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転送された森には、静かに雨が降っていた。 よほど遠くに飛ばされたものらしい。 天候までが違う。 「なんだって雨なんか降ってんのよ、もうっ」 ヤンは不機嫌に空を睨む。 「おい。あのドーム」 ロアが示した方向に、屋根の崩れ落ちたドームがあった。 間違いない。仰ぎ見ているためいくらか印象が違うが、あれだけの規模のドームを二つも三つも作る資材はあるまい。
「派手にぶっ壊れてるな。あの傍なのか? 例の爆発事故とやらがあったのは」 「であろうな」 「まさかさ、でっかいモンスターが踏み潰した、とかじゃ、ないわよね?」 「さあな。ありえんとは言えん」 「もしかして、1の人たち、そいつに食われたんだったりして……」 馬鹿げたことを。 あれを踏み潰してああいう形状にできるほど巨大な生命体がいれば、いかにしてその巨体を今、我等の目から隠しておるというのか。 「行ってみよう。あそこへ行けば何か分かるかもしれんからな」 「オ、オッケー。でも、でっかいの出てきたら、あたいは逃げるからね」
まさかヤンは本気で案じておるのか。 ロアはほとんど無警戒に見えるほど淡々と先に進むのに対して、彼女は左右を窺って落ち着きない。 だが、どうやらエネミーの大半は、先に行ったレイヴンとユーサムが片付けてしまったものらしい。 獣の屍が彼等の道筋を示している。 それを見るロアの視線が険しく思える。 目に見えるほど明確な破壊力の違いだ。 ロアですら、キャリバーを渾身の力で振るってようやく肉を断てるというに、ここに散乱する獣の死骸は、無残に両断されている。ひどいものは、脳天から股間まで縦に切り裂かれており、湯気の立つ血と臓物をばらまいたその姿には、ヤンが口元を押さえてしばし動けなくなったほどだ。 あのおとなしそうな物腰で、残していくものがこれほど凄惨極まりないとは。
そして、追ううちに分かるのは、ほとんど敵と戦うことなく進んでいる我等と、これだけの戦いをしながら進んでいる彼等と、進む速度はさほど違わぬということだった。 彼等があの場を去ってから、間もなくして追いかけたはずだ。それが未だに追いつけぬ。 ロアの不機嫌はヤンにも分かるのか、彼女も口を開こうとはせぬ。 次第に足早になっていくロアを追って、我等は半ば走るような足取りだった。
そのロアが、不意に歩を止めた。 何か見つけたのかと思ったが、違う。 またエラーのようだ。 ノイズに近いような唸り声を洩らして、頭を押さえる。 「大丈……」 「行くぞ」 ヤンの言葉を遮って、歩きはじめる。 猫の顔をした熊のような、あるいは巨大な猿のような、巨体の屍を踏み越えてゲートをくぐると、そこにまた一つ、テレポーターがあった。 すぐ上に見えている高台にもテレポーターが見える。おそらく、この二つがつながっているのだろう。 位置からして、高台からドームへは直行できるようだ。 先に転送されたロアの姿が、案の定、上に現れる。が、途端、その場に膝をついてしまった。
何事か。 ヤンが慌てて走っていくと、間もなくロアの傍に現れる。 ロアを窺った顔が、すぐさま奥へと向いた。 敵でもおったか。 後を追う。 転送時独特の空白の一瞬の後、体重が戻る。 ヤンの見る方向へと構えるが、そこにいたのは敵ではなかった。 「あ、ジーンさん」 「ようやっと追いついたか」 ヴィスクを下ろし、ひとまず安堵した矢先、突然、ロアの体が甲高い電子音を発した。
ごくまれにアンドロイドが発するエラー音だ。 これは、致命的なエラーが検出されたことを意味するもので、只事ではない。 「どういうことだ、これは……」 「どうした、ロア」 「どういうことだ」 繰り返して、ロアはレイヴンを見る。 「俺が、二人……?」 なに? 「二人って、え? なに言ってんの?」 「そいつ……、どういうことなんだ。そいつも
『俺』……?」
これは、パルスの混同か。 アンドロイドにとっては、視覚情報よりもパルス情報のほうが優位であるため、個体識別用のパルスが同一である相手のことは「己」と認識してしまう。そして、その認識を自意識で覆すことはできない。 パルスそのものは、アンドロイドが製造されはじめた当初に設定された、複製や違法改造を防ぐための処置の一つだ。 体内に組み込まれるメインパーツの制御チップには、それぞれにパルス値データが挿入されている。それが起動と同時に統合されて一つのプログラムとなり、パルスとして発信される仕組みだ。 そのパルスが偶然に一致することがないよう、現在活動しているアンドロイドには「エンブレム」が利用されている。 「エンブレム」とは、設計主の署名と言えば良かろうか。設計主といっても、個人ではない。設計責任者の所属する機関が、それぞれに、「エンブレム」と呼ばれるパルスデータを最低でも一つ、大手では複数、持っている。そのデータ情報は互いに公開され、決して他機関と同じものは使われない。 設計し、製造段階に入ったアンドロイドには、必ず「エンブレム」データが組み込まれる。そうすることにより、少なくとも他機関のアンドロイドとパルスが一致することは防げることになる。 一つの機関内でのパルスデータ管理ならば、まだしも徹底できるというものだ。
よって、パルスが同一のアンドロイドというものは、管理システムの確立した現在となっては、存在しないはずなのである。 二人のうちのどちらかが、なんらかの違法データを基に作られていると考えることはできるが、だとすればなおのこと、そうと露見せぬよう、パルスには最大の配慮がなされるはず。 「くっ……頭が、痛い……」 事実は分からぬ。 だが、ロアの混乱は分かる。 「己が二人」という認識は、人間ならば、瓜二つなのだろう、などと理屈をつけてかわせるが、アンドロイドではそうもいかぬ。識別パルスは、姿形以上に「己」を意味するものなのだ。 理解不能、演算不能、許容不可能、となれば、AIにかかる負荷は膨大なものになり、負荷が過ぎれば機能障害を起こしかねぬ。 「とりあえず、離れたほうが良かろう。ヤン。いったんロアをつれて下へ降りよ」 距離を離せば、受信レベルも緩和される。先刻からたびたび起こっていた小さなエラーのように、同一パルスの個体が感知範囲内にいることを警告する程度のものになるはずだ。 「オッケ。分かったわ」 ヤンがあらためて転送装置を起動させると、二人の姿が消えた。
となると、不可解なのは、まるで平然としておるレイヴンのほうだ。 「レイヴン」 「はい?」 「おぬしは平気なのか」 「ええ。なんともありませんが……?」 「おぬしは、どう認識しておるのだ?」 「何をですか?」 「今ここにいたヒューキャストのことだ」 「私のものと同じ識別パルスを持つ別の個体、ですが」 では、識別パルスより上位レベルにまで、自意識が解放されている、と? ……人間を相手に戦えることといい、こやつ―――。 いや。 詮索することはない。 たとえ何者であろうと、それが我等に害成すものでなくば、敵ではない。
しかしこうなると、ロアを同行させるわけにはいかぬ。 一人で帰らせるには、あのエラーの後だ。無事に帰還できる保証はない。 レイヴンたちには我等の助力など不要とも思える。いったん引き返したとてかまわぬようだが、ここが例の爆発事故の現場に間違いないならば、いかに彼等とて油断はなるまい。 「あの」 「む?」 「一度戻ったほうが良くはありませんか? あのかたも不調のようですし。この先のことなら、私たちが調べておきますから」 「いや。我等が来たのは、おぬしらを追ってのことだ」 先刻の一件からわけを話すと、二人はなるほどというように頷いた。 「たしかに、この先何があるか分からんしな。マンが一人ついてきてくれるとなると、ずいぶん心強いが」
さて、どうするか。 ロアをつれて帰るにも、道々エネミーに遭遇せぬとも限らぬ。となると、我が共におったほうが対処はしやすかろう。レイヴンたちにしても、レンジャーが二人重なるよりは、フォースが混じったほうが戦いやすいに違いない。 ヤンに彼等と同行してもらおうか。 「ユーサムさん。あれ、あげてもいいですよね?」 「うん? ああ、パイプか。そうだな」 パイプ? 「これを使ってください」 そう言ってレイヴンが我に見せたのは、テレパイプと呼ばれる物だった。 特殊な磁場を発生させ、マーカーを置いた位置に通じるテレポーターを作り出すことができる。往復にせよ片道にせよ、二度の使用でエネルギーを使い果たす使い捨ての道具だが、完成したのがつい五年ばかり前という、最新の機器だ。 市販はされておらぬし、なんらかの形で市場に出回ったとて、並の者では手の出せぬ高額となる。一介のハンターズが容易に手にできるものではない。 「このような物、どうして手に入れた」 「総督からいただいたんです」 「総督? 総督府が動いておるのか」 「まあ、おまえさんたちになら話しても良さそうだから言うが、ワシらはあっちからも依頼を受けていてな。ケチな政府とは大違いだ。ま、歩いて戻るのも大変だろうし、これを使えば一瞬だ」 政府と総督府が、同時に一つのことに着手するとは、珍しいこともあるものだ。 確執と反目の絶えぬ両機関が共同で調査に当たらねばならぬほど、現状は切迫しているということか。
使ってくれ、とほとんど無理やり、レイヴンが我の手にテレパイプを押し付けてきた。 使わせてもらえるならば、何を案ずることもない。 「すまぬが、しばし待っていてくれ」 我もいったん降りる。 この程度の距離では、まだパルスの感知範囲内だ。警告音こそ鳴り止んではいるが、ロアは膝をついたままだった。 我がパイプを開くと、ヤンはひどく驚いた様子だ。 見たことがなかったらしい。稀少な品ゆえ、無理もないが。 「これがそうなの。へぇ、初めて見たわ」 「どうする。おぬしが彼等と行ったほうが効率は良さそうだが」 「んー……。でもあたい、実を言うとちょっと自信ないのよね。テクニックそのものには自信あるけど、アンタたちとここまでやってきて、分かったのよ。あたいのはあくまで優秀な訓練生レベルだなって。ホントに戦ってみると、いくら威力あったって、ちゃんと使えてるかどうか微妙だわ」 分からぬままに的確な援護をしているところが、天性の才能だろう。 しかし何があるかも分からぬところへ、気が進まぬと言うておる者を向かわせることもあるまい。 「我が残ったほうが良いか」 「お願いできる?」 「構わぬ。どうやら戦う分には我の手などいるまいしな」
……いらぬことを、言うたようだ。 ロアが小さく吐き捨てた声が聞こえた。 「いい加減にしろ。なんだかんだと勝手に決めるな。戻るなら俺一人で戻る。おまえらの手なんざいるか」 ヤンが肩に置いた手を邪険に払って立ち上がり、ロアがパイプの中に進む。 「ちょ、ちょっと!」 慌てて駆け寄ろうとしたヤンの前でロアの姿が消え、間もなくパイプの光が閉じた。一方的に閉鎖してしまったものらしい。 「なによ、怒りんぼ! 体調悪いからって人に当たんないでよねっ!」 当人のいなくなった場所に毒づいて、ヤンは大きく腕を組む。 ロアの不機嫌は、なにも体調が悪いためだけではないのだろうが、あえて説明することもあるまい。 「もーいいわよっ。ジーン。戻りましょ」 ヤンが高台へのテレポーターに立って我を振り返った。
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