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城の敷地内に、伊賀衆の住まう長屋がある。 当たり前の民人、武士とはいささか異なる性根の忍び連中が集まっているのであるから、そこには一種独特の空気が漂っている。好きこのんで近づく者もあまりないが、その日、夜明けて間もない時刻のこと。 半蔵が長屋の井戸端で、顔など洗うていた折り、 「風魔が呼んでおるぞ」 ほとんど通りかかったような気楽さで正信に言われ、半蔵は 「はあ」 と要領を得ぬ曖昧な返事をした。 小太郎が呼ぶのはどうということもないが、伝言を寄越すというのが珍しい。 そういえばあれが怪我をして以来呼ばれたことはない。それ以前は、笛を使われた。 また呼ぶようになったということは、それだけ傷も言えて日常に戻りつつある証だろう。それにしても何故、わざわざ伝言など寄越したか。 正信は半蔵の無作法など気にも止めず、 「今更揉め事も起こるまいが、いささか機嫌が悪いようであったことは、言うておく」 そう言って、くるりと踵を返した。 その背中を見送る間もなく、半蔵はその場から去った。
塀を蹴って屋根に乗り、軒を飛び移って松の枝を踏み、離れへと急ぐ。 急ぐことなどないのかもしれぬが、わざわざ呼びつけたということと、機嫌が悪いらしいということで、いったいどうしたのかと不思議があった。 そうして辿り着けば、開け放たれた障子の向こう、己を見つけた小太郎は、たしかに。 (機嫌が悪い……と言えば、たしかにそうかもしれぬな) 上機嫌でないのは確かで、あえて言うならば憮然とした様子である。 「小太郎。何用だ」 縁側に寄り、尋ねる。 何事もなければ薄く笑っているような男であるから、たしかにこれはむっとしたようにも見える。なにか気に入らぬことでもあったろうか。 しかし問に対する答えはなく、小太郎は 「来い」 顎を軽く上げて招くのみ。 仕方なしに半蔵が座敷に上がり近付くと、半ばから垂れ下がった袖、つまりは腕を上げられた。いったいなんなのであろうかと、半蔵は訝る。 「半蔵」 「ああ」 「半蔵」 名を呼ぶ声が、一度目よりは二度目、苛立ったようになる。 「いったいなんだと言う」 「来いと言うたろう」 「来たろうが」 「ここへ来い。半蔵」 ここ。 つまり更に近く、半ばから無い、腕の中。
なるほどと半蔵は得心した。 このいささか豊前と見えるのは、不機嫌なのではなく駄々を捏ねているのだ。 「そんなことのために呼んだのか」 どうせ一日に一度は必ず訪れるのだから、いつものように待てば良いものを。 そう思いながら半蔵は軽く外をうかがって障子を閉め、思い切って小太郎の膝の上へ乗ってやった。 途端に、不自由な腕できゅっと挟まれる。手まであればともかく、肘から下がないのではこれが限界だ。 そして半蔵は、なんとも居たたまれない、落ち着かない心持ちになった。 生まれてこの方、人と抱き合うたことがなかったのだ。仕事で女と寝ることはあったとして、そしてまた一応表向きとは言え妻があって子もいる以上、閨事にまで無縁ではなかったが、好いているから抱きしめる、抱き合うなどというのは、一度もなかった。そして、幼い頃父母に抱かれた記憶も。 だからこれは、ひどく馴染まぬ。 かつて、仕方なしに小太郎に抱かれていたときはまだ"仕事"だった。こうしておいてやればおとなしくしておるならという打算があった。
「やはり、うぬがいい」 などと言って、間近でくすりと笑った。 わけが分からぬ。半蔵は身じろいで小太郎を見上げる。小太郎はいつもどおり頬を寄せて擦り、ふと顔の向きを動かして軽く口付ける。 いったいなにがなにやらと、ほとんど途方に暮れていた半蔵だが、そこで急にはっとした。 障子。 全開ではないか。 「小太郎、よせ、表から丸見えだ」 「構うな」 「構うわ」 半蔵は強引に小太郎の腕を解いて立つと、さっと辺りに目を配った。
小太郎は不服げで、軽く腕を上げて来いと促す。 腕の中に戻ってやるのは、嫌ではない。が、せめてこの死体くらいどうにかしたい。というか、せねばならぬものではないか。幸い冬の夜から朝のことで腐る様子はないが、これが蒸し暑い夏であれば既に腐臭を漂わせていても不思議はない。 そもそもこの女は何者で、何故なのか。昨夜のことだろうが、いったいなにがあったのか。 「小太郎。この女はなんだ」 半蔵が言うと、小太郎は不服げに息を一つついた。 「昨夜来たのよ」 「誰だ」 「知らぬ」 「何をしに」 「我を殺しにであろうな」 「裸になっておるのは、色仕掛けか」 「ああ」 「女の素性、雇い主に心当たりはないのか」 「ない」
妙な話だ、と半蔵は思う。 この女はまず忍の者であろう。色仕掛けで落とそうとしたか油断させようとしたか。しかし、徳川の城の奥深くに入り込みながら、他の誰でもない、居候の風魔を狙うのが解せぬ。 そもそも小太郎に、忍び込んでまで命を狙ってくるような敵がいるのか。半蔵が考えるかぎり、いるとは思えぬ。もはやなんの力もない、北条の使う乱破に恨みを抱く者、これがまず思いつかぬ。では小太郎が徳川に属してからかと思うと、狙うならより徳川に縁深い己のほうであろうという気もする。戦力を削ぎたいと思うなら、小太郎しか狙わぬというのが合わぬ。小太郎に個人的な恨みがあるという者はいるかもしれぬが、そうなると今度は膨大であろうし思いもよらぬ者もいるに違いなく、やはり見当がつかぬ。
「半蔵。そのようなこと、どうでも良かろう。早くここへ来い」 「そうはいくか」 「半蔵」 「駄々を捏ねずに待て。屍を片付けさせる」 「捨ておけ」 「おけるか」 (そういえばこやつ、女の屍と平気で一晩明かしたのか) 死体に触れてみると、既に硬く強張っている。少なくとも、夜明け頃のことではあるまい。 (……平気で寝るのだろうな) 気になって眠れずに朝を迎えた、などということはなさそうである。
ともあれ半蔵は一度その場を離れ、下忍を二人伴って戻った。 女の素性の調査と侵入経路の特定、防備の強化を命じて屍と共に下がらせる。 「半蔵」 もういいのだろう早く来いと言わんばかりの小太郎に、半蔵は嘆息し、苦笑した。 「分かった」 付近に誰もおらぬのを気配で確かめて障子を閉め、小太郎の組んだ足の上に座り、体を預ける。 これで満足だろう。と思いきや。 「こ、小太郎っ」 ちゅ、と小さく音を立てて唇が首に吸い付いた。
歯が当たって軽く噛む。 「待て! まだ昼……どころか朝ではないか!」 「それがどうした」 逃げようとした途端に小太郎の足が動き、半蔵の足を押さえ込む形で組みなおされた。腕に力が入り、鉄輪のように動かなくなる。 「小太郎!」 「しよう」 「……っ、だから今はまだ」 「朝でなにか悪いか」 「こういったことは日が落ちて」 「からでなくばできぬわけでもあるまいが」 それはそうなのだが。
耳の中へ舌を差し込まれて半蔵は首を竦め、なんとか頭だけ遠ざけようとした。 が、ほとんど動けぬように固められていては満足に逃げることなどできるはずもない。晒した首筋にまた吸い付かれ、温かく舌が這っていく。 「今すぐにうぬを抱きたい。ならぬのか」 (だからっ) 「夜まで、待て……っ。日が落ちたら」 「何故待たねばならぬ」 「このようなことは日のある内にするものではない!」 「何故」 そう言われても答えようはない。
答えられぬせいで思い切った反撃ができなかったものか。 それとも、腕がなければないで、その形で生きていた時に身につけた体術でもあるのか。 小太郎は巧みに半蔵の動きを封じながら体勢を変え、脚を脇に抱え込む姿勢で押し伏せてしまった。 噛んで半蔵の袴の紐を解く。 「小太郎……!」 「どうしても嫌だと言うなら、手があろうが。我は、うぬの手までは封じておらぬぞ」 半蔵は小太郎の肩に手をかける。だが多少力を込めたくらいではびくともせぬ。 「その程度では無駄。分かっておろう」 小太郎は褌を犬歯に強く噛むと、首を曲げて呆気なく引き破った。 「小太郎っ」 「久しぶりよな」 そう言って小太郎は、緩んだ下帯から覗いたものに、音を立てて口付けた。
殴るなり蹴るなりすれば逃れられるのは明白。 だが、これが日のある内のことでなければ断じて御免被るということではなく。 何故日のある内ではならぬのかという疑問に対する答えもなく。 体に障るまいかと思うのがあり。 ……久しぶりなのはお互い様でもあり。 ぬるりとそこを口中に含まれると、脚の付け根が痺れたようになり、力が入らなくなった。
舌が蠢き、纏わりついては離れ、別の生き物でも飼うているかのように絡みつく。 「こ、小太郎……っ、よさぬか……!」 「そう思うなら押し退けよ」 「まだ、昼……」 「まだ言うか」 「……っ、う、ぅ……っ」 強く吸い上げられると、たちまちに洩れそうになった。
「おとなしくしておれ。悦うしてやる」 言いながら吐く息でくすぐり、舌先でつっと舐める。 「……嫌だと言うたら……」 「言うておらんで、まこと嫌ならば疾く逃げよ。うん?」 そうせぬことは、心底嫌ではない証。 我ながら往生際が悪い。その上己でこうと決められぬからと、小太郎に決めさせる卑怯も自覚した。 「……分かった。抗わぬ。そのかわり、人が来ぬか気にかけていてくれ」 これで良いと、小太郎は屈託ない。 そういえば本当に久しぶりだと半蔵は少し落ち着かぬ。 だいたい、体は。 「小太郎。傷は……具合は、もう良いのか」 問うと小太郎は、 「もう痛まぬよ。……案じてくれておるのか、まだ意を決めかねるのか、どちらだ」 上目に半蔵を見て、悪戯に笑うとまた顔を伏せた。
そのくせそこから、今度は上へ這い上がってくる。 嬲るだけ嬲ったものは最後に軽く口付けてそれきりそのまま、臍を舐め、脇腹に口付け、胸を吸い、尖った乳首を舌で弄ぶ。 分かっていてやっているわけではないらしいのが、なお困る。 射精に頼れば他愛ない行為のはずが、体中愛撫されると狂ってしまう。腕や指まで飽きもせずに舐めて、どこもかしこも蕩かされていく。暑くてたまらず息が上がり、喉に絡んだ声が零れる。 小太郎は襟から腕を出して諸肌脱ぎになり、嬉しそうに笑ってぴたりと体を被せてくる。 熱い肌の融けるのが、心地好い。 「小太郎……」 幅の広い体を抱く。
小太郎は好きな場所に好きなだけ口付け、舌を這わせ、吸って、行きつ戻りつ堪能する。 その内に半蔵の首筋に顔を埋めて鼻を鳴らし、口付けてまた大きく息を吸い、また鼻を鳴らした。 「なんだ……、また、匂いなぞ……」 相変わらず、することは微妙にけだものだ。 「嫌か?」 「嫌ではないが、気になる」 半蔵自身は人間の匂いなど好きとも良いとも思わぬから尚更だ。 だが小太郎は、 「良い匂いだとな。うぬの匂いだ。たまらぬ」 臆面もなく言って、またゆっくりと息を吸った。 「小太郎……っ」 「昨夜の女にも勃つには勃ったが、……抱くならうぬがいい。いい匂いだ。味も、いい」 ゆっくりと項を舐り、音を立てて吸い、「美味」と小太郎は呟いた。
汗を一つずつとるように点々と口付ける。 不意打ちでまた下肢のものを吸ったかと思うと戻って来て口を合わせる。 苦いのは己の零した先走りのせいだろうと思うとはなはだ嬉しくないのだが、それは間もなく薄れて小太郎の味だけになる。 息苦しくて大きく喘ぐと、不意にふわりと良い匂いがした。 甘い。 濃厚で、噎せ返るようだ。 僅かな酸味と苦味。 頭がぼうと霞む。 目は開けているはずだが、なにを見ているのか己にも分からなくなる。
「半蔵……」 小太郎の声がして目を閉じると、心地好い暗闇の中、互いの口の戯れる感覚だけが強くなる。 (小太郎―――) 舌を吸い、唾液を飲む。なにかがもっとほしくて、手を添えて逃がさぬようにして貪る。 小太郎の笑う声がして、口が少しまた開くとほとんど喰われるほど深く合わせられた。
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