地面に転倒する。
 電撃。
 ヒルデルトは、電撃を放つというのだろうか。
 確認のため振り返ろうにも、尽きかけたエネルギー炉を焦がした電流が、機器を狂わせている。
 正常化が間に合わない。

 今が「いつか」なのだと思った。
 いつか、壊れる時が来る。
 その「いつか」は決して疎ましいものではない。
 だから、「死」そのものを恐ろしいとは思わない。
 そもそも「死」を恐れるようには作られていないプログラム。
 ただ、友人たちに会えなくなることを思うと、まだ少し生きていたかった。
 せめて兄弟たちに、勝手に家を出て行って半月近くも帰らなかったことを詫びるくらいの時は、欲しいと思った。

 ヒルデルトの影がさした、その瞬間。
 銃声が轟いた。
 だが、その時にはヒルデルトは振り返っていた。
 着弾と銃声との間隔が長い。
 これは、少なくとも1キロメートル以上離れた場所から撃たれたものだ。
 一発、二発、三発と続け様に、全てが、暴れるヒルデルトの脳天、同じ箇所にヒットする。
 神懸りの正確さ。

(え……、ジーンさん?)
 こんなことができる男を、他には知らない。
 その隙に制御機能の正常化が終わる。
 今は、考えている時ではない。
 データバッグからトリメイトを直接体内にデータ還元し、それでせめて半ばほどまでエネルギーを充填させる。
 そのまま、渾身の力でヒルデルトの脚から鎌を奪い返した。
 彼方からの弾丸が作った、脳天の傷口。
「ハアアアアッ!!」
 レイヴンは鎌の切っ先を、その小さな傷目掛けて振り下ろした。

 疲労と安堵で、しばらく動けなかった。ゲートに背を預けて地面に座り、久々に酷使した関節の軋みに耐える。
 そこにジーンと、何故かタイラントが現れたが、レイヴンは驚かなかった。
 驚くほどの余力はなかった。
「相変わらず無茶をしおる」
「ジーンさん。どうして」
「タイラントに頼まれておったゆえな」
「何故……?」
「おまえがこいつのところに転がり込んでることくらい、すぐに分かった」
「何故」
「いきなり転がり込んで、しばらく置いてくれ、だとか、そんな我が儘を押し通せる相手は限られているだろう。その中で一番口が堅く、秘密を洩らさないのはこいつだからな。だから、俺がおまえの居所に気付いていたことも、おまえには全く洩れなかっただろう」
「あ……」

 つまり、タイラントはずいぶんと前から、ジーンに渡りをつけていた、ということだ。
 そしてジーンは、レイヴンのことを他の誰にも言わない代わりに、タイラントのこともまた、レイヴンには言わなかった。
 そして、今ここでこうして、何処かも知れない彼方から援護射撃をしてきたということは。
 そして、二人揃ってここに来たということは。
「……兄さん……」
 タイラントとジーンは、ずっと自分の動向を見守っていた、ということだ。
 アンドロイドのレーダーや視覚センサーすら届かない遠方からでも、ジーンの目にならば見える。
 何事もないように、という配慮だろう。

「第一セントラルドーム周辺の森林公園で、ヒルデルトが目撃されたという報告があることを聞いてな。追ってきたのだ。大事に到らずに済んで何よりだ」
 言いながら、ジーンがレスタを放つ。
「……すみません」
「まったくだ。情報収集を怠るからこうなる」
「タイラント」
 冷淡に言い放つタイラントへ、ジーンが咎めるように名を呼ぶ。
「事実だ。何を悩もうがおまえの勝手だがな、それで当たり前のこともできなくなるなら、とっとと悩むのはやめにしろ」
 やめろといわれてやめられるなら、そもそも悩まないものだ。

「レイヴン、悩んでいる暇はないんだ。ジーン。あれを見せてやれ」
「承知した」
 答えないレイヴンに、タイラントはジーンを促し、彼に文書データをPPCから空中映写させた。
 送信元は、ラグオル統御機構。
 総督府と政府が合併して生まれた、現在のラグオルにおける最高政治機関である。
「先刻送られてきたものだ。ダークファルスの影響を受けた生物の一部が、別の進化系統をとって増殖していたものらしい。おぬしらにも、これと同じものが届いているはずだ」
「たぶんうちに届いてるんだろうがな。分かっただろう、レイヴン。あれこれ悩んでいる暇などない。こいつらを片付けないことにはな」
 映像としてとらえられた、異形の生物。
 次々と映し出される何種類かの生物映像を見ながら、レイヴンはタイラントの手を借りて立ち上がった。

 平穏に見えた世界の中で静かに進行していた病。
 それを象徴するかのように、公園の中に撒き散らされた血、転がる二つの屍。
 もう間もなく、逃げていった教官と生徒たちからの報告を受けて、調査部隊が来るだろう。
 レイヴンは、この事態の前では些事になってしまう自分の物思いについて考えた。
 そして、そのことの意味を。

 真剣に悩んでもいいはずの、決して小さくはない問題を、それでも些事に貶めてしまう脅威。
 何より先に排除するべきなのは、平和を脅かす危機。
 悩みの答えは、今出してももう意味はない。
 おそらく今回召喚を受けるのはラグオル・クライシスの中で相応の働きをした者たちだけのはずだ。
 カルマ、タイラントと自分は呼ばれるが、大きな戦績がなく、実戦経験の乏しいヴァンたちは残される。
 その中で自分たちが何を思い、彼等が何を思うかは、分からない。
 それが明らかになれば、出るはずの答えも変わるだろう。
 今は、思う時ではない。
 動く時だ。

「帰りましょう。召喚文書のデータをとってこないと」
「ああ。……俺も出てきた立場上、帰りづらくはあるが」
「え? 兄さんも、ですか?」
「まあ、な……」
「……それって、ものすごくまずくありません?」
「かもな」
 沈黙した兄弟の間に、
「カルマがベータに泣きついておったぞ」
 ジーンが小さく呟く。
「少しは奴等も考えればいいんだ。だいたい……」
 荒っぽく言い捨てて、タイラントはそこで慌てて言葉を切った。

 珍しく、ジーンが口元を緩ませて笑う。
「言うなよ!」
 すかさずタイラントが怒鳴りつける。
 どうやら、そこから先に続くはずの言葉を、ジーンには聞かせてあるらしい。
 レイヴンがジーンを見ると、彼は何か言おうと口を開いたが、それをタイラントの手が押さえつけた。
「乱暴だな。聞かせてやろうと構うまいが」
「構う。俺は構う。だから言うな」
「そうまで隠されると気になりますけど」
「いいから忘れろ! 抹消しろ! それより、帰るんだろう!?」
 言うだけ言って、タイラントは先に歩き出した。

 仕方なくレイヴンは後からついていく。
 隣のジーンを窺うが、答える気はないのか、もういつもと変わりなくなっている。
 だが、その時急に、レイヴンの端末にメールが入った。
 カルマたちからの通信を断つため、パスワードが設定されている端末である。そのパスワードを知っているのは、ジーンだけのはずだ。
 見やると、ほんの少し微笑んだ口元に、ジーンは指を一本立てて見せた。
 タイラントに気付かれないよう、こっそりとメールを開く。
『おぬしらが何を経て今ここに在るか、知っておればこそ我には分かるし、それゆえ我を相手に愚痴など零したようだが、「だいたい、俺があんなに苦労して"弟"にしたのに、簡単に手に入れておいて、そのありがたみも分からないで、」と言っておった。今も、そう言いかけたのであろうな』

「……どうして、教えてくれるんですか? 貴方は、言うなと言われたことは、言わない人だと思ってましたが」
「言ってはおらぬであろう。書いて、送っただけだ」
「それにしても、いつの間にこんなもの書いて……?」
「おい、なにもたもたしてるんだ」
 いつの間にか距離の開いた先から、タイラントの声がした。


(おわり そしてつづく