12


 セントラルドーム地下に、ドラゴンとも呼ぶべき大型の生物が棲息していたという報告は、政府にも重く受け止められた。
 だが真に不可解なのは、そのような生物の存在ではない。
 ゆうに数千人が生活できる規模のドーム都市が、やはり無人であった、という事実だ。

 ドームの東端に程近い地下、それもおそらくかなり深い位置で爆発が起こったことは、周辺の地形や都市の惨状から見て間違いない。だが同時に、たとえば倒れた金属製の棚、重厚な家具、崩れ落ちた天井、壁、床、そういった有り様の何処にも、負傷者の姿も屍も、血の痕さえも見受けられなかった。
 爆発に巻き込まれずに残った西側のエリアに生活の形跡があった以上、パイオニア1の住民が、あの都市で暮らしていたことは確かなのだ。
 ということは、爆発事故以前に全員が都市を捨て、何処かへと姿を消し、我等に通信も寄越さぬままでいる、ということになる。

 これでは調査に進展があったとは言えず、むしろ事態はいっそう不透明にったに過ぎぬ。

 朝食をスプーンの先でつつきながら、ローザ様の食も一向に進まぬようだ。固形ゼリーの形だけが、プレートの上で無意味に崩れていく。
 我はどうにもものを食う気になれず、栄養剤だけ水で無理やり流し込んだ。
 先行きが不安である、などという理由ではない。単なる疲労だ。
 負傷そのものは重くなく、メディカルセンターにて細胞活性措置を受ければすぐに治癒したが、傷が消えるということと身が癒えるということは別だ。
 まして、あれほど連続してテクニックを放つことなどこれまでに一度もなく、また、ああいった大型生命体との戦闘は、あれが初めてのことだ。
 幾日もの連戦で溜まっていた肉体的な疲労が、昨日の一事に誘発されて、一気に噴き出してきたような心地だった。
 薬品の溶け崩れていくのが、胃に加わる痛みで分かる。
 こらえられぬほどではないが、気分が悪い。

「ジーン」
 ローザ様が顔を上げて我を見、何事か言いかけた。
 口を開くのと同時に室内スピーカーから別の女の声がした。
『来客がございます』
 ドアフォン用AI、「レディ」の声だった。
「レディ、映像を寄越しや」
 ローザ様の言葉に従って、テーブル上の映写装置の上に、半透明な娘の姿が現れる。
 ヤンだった。
「そなたの知り合いかえ?」
「ヤンだ」
「チームを組んでおるというあの娘か」
「レディ、音声を」
『かしこまりました。接続いたします』
 回線を切り替える音が二度ほど続き、表の喧騒が微かに届くようになった。

「どうした」
『よーっす。どうしたじゃないわよ。ロアの様子見に行くの。アンタも来なさいよね』
 タフな娘だ。
 顔色も良ければ、声音に疲労も窺えぬ。
 いかに中途からの参戦とはいえ、帰途についた時には足元が危うかったものを。
 これでは、我が疲れているなどと言おうものならば、あれこれと喧しく言いはじめるに違いあるまい。
「分かった。今行く。レディ、コールオフ」
『かしこまりました。接続解除いたします』

 室内に静寂が戻る。
「行ってくる」
「大丈夫かえ」
「大事ない」
 壁から上着だけ取ると、そのまま表へ出た。

 私服のヤンを見るのは久しぶりだ。
 裾を詰めたシャツと膝丈のパンツ、首に巻いた白いチョーカーに、ライセンスプレートが付けてある。

 ハンターズは、どのような格好をしていても、このライセンスプレートだけは見て分かるところに付けておらねばならぬ。
 面倒な規則だが、理由はある。
 言わば、犬の首輪だ。
 野良犬とは違い、ギルドによって素性を追及できる飼い犬である、という証。

 基本的にハンターズの仕事は、一般の民間人が厭うような危険なものであり、属する者は、殺傷力の高い武器を所持し、戦闘能力を有する危険人物と言える。
 にも関わらず、ハンターズには誰でもなり得る。訓練所で一定の成績をおさめさえすれば、修了と同時にギルドに登録され、ハンターズとして認められるのである。
 大型銃器を扱うレンジャーは、それから特定の公共事業に一年間従事する必要があるが、それは難しいものではない。
 したがって、性根の良くない者が、技術を取得するためだけに訓練所に入り、身につけたものを悪用するケースも少なくない。
 むろん、訓練などの段階でそういった面も見られはするが、その時期さえうまく誤魔化して過ごせば良いだけのことだ。

 それゆえ、訓練所を出ると同時に否応無く登録され、この首輪を付けられる。
 「ギルドにも登録していないならず者ではないが、戦闘能力を有するハンターズではある」
 このライセンスプレートは、そういった意味だ。
 だが、このような身分証明など、現実にはなんの役にも立ってはおらぬ。
 ライセンスの偽造も、ハッキングによるID取得・登録も、防止策を嘲笑うかのごとく容易なのだ。
 ギルドでは定期的に、登録者の確認や調査などが行われているが、ほぼ意味はない。潜り込もうとする者の利己や悪意に比べれば、防ごうとする者の正義や熱意などたかが知れているということか……。

「ちょっとちょっと、なに暗い顔してんのよ」
 ヤンに肘を突かれ、見下ろす。
「ったって顔ほとんど分かんないけどさ。でもなーんか雰囲気、いつにも増して沈んでない?」
「そうか」
「アンタはなんで毎度そうなのよ。今日くらいもうちょっと嬉しそうでもいいはずでしょ?」
「何故」
「なんでって、当たり前じゃない! あたいたちなのよ、ドラゴン倒したの。まあ、あたいは最後にちょっと手伝っただけだけどさ、それでも! あんな大きいの倒したのはあたいたちなんだから。よくやったなって思ったりしないわけ? それが、なんだってアンタ、そんなに暗いのよ」
「そうか」
「あああぁ、もうっ。アンタってほんっとに張り合いのない男よね。まあ、でも、お偉いさんにとっちゃ、あたいたちってかなりどうでもいいらしいのは、癪だけどね」

「どういうことだ」
「どうも何もないわよ。今朝さ、あのドームに政府の調査隊が入ったんだけどね、あたいたち完全に無視なのよ。いてもいなくてもおなじ扱い! ひどいったらないわよね」
「政府がいちいち我等に断るわけがなかろう。誰が倒そうと、調査が進められる状況になったか否かが問題ではないか」
「ああ、ゴメン。そうじゃなくてさ、案内頼まれてるのよ、レイヴンたち」
 ヤンは憤然と頬を膨らませた。
「ほら、兄弟みたいなもんだって言ってたじゃない? だからさ、あたい、誘ってみたの。一緒に様子見に行こうって。そしたら、今からそういうわけで出かけるからって。逆に聞かれちゃったわよ。そちらに話は行ってないんですかって。来ーてーないっての! なんか扱い違いすぎるわよね。これってさ、レイヴンたちが気に入られてるのか、あたいたちが嫌われてるのか、どっちだと思う?」
「両方であろう」
「あっさり言い切るわね、アンタ。身も蓋も、底もないじゃない」

「それより、様子を見に行くためにレイヴンを誘うとは、おぬし何を馬鹿なことを考えておる」
「なっ、なによその言い方!」
 ヤンは足を速め、我の前に回りこんで立ちはだかった。
 腰に手を置いて肩を怒らせ、睨みつけてくる。
「お兄さんのことなんだから、心配に決まってるでしょ? 誘うのが普通じゃない! だいたい普通はさ、誘われなくたって行くもんでしょっ?」
「ロアのエラーはレイヴンを自己と混同するがゆえのものだ。調整が無事に済んでおるか否かも分からぬのに、パルスの受信範囲に近づけるはずがなかろうが」
「あ」
 あ、の形のまま、ヤンの口が止まった。

「少しは考えよ。……行くぞ」
 ヤンが動かぬので、彼女を避けて先に立ち、促す。
 歩きはじめると、後ろからついてきた。帰る、とは言い出さぬようだ。何か口の中でぶつぶつと呟いているが、聞き取ることはできぬ。
 このままギルドに向かえば良いだろう。
 市街に出るまで、珍しくヤンは何も話し掛けてこなかった。
 次に口を開いたかと思えば、また見当外れなことを言う。
「ねえ、何処行くの? テレポーターはあっちよ?」
 いきなりポートへ行こうとは。
 それとも、ヤンはロアから、彼が訪れるラボのことを聞いているのだろうか。ならば、彼女の言うとおりポートに直行できるが……。
「何処のラボにおるか、知っておるのか」
 問うと、大きな目を瞬かれた。
 え? といわれたも同然だった。
「ロアが今何処におるのか、聞いておるのか」
 二度目の「あ」、予想どおりの展開だった。

「何処に向かうつもりだったのだ」
「え、えっと……」
「住まいに向かうつもりだったか」
 沈黙は、肯定の代わりだった。
 もう少し落ち着いて物事を考えても良かろうに。
「行くぞ」
 我が再び歩き出すと、ヤンは黙ってついてきた。

 ギルドに行けば、登録者についてのおおよその情報は得られる。アドレスやコールナンバーといった単なるプライベートデータは閲覧できぬが、登録された証明写真、名前、所属、種別、現在請け負っている仕事の有無などの他、アンドロイドの場合、出身の工場・研究所を知ることができる。
 これは、彼等がメディカルセンターでは処置不可能なレベルにまで破損した場合、また、バグやエラーで平常の行動をとれなくなった場合、連絡せねばならぬからだ。
 所属IDと登録ナンバーから検索すると、間もなくロアの名前とフィルムと共に、一つの機関名が表示された。

『オズワルド私設研究院』

 主任は、ケイン=オズワルド。
 かつて、クロウ=アラニスの右腕とも言われた男だ。
 レイヴンの、ひいてはロアの設計主が本当にクロウ=アラニスならば、彼が存在しない今、ロアがケイン=オズワルドのもとにいることに不思議はない。
 ―――レイヴンの推測が誤りでないとして、すなわちロアがレイヴンの「前身」であるとして、ロアはそのことを知っているのだろうか。

「……ン。ジーンってば! なにボーっとしてんのよ」
 ヤンに背中を叩かれて我に返る。
「ああ、すまぬ。行こうか」
 奇縁、か。
 あるいは、因果、それとも。
「ほーら、行くわよ! あたいよりずっと背高いくせに、なんでそんなにのろのろ歩くのよ!?」
 ヤンは、怒った顔をして笑っている。
 ふと、……どうしたことか、この娘が因果の糸に巻き込まれねば良い、と……そんな思いがよぎっていった。


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