森と丘の境界線あたりでキャンプを張った。
 森の中を流れる小川から汲み取ってきた水を浄化装置に通し、携帯食のシートをかじる。
 そうしている間に日は西に傾き、空は茜を経て紫に変わり、やがて一筋の緑を縁に滲ませて、夜が訪れた。

 炎を囲んで一息つきながら、別働隊との連絡をとる。
 自然とリーダー的な役割を果たしていたベータは、迂回できそうなルートを発見したことは伝えたが、ここがどんな場所かは言わなかった。
 いつか、何もかもが片付いたときに教えるのが最もいい。
 今は、つらいだけだ。
 目にしていなければなおのこと、まるでここにあるのが安らぎのように聞こえれば、焦がれるだけつらいだろう。

 必要な情報を交換し終えると、作戦本部からの情報を引き出した。
 他の全ての部隊が現在どのような状況下にあるか、本部が把握しているかぎりにおいて、きわめて事務的に記述されている。
 全てを見ていてはきりがない。
 ベータが見るのは、自分の知人のいる区域だけだ。
 とりあえず、真っ先に確認するところは決まっている。
 Cエリアの最前線、第8区域。
 この作戦中において最も危険度が高いと言われる地帯である。

 実際にハンターズが派遣されるまで、何処にどのような生物が繁殖しているかは知りようもなかったため、その危険地帯に派遣されたのが精鋭とは限らない。
 この二ヶ月の間に、実に二十名あまりが命を落とし、負傷者などを含めた後部送還者の数も、他のエリアとは桁が違っていた。
 そのC−8に、よりにもよってベータの友人が三人も派遣されていた。
 カルマの弟でもあるレイヴンと、ラグオル・クライシス時からの彼(レイヴン)の相棒・ユーサム。そして、ジーン。
 誰のことも等分に気にかかるかと言えば、そんなはずもない。
 順位は明確だ。
 まず何より気になって仕方ないのが、ジーンの安否だった。

 彼は、アンドロイドという「機械」よりもはるかに整然とした思考で、やるべしとされたことを忠実に遂行する。
 その冷静さと射撃技術の神懸りな正確さゆえに、レンジャーとしての評価は高いが、だからといって、ベータに言わせれば、優秀ではなかった。
 彼は他人のことを案じるほどには(それとて欠如気味だが)、自分の身を案じず、いたわらない。
 恐怖や不安、悲哀、歓喜といった基本的な感情すら希薄で、痛みを疎んじることもなく、死を恐れもしない。
 殺すまでもなく、そういったものをほとんど感じないのだ。
 そんなものの上に成り立つ力が、優秀なハンターズの証だとは、言いたくなかった。

 その上、自分がどれだけ心配していると伝えたところで、特に何もなければ絶対に連絡など寄越さない。
 心配してるだろうから安否くらい知らせてやろう、とかいう人間的な発想はゼロなのだ。
 だから、前線に出てしばらくして、最初のメールを送った時に、約束させた。
 自分がメールを出したら、「読んだ」とか「分かった」の一言でいいから、絶対に返信しろ、と。
 命令すれば、彼はそれを違えることはない。
 以来毎日、「特に何もなし、腹減った」の一言でも、ベータは必ずメールを送ってきた。
 そして昨日まで毎日、ちゃんと返事は届いている。

 本部からの情報で、今日の昼、C−8区域の南端に新たな中継基地が建設されることが知れた。
 それに伴い、物資の補給、人員の入れ替えが行なわれ、明日からは新たにC−9と設定される区域に進出することになっているようだ。
 確認された送還者数は8名。
 その名までは、公開されない。

 味気ない食事の後、もうだいぶ暗くなってから、ベータは日課のメールを書いた。
 特に親しくもない者には知らせようと思えなかった花の丘のことだが、ジーンには教えたいと思った。
 空想的な想像力など欠片ほども持ち合わせていない男だ。彼なら単純に、その光景にベータがめぐり合ったことだけを良かったと言うだろう。
 だがもし、いくらかでもそんな光景……美しい平穏に焦がれるならば、それも彼には悪いことではない。もう少しくらい、自分の心に痛みを感じても良いはずだ。甘いものも、苦いものも。
 そんなことを思いながら少し長いメールを送信して、明日のため、武器の手入れに取り掛かる。

 カルマはずっと何かを考えている。
 おそらくレイヴンのことだろう。

 仲違い、というにはあたらない。
 ただ少しだけ歯車がぞれて、二つばかり、摩擦熱で疲れかかった体を休めようとしたのがいただけだ。
 いつかは必ず、元通りではなくとも、一つの輪の中に戻っていくことは、ベータには確信できた。
 だが当事者にとってはそんな冷静な観察などできるはずもなく、ましてカルマは心配性で、責任感が強いのはいいが、そのせいですぐに自分のせいかと自責の念にかられる。
 そのしこりは、今は意識的に忘れられているだけで、しっかりと残っている。
 あと少し時間があれば元の鞘におさまったろうに、それを待たずに、この掃討作戦が開始されたせいだった。

 ラグオル・クライシスで中心的な役割を果たした者たちは、二人ずつくらいに分けられて、それぞれの大隊に配属された。
 ろくに話をする間もなく、戦わねばならないという義務……本当はそんなものはないはずなのだが、ヒューキャストとして生まれついた彼等には、戦場があり、そこに人員が必要とされていれば出向くのは義務のようなものらしく、感情を置き去りにしてそれぞれの場所に散った。
 戦場に出てからは、カルマはそのことについて一言の愚痴も泣き言も言わない。
 それまではさんざんにベータに、どうしよう、どうすればいいんだろう、と相談を持ちかけてきていただけに、そのプロ意識に、ベータは少し痛みを覚えた。
 歴戦のハンターズとしてはそうであってもらわねば困るが、友人としては、もっと楽にしろよと言ってやりたかった。

 レイヴンは凄まじいほどの戦闘スペックに関わらず、花だの小動物だのといったものが好きだ。
 ベータがそうと知っているくらいだから、カルマがそれを知らないはずがない。
 見せてやりたい、とカルマも思っただろう。
 そのことを伝えたいとも、思ったのかもしれない。
 だが押しの弱いこのヒューキャストは、口実にできることを得てでさえ、メールの一通も出しかねているのだ。
 安否については、何かあれば、ベータのメールに応じてジーンが知らせるだろう、と「便りがないのは良い便り」を決め込んでいる。
 それで納得もしていない様子なのに。

 しばらくすると、メールが受信されたことを知らせて、ベータの端末が小さな発信音を鳴らした。
 ジーンからの返事は相変わらず淡々としていたが、その中に、ユーサムが今日、帰還を選んで戦場を去ったことが書かれていた。
 原因が、彼のすぐ傍で死んだチームメンバーにあるらしいことも、簡潔に付記されていた。
 感情が表に出ない男の言葉は、文字のほうがかえって表情があるようだった。
 ベータが見たという花の丘については、行こうと言うなら連れて行ってもらおう、と簡単に触れられていただけだったが、少し苦笑しているように見えた。
 読み進めながら、我知らず微笑んでいたベータの顔が、急に引き締まる。

『C−9、あるいはC−10となるのかもしれぬが、遠方の山岳地帯の上空に、大型の飛空生物が見えた。確証はないが、ドラゴン種かもしれぬ。我が見ただけでも三体。内一体は他の二体よりもやや大きく、体色も異なっていた。まだ楽はできぬらしい。今は、その事実に対する覚悟ができる者など少なかろうし、誰にも告げぬことにしたが、これで適当であるか否かに自信は持てぬ。何か良い案でもあれば、教えてほしい。』

 ベータも一度だけ、ドラゴン種と名づけられた大型生物と戦ったことがある。
 これまでに狩られたのは、ジーン、レイヴン、ユーサム、ヤンがラグオル・クライシス時に遭遇したものが一体、ベータ、カルマ、ラッシュで倒したものが一体、それから、ダークファルス討伐後に出現し軍によって倒された一体の計三体である。
 テラで何度となく大型クリーチャーを狩ってきたベータであればこそ、気後れすることもなく挑めたが、楽な戦いではなかった。

 ドラゴン種は群れることがなく、温暖で広大な空間に、一体で生息するとされていたが、どうやらそれは、間違いだったらしい。
 戦闘経験の豊富な者たちでさえ、一体倒すのに苦労するという相手が、少なくとも三体、Cエリアの先に存在している。
 ドラゴンの生態は死骸や生息環境から研究され、戦闘セオリーも確立してはいるが、タフな強敵には違いない。
 ましてや同時に何体か現れるようなことになれば……。

 まさか、とは思いたくなかった。
 たとえ相手が何であろうと、彼等が遅れをとることはないと信じたかった。
 勝手な不安や悪い想像はやがて現実になりそうで、断固として追い払う。
 かわりに、カルマを呼んだ。

「カルマ。おまえ、まだレイヴンと連絡つけてないんだろう」
 ズバリと聞いたのは初めてだった。
 カルマはいくらかうろたえたようだが、真っ向からのベータの視線を受けて、それがいつになく切迫していることを感じたのか、慎重に頷いた。
「今日ユーサムが帰還したとさ」
「本当か?」
「ああ。8人帰って、人員の補充はない。つまり、派遣されている人数は減っただけだ。くだらんことにこだわってモタモタしていて、いいのか?」

「いいのか、って何が」
「おまえには分かるだろう。気がかりは少ないほうが戦いやすい。いいか? 俺は、まさか、なんて思っちゃいない。けどな、おまえもあいつも、わだかまり抱えたまんまじゃ、それがいつ足引っ張って、どうなるかも分からないんだ。とっととすっきりさせたほうがいいんじゃないか? まさか、が起こっちまってから嘆きたくはないだろう」
「ベータ……」
「どうせあいつもあれこれうだうだ悩んでるんだろうが、だったらおまえから先に口を開いてやったらどうだ、『兄貴』」

 その夜、カルマは自ら見張りを名乗り出た。
 火の傍に横になりながら、特に寝たふりをしたわけでもないが、ベータは黙って彼を見ていた。
 カルマはえらく時間をかけて、メールを書いていた。
 書いては考えて消し、書き直しては消しているらしいのが様子から知れる。
 要領のいい自分と違い、なにかと不器用なカルマだから、上手い具合に言葉を連ねるのは難しいのだろう。
 そう思いながら、可笑しくなるくらい真剣な姿を眺める。

 彼の背中、肩越しには、二番目の月に照らされた花園が見えた。
 いつか、全てが片付いて平穏が戻ってきたら、本当にもう一度ここに来よう。
 いや、二度、がいい。
 一度は仲間たちみんなで。
 そしてもう一度、二人で。
 そのためには、みんなが生きていることが必要だ。
 別の場所にいる者のために自分がしてやれることは、ほとんど何もない。
 できるのは、少なくとも自分と、共にいるカルマと、できるだけ多くの同朋を、生かして帰すために最大限の努力をし、それを結果に変えることだ。
(できるなら、さっさとこっちを片付けて……別部隊に配属されるってんなら、あいつのトコだ。何がなんでもあいつのトコだ。ドラゴンだろうがなんだろうが、俺たちが組んで倒せないモノなんてありゃしないんだからな)
 そのために今は、カルマを信じて少しでも深く眠り、疲れをとることだ。
 メールを打つ途切れがちのタイプ音を聞きながら、ベータは目を閉じた。

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