沈黙というより、最早これは重圧である。 まるで会話のない午前七時、黒ロボ家の食卓。 なんとなく馴染みの悪いオイルを流し込みながら、それを作ってくれたカルマに文句を言えるわけもない。 あれこれ注文をつけるくらいなら、自分で作れと言われて当然である。 「いってきます」 「いってくる」×2 だけ家の中に残して、スケア、タイラント、ヴァンが仕事に出かけていく。 カルマはとりあえずアルをマグ保育園まで送ることにする。 さすがに、脳天気なアルでさえ、ここのところこの調子だ。
誰だってまさか思っていなかった。 レイヴンが家出した挙げ句、三日も四日も消息がつかめないとは。 二日目くらいまでは、ひょっこり戻ってきそうな気もしていたが、こうなると本気で二度と戻ってくる気がないんじゃないか、と思えてくる。 カルマとしては、もし道端ででも会ったら、即座に帰ってきてくれるよう頼むつもりでいる。 他の者たちもそのつもりでいてくれれば、と思うが、その辺はかなり微妙な気がするのも事実。 ヴァンはその時々の自分の感情に素直だから、問題ない。 しかしタイラントやスケアあたりは、余計な意地を張って見せそうで怖い。
「こっちにも、まだ顔を出さないのか……」 保育園の管理責任者だというのに、「仕事」まで放り出してというのだから、根が深い。 よほどに腹に据えかねたらしい、とカルマは一人、とぼとぼと家路を辿った。 今日は何も予定がない。 そもそもカルマはラグオル・クライシスが片付くと同時に半ば隠居してしまい、人から特に求められた時以外は荒事には関わらなくなっている。 それでも週に一度くらいは旧知のベータから助っ人を頼まれてきたが、どうやらそのベータ、今日は「デート」らしい。……誰と、かはあえて考えないカルマであるが。
今日もまた留守番か、と家の中に入って、ふと、埃っぽいことに気付いた。 (……仕方ない。オレがやるか) 若い連中は仕事で疲れて帰ってくる。 雑事は隠居の仕事だ。 そうして掃除を始めて、一時間くらいはたっただろうか。 手にある雑巾を見て、唐突に思う。 (なんでヒューキャストの俺が掃除なんて) 自分がこんなもので棚だのなんだのを拭き、掃除機をかけているすがたを想像すると、物凄い違和感があった。 なかなか進まないこともあって、つい溜め息が零れる。
そして改めて思う。 請われればハンターとしての仕事を引き受け、そうでない日もマグを含め保育園そのものの面倒を見、うちにいればいたで家事を一手に引き受け、それを当たり前のように働いていたレイヴンが、どれほどハードな毎日を送っていたか。 朝は誰よりも早く起きて、全員の「食事」を用意して、それが済むと掃除。仕事に出掛け、帰りには買い物、それからまた食事の用意etc…。 (……羽をのばしてみて、気付いたのかもなぁ。自分がどんなに割食っていたか) だとすると、本当にもう帰って来ないかもしれない。 今何処にいるのかも分からないが、少なくともここで暮らすよりは、負担は少ないに違いないのだ。 カルマはまた一つ溜め息をついた。
夜。 やはり重圧感で一杯の食卓。 他に誰もやろうとしないので、結局カルマが「食事」を用意して「風呂」の準備をすることになる。 なんとなく、そうなってしまう理由は分かる。 「今更」とタイラントもヴァンもスケアも、思っているのだ。 今更悔い改めてもなんにもならない。 今更気を遣ってみても意味はない。 今更とって付けたように「いい子」になっても仕方ない。 それは極めて些細なことだが、何かきっかけがないと「俺がやる」とは言い出せないのだろう。 活動量の一番少ない自分がやってしかるべきだろう、とカルマも思うので、文句は言わない。 ただ、家事に手をつけるにつれ、いなくなってしまった三男の存在が身に迫ってきて、気が沈む。 そんな時だった。
何か大きなものが倒れて壊れる音がして、カルマは我に返った。 何事かと思って音の発信源、居間に駆け込むと、そこにはものの見事に引っ繰り返ったテーブル。 上に乗っていたらしい器は割れて粉々だ。 「な、何をしてるんだ!」 引っ繰り返したのは、どうやらヴァンらしい。 そのヴァンに睨まれていたアルが、いきなり声を張り上げる。 「にーにゃんたちのせいにゃー! レイにーにゃん帰ってこないの、にーにゃんたちがケンカしたからにゃーっ!」 「おまえだって混じってたじゃねえか!」 「なにアル相手に大人気ないこと言ってるんですか」 「はん! カッコつけて気取ってたって、中身のない奴よりマシだろ!?」 「……それ、僕のことですか」 「他に誰かいるかよ!?」 「ちょ、ちょっとおまえら……」 カルマが割って入ろうとしたが、それが簡単にできるなら、なんの苦労もなかったこの家である。 アルが落ちていたコップをヴァンに投げつけ、ヴァンがテーブルを蹴り上げる。 それがスケアに当たって―――。
(あああ、もう! どうしろっていうんだ!?) 乱闘の始まった居間を前に、カルマは右往左往。 力ずくで切り込むことは可能だが、それを実行して止められたのは、レイヴンだからである。 そもそもの性能があり、更に有無を言わせない権限。 そう。 この家の中の雑事を全て片付けているのは彼だったから、結局は皆、申し訳ないような気はしていて、いざとなれば譲るしかなかったのだ。
幸いなのは、レイヴンに次ぐパワーを持つタイラントが暴れていないことだが、沈黙し静観する次男というのも、実はかなり心臓(駆動炉)に悪い。 屈託のありすぎるタイラントの心中は、カルマにはなかなか読めない。 彼が今何を思いながら黙りこくってこの乱闘を見ているのか、まるで分からない。 跳んでくる物体を叩き落したり避けたりしながら、……アンドロイドの表情など、分かるものではない。
やがて。 そのタイラントが、いきなり壁を殴りつけた。 それはもう加減のない一発で、新築間もない壁には大きなヒビが入り、欠片が落ちる。 それに見合う物凄い音で、ヴァンたちの喧嘩も一瞬止まった。 その隙に。 「最初からこんな生活、無茶だったんだ」 低く押し殺したような声でタイラントが吐き捨てた。 「俺も出て行く。そもそも俺は、群れて暮らせるタイプじゃない。じゃあな」 「お、おい! タイラント!」 「上手くいってるなら、悪くない。が、上手くいかないなら、続けても意味はない。だろうが」 呼び止めたカルマにそれだけ言って、タイラントは武器庫へと消えた。 数日前にレイヴンがしたのと全く同じように、自分の武器と携帯端末、私物だけを持って、残していくのはマネーカード。
一人減り、また一人減り。 さすがに誰も言葉が出ないようだった。 カルマは荒れた居間をなんとなく眺めて、タイラントの残していった言葉を思う。 自分たちはそんなに無理をしていたんだろうか、と。 上手くいっていると思っていた。 喧嘩ばかりではあったものの、それも日常の挨拶のように。 たしかに、一般的な家庭に比べれば破壊されるものの数は膨大で、かかる金額も莫大だったかもしれないが、それを補って余りあるほどの収入もあって、これはこれでバランスがとれていたのだ。 これからいったいどうなっていくのか、どうすればいいのか、途方に暮れるカルマだった。
(つづく)
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