「無事に戻ってこいよ」
 とん、とレイヴンの肩を叩いて、ユーサムは転送装置に入った。
 はい、と答える間もなくその姿は光の中に消える。
 マンならば溜め息になったろうが、アンドロイドに呼吸機能は存在しない。言いかけた言葉はただ回路を遮断され、消えた。

 新型エネミーの繁殖が確認され、二ヶ月。
 それは、かつてラグオル・クライシスを戦い抜いた映え抜きのハンターズたちが、最前線に送られてからの時間でもある。
 苛酷極まりない時間だった。
 パイオニア2が持ち込んだ通常の武装ではまるで歯が立たず、これまでの武装規制を解除したところで、限られた資材からはろくな武器・防具が作られるわけもない。

 全ては、歴戦のハンターズたちの「経験」と「技術」にかかっていた。
 だがそれで補うにも限度はあった。
 毎日のように何人とない仲間が死に、最初は補充されていた人員も、ここしばらくは完全に供給がストップしている。
 いかにこれが名を上げるチャンスであろうと、それは生き残れればの話だ。
 いい加減、最前線の苛酷さはシティの住民たちにも知れ渡っている。名乗り出る無謀なハンターズたちが、そういるはずもなかった。

 レイヴンはC−8と分類された地区に送られていた。
 大型エネミーの多い区域で、一瞬の油断、たった一撃で、いくつもの命が消えていく。
 今日も三人、共に行動してきたハンターズたちが帰らぬ人となった。
 その犠牲を払って確保した安全地帯に、中継基地に通じる転送装置を置いたのが夕刻。
 ここを新たな中継点とするための基地建設が開始され、同時に物資の補充と、人員の入れ替えが行われた。
 ユーサムは、特に破損がひどいわけではなかったが、帰還を選んだ。

「ワシはもうポンコツだからな。メンテにも手間を食うし、そろそろついていけん。小手先の技術でどうこうするのは、もうこの辺が限界だ」
 彼はそう言っていたし、その理由を作戦本部は受諾した。
 だが、それは事実ではあれど、帰還を選んだ理由の全てではないとレイヴンには分かっていた。
 目の前で死んでいく仲間を見ることに耐えられなくなったのだろう。
 助けられたかもしれない、と悔やみ続けるのに疲れたのだろう。
 恐怖や悲哀に心を奪われる、弱い者から死んできた。
 そんな重苦しく冷たい場所に、いったいどうしてとどまってくれると言えるだろう。
 止める言葉など、言えなかった。

「……二人になりましたね」
 帰還組を見送って野営地に戻り、ジーンの前に腰を下ろしながらレイヴンが言うと、彼はただ頷いた。
 最初は四人のチームだった。レイヴンと、ジーンと、ユーサムと、エルというフォニュエールがいた。
 今日死んでいった仲間の一人が、エルだった。
 まだ二十歳にもならないニューマンの娘。
 ユーサムはその瞬間、すぐ傍にいて、にも関わらず守れなかったことを悔やんでいた。
 ずいぶん前からこの戦場の凄惨さにはつらい思いをしていたユーサムにとって、それは大きすぎるほどの切っ掛けだった。
 優しい人からいなくなる。
 残っている者たちはいかに「人間」らしくないか、日ごと見せ付けられるような金属的な無感覚の戦場。
 誰も一言も喋らない沈黙の中、遠くから、新たな中継基地を建設する音が聞こえてくる。

 無駄なエネルギーを使うことのできない今、闇夜を阻むのは原始的な炎の明かりだった。
 二つ程度のチームが一組になり、基地建設地の四方に配備されていた。
 レイヴンとジーンと同じ炎の傍にうずくまっているのは、壮年のヒューマーといかついレイキャスト、小柄なハニュエール。
 彼等もたしか、スタートした時には四人のチームだった。
 だが途中でヒューキャストが一人、原型をとどめない有り様で大破し、補充されてきたフォマールも、十日ほど前に。
 ゆらゆらと揺れる炎の明かりを受けながら、黒いボディのレイキャストは黙々と銃器の手入れをしている。
 ハニュエールは少し離れた木立にもたれ、目を閉じていた。
 老いにさしかかったヒューマーは、じっと炎を見つめている。
 その瞳が揺れているのは、炎の揺らめきのせいだけではないようだが、誰も何も言わなかった。
 帰りうるチャンスにあえて残った今、もう言えることなど何もないのだ。
 帰れば良かったと悔やんでいるならば尚更。

 ジーンは、PPCを見ていた。
 表情を変えることもないが、変化しないはずのアンドロイドの表情を読み取ることに長けたレイヴンには、彼の僅かな感情の変化も、そう分かりづらいものではなかった。
「またですか」
 つい声が和らぐ。
 無言だが、口元に浮かぶ小さな笑みが、ジーンの答えだった。

「今日はなんて?」
「原生種の花が咲いている丘があったそうだ。……これを見ておると、ベータには作家も向いていると思えてならぬ」
「見せてもらえますか?」
 問うと、PPCを渡された。
 表示されているのはメール受信画面。
 そこにはズラリと、同じ発信人の名前が並んでいる。
 毎日欠かさずに送られてくる、ベータからの近況メールだった。
 ウィンドウの下部に表示されているのが、今日の分らしい。

 

 ようやく迂回できた。たかが迂回ルートを見つけるのにえらく手間取って、イライラしたけどな。最初っから俺が言った方向に進んでりゃ、今頃もっと先に進んでるだろうってのに。

 ま、けどその代わりいいものも見つけた。
 ものすごい花畑だ。
 花畑、って言うと手を入れてる感じがあるから違うのかもしれんが、そこらじゅうに、好き勝手に花が咲いててな。
 ちょっと信じられなかったな。
 真昼だってのに空も見えないみたいな森を抜けたら、いきなり眩しくて目も開けてられないくらいで(おまえにはマスク越しでもつらいかも)、何かと思った。

 坂道だった覚えはないんだが、少しずつ上ってたんだろう。小高い丘みたいなところに出た。
 丘のてっぺん付近に出たもんだから、いきなり遮るものなんか何もなくなって、目の前が空なんだ。
 バカみたいにきれいな空で、真っ青だった。
 丘の稜線がそれに触れてて、その色が薄いピンク色なんだ。
 花なんだな、全部。
 ピンク色の花が踏み場もないくらい咲いてて、その中に別の色のが混じってた。
 嘘みたいだった。
 お伽話とか、出来のいい(悪い?)物語とかにあるみたいな、嘘みたいにきれいな景色だ。
 一番高いところまで行ったら、斜面を見下ろせたんだが、そこも全部同じ色だ。同じ花が地平線……傾斜が急激になるところまで、ずっと咲いてた。
 おまえにも見せてやりたかったけど、まあ、こことそこは離れすぎてるしな。端末に撮影機能つけときゃ良かったと思ったな。
 けど、これだけ広範囲に自生してるんだ。よっぽど何かがないかぎり、当分こんなふうに咲いてるんだろう。
 何もかも片付いたら連れてきてやるよ。
 平和な時に来れば、まあ、俺たちよりは可愛い女の子にでも似合いそうな景色だけどな。

 ただ、自分たちの格好見て、虚しくなった。
 洗っても落ちない返り血の染みたアーマー姿で、剣だの銃だの持ってる。
 間違いなのはどっちだろう、なんて考えちまった。
 この花畑のほうか、俺たちのほうか。

 こんなことは考えてても始まらないか。
 とりあえず、ケリがついた時に生き残ってることだ。
 それから考えればいい。

 特に怪我もしてない。
 足はまだ少し痛むが、こういう時はレンジャーで良かったと思う。止まってたって座ってたって、撃てるからな。
 おまえのほうは、どうだった?
 そっちはだいぶヤバいらしいが、とにかく無事でいてくれることだけを願う。


β

 

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