「……マメですねぇ」
 レイヴンがついそう零すのも無理はなかった。
 長さはまちまちで、時には「何事もなかった」というだけの時もあるが、毎日欠かさず、必ず届くのだ。
 そして、一番最初のメールで要求してきたのは、あれこれ書くことはないから、読んだら「読んだ」とだけでも、必ず返信してくれ、ということだった。

 二ヶ月もの間毎日届くメールは、ジーンのPPCの容量をかなり食い始めている。
 だが、「事も無し」という程度のものはともかく、内容のあるものについては一通も削除しようとしないところを見ると、感情の欠落した、どこか常人とは違う感覚をもったジーンも、このメールのもたらすものと、その意味については、感じ取っているのだろう。

 生きているという証。
 返信しろというのも、同じことだ。
 何も言ってくれなくてもいいから、今日もまだ生きていると教えてくれ、とそういう意味に違いない。
 ……いや。
 ベータの送られた区域はそう危険なところではなく、無論のこと戦闘は激しいらしいが、死傷者についてはほとんど聞かない。
 その中で、彼はカルマと組んでいるようだが、ならばよほどのことがないかぎり、彼等が命を失うようなことはない。わざわざ「生きている」と伝えて寄越す必要など、彼等にはない。
 だとするとこれは、何もなければ何もしないジーンに、生きていると答えさせるためだけに送られるものなのかもしれない。
 多少方向性が歪んではいるが、ベータのそういう気持ちそのものは、果てしなく真っ直ぐに、一途に貫かれていて、レイヴンも嫌いではなく、むしろ好ましいと思っていた。

 PPCを返すと、ジーンは少し長めのメールを打っていた。
 中継基地が築けるようになったことや、花畑のことについてだろう。
 そう見当をつけ、レイヴンはそれを眺めている。
 ふと、ついでにカルマがどうしているか聞いてもらいたいと思ったが、言うことはしなかった。

 兄弟喧嘩の続く日々に疑問を感じて家出して、帰ったのは答えが出たからではなく、この危機を知らされ、召喚を受けたからだった。
 家に戻って召喚文書のデータをPPCにダウンロードし、翌日にはラグオル統御機構本部に出頭。
 一日、準備を整える時間はあったが、すぐさま前線行きとなった。
 新型エネミーが第七シティ建設現場に出没しており、とりあえず精鋭と呼べそうな部隊を即座に送り込む必要があったのだ。

 選択の権利はないに等しかった。
 そこではカルマやタイラントたちと共に戦ったが、その一件が落ち着くや否や、その場からそれぞれに、別の区域に派遣された。
 気まずさから、家に戻ったその時に「すみません」と言えなかったがために、家出のことについては一言も触れないまま、必要最低限の会話だけで戦場に出、それっきり、兄弟たちとは連絡もとっていない。
 セントラルシティに残った弟たちに、あえて報告するような楽しいことなど何もない。
 わざわざカルマやタイラントに告げるべきこともない。
 他愛ない話をするには、カルマとの間にはわだかまりがあるし、タイラントはそもそも、そういうものは苦手だ。照れがあるのか、単純に困ってしまうのか、それは微妙だが。

 返信を終えたジーンが、厚手の上着を取り出して羽織る。
 炎の傍とは言え、夜が更けるにつれだいぶ寒くなってきていた。
 アンドロイドにも温度を感知する能力はあるが、それについて好悪は持たない。それによって行動に制限が出るかどうかを判断するだけだ。
 寒さや暑さで体調を崩すマンとは違う。
「肩、大丈夫ですか?」
 レイヴンが問うと、ジーンは自分の右肩を左手で押さえて、
「大事ない」
 とだけ答えた。
 感情も表情もない一言は、だからこそ、無理をしているがためと分かる。
 特殊な経歴ゆえに、ジーンの体は一日に何十発と撃つことに耐えていけるようには仕上がっていないのだ。
 ラグオル・クライシス以後、トレーニングの方法は変えていたようだが、十年ほどかけて作られた体を、たった一年やそこらで変質させられるはずもない。

「私が起きてますから、貴方は休んでください。ガヴェットさんたちも、お疲れでしたら、どうぞ。襲撃があれば起こしますから」
「……あんた、レーダー持ってんだっけな」
 ガヴェット、というのは壮年のヒューマーで、彼は疲れた目でレイヴンを見ると、
「それじゃあ、そうさせてもらおう」
 と言って横になった。
 レイキャストは黙って銃器を抱えて俯き、活動状態をネガティヴに切り替える。
 ハニュエールは、レイヴンを見て何か言いたそうにしていたが、頷いて見せると、火の傍にやってきて横になった。

 よほど皆疲れているのか、数分とたたず、活動の気配はきれいに消えた。
 炎の爆ぜる音と、林の奥で鳴いている耳障りな虫の声だけが静寂の夜を騒がせる。
 セントラルシティからはだいぶ離れたこの区域からだけ見える、不思議な二番目の月が、木々の上をゆっくりと泳ぐようにして、移動していく。

 虫の声もやがて途絶え、すべての生命が活動を休止するかと思える深夜。
 いきなり、レイヴンの端末がメール受信の信号を送ってきた。
 何かと思うが、端末を操作すれば微かながら音が出る。
 取り出した外部端子をPPCにつなぎ、レイヴンは直接AIのデータバンクに、メール内容をダウンした。
 差出人は、カルマだった。
『元気でやっているだろうか』
 メールは、その言葉から始まっていた。

 

 元気でやっているだろうか。

大切な話だから、本当は直に会って話せれば良いのだが・・・今は、どう頑張っても無理なことだ。
だからメールを送ることにした。
 お前が「家」に戻って来てくれて本当に良かった。ありがとう。そして、今まで面倒事を全て押し付けてすまなかった。
お前がいなくなって、うちのことをいろいろやってみて、それがどれだけ大変かは身に染みて分かった。
そういうことを、本当はお前が帰ってきた時に絶対に話そうと思っていた。
結局はそんな暇もなく、こうして掃討作戦にかりだされた。
何度もメールを出そうとは思ったんだが、何をどう言えばいいのか、よく分からなくてな。それに俺は、こんなふうに文章をつづることは苦手だから、ちゃんと言いたいことが伝わるかどうかも分からない。
だが、どうしても、このことだけはちゃんと言っておきたかった。

話はそれだけだったんだが、いい機会だからもう一つだけ・・・。

タイラント流に言うなら、俺達のやっていたことは、「家族ごっこ」だったのかもしれない。だが俺はあの生活に満足していたし、多分、他の誰よりもああいう生活を望んでいる。
お前達と会うまで、俺にはずっと、生きてゆく目的が無かった。戦うために生まれたヒューキャスト、それでなんとなくハンターズに登録して、「ヒューキャストらしく」暮らしていた・・・ただなんとなく。目的も無いままに。
そんな時だ、お前が現れたのは。
・・・嬉しかったよ。驚きもしたけどな。会うなり俺に「兄さん」なんて言うんだからな。何事かと思った。でも、話を聞いてみて、そういう考え方ができるんだな、と納得した。
確かに、俺は別にお前の兄として作られたわけじゃない。ただ普通に作られて、そこそこ戦績が良かったから、お前達を作るための基礎データになった。それだけだ。
けれど、俺のデータからタイラントが生まれて、そのタイラントのデータを調整してお前が生まれた。
兄弟というより親子に近いのかもしれんが、「家族」と言えることには違いない。

ずっと、「家族」なんてものは自分達には無縁の、マンたちだけの慣習みたいなもので、手に入れるとか考えたこともなく、だからマン達を羨ましいと思ったことさえなかった。
だがお前に会って、「弟」がいるんだと思うと、わけもなく嬉しかった。
なんと言えばいいのか・・・俺はあの時、欲しかったものが全て手に入ったんだ。
ずっと気付かなかったが、多分、俺は本当は、「身寄り」という拠り所のないアンドロイドの生き方・・・孤独みたいなものを、淋しく思ってたんだと思う。自覚もしないくらい微かに。お前が俺を「兄さん」と呼んでくれて、満たされて初めて、欠けていたものがあったんだと気付いたくらい、ほんの少しなんだろうが。
だが、今は俺にとって、大きなものになっている。お前が家を出て行って、もう戻って来ないのかもしれないと思ったら、とてもじゃないが、前のような「一人ずつ」に戻るだけだ、とは思えなかった。

だんだんまとまらなくなってきたな。
とにかく、俺を「兄」にしてくれたお前には本当に感謝している・・・ありがとうレイヴン。

 なにやら照れくさいが、とにかく、一刻も早く平和な世界になるよう、お互い頑張ろう。あ、でも、無理をするなよ。それと、ジーンに宜しくな。

 

追記:また暇を見つけてメールしたいと思ってる。頼むから、全て片付いてもう一度会えるまで、無事でいてくれ。ちゃんと、お前に会って、謝りたいし、礼を言いたい。

 

 カルマのいる、遠く離れた戦場と、この小さな機械だけでつながっている。
(兄さん……)
 思わず端末を抱き締める。
 毎日ジーンへとメールを寄越すベータが、カルマについて不穏なことを言ってきたことはなかったから、無事なのだとは知っていたが、本人の言葉を見ると、彼が今も生きているのだということが、そのことのもたらす安堵が、潮のように満ちてきた。
(無事でいてください。何があっても)
 早く返信すべきだとは思ったが、文章として書き連ねられるような言葉は何も出てこなかった。
 思考回路が感情回路と混線し、オーバーロードでもしたように、やがて明確な言葉は何一つ出てこなくなった。
 言葉が存在しないかのように、映像だけが無作為に再生される。
 それすらも切れ切れで、脈絡もなかった。

 長い時間をかけて落ち着き、機能を正常化し、いつの間にか木々の合間に隠れようとしている月を見やる。
 それから、AIのワードプログラムを端末に直結し、メールを書き始めた。
 一通はカルマへ。
 そして、もう一通はタイラントへ。
 それから、「家」で待つ三人の弟たちへ、一通……。


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