「……昔話を一つ、聞いて行かないかね」
 言うと、バリケードが怪訝な顔になる。
「? なんだ?」
「聞くか?」
 重ねて問うと、
「……今の話に関係があるのか?」
 問い返された。
「無関係ではないが、つながりはないと考える者もいるだろう。私は、……私自身の希望として、誰かに一度話してみたい。私が考える分には、ブラックアウトの件にもまるで無関係ではないだろう。どうする?」
「―――それなら、聞いていく」
「そうか。ならば、できるだけ簡潔にな」
 そう前置きして、ラチェットは少しばかり記憶を遡った。

「昔のことだ」
「ああ」
「昔、セイバートロン星でのことだ。砲火の飛び交う戦場の真ん中で、孤立した小部隊があった。状況は、客観的に見て極めて、いや、絶望的に不利だった。もちろん上層部は見捨てることを決めた。助けに行けば犠牲者が増えるだけだと。だが、決断とは別に、何故か軍の司令官は彼等を助けたいと考えていた。何故かは知らない。名を聞いても誰も知らないような兵卒ばかり。この私も、救える可能性の乏しい命のために、今ここに確実に生きている命を危険に晒すのは反対だった。だが、助けたいという思いに勝手に応えた馬鹿者がいた」
 押し黙り出ていく背中。軍を預かる最高責任者として、有能な司令官は決断の後も淡々と軍議をこなしたが、声が絶え表情が見えなくなった途端に、その背がなにより雄弁に語っていた。見捨てねばならないことの苦渋と悲嘆を。
 ところで、その軍議は防衛軍の幹部はもちろん、それぞれの部署の責任者も参加する大規模なものだった。突発的な戦闘報告は、あくまでもその流れを断つイレギュラーに過ぎなかった。
 そこには救護部隊の隊長と、若い補佐官も出席していた。
 その補佐官が一人で基地を出、戦地に向かっていることが知れたのは、軍議の解散から間もなくのことだった。

「『彼』は命令などないままたった一人で飛び出していった。もちろん、助けは出せない。結論はもう既に出ていたのだからな。だがそれから間もなく、意外な情報が飛び込んできた。もう半時ももたないだろうと思われた孤立部隊がいまだ交戦中で、敵の中隊を押し返しつつあるという信じがたい情報だった」
 戦況が変化したのであれば、話は別である。援軍と共に救護チームも派遣することが決まった。数と兵器の圧倒的な不利を押し返す優秀な兵士であれば、救う価値も高い。そしてまた、援軍が駆けつけるまで生き延びている確率も高かった。
 ラチェットは軍の精鋭を護衛につけて、現地へ向かった。
「罠だったのか、それともたまたま、哨戒中の別部隊に遭遇しただけなのか」
 ラチェットたちは急襲され、護衛は全滅した。
「私は無事だった。私は戦闘力は持たないものの、自らの命を守るための防衛技能は多数備えている。より多くの命を救うため、まずはこの身を生かすことが必要なのだ」
 瓦礫に埋もれ、ステルスフィールドで姿を隠し、敵が去るのを待った。
「私は単純に判断した。引き返すほうが危険か、進むほうが危険か。私は進むことを選んだ。理由はシンプルだ。『彼』が少し先の廃墟にいるのが分かったからだ。一人で道を引き返すよりは、『彼』と合流したほうが安全だった。そしてそこから先私は、『彼』と……ブラックアウトと共に行動した」

 ブラックアウトの戦闘能力は高い。
 機体構造上、非常に薄く脆い部分が多く、防戦には向かないが攻撃力は不足ない。しかも正確だ。軍の中では戦力としてアテにされていなかったが、それは、彼が優しさ、ともすると精神的な弱さのために己の力を存分に発揮できないからだ。
 それでも、戦闘技能を持たないラチェットよりは格段に強かったし、なにより、助けに行くという確固たる信念が彼の行動を支えていた。あの場の行動と戦闘を見るだけであれば、プラックアウトは精鋭部隊の中に加えられても遜色ないほどだった。 
 ラチェットもまた、これ以上死者を出さないためにできうる努力を行った。自身の持つ防御能力は、すぐ近くの一人にならば拡大することもできる。電磁シールドなどを利用して身を隠し、時には守り、やむなく戦うこともありながら、二人は無数の「死」に囲まれた戦場を、逃げるかのように急いで突っ切った。
 無心だったことを、ラチェットは今もよく覚えている。我が身と、すぐ傍にいる兵士を守るため、そして生きて辿り着き、一人でもいいから救って帰るため、生きること、進むことに全神経を集中した。

 風の匂いが変わり、死の気配はまとわりつくほど濃くなった。
 黒煙と白煙、赤い炎、青い炎、絶え間ない機銃の音と、尾翼を撃ち抜かれて墜落する敵機。轟音と爆炎。
 その中に、ほとんど我が身だけで戦う小さな影たちを見つけた。
 辿り着いたのだ。
 救うべき命たちはまだ生きていた。ほんの数人だったが生きており、折り重なる数多の屍の只中で、彼等は今もまだ戦っていた。

「だが……」
 ラチェットは言葉を切る。
 そこから先は、思い出せばスパークが軋み唸るような、苦渋の記憶だ。
 しかしそれは、ともすると話さねばならないことなのかもしれない。
 そしてもしかすると、これこそが話したいことなのだろう。今まで誰にも語ったことのない、これは、懺悔なのだ。

 目を上げ、バリケードの目を見ながらラチェットは言葉を続けた。
「全滅寸前の部隊を発見したとき、敵の空挺師団が爆撃を開始した。私はそれを確認した瞬間に傍の地下道へと飛び込んだ。激しい揺れと爆音が頭上を通りすぎた後、私は自分の傍にブラックアウトがいないことに気付いた。逃げ遅れたのかと思って外を覗き、私は己の致命的な欠陥を知った。彼は爆撃の中を、ただ前へと飛んでいた」

 あの瞬間の茫然とした思いは、今もなお鮮明に再生することができる。
「助けるべき相手を私は躊躇なく見捨て、彼は躊躇なく救おうとした。命を救いたいという思いは、私のそれは、偽物だった。私の中にそんな優しさはない。思いやりも、無私の愛もない。私が持っているのは生まれつきの使命だけで、私が守りたいのは、使命を果たすという私自身。そんな事実に、私はそのとき、やっと気付いた」
「ラチェット……」
 言葉に困るバリケードの口元が、微かに動いている。
 彼にはきっと、なにを言うこともできないだろう。
 ラチェットは苦笑する。彼と、自分に。
 そして大きく息をついた。
「つまらない話だな。だが、真実だ。そして、それでも私には、存在することで果たせるものがある。人の役にも立つ。ならば私は、たとえ不具でもそう生きていくしかない。そして今、ここにいる」

 幾多の命を救い、幾多の命を見捨て。
 救った数は誰より多いだろう。
 だが見捨てた数も誰よりも多い。
 なまじ優秀な医師であったがために、フォールン襲撃の際もその後の戦乱においても、最前線のすぐ隣にいた。
 瀕死の床で助けてほしいと片目で見上げる若い兵士を、より救いやすい隣の一人のために見殺しにしたこともある。
 だがこれは、救命医というアドバンサーにとっては必要な性質なのだ。
 倫理や道徳よりも効率や社会的貢献度を優先し、救いうる者、救うべき者から救う。
 そして、次々と降りかかってくる死や非難に、いちいち動揺していては務まらない。
 自責や後悔、苦悩はあるが、それを小さく凍らせて封印するのは得意だった。そんな自分が、決して好きではなくとも。

「そういえば、彼はあのときも馬鹿なことをしたな」
 そんな自分と対極にいる存在。
「彼は何度か空爆を食らいながらも生存者のもとに辿り着き、無理やりにさらって戻ってきた。私は自分が身を隠した地下へ誘導した。しかし下ろしたとき既に、三人の内二人は死亡していた。生き残った一人も、残っているのは頭と胸と胴の半分くらいで、意識もなく、スパークも急速に弱まりつつあった。それでもそこが病院であれば救える。私には可能だ。だがそこは戦地で、医療設備などなにもなかった。もちろん、必要な設備のあるところまで連れて帰るのは時間的に不可能だった」
 戦時下の緊急措置。
 ブラックアウトは代替機器さえあればいいと察すると、迷わず瀕死の兵に接続しようとした。
 危険すぎる、よせと言うラチェットを突き飛ばし、その隙にかなり乱暴な接続を終えた。その瞬間に、全体の三分の一ほどしかない半死の体は痙攣し、ブラックアウトもまた過負荷により放電を起こした。
 ラチェットは、それもまた危険なことだとしても、ソーサーでコードを切断しようとした。
 だがブラックアウトはその手を叩き払い、調整を手伝え、それがあんたの仕事だと言った。
 ラチェットは思わず言っていた。
『こんな、名前さえ知らないような相手に、どうしてそこまでするんだ』
 と。

「名前を知らなければ助けないのかと、ブラックアウトは激怒した。私は、それが負傷者の身に障るからと宥めて、馬鹿な発言を謝罪し、調整を手伝った。私は……馬鹿な話だが、あのとき初めて、医に携わる者として、『負けた』と思った。人の命を救う行為に、勝敗などないというのにな」
 あの出来事がなければ、はたして自らの欠陥を自覚したかどうか。
 他人の命など大切ではない。尊いとも思っていない。それを救おうとするのはただ己自身のため、己の価値を確認し、築くためだ。
 悼んでなどいない。憐れみもない。痛ましさを感じているように見えるとしたら、それはただ、やり遂げられなかった己についた、我が身の傷を口惜しがっているだけだ。
 そんな不具を知り、その上で医師として生きることには、それまでにはなかった苦痛が伴った。
 どんなに厳しい命を助けても、難しい患者を生の世界へ引き留めても、誇りには思えなくなった。すべては己のためにしたこと。何一つ、彼等自身のためにしたことではない。ただ結果的に彼等のためにもなったというだけで。
 なにも知らなければ、こんな苦しみはなかったはずだった。

 だが、知らぬままに己の有能と判断を盲信し、冷厳かもしれないが善良であると勘違いし、昂然と命の上を歩いて行くよりはマシだったとラチェットは思っている。
 優秀な医師であるのは事実だが、それはただ、技術と技能の塊だというだけのこと。
 そう自覚すればこそ、己が手を出すべきでない領域があることを認め、その手前に踏みとどまることもできるようになった。
 バンブルビーが失った「声」を、ラチェットは自分が取り戻そうとは考えていない。彼の喉をどれほどいじっても、もう治すところなどないのだ。しかしほんの1万年ほど前の自分であれば、ただ外科的な治療、理論だけで構築された「適切な療法」を施し続けたのではないかと思う。治せない己を許せず、君のためだと言いながら、心の傷さえ外側から、手先のテクニックで治療しようとし続けただろう。
 だがもしそこにいるのがもっと優しく、本当に患者のことを思う医者ならば、決してそんなことはしないだろう。

「ブラックアウトはたぶん、素晴らしい医者になれるだろう。数は多くなかろうが、私では決して救えない者を救うことができる」
 ラチェットはそう結論する。
 だが、だからこそ気掛かりなのだ。
「しかしそれは、我々が平和な世界に生きていればの話だ。地球を去り、移住候補の星に向かうとなれば、再び危険は身近なものとなる。おそらくな。兵にとっても死は身近なものだが、それはあくまでも敵のものであり、己のものであり、その敵に傷つけられる第三者のものだ。だが医師にとっては、ともすると自らが、救おうとした相手にもたらしかねないものになる。遠ざけようとどれほど足掻いても、叶わないこともある。その瀬戸際に立つことが、ブラックアウトにできないとは言わない。だが私は、あえてそうする必要はないと思う。どこか安住の地を見つけ、腰を据えてからゆっくりと、第二の人生を考えたほうがいいのではないかとな」
 なにも好きこのんで、死者が出そうなタイミングで医者を志すことはない。
 ラチェットはそう締めくくった。

 思案気な顔のバリケードを促して、外へ出る。
 ラチェットは少し話しすぎたかと思う。
 だが、いつか誰かに聞いてほしかった。
 分かってほしいとは思わない。同情がほしいわけでもない。
 ほしいのはただ、人が言うほど立派な医者ではない、そのことに対する過不足のない理解だ。
 乖離していく、仲間たちの中で理想化された自分と、現実の自分。そこに大きな溝があることを、誰かに知っていてもらいたかった。
 その相手として、バリケードは数少ない適合者だった。
 彼はアドバンサーだ。同じような不具を抱え、極端に優秀な能力と、そのために極端に欠けたなにかを背負い、生きていかねばならない。そしてブラックアウトの今後に関心があるのであれば、なにかこの話をもとに助言できることもあるのかもしれない。
(こんなものはすべて、後付けの言い訳かもしれないが)
 話したことに対する幾許かの後悔と気恥ずかしさ、不安をまぎらわすための、無様な足掻き。ラチェットは内心で自嘲した。

 今日はもう休み、こんな感情は小さく丸めて置き去りにしてしまおう。そういったことは、得意なのだから。
「ではな。戻って早く休め。まだ万全とは言えんのだろう」
 背を向けて中に戻ろうとした。
「ラチェット」
 その背を呼び止められる。
「まだなにか?」
 少し突き放すように、頭だけで振り返って問う。
「いや、……あ……その……」
「私ももう休みたいのだが?」
 我ながら意地が悪い。もう少しマシな誤魔化し方もあるだろうにと思う。
 しかしそんな居まずい思いは、次の言葉できれいに消し飛んだ。

「あ―――その……ア、……あ、りガ、とう……」

 面食らった。
 バリケードからそんな言葉を聞いたことと、そして、そんな言葉ごとき口にするのにずいぶん苦労しノイズ混じりになること、二つ同時に。
「いや、どういたしまして。ところで、なにについての礼か、訊いてもいいかね?」
「話を、聞いてくれたこと……。それから……してくれたこと。それから、―――昔、……助けてくれたこと―――」
 ラチェットは吐息し、笑った。
 気付いた、いや、記録に残っていたのか、と。

 意識はなかった。前後の記憶が確保されているかどうかも怪しかった。あの状態では外界のことはもちろん、自身の状態や情報についても何一つ、残っていなくても無理はなかったのだ。
 だから、自分のことだとはまったく気付かないかもしれないと思っていた。
 だがなんらかの断片は残っており、そこから記憶が再構築されたのかもしれない。ともすると、漠然とした曖昧な記憶が、この話を聞くことによって明確化された可能性もある。
 なんにせよ、
「君を助けたのはブラックアウトだ」
 私ではない、とラチェットは告げる。
 告げるや否や、バリケードらしくはないレスポンスで言葉が返ってきた。
「だがきっと、あんたがいなければ無理だった。あんたは―――」
 だがそこから先は、待っても出てこなかった。

 なにを言おうとしたのか。
 内容は分からないが、推察はできる。
「もし慰めてくれようとしているのだったら、ありがとう。君は、変わったな。それが君にとって、良いことであることを願うよ」
 人を慰めようと考える、そんな気持ちが、悲しみのほうを多く連れてこなければいいと思う。
「さあ、早く戻りなさい。これで明日また倒れるようなことがあれば、今度は当分、外はお預けだ」
 それは困る、と少し顔をしかめたバリケードに笑って、ラチェットはガレージに戻った。

 椅子に座り、深くもたれて目を閉じる。
 彼が変わったように、自分も変われるのだろうか。
 ふとそんなことを思う。
 だが、その先に待っているのは良きものなのか、悪しきものなのか。
(……そうではない。私が考えるべきは、そのことでより多くのものを救えるようになるのか、それとも救えなくなるのか、だ)
 薄く目を開き、様々な医療器具と設備に囲まれたガレージを見やる。
(私は、すべきことをするためにここにいる)
 生きる喜びは、他人の上にあればいい。
 それを少しでも多く残すことが、自分の役目なのだ。そしてそのために、最適な状態であることこそが望ましい。
 もう一度目を閉じ、ラチェットは朝まで少し眠ることにした。

 

(了)


 さて。
 ごくごく普通に、ラチェット先生のお話です。
 表に置いても構わない、というか、表とまったく同じ設定、物語です。たまたまそれを語る舞台が裏になったというだけで。
 ここはパロディだけど、あくまでも本筋あってのものですので、重要な設定はすべて表から引っ張ってきているのです。

 いずれ表には、ラチェット先生が語った昔話を、そのままSSとしてアップしたいと思っていましたが、書くと相当長い! そんなものを書ききるときまで他のジャンルに気が移らないでいる保証もない!
 なので、ダイジェストにはなりますし、本編部分とからんで分かりにくくもなりますが、ここで一度書いておきます。

 ちなみにラチェット先生。貴方が初めてだと分かってないでしょうね。バリケードに「ありがとう」なんて言わせたの。
 でも少し後には相変わらずのげんなり呆れた先生に戻ってしまいます(笑)。でも、意識せず元のように振舞ってくれるほうが、接するほうとしては安心できますよね。