ほとんど密林に等しい森だった。 だが熱帯のそれとは異なり、ひんやりとした霧が木立の合間にたゆたっている。 「ったくよ。ここが日本かよ」 男が一人、鋼鉄製のマスクの中でごちる。 「知られざるもの、か。この分では、世界中にどれほどの謎が残っているかもしれんな」 逆立てた金髪が枝に触れそうになり、答えた男は軽く身を屈めた。 彼等の後を、黙々と歩む男がさらに二人。 「どうせどれも、薄汚ェ欲望の霧ってヤツに隠されてんだろうよ」 マスクの男がいまいましげに顔をしかめた。 元男塾死天王。 影慶、羅刹、センクウ、卍丸。 四人は今、霧深い北海道の森を進んでいた。 目指すは、日本武術の総本山とも言うべき武幻城。 その、隠し門である。
先の天挑五輪にて重傷を負った彼等は、卒業式典には出ることもなく男塾を離れ、小さな温泉地で療養の最中だった。 小さいとはいえ塾長・江田島の所有する土地らしく、観光客の姿のない、静かで快適な保養地である。 傷はおおかた塞がったが、ダメージまで完全になくなったわけではない。 身動きもままならない間に失った筋力を取り戻す鍛錬を兼ねて、一年ばかりはゆっくりと休めば良い、との江田島の温情溢れる計らいだった。 日常の雑事に煩わされることもなく、ふたつきばかり過ごしただろうか。 五月の末頃、江田島が「闇の牙」と名乗る組織によって拉致された。 彼等の気性を知る者たちは、その事実を隠蔽しようと心を砕いたが、それは徒労に終わった。何処からかその話を耳にした元三号生が、それこそ彼等の気性を知るがゆえに、すぐさま駆けつけて報告したのである。
無論彼等は、先に出発した桃たちを追おうと試みた。 だが出立の準備も整わぬ内に、塾長代理となった王大人から、「今はまだ動くことならず」という厳命が下された。 戦況を見、いざという時に動かすために、今は体を治すことに専念しろとの言に、彼等は従わざるを得なかった。 卒業したはずの自分たちが軽々しく動くことは、桃たちを信頼していないようにも見える。そういった懸念もあったのである。 第一の牙、第二の牙、と犠牲者を出すこともなく切り抜け、月光の生還という喜ばしい報告もあった。 案ずることもなかったか、と安堵を覚えた矢先。 第三の牙にて、新ニ号生・富樫源次と、新三号生筆頭・赤石剛次の訃報が届いた。 第四の牙は神拳寺が相手だという。 もはや我慢ならぬ、と制止を振り切って動こうとした、六月の宵だった。
激しい雨音の中、引きとめようとする者たちと声高に言い争っていた。 そこに、王大人が現れた。 「神拳寺にはわしがいかねばならんわけがある。第四の牙については、わしに任せるがいい。だがその代わり、おぬしらには次の一手に備えてもらう」 「次の一手、だと?」 殺気立つ卍丸を真正面から見据え、王大人は、己が突き止めた黒幕について語った。 藤堂兵衛が生きている、と。 彼等は見ていないが、桃によって真っ二つに切り裂かれて死んだはずの男だ。まさか生きていようとは信じがたいが、王大人の言葉には、歓迎できぬ事実に対する苦味があった。 「何を仕掛けてくるか分からぬ。その時のため、今しばし待て」 そう言い置いて王大人が去り、四日が経過した。 「武幻城に赴き、剣たちの援護をせよ」 との伝令が届いたのは、昼過ぎのことだった。 ほぼ同時に、爆音を響かせて一機のヘリが現れた。 武幻城については、男塾に長く籍を置くうちに、聞いたことがあった。 そして送り届けられたのが、この、初夏の北海道だった。
森に踏み込んだ時からずっと、不気味な冷気が足元を覆っている。 顔を上げても一面の霧で、門どころか城すら見えないが、研ぎ澄まされた感覚に、触れるものがある。 それが重圧に等しいほど高まって、古めかしい門が現れた。 はっとして見上げれば、聳え立つ黒鋼色の城があった。 そこは、城の足元だった。 石垣の一部をくり抜くようにして設えられた、貧弱な、小さな門からは、今にも朽ちて落ちそうな、邪悪な笑みの老人を思わせる腐臭が漂う。 「これか」 吐息に紛れる微かな声で、羅刹が呟く。 城には、洋の東西を問わず、攻め込まれた時のための撤退通路があるものだ。また、人目につかぬ出入りにも用いられるとすれば、それが目立つもののはずはない。おそらく、これが王大人の言う隠し門であろう。 気配を断ち、呼気・吸気を鎮める。 視線だけを交わし、門柱に添うように、卍丸が取っ手に手をのばした。
ギ、と門扉が軋む。 「!?」 触れるまでもなく、扉は外側へと開かれていく。 人影は、ない。 「……お見通し、ってわけか。面白ェ」 沈黙する悪意の洞が、黒々と口を開けている。 何処へ通じるのか。 「俺から行こう」 影慶が慎重に踏み出す。 足場を確かめる。 黴臭い、独特の湿った空気。 壁、床、天井。 異常はない。 一人、また一人と。 四人を闇の中に飲み込んで、絡繰仕掛けの扉は閉じた。
途端、通路の両脇に燃える灯明。 「歓迎ムード満載、か」 皮肉に笑って、卍丸が肩を竦めた。
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