序


 ロビー中央に据えられた時計塔が、無期的な声で時を告げる。
 現在の時刻と、そして、ラグオル到着までのカウントダウン。
 現在時刻を表したホログラフの数字は、間もなくけばけばしい企業宣伝に変わった。
 目が痛い。
 アイガードをつけてはいるものの、この人工的な光の明滅にだけは、いつまでたっても慣れることができぬ。
 束の間目を閉じて、瞼の裏から雑多な色彩を追い払うと、また元のように窓から外を見やった。

 見えるのは、距離感のない無限の海。
 宇宙。
 無数の星が輝いている。
 何者も生きていくことのできない死の海が、こうして船の中から見ているかぎりには美しく見えるというのも、皮肉なものだ。
 遠くに一つ、一際鮮やかな青い星が見える。この我が目を凝らさねばならぬのだから、おそらく常人には見えぬものなのだろう。
 ずいぶん前に文献で見た、かつてのテラによく似た色だ。
 我等が離れてくる時にはもう褐色に色を変え、今にも死に果てそうな老いぼれた惑星になり果てていたが、昔はこのように鮮やかな色をしていたという。
 海―――水をたたえた海は青く、緑の木々が野山を覆い、小川の水をそのまま飲むこともできたと聞く。
 とても想像だにできぬ話だ。

 事実、我等はこうして、病に蝕まれ年老いたテラを捨て、新たな星に移民するべく、宇宙を渡っている。
 この壮大な移民計画、すなわちパイオニア計画そのものは、今から二十年ばかり前に発案されたものらしい。
 それが実現したのが、およそ十年前。無人探査機によって発見された惑星ラグオルに、移民の第一陣、パイオニア1と命名された船団が向かった。
 我が乗船しているパイオニア2は、パイオニア1からの招聘を受け、二年ばかり前に出発したものだ。

 ラグオル到着までは、あと半月の予定だという。
 そのせいか、船内の雰囲気がどことなく落ち着かず、浮き足立っているような気がする。
 今もすぐ傍のベンチでは、若い夫婦らしき男女が、しきりにラグオル到着後の生活について話している。良いことがあるに違いないという期待と、見知らぬ惑星に暮らすことへの不安。
 様々な人間の口で語られた、決まりきった会話。

「どうしたえ、ジーン」
 不意に、後ろから独特の調子をもった若い女の声がした。
 振り返れば、そこにいるのはローザ様だった。
 彼女は、我が仕えるべき主だ。
 「里」の最も濃い血を引く娘。「里」というものがもし国であれば、彼女は姫ということになろうか。
「なんでもない」
 このような埒のない思考のことなどを話し、煩わせても仕方がない。我はまた、巨大な窓から宇宙を見やる。
 硬質ガラスに、ローザ様の姿が並んで映った。

「どうせまた、女のことでも考えておったのじゃろう」
 何を根拠にそのようなことを。
「そなたが黄昏ておる時は、たいてい女のことじゃからな。テラに残した女のことなぞさっさと忘れて、新しい女を見つければ良かろうが。この船にも半数は女が乗っておるわえ」
 反論しても、無駄だ。長い付き合いで、その程度のことはよく承知している。なんのつもりで根も葉もないことを口にするのかは分からぬが、反論したところで、そこから先の会話を楽しまれるだけだ。いちいち訂正していては、口が三つあっても足りるものではない。
 このようなことは、いつものこと。
 あれこれ言を費やすだけ、労力の無駄だ。

「……街に行ってくる。何か入り用なものは?」
「そうじゃな……。そういえば、香水が切れかけておったわ」
「承知した」
 ローザ様とその場で別れて、我は第二シティへと通じるエレベーターホールへ入った。


NEXT→