「散る花」


 不機嫌極まりない伊達に、桃は困り果てていた。

 8/10日の夏祭り最終日、隅田川の花火大会には及ばずとも、この近隣の住民たちが楽しみにしている、花火がある。
 S川の中州を利用して打ち上げられるもので、一ヶ所だが仕掛け花火も設置された大掛かりなものだ。
 去年も一昨年も、桃たちは花火の打ち上げられる重低音だけを耳にしながら、寮から一歩も出ることはできなかった。
 だが、二号生になってみると、日々のスケジュールにも規律にも、ずいぶんと余裕があった。
 念願かなってようやく、祭りの日に遊びに行けるようになったわけだが……。

 親子連れが、桃たちに気付くやこそこそと距離をとった。
 子供はわけもなく泣き出しかけている。
 桃のせいでは、ない。
 鬼も泣いて逃げ出そうかという不機嫌顔、殺気に近いほど苛立った気を放っている伊達のせいである。
 桃は作り笑いで親子に軽く頭を下げながら、どうしたものかと考えた。
 何にこんなに不機嫌になっているのかは、分かっている。
 まず、人ごみ。
 伊達は人に触れられることを極端に嫌う。人の気配が肌に感じられることですら、良しとしない。
 とはいえ、一年以上こうして共に過ごしているうちに、いくらかの仲間に対してはそういうところもなくなってきた。
 だが、伊達に言わせれば有象無象の、どうでもいい大量の人間がひしめき合うような空間にいられるほどではない。
 もっとも、伊達の恐ろしげな様子のせいで、桃たち二人の周囲には、犬もヤクザも近寄ってこないのだが。
 それから、二つ目の理由は、いつまで待っても現れない富樫たち。
 寮の屋根からでも見えるだろう、と言う伊達を、近くで見たほうがいいに決まっている、と無理やり誘っておきながら、大遅刻である。
 実を言えばその頃、富樫たちは寮内の後始末に泣いていたのだ。
 みんなで楽しもう、と思って買い込んだ手持ち花火やロケット花火が何故か突然発火して、火事一歩手前の騒ぎになっているのである。
 そんなことを知らない伊達の怒りは頂点に近づきつつあり、予想以上の不機嫌ぶりに、桃も迂闊には宥められず困りきっているというわけだ。

「……帰るぜ」
 30分は待った。
 そこが限界らしく、伊達は一言そう言い捨てると、橋の欄干から背を離した。
「ま……」
 待て、と言いかけた桃だが、肩越しに振り返った伊達の視線の剣呑さに、言葉を飲み込む。
 桃としては、ここで伊達を帰してしまいたくはない。
 だが、この伊達を引きとめるとなると、血を流す覚悟がいる。
 なんとかうまく宥める方法はないか、と珍しく頭をフル回転させる桃。
「いくらあいつらでも、無断でこんなに遅れるなんて、何かわけがあるんだろう。もう少し待ってやらないか?」
 歩き出している伊達の背に、桃は早口でまくし立てた。
「いいか? 俺は、来る気はねえところを折れて来てやってるんだ。二度も三度も折れられるか」
「でもな、ほら、もう少しで花火も始まるし、どうせここまで来たら、見ていったほうがいいだろう? ここで帰ったら、それこそ骨折り損だ」
「そもそも花火なんてモンに興味はねえ。何が面白いんだ、こんなもんの」
「何がって……綺麗だろう?」
「それで?」
「そ、それでって……」
「俺はな、嫌いなんだよ。花火、ってヤツが」
 一言一言、言い聞かせるように、区切りをつけた低い声。
 苛立ちまぎれではなく、本当に嫌っている、と分かるほどの。

「待てよ、伊達」
 桃は慌てて追いかけて、横に並んだ。
「なんで、嫌いなんだ?」
 問うが、答えない。
「なあ、伊達」
 他にすべもなく名前を呼ぶと、ぐいと襟もとを掴まれ、引き寄せられた。
「うるせえぞ、桃」
 射るほど鋭い目に、桃は言葉を殺される。
「おまえのことは認めてるが、馴れ合う気はねえ。知った顔して、擦り寄ってくるんじゃねえ」
 手荒く突き放されて、桃はニ、三歩後ろへよろめいた。
 久しく聞かなかった辛辣な言葉を残して、人が自分を避けるのをいいことに、さっさと遠ざかる冷たい背。
 その言葉に悪意はないのは分かっている。だが、酷い言葉を投げつけてまで自分を追い払おうとしている、それが許せない。
 桃は思わず、通りすがりの青年の手から、今しがた買ったばかりらしい、手付かずの缶ジュースを奪い取った。
 それを、思いっきり伊達の後頭部目掛けて投げつける。
 伊達はそれを避けようとして……、避ければ、自分の前にいる誰かに、こんなとんでもない凶器がぶちかまされることに気付き、動きを止めた。
 受け止めようととっさに振り返ったが、時速160kmを越えると思われる桃の怒りの一球(?)は、その時にはもう、側頭部にクリーンヒットしていたのだった。

 ドーン、ドーン、と体の底を揺らす重い音が、闇の中に心地好く響いてくる。
 小気味のいい低音を、不意に、鈍く鋭い痛みが遮った。
「つっ……!」
 槍でも突き刺さったように痛む左こめかみを押さえて、伊達が背を起こした。
「ああっ、伊達っ!」
 途端、何かに抱きつかれる。
「良かった。俺、おまえが避けるもんだとばっかり思ってて」
 ものすごい腕力で締め上げられて、伊達は窒息しそうになった。
「放せ、この馬鹿!」
 怒鳴ると、それに合わせて頭が痛む。
 直撃を受ける寸前で身を引いたが、反応が一瞬遅れていたら、即死もありうる恐怖の缶ジュース攻撃だった。
「桃。おまえ、時と場合と場所くらい考えやがれ。あんなところで力任せに物ぶん投げる馬鹿があるか」
「おまえが悪いんだ」
 年甲斐もなくすねた顔をして、桃は上目遣いに伊達を睨む。
 その顔がいつもと何か違う、と伊達は思ったが、それが何かは分からない。ショックが抜けきらないせいか、ものを考えるのが億劫でもある。
「なんで俺が」
「せっかく来たのに、帰るなんて言うからだろう」
「無理やり引っ張り出したのはそっちじゃねえか」
「それでも来てくれたのに。気が進まないとは分かってたけどな、それでも来てくれたから、嬉しかったのに、帰るなんて言うから」
 桃の目にうっすらと涙が溜まる。
 伊達はそれを見て狼狽した。
 まさかこんなことで泣き出すとは思っていなかった。
 いや、女子供ならばともかく、あの桃が、この桃が、とにかくよりにもよって桃が、聞き分けのない子供のように涙を見せるなどとは、思ってもみなかった。それは伊達のみならず、他の誰がここにいても、そう思うだろう。
「なあ、伊達。富樫たちが来ないなら、それでもいいから、花火だけでも見ていこう」
 おねだり、の顔をされる。
 伊達の脳裏にはこれに騙された苦い記憶が無数に蘇るが、頭痛が(物理的なものだが)それを散らしていく。

「だから、俺は嫌いなんだ」
「どうして」
 また答えてくれないのか、と責める涙目。
 それよりむしろ、また無視したら今度はどうなるか分からないという恐怖。
「……意味がねえからだ」
 伊達は憮然と呟いた。
「意味が、ない?」
「無駄じゃねえか。何が残るわけでもねえ。火ィつけられて打ち上げられて、散ったら終わりだ。人楽しませるためだけに、咲いて散るなんて、な」
「伊達。それは感情移入の仕方に」
 問題があるぞ、と言いかけて、桃は気付いた。
 たぶん伊達は、花火に自分を重ねて見てしまうのだ。
 哀しいような悔しいような、怒りに混じる伊達の複雑な表情を見て、桃はそれ以上言うのはやめた。
 たぶん、伊達の過去に関りがあるのだろう。
 人を楽しませるためだけに、咲いて散る。
(……コロッセウム、か……)
 殺シアムも天挑五輪の決勝戦も、見世物同然ではあったが、たぶん、それとは意味も重さも違うものがあったのだろう。
 いつか何処かで、一度そう見えてしまったら、もう逃れられない。花火を見るたびに、その記憶を思い出さずにはいられなくなる。
 と、少し深刻になってみた桃は、これで義理は果たしたと言わんばかりに、さっさと重苦しい想像を放り出した。
 滅多に人になつかない獣が、ほんの僅かでも、自分に心の内を見せてくれる瞬間の、その優越感がたっぷり混じった幸福を噛みしめる。
「だったら、思い出作り直そうぜ」
「はあ?」
「嫌な連想しちまうから、花火が嫌いなんだろう? だったら、いい連想できるようにすればいいわけだ。花火見ろとは言わないから、な。出店でも見てこよう。好きなもの奢ってやるぜ」
「お、おい、桃っ」
 桃は伊達を引き起こし、引きずるようにして土手へ上がった。
 祭り最後の夜は、まだまだ終わらない。



さて、ここで選択肢を差し上げよう。

1.桃が幸せならそれでいい。オチなんて知りたくない。(ここで終わり)

1’.桃が幸せなら伊達は多少不幸でもいい。(女性向)

2.伊達が幸せならそれでいい。オチまで見せろ。つか「あの人」出ないの?

2’.伊達が幸せかもしれないならたぶん許す。(乙女向)

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