『お客様です。フェンリル様ですが、お通してしてよいでしょうか?』 ふむ……。これくらいなら、いかにもAIという気はしないな。どうせならパターンを複数作って、ランダムに発生させるようプログラムしてみようか……。おっと、 「ああ、通してくれ」 『はい、旦那様』 は!? ……誰か勝手にいじったな……。まあ、いいか。こういうのも面白い。
「やあ、やっと来てくれたな」 「やっと? ……その言葉は、待たされた時に使うものだろう? 待っていたのか? 約束はしてないと思ったが」 「約束しなければ待たないというものではないんだよ」 「……そうなのか」
相変わらずだ。ジーンとは違ったタイプの情緒欠損だな。感情に関する知識の欠落といったほうがいいのかもしれんが……ふむ、今度レポートにまとめてみようか。
「それで、なにをするんだ?」 「なにも。まあ、そこにかけてくれ。あれからどうだ? なにか面白い仕事でもあったか?」 「……いや」 「では、やっていて充実したようなことは?」
それにしても、私はなんのために、彼の「感情」を育てようとしているのだろうな。 なんの利益にもならないし、フェンリルのこれは「個性」とも言える。 あえていえば、これは実験なのかもしれない。 私の興味を満足させるためだけの。 それが彼にとって害になるならともかく、害にはならないなら、問題はなかろうが。
「……そういえば、アズはここにアルバイトにきているのか?」
アズ? 知り合いだったのか。
「ああ。知り合いだったのか」 「……まあ。一昨日、頼まれて同行した」 「そこで知り合ったのか?」 「いや。初めて会ったのは、……もう少し前だ」 「ふむ。それで? なにをしに行ったんだ?」 「ダークファルスがいた、という遺跡の奥で、まだ幻覚が見えるという、それを確認しに」 「で、見えたのか?」 「ああ。あれは……オハナバタケ、というやつらしい」 「ふむ。確認して、帰ったのか?」 「いや。そこでアズが急に、自分の持っているマグをつけてみろと言い出した」 「マグ?」 「ああ。俺と、一緒に行ったガンツとに」
ガンツ、といえば、ヤンの知り合いだという、あの純朴なヒューキャストか。
「どんなマグだ? 新種か?」 「いや。俺がシーターで、ガンツがリヴ」
……シーターと、リヴ? アズ……遊んだな……。 フェンリルが、シーター、ね……。あれを背負って、花畑か……。
「それで?」
おっと、いかん。つい声が笑ってしまう。 フェンリルは……気付いたようだが。 なにを考えているのやら。笑われると恥ずかしい、という感情は把握してないだろうに。
「それだけなのか?」 「いや。写真を」 「写真?」 「キネンサツエイ、だそうだ」 「見てみたいな、その写真が。どうせカメラを持っていったのはアズだろう。言えば見せてもらえるかね」 「投稿する、と言っていた」 「ほう」 「なにかそういうザッシがあるらしい。それで、今はサインの練習をしてる」 「……は?」
サイン?
「サイン……とは、何故?」 「ガンツが言ったんだ。その写真が載ったら有名になるから、サインの練習をしなきゃならない、と」
それで、素直に……? い、いかん……本当に笑いそうだ……。
「ラッシュ?」 「あ、ああ、いや。そうか。それは大変だな」 「……なにか、変なのか?」 「まあ、少しな」 「じゃあ、どうすればいい?」 「サインの練習は、しなくてもいいさ。有名になればサインをねだられることもあるが、それは特殊なケースだ。今回はおそらく必要ないよ。それに、その写真が掲載されるかどうかも分からないだろう?」
「そうか。じゃあ、やめることにする。だが、あんたはサインすることがあるんじゃないのか?」 「何故私が」 「あんたは有名だ。この間一緒に仕事をしたヤツが、あんたのことを知っていた。元はノースユーロでナンバー1だったんだろう」 「昔の話だよ」 「だが今でも皆知っている」 「だからといって、サインはねだられたことがないな」 「本当に?」 「ああ」 「そうか。あんたでさえないなら、俺がそんなことになるはずもない。練習は、やめて当然だな」
足りないのは、感情データだけではなく、常識かもしれんな、これは。 社会常識というより、世間一般に関する知識と言ったほうが正確だが。 「……? すまん、メールのようだ」 「ああ」 「…………。手伝いを頼まれた。だから」 「ああ、行ってくるといい。では、またな」 「『また』、……来てもいいのか?」 「ああ」 「そうか。それじゃあ、『また』」
(END)
|