《ご注意》

 SS中で「医師とは」について書いている部分がありますが、それは「私の見解」ですらないことを、読まれる前にご了承ください。

 私は医者ではないし、本物の救急・救命医に取材したわけでもなく、参考資料を何冊も読み込んだりしたわけでもないので、ここにある「医師とは」の見解はものすごく表層的なものでしかありません。
 しっかり考えて「私はこう思う」と提示するレベルのものですらなく、キャラクターを中心に、浅い知識と見識で思い描いた程度のものにとどまっています。
 また、特殊な精神構造と観念を持って生まれ、生きている「ラチェット」という個人の視点から語っていることですので、書いている私自身が「いや、ラチェット先生、そうじゃないと思うよ」という部分もあります。

 本物の、現場で生きる医師のかた、あるいはそういった本物の医師と縁の深い方にとっては「そんなもんじゃない」とか「そんなわけがない」ということも大いにあるかと思います。
 医師という人の命に関わる重い仕事について、思いつき程度で語ってほしくない、という思いがあるのでしたら、きっとご不快になるだけですので決して読まないでください
 特に、ご自身や身近な、そして大切なかたが医療に携わるお仕事をされていらっしゃるのであれば、必ず上記のことをふまえた上で、見当違いなことを書いていても苦笑いで許せるくらい心の広いかただけ、そーっとご覧ください。

 


 

Birth defect 1

 

 最近のラチェットは読書や映画鑑賞に勤しんでいる。
 地球に来たときには「事実」ではないとして取得しなかったコンテンツが主だ。
 最初は楽しむためではなかった。人間という種族を理解するための手段だった。
 多くの人間は、目の前の現実世界だけでなく、空想や観念の中にも半身を置いて生きている。彼等がそうしているという事実と、個々によって異なるその度合、そしてその理由を知ることは無駄ではない。
 人間に対する知識と理解が深まれば、交渉時にも有利に働くはずだからだ。
 なにせラチェットは、議論であればメガトロンやスタースクリームにも引けを取らない論客だが、相手の心理に対する共感がほとんどできない。そのため、穏健に、円満に進めたい談合時にはその論理性が逆効果になることがある。ことに相手が人間だとますますいけない。
 そのため、彼等を知りたいと思ったのだ。共感できないなら、その必要がないほど深く理解すればいい。そして正しく推察することで、共感に近い理解を表現することができる。
 つまり、この読書・映画鑑賞という趣味は、もともとは外交時の必要に迫られて、その一助として始めた「仕事」だったのだ。

 しかし今は、物語の背景にある「人間という存在」ではなく、物語世界そのものの展開が気になることも増えてきた。
 読書や鑑賞中、矛盾や論理的不整合に出会うとつい、ラチェットは何故こうなるのかと考えてしまう。以前はそれを解明することに重点を置いていた。今は、そこにこだわりすぎることなく先に進む。そして物語の大枠を理解する。
 そうやって全体を俯瞰した上で、気になった点は検証に値する問題なのか、それとも、「人間はそういうものである」と結論したほうがいいのか、あるいは、不整合と判断したのが早計であったのかを考えたほうがいい。なにせ、時に人間はラチェットにすら予測のつかない展開に、しかもしっかりと筋を通すことがあるのだ。それに気づいたときの驚きが、たぶん、物語的な感動の一種でもあるのだろう。
 一般的な意味での「読書や映画の楽しみ」とはだいぶ異なるが、それでもラチェットは十分に堪能し、楽しんでいた。

 夜は、そのための貴重な時間である。人間の生活サイクルに合わせて活動しているため、この時間帯に怪我人が出ることはまずない。昼よりはゆっくりと自分の時間をとることができる。
 本日の読書は、古典的名作と呼ばれる一大長編だった。人間ならば一日がかりかもしれないが、ラチェットが本気で情報を得るつもりならば3秒もかからない。しかしあえて今は、1時間ほどかける。ざっと読んだ後、気になった点について思索したり、セイバートロンも含めた他の文明と照合したりするその時間は、なかなかに有意義だ。
 その有意義な時間を邪魔する通信は、歓迎できない。
 だが、なにかあったのではないかと、ラチェットはすぐさま仕事モードに頭を切り替えた。
『ラチェット。今少しいいか』
 聞こえた声ににわかに緊張する。
『構わんよ。どうぞ』
 シャッターのロックを解除すると、通信相手、バリケードが中に入ってきた。

 閉じ込められて退屈し、イライラと落ち着かないのも体に良いことではなかろうと、まだ少し不安はあったが外出を許可した。先日見かけたとき、歩行機能に少しだけ不具合があるようだったが、どうしたと尋ねると逃げられた。しかしほぼ治っている怪我ならば、ラチェットがうるさく詮索することもないし、していたらきりがない。
 だが今夜訪ねて来たのは、いったいどんな理由なのだろうか。
 ざっと見たところ、特に具合が悪い様子はない。
 しかし、スパークに変調をきたしたような患者の、見た目だけでなにもかもが分かるとも思えない。
「どうかしたのかね」
 問うと、バリケードはなにか言いたそうな様子で、しかし口篭った。
(ふむ。不調を訴えに来たわけではないのか)
 ラチェットはそう判断する。バリケードはコミュニケーション能力が低いが、事実関係の説明は端的で素早い。言いかねるなら、もう少し曖昧な話題なのだろう。

「どうかしたのかね」
 尋ねると、
「聞きたいことがある」
 と答えられた。
「なにかね」
「………………」
「な・に・か・ね?」
「あ、ああ。……ブラックアウトのことなんだが」
「ほう」
 ラチェットは少し目を見開いた。バリケードが他人のことを理由にやってくるとは、珍しいこともあるものである。興味が湧いて、ラチェットはテーブルに肘をつき、手を組み合わせた。バリケードには向かいに座るように促す。
 示されたとおり腰を下ろしたバリケードだが、また沈黙した。なにがそんなに言いにくいのか。言いにくいことなら尚更、機械的に言えるように整理してから来ればいいと思うが、今は好奇心に負けてじっと待つ。
 すると10秒ほどもしてからやっと、
「あいつは医者に向いていると思うか?」
 と問われた。

「何故それを、君が尋ねる?」
「それは……」
「いや、いい。とりあえず答えよう。必要な質問があればさせてもらうから、君はそれに答えてくれればいい」
 話を進めるのにバリケードの自発的な発言を待っていたのでは朝になりかねないし、ともすると途中で苛立ってきて、やめてしまうかもしれない。
 バリケードも自分の性分についてはよく理解しているらしく、ラチェットの提案に黙って頷いた。
 ラチェットは疑問点を整理し、重要度に応じて並べ替える。必要のないものを削ぎ落とせば、残ったものは数少ない。
「まず一つ確認したい。私から見るかぎり、ブラックアウトは他者への共感能力が高く、簡単に言えば思いやり深い優しい性格だ。反面、厳しさや決断力には乏しく、周囲からの心的な影響も受けやすい。他人の気持ちも自分の気持ちも冷徹に切り捨てることは苦手とする。しかし、並の者ではパニックを起こすような危急の際には、かえって落ち着いて行動する。この認識に間違いはないかね」
 バリケードは少し考えて、
「おそらく、ない」
 と答えた。
 ラチェットはその答えに頷き、先ほどの質問に対する返答を決めた。

「スキル的な問題を抜きにして、適性という面だけで語れば、彼の場合、長期の継続的な医療行為や、予防としての医療には非常に向いているだろうが、私のような救急医には向かないだろう」
 バリケードの今度の沈黙は、ラチェットの言葉を理解し当てはめるためのものだろう。やがて
「なるほどな」
 と呟いた。
「理由は、必要かな」
「ああ。できれば詳しく聞きたい」
「医者として活動するのに必要なものは、大きく分ければ三つ程度だ。一つは専門知識。二つ目はその知識を実用するための能力。そして三つ目は、ストレス耐性。ブラックアウトの所属はレスキュー隊だったから、基礎的な応急処置と緊急時の対応については、知識、スキルともに既に持っているだろう。更なる知識を吸収するのにも、素質的な問題はないはずだ。十分な、そして正しい知識があれば、ほぼ正確な判断も下せる。この点は問題ない」
 知識の面はクリアできる、とラチェットは考えた。
 二番目の問題、能力だが、これは実際に携わってみないと分からない。だがラチェットが医師として救護班と行動を共にし、そのときに得た情報から判断する分には、問題があるようには思えなかった。

「問題は、三つ目の精神的な部分だ。―――分かりやすく言えば、目の前で起こる『死』に耐えられるかどうかということだ。救急医療に携われば、常にとまでは言わないが、かなりの確率で死の予感に追われることになる。自分の判断ミスのために死亡させたのではないかと自責することも少なくない」
 どうするか考え、刻々と過ぎる時間に切り刻まれるようにして手段を選ぶ。だが、叶わないときには叶わない。違う方法をとっていればもしやという思いがつきまとい、どちらにせよ助けられなかった命がこの目の前で消えていった事実は、どう言い訳をしても耐え難い苦痛として肩に乗る。
 それに長い年月耐え続けることは、そう簡単なことではない。
「それに、災害時など大勢の死者、重傷者が出るケースでは、一つの死から立ち直るまでの時間など与えられはしない。目の前には次の患者がいることもある。どうだ? ブラックアウトに務まると思うか?」
 バリケードはじっと黙り込んだ。
 ラチェットも黙って答えを待った。
 ずいぶんとたって、
「難しいかもしれんな」
 バリケードはそう答えた。
 それがバリケードの見立てならば、顔見知り程度の者がなにか言うことはない。ラチェットはその意見を受け入れる。
「ならば救急医にはならないことだ。最初に言ったように、予防や長期的な医療行為に関わるのであれば、彼は私よりよほど理想的な性質をしている。患者の不安を和らげ、体だけではなく心のケアをする。私には苦手なことだ」
 己の抱える痛みの一つを吐露すると、
「なるほどな」
 バリケードの容赦ない肯定は、いっそ痛快だった。

 さて、これで質問に対する答えは渡した。それではな、とこのまま帰ってもらってもいいのだが、ラチェットには気になることがあった。こちらが質問に答えたのだから、相手に質問することくらいは許されるだろう。
「それで、ここから先は単なる興味なのだが、私にとって最も意外だったのは、そのことを本人ではなく君が尋ねに来たことだ。どういう風の吹き回しだね?」
「………………」
「恒例のだんまりか。良かろう。君に会話を強要しても仕方ない。言いにくいことであれば、話してくれることはない」
「……いや、……聞いてもらったほうが、いいのか……」
 思案半分に、バリケードが呟く。話せと言うなら話してもいい、ではなく、聞いてもらったほうがいいかもしれない、とはどういうことだろうか。なにかまだ、アドバイスを求めたいことが残っているのかもしれない。
「ふむ。今言ったとおり、私はカウンセラーには向かない性格だが、それでも医師ゆえに答えられることもあるだろう。良かったら、話してみるといい」
 なにげなく促して、さてどんな話が聞けるのやらと、ラチェットは組み合わせた手の上に顎を置いた。

 バリケードは何事でもないように話した。
 先日、ラチェットのところからほぼ無理やり出た後のことだ。
 やはり本調子ではなかったのか、それから間もなく、ブラックアウトに送られながら寝入ってしまった。たしかに完全に復調したわけではなかったのだろう。そのため、ブラックアウトが自分の機能を使って補助をしてくれた。
 そのときに彼の思考の一部が共有され、考えていたことが分かってしまった。医者になりたいという気持ち、なれるだろうかという不安、そして、無理だろうという諦め、迷い。それが急に硬度を変えて、良い医者になるのは無理だとしても少しでも近づきたい、助けたいと思った相手を確実に助けられるようになりたい、という決意が感じられた。
 だが、
「あいつは、あんたならもっとうまくやるだろうと、そういうことを気にしてる。たしかに、そうなんだろう。それに、あんたみたいに優秀な医者がいれば、他には必要ないとも思うらしい。だから―――向いてないのなら、そんなふうに悩むだけ無駄だ。そう分かったほうがいいかと思った」
 なるほど、だから尋ねに来たのか。バリケードらしくはない気の回し方だが、それは、いい。
 それはいいが、別のことが問題だった。

 本人は他愛ないこと、そんなものだと思っているのだろう。だがラチェットにしてみれば、それは信じがたい選択だった。
 たしかに医療技術として、機能不全のシステムを外部へ委託する手法はあるし、珍しくもない。しかし、その委託先が他人の体だというのは、めったにあることではない。それはたとえば、他に使える機器がなにもなく、委託される側と委託する側、双方の死を覚悟してでも可能性に賭けたいようなときに行うものだ。
 症状が軽度であれば危険性も低くなるとは言え、行為自体はあくまでも緊急時の措置である。微熱があって通常よりも代謝とエネルギー効率が落ちているから、というだけではまず行わない。
 一通りの話を聞いて、ラチェットは考える。
 ブラックアウトの医師としての適性。
 ―――よりイエスであり、よりノーだ。
 呆れ半分で、ラチェットは溜め息をついた。

「なんだ、いったい」
「それは、正しい措置ではないな」
「そうなのか?」
「私ならばそんなことはしない。もし君が機能不全で、いくらかの機能を外部委託したほうがいい状態であれば、すぐにここに連れて戻る。自分につなぐなどという発想は、よほどの緊急事態でもないかぎり、決してしない」
「……そうなのか?」
「当たり前だ。どうして我が身を犠牲にしなければならない? そうする他ない状況ならばともかく、ここには循環系の補助機器もあるし、濾過装置もある。神経系の負荷を低減するためのトランキライザーシステムもある。たしかに? 私のところへ連れてくれば小言は言うだろう。だが普通なら、その小言を我慢して、専門家に処置してもらおうとしないか?」
「……そう、かもな」
「危険だと分かっていないのか、それとも過信しているのか。ブラックアウトの身体機能が高ければこそ可能なことで、だからこそ私にはそもそもできないことなのだが……、どうも彼には、戦時下の緊急応急措置が染み付いているようだな」
「そんなに危険なのか?」
 バリケードも事の重大さをさっぱり分かっていない。命を守る者として、ラチェットは彼等の無知と無謀が少し腹立たしくなる。つい声が大きくなった。
「当たり前だ。レセプターが制御ミスして暴走すれば、本人がダメージを受けるのはもちろん、センダーにもフィードバックされる。下手をすれば二人とも全身の電気回路が焼き切れて、完全に機能停止する。循環系のリンクと電気負荷の低減程度であれば命に関わるような危険性はないが、だとしてももっと簡単な方法で安定させることができる。そんな手段をとる必要は一切ない」
 不適切な手段を選択するようでは、現時点での医師としての適性はもっと低いと見たほうがいいだろう。ラチェットはそう付け加えた。

(……それで何故君が困ったような顔をするのかね)
 思ったが、それは言わない。
 しかしたしかに、バリケードは変わった。代わりに意識的に、そう考えた。「変わった」と頭の中でリフレインする。
 それまでも少しずつ、以前よりは協調性を意識して行動したり、僅かだとしても発揮したりするようになったが、それでも微々たるもので、たいがい彼は調和の外にいた。
 だがスパークの異変で倒れ、死にかけてからは明らかに変わった。
 だが、とラチェットは思い直す。彼もまたアドバンサーだ、と。
 ラチェットがそうであるように、バリケードも特性を極端に固定されて生まれてきた。そのために高い能力は圧倒的に高いが、決定的に不足している能力もある。そして、変わることが非常に難しくもあるのがアドバンサーだ。必要な性能のために与えられた必要な性格、それはそう簡単に変わってはならないものなのである。
 戦闘能力に特化したバリケードが協調性を得ることは、ある程度までは有利に働く。個人による戦闘から集団による戦闘まで、幅広くこなせるようになるからだ。だが、たとえばブラックアウトのような共感能力を持ってしまうと、敵に同情するという事態にもなりかねない。そのためバリケードのスパークは、そもそもが他人に共感しにくいようにできているはずである。それは、これまでの彼の言動を見ても分かる。そうしたほうがいいと頭では理解して、それに類似した振る舞いはできるとしても表面だけだ。心は動かない、入れ込めないのである。
 ゆえにこの、自発的に他者の希望について気にかけ、そのために行動するなどということは、これまでのバリケードから考えれば決してありえないことだった。

 だがこれは現実である。彼の内部で思考が、感情が、いったいどう動いているのか。
 スパークが半分消えたこと。そしてほぼ元に戻ったこと。それに関係しているのかもしれない。
 それとも、とラチェットは今の話を思い返す。
 ブラックアウトの不適切な処置は、実際に「医師として起こしてはならない結果」をもたらした。機能だけを共有するはずが、思考まで洩れ伝わったのがそれだ。こんなことがあっては患者も医師も、プライバシーが侵害される。
 だが、ブラックアウトの思考や感情をダイレクトに受け取ったことで、強く感化された可能性はある。
 だとすれば、そのレベルにまで深く他者と関わることは、アドバンサーの持つ強固な殻すら破るものなのか。
 だとしてもそれは、手放しで喜べることではない。

「ラチェット? ……どうかしたか」
(それもだ。今までの君なら、用が済めばさっさと立ち去っただろう。他人の様子になど気付きもしないか、気付いたとしても関わる理由はないと)
 バリケードは困った様子だ。去ればいいのに、黙り込んだ自分にどう接すればいいのか、分からなくなっているのだろう。
 ラチェットはこの変化が、バリケードにとって幸福なことなのかどうかを思う。
 なにも感じない無痛の心でいたほうが、はるかに安楽だったのではないかと。
 少なくともラチェットは、自身の経験に照らし合わせて、無知の安楽をよく知っていた。

 果たすべき役目のため、なんの迷いもなく、前しか見ずに生きていた半生。
 ラチェットは己の歴史を振り返る。
 そしてそこには、偶然にも同じ姿があった。
 目を上げ、困惑した様子のバリケードを見やる。
 そして一つ、尋ねることにした。

 

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