それはある夜。 珍しく、鉄家族に波風が立っていた。 本当に珍しいことながら、タイラントがラッシュに腹を立てているのである。 原因は、アズール。 この夫婦喧嘩の発端になった本人は、できるだけタイラントの視界には入らないようにして、居間の隅で様子をうかがっていた。
アズールが、 「バイクのライセンスとってもいいか」 とラッシュに尋ねたのが、そもそものはじまりだった。 ようやくハンターズ内でも友人ができてきたアズールは、相応の量の情報も手に入れるようになった。 情報、といってもただの世間話や趣味の話なのだが、この日の昼、たまたまバイクの話題が出たのだ。 言い出したのは、ガンツ。例によって例の調子で、 「かっこいいんだな! モッテモテになるんだな!!」 と興奮気味だった。 実はアズール、以前に一度だけ、ガンツと会ったことがある。あれは初めて実戦に出ようというロビーでのことで、ユーサムを探していて見つけたのだ。それで、このあたりでそういうレイキャストを見かけなかったか、と尋ねようとしたのだが……ガンツは得体の知れないダンスに夢中で、呼びかけにもなかなか反応しなかった。 その時は、頭のネジが本気で一本か二本足りないんじゃないか、と憐れになりつつも怖くなったものだ。 が、あらためてヤンから紹介されると、いわゆる「天然」なだけで、人畜無害だとのことだった。
ともあれ、ハンターズとしてはヤンと同期であるわりに、仕事よりは日々の生活をエンジョイすることを大事にしているガンツは、ハンターズランクはそう高くない。ただ、その分世事に詳しい。ヒューキャストにしては、であり、また、微妙に毎回勘違いしているが。 そのガンツが、どうやらどこかでバイクのカタログを手に入れたらしく、その日はエアバイクの話題になったのだ。 アズールは、自分と誰かの二人だけの時にはそれなりに喋るのだが、三人以上になると、話すのは他の二人に任せてしまい、相槌を打つだけになることが多い。相槌以外では、肝心な時に肝心な口しか挟まなくなる。 それで、ヤンとガンツのにぎやかな応酬を楽しく聞いていたところ、こんな台詞が飛び出した。
「ダメダメ。バイクなんて、あんた似合わないじゃん。ああいうのはね、アスみたいにすらっとした人のほうが似合うのよ」 そんなことないんだな〜、ボクだって、と反論するガンツはさておいて、ヤンはそのまま、会話の矛先をアズールに向けてきたのである。 「アスはライセンスとりたいとか思わないの?」 問われてまで曖昧に濁し、会話を傍観する必要もない。 言われてはじめてそんな選択肢を知ったアズールは、にわかに興味を覚えた。 だが同時に、頭の中に蓄積されている膨大なデータが、現実問題を提示する。 「俺は無理だ。なにせまだ親父たちからの借金も返してないし、それに、ラグオルじゃ物資が足りないから、ライセンスの取得料もバイクそのものも、テラよりはるかに高いはずだろう」
そうなのである。ダークファルスとの戦いに様々な物資をつぎ込んだこともあり、復興の最中であるパイオニア2には、バイクなどという娯楽品を作る余裕がない。 個々人がそれぞれに積み込んできたものは、相当台数あるのだが、新品はないのである。 (たしかうちには、それぞれにバイクあったっけな) とアズールが滅多に使用されない車庫のことを思い浮かべている間にも、ヤンとガンツはまたせっせとおしゃべりを再開していた。 ヤンは、 「アスがライセンスとってくれたら、絶対に後ろに乗せてもらうのに」 などと言っている。 「それだったらボクが乗せてあげるんだな! ボクは目標金額まで後少し!なんだな」 「あんたの後ろなんて絶対イヤ!」 そんな会話を耳にしつつ、 (親父にならバイク貸してもらえるだろうけど、レンタル料とか言い出しかねないよな。親父は絶対貸してくれそうにないし……。そんなことより仕事しろ、とか言って) とライセンスとバイクの入手について思考しつつ、 (そんなこと言ってるけど、実際に俺とガンツがそれぞれに乗せてやるって言ったら、ガンツの後ろに乗りそうだよな) などとも考えていた。
……というわけで、アズールは帰宅した時、ダメでもともと、とりあえずラッシュのほうに聞いてみよう、と思ったのである。 こういう相談をタイラントにしようと思うのは、頭がおかしい証拠にしかならない。ラッシュが相手ならば、駄目だと言われるにしても、自分も納得でき我慢できる理由をつけてくれるだろう。 極めて賢明な判断だった。 というように、アズールはこの時点で既に、ほしいけれど無理だ、と思っていたことになる。 ところが案に反して、ラッシュはあっさりと、 「そうだな。私のをあげてもいいが、あれはもうメンテしてもまともに走るかどうか分からないポンコツだし……。タイラントはたまに走りに行くしな」 とGOサインな気配で応じたのである。 かえって予想外なことになった。ここに到ってやっとアズールは、実際にはいくらくらいかかるのか、今あるバイクはどんなデザインなのか、中古車もそれなりにあるのか、など慌てて考えなければならなくなった。
しかし世の中そううまくはいかないもので、ラッシュがこのことをタイラントに話した途端、滅茶苦茶になったのである。 相変わらず声も荒げない。ただ視線だけ寄越して、 「そんなことは借りた金を返してからにしろ。遊ぶ前にやることはいくらでもあるだろう。おまえもこいつを甘やかすな」 ときた。 (やっぱりな。そりゃ勝手に買えば後でゴネるのは見えてるけど、そうなれば親父が押し切れるのに、なんで話すかな) とアズールは落胆した。しかし最初に覚悟していた結末なので、それほどショックでもなかった。 思考の中身を切り替えて、なんとなくブルーな気分も追い払い、アズールは部屋に戻ろうとした。 そこにラッシュが、 「いいじゃないか。ライセンスとバイクくらい、買ってやろう」 と言ったから、事態は更に悪化したのである。
そして、現在になる。 「買ってやるだと?」 「ああ」 ラッシュは平然としている。どころかのんきに、 「どうせなら新車がいいな。この間カラサキが出した『R2』はなかなか良かったか。ああ、もう少し大型にして、後ろに乗せてもらおうかな」 などと言う。火に油を注ぐ、というヤツだ。 「ちょ、ちょっと親父。俺なにも買ってくれなんて……」 「おまえは黙ってろ!」 アズールが仲裁しようとすると、ぴしゃりとタイラントに言い退けられた。どうやら、許し難いのはバイクがほしいと言い出したアズールより、それを買ってやると言うラッシュのほうになったらしい。
たいがいは問答するより放棄して、勝手にしろで終わらせるタイラントが、珍しい。第三者になってしまったアズールは、 (それだけ俺のことを真剣に考えてくれてるってことか、あるいは、俺みたいなペーペーが生意気にバイクなんぞに乗るなってことか) とそれなりに冷静に、とりあえずハラハラしつつ、見守る他なくなっている。 「買ってやるなど言語道断だ。買わせるにしても、今はまだ他にもやるべきことがいくらでもある。今楽をすれば、すぐにそっちに馴染むことくらいおまえには分かってるだろうが」 どうやら、生意気という理由の有無はともあれ、将来のことを心配はしているらしい。
言われれば、アズールにも理解できた。 たしかに今は、たまに息抜きに出かける以外、ほとんど毎日が戦闘の連続だ。アズール自身が好きで出かけていることもあるが、あまり楽な生活ではない。 それを平然と繰り返せるのは、ともすると、安楽な生き方をまだ知らないからかもしれない。そしてもしかすると、安楽な生活を知ったが最後、今のようには戦えなくなるのかもしれい。 近年、ハンターズ=アンドロイドの平均稼動年数……いわゆる寿命が短くなっているという。歴史のことならばアズールも知っているから分かるのだが、テラ時代は、ハンターズとなると同時に戦いに出された。ハンターズ=アンドロイドはあくまでも戦闘アンドロイドであり、壊れたならまた作ればいいだけのもの、という風潮が残っていたのだ。 だが今は、人権、あるいは物資の問題で、もっと丁寧に育成しようという動きがある。その結果、性格付けも昔のような好戦的や冷静一辺倒ではなくなった。しかし意図とは逆に、育つ前に潰れる数は、昔よりかえって増えているのである。 多様化したパーソナリティの中には、戦闘向きでないものもあり、怠惰に陥る者も出てきたということだ。それでいて廃棄がかかっているために仕方なく戦いに行くものだから、技術も意識も乏しい。
その「昔」、もう人間の生活が限界に達しようとしていたテラに生まれ、そこで戦ってきたタイラントは、どうしても自分を基準に、生き残りたいならばそうしろ、と言うのだろう。体が戦闘を些事としか思わないほどになれば、多少の安楽で揺らぎもするまい、と。 逆に言えば、そこまで到達すればあとは好きにすればいい、ということだ。今だけ我慢して一人前になったら、あとはもうなにも束縛しないし、自由にしろ、と。 (今回は、親父のほうが正しいかな) いつもはラッシュのほうが正しい。だからいつも、タイラントも問答を放棄する。ただ今回にかぎっては、甘やかすな、というタイラントのほうが正しくて、ラッシュのほうに問題があるのかもしれなかった。
それなら、なにも自分のことで険悪にさせておくこともない。 「なあ、親父。親父の言うとおりだ。俺も、今楽したらまずい気がする」 黙っていろ、と言われたが、自分の将来についてのことだ。おとなしく口を閉ざしてもいられない。 アズールが言うと、タイラントは浮かしていた背を、背もたれに戻した。本人が理解し、撤回するというなら、ラッシュにはもうどうしようもない。問答も終わり、ということだ。 ―――が。 あきらかに溜め息らしい音が洩れ、 「私はおまえを戦闘マシーンにするつもりはないよ」 宥める声。 ビシッ、と音を立てて空気が凍りつく気配がした。
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