少し無茶だったか。 そんな思いを抱きながら、彼は一人で洞窟の第三階層を進んでいた。 封鎖領域、遺跡にも程近い地下深部である。 仲間はいなかった。 あえて一人で来た。 理由は、金だ。
彼の名はケイシスという。 職業、ハンター。 十代の半ばで親を亡くして以来、ハンターズとして十数年生きてきた。一人で第三階層に到達していることから分かるとおり、相応以上の実力者である。 その彼ならば金に困ることなどないのではないか、と思うだろうか。 もし彼が一人暮らしであったり、あるいはせいぜい妻子を養う程度であれば、金は唸るほど余っていただろう。 だが彼には、彼自身も把握しきれない数の家族がいた。 このラグオルにいる、不特定多数の孤児たちである。
自身が両親を亡くした後、ひどく苦労した経験から、彼は孤児を見過ごすことができなかった。 いささか軽率なほどに、―――口の悪い友人からは、犬や猫を拾ってくるのと同じじゃないんだぞと言われるほどに、行くあてのない子を見つけると、面倒を見ずにいられないのである。 ラグオルでは、ハンターズの大量消費から孤児も多く、ケイシスがなにかしら世話をしている子供の数は十人を軽く越えていた。ただし、それは「恒常的に」という意味での世話だ。空腹になって食べるもののアテがないときにだけ現れる子供まで合わせたら、二十人どころではない。 無論、金はいくらあっても余ることなどない。
子供たちは成長が早く、大量に食べるし、また、衣類もすぐに小さくなってしまう。お古として使いまわしてはいるが、どんどん綻びていくし、それに、みすぼらしい格好でみじめな思いはさせたくないのだ。と思うと、年に一度くらいは全員に、新品の衣服を一揃えくらいは買ってやることになる。 今にして思えば、そういうルールにしたのが間違いだった。 他の子供がしなくても済むような我慢はさせたくない。人並みの生活を。そう思ってのことだったが、現実的に考えて、それがケイシスの生活を圧迫している。 親がおらず、他人の世話になっているというのが事実なら、少しくらいの我慢はさせたほうが良かったのかもしれない。 年に一度の「買い物の日」やクリスマスなど、服やプレゼントを買ってもらえるのが当たり前で、それがダメになりそうだと泣き喚いたり怒ったりする子供を見ると、正直、腹が立つこともあった。 やむをえまい。 彼とてまだ、三十にもならない青年なのだ。
吟味はしたが、なかなか割のいい仕事だとこの依頼を受けた。 パーティーを組まなければ報酬はすべて自分のものになる。 とすると、このクリスマス、全員分のプレゼントも用意できるだろう。 そう思ったのだが、さすがに厳しかった。 ヒューマーである彼に使えるテクニックは限られていたし、一人で広範囲のエネミーを殲滅するのは、移動だけでも体力を消耗する。警戒してくれる相棒もいないから、神経の休まるときもない。
だからそれを見たときには、てっきり幻覚だと思った。 洞窟の片隅にもぞもぞと動く、大きな紺色のボール。 そのボールがひょいと起き上がると小さな子どもに変身し、とことこと歩き出す。 (クソ) 軽く頭を振り、目をこすった。 だが、開いた目にまだ幻覚は見えていた。 というか、それはどうやら幻覚ではないらしい。 (なに!?) それはそれでありうべからざることだった。 幻覚でないとしたら現実でもないはずだ。 しかしほんの3才くらいにしか見えない子供の姿は、ケイシスの視界を左へ横切ってゲートへ消えた。 ―――それが幻覚ではない証拠に、ゲートは開き、閉じていた。
束の間フリーズした後、ケイシスは大股に走りだした。 こんなところに子供が入ってこれるわけがない以上、あれが本当に人間の子供なら、ここに置き去りされたということなのかもしれない。 あんな幼児ではそのことが理解できず、親が来るまで遊んでいようとでも思っているのか。 なんにせよ、放っておけるわけがなかった。
走ればすぐ追いついた。 「坊や」 後ろから声をかけると、くるんと振り向く。 えらく白目の巨大な三白眼だが、見るからに生意気そうなへの字口は、それなりに可愛くも見える。 「君、どうしてここ……いや、危ないぞ、ここは」 前に膝をつき、視線の高さをできるだけ合わせて話しかける。 少年は返事もせず、じっとケイシスを見上げた。 妙な目つきだ。こちらを検分するような、見透かすような。子供特有の無邪気な知性とはまた違う、変に硬質な視線である。 それが何度か瞬くと、こくんとひとつ頷いた。 「あっち」 唐突に通路の奥を指差し、そう言う。
「あっち?」 ケイシスが指さす方向を見やる。少年はまたひとつ頷く。 「あっちって、あっちに、お父さんかお母さんでもいるのか?」 もしかすると、そこで待ってなさいとでも言われたのだろうか。だが、PPCの簡易レーダーに生命反応はない。 「いいから、いくぞ」 問いかけるが、少年は答えずにくるりと向きをかえ、先に立って歩き出した。 「おい!」 ケイシスは追いかけずにはいられなくなる。
少年の3歩がケイシスの1歩くらいなので、追いかけていくのは楽だった。 少年はとことこと、湿った土を踏んで奥へ奥へと歩いていく。 またひとつゲートがあった。この先は広間だ。エネミーも出る。 「ちょっと待て。危ないだろう。ここは俺が先に行く。あっちに行きたいんだな?」 先刻までの疲れなどきれいさっぱり消し飛んでいた。今ケイシスが考えているのは、とにかくこの子を安全に、無事に地上に連れ戻さなければならないということだけだ。そしてもし、奥に本当にこの子の親でもいるなら、目を離すなと言ってやらなければ気が済まない。 「ここでじっと待ってるんだ。いいな?」 ゲートの手前で肩をとって言い聞かせる。 少年はつまらなそうな顔ではあったものの、ケイシスはもう一度、 「俺が戻ってくるまで、勝手にどこかへ行くんじゃないぞ」 そう言い置いて、ゲートをくぐった。
が、エネミーは出なかった。 (……? 先客でもいたのか) この広間は、殲滅クエストの指定場所のひとつでもある。大量のエネミーがいたはずだ。だがいくら待っても出現する気配はないし、レーダーも反応しない。 ともすると、別件でここに来たハンターズたちが、ケイシスのターゲットでもあることを知らないまま、片づけてしまったのかもしれない。 先客がいたのかもしれない、と思ってよくよく注意すると、たしかに空気に少しだけ焦げたような匂いが混じり、湿度の高い空気も、ほかより少しばかり乾燥しているようだ。洞窟のエネミーは火に弱いものが多い。フォースがいれば、フォイエ系がよく効いたことだろう。 ともあれ、これは幸運だった。他の誰かが倒していようと、ケイシスの評価には関係ないのだ。幸運を手にするのもハンターズの仕事内容の内である。
ケイシスはゲートに引き返し、おとなしくそこにいた少年を招き入れた。 広間の出口は2つある。 「どっちだ? 分かるか?」 尋ねると、少年は迷わず、入ってきたのとは斜向かいにあるゲートへ向かった。 そしてそこから先は、すべて先客のおかげで、ケイシスは一度として戦わずに済んでしまった。 しかも、これで仕事は完了だ。 そして少年は、辿り着いた小部屋のような場所で、ケイシスを呼ぶと足を引っ張って屈むようにうながし、その背中によじ登った。 「な、なんだ?」 「あれ」 上を指さされる。 肩車になった少年の手に頭を掴まれながら上を見れば、高いところに青く透明な鉱石が顔を出していた。
「? あれがほしいのか?」 「ん」 いったいなんなのだろう。 ケイシスが立ち上がると、少年は肩の上から手をのばし、ピックのようなものを取り出して小さな手で壁を掘り始めた。 上からパラパラと、かけらが顔の前に降りかかる。 「ちょ、ちょっと待ってくれ。俺がとってやる」 「やだ」 すっぱり断られる。宝物は、自分の手で取りたいということか。こうなったら、子供は引くまい。無理にやめさせればまず間違いなく泣き出す。 仕方なく、ケイシスは目を閉じてじっと我慢した。
やがて、少年は石を掘り出した。 青い石をコートのポケットに入れ、その裾で手についた土を拭く。 そして一言、 「もうかえる」 と言った。 「え?」 「かえる」 「帰るって、……奥に行きたかったのは、これがほしかったからか?」 「か・え・る」 「あ、ああ」 少年に押されては逆らえず、ケイシスは肩車をしたまま、来た道を引き返すことにした。
道々、考えた。 あの石はなんなのか。 少年は、最初からここにそれがあると知っていたようだが、どうやって知ったのか。 こんなところに一人でいて、べつに怖がるでも不安になるでも寂しがるでもなく、しかも、用事が済めば帰ると言う。 まったくわけが分からない。 だが、子供を危険区域から連れて出ることは賛成だ。 ケイシスは足早に通路を巡り、テレポーターを目指した。
しかしその帰途に、まったく予定していなかったエネミーが現れた。 レーダーの反応に気付きぎょっとしたが、ここからは一本道で、ほかに選べる道もない。 幸運の代価だろうか。今度は、ターゲットではないエネミーを狩らなければ進めない。 第一階層、縦長の広大な空洞を闊歩するクリムゾンアサシンの群れ。 「ここにいるんだ。いいな? ……もし俺になにかあったら、そのときまでにはあいつらの数を減らすから、向こうの出口まで走れ」 少年を下ろし、言い聞かせる。 アサシンは基本的に動きが遅いが、凍結液と高速突進は危険である。 この数では、死角から不意打ちをくらう可能性も低くない。 だが、倒さなければ進めないなら、倒すまでだ。 ケイシスはPPCから、愛用の赤のソードを取り出した。
奥にいる群れを刺激しないよう、手前から切り崩す。 まずは一匹、側面をとって一気に斬り伏せた。 そこへ突進してきた1匹をかわし、壁に衝突して止まったところを、背後から仕留める。 その瞬間、横から衝撃があった。 もう1匹、左から突進してきていたらしい。 突き飛ばされる勢いに逆らわずに飛び、血だまりの中で一転すると体勢を整えた。 噴きかけられる凍結液を横へ転がってかわすや、無防備な腹を斬り裂く。これで3匹。
(……? なんだ……?) 半ばあたりの3匹がケイシスに気付き動き始めていたが、一息入れて集中しなおす間はあった。 そこで今しがたの突進のダメージがほとんどないことに気付いた。 衝撃はあった。地面に落ちて転がったときの、血のぬめる、固い土の感触もリアルだ。 だが痛みがない。 そして不意に、装備した防具と、両手に握った赤のソードの重量が激増した。 (補助か!?) それも、一級フォースがかけた高位テクニックだ。 ならば、突進のダメージがほとんどなかったのはジェルンのためであり、アサシンが数度の攻撃で簡単に倒せたのはザルアのためだろう。
いったい誰が補助テクニックをかけてくれたのか、素早く左右をうかがったが、人影はない。 後ろにいるのかと思っても振り返る余裕はなく、第一、今見たレーダーにはもう自分と少年、アサシンの反応しかないのだ。 奇特なフォースが、苦戦するだろうとテクニックをかけるだけかけて去ったのだろうか。ひどく急いでいるかなにかで、共闘はできず、せめてもの助けにと。 ともあれ、これで戦闘は格段に楽になった。 ケイシスは両腕、両足に力を込めると、自らアサシンへと斬りかかって行った。
エネミーの流した緑色の体液が揮発し消滅するのを待って、ケイシスはクリスマスイヴの町に出た。 少年はケイシスの後ろをついてくる。 とりあえずギルドで報告してしまいたい。今からプレゼントを選び、買いに行かなければならないのだ。子供たちが数人も熱を出さなければ、仕事もプレゼント選びも、もっと前に済ませていたはずなのだが、今年はぎりぎりだ。 しかし、とケイシスは少年を見下ろす。 この子を相応のところに送り届けないままではどうしようもない。
「なあ」 君の家はどこだ。そう尋ねようとしたとき、少年の顔が少しだけぴくんと跳ねて斜め上を向いた。 少年の視線の先に、見たことがないほど小柄なヒューキャストがいた。 彼はあきらかに少年に気付き、歩く方向を変えてケイシスへと近寄って来た。 すぐ間近で見れば、ケイシスより頭半分ほど背が低い。ヒューキャストとしては破格の小ささである。だが胸元にあるのは、まぎれもなくスカイリーのライセンスだ。 「あー……すまない。もしかすると、その、この子と……?」 子供、という設定のアンドロイドもいるが、彼の声は落ち着いた成人男性のものだった。おそらく、年齢的にはケイシスよりもいくらか上の設定だろう。 「こんばんは。洞窟にいたので、連れてきました」 「洞窟!? G、おまえ……」 「なんにもしてない」 「洞窟の奥で見つけて、なにか鉱石がほしかったのか……。この子の知り合いですか?」 「知り合いというか、一応うちで預かっている子供だ」 「じゃあ、あなたが親代わりですか」 アンドロイドが、しかも戦闘用のヒューキャストが、珍しいこともあるものである。
「なんにもしてない」 少年はもう一度念を押すように、少しだけ不貞腐れたような調子でそう言い、ケイシスの足元からヒューキャストの足元に移った。 「何もしてない……、……それでも一人でそんなところに行くな」 「ふん」 「すまない。迷惑をかけた。その、この子は時々、勝手にハンターズにくっついて行くんだ。どうやって紛れ込むのかはよく分からんが」 なるほど。 自分の意思でああいう場所に行き、エネミーのいないところを選んで進んでいるのだろう。 「ちゃんと見ていないと、危険ですよ。何事もなかったからいいようなものの」 「ああ、そうだな」 ヒューキャストは恐縮したような声で、軽く肩を狭めた。
長い距離を歩いて疲れてしまったらしい少年は、アンドロイドに肩車されると、その頭に張り付くようにして、うとうとと眠り始めた。 その間際、ポケットからあの青い石を取り出して保護者に渡していた。 なんだ、と問いかけたのには、やる、とだけ答えた。 もしかしてクリスマスプレゼントのつもりか? その問いには、答えはなかった。
アンドロイドの保護者にプレゼントをあげたくて、一人であんなところまで行ったのだろうか。見送った後も、ケイシスはしばらく二人の消えた人ごみを眺めていた。 無謀にも程があるが、少年の心意気に、ともすると神様とやらは特別のプレゼントをしたのかもしれない。 (……そうだな。そうでもなければ、あんな子供が、一人であんなところにいられるわけもない) 当然実の親子ではないのだから、あの少年が本物の親とは離れて暮らしているのは間違いない。ともすると、あのヒューキャストの相棒の子供だろうか。親がクエスト中に……ということも、ないとは言えない。 ハンターズについていきたがるというのは、親の面影でも求めているのだろうか。 そして今は、あのヒューキャストにちゃんと愛されている。だから少年も、プレゼントをあげたいと思ったのだろう。
つい微笑んでしまう。いいものを見たと思った。 (帰るか) しかしその前にギルドに寄り、それからデパートに寄らなければならない。 帰れば、待ってましたと出迎えられるのだろう。プレゼントが。 ふと胸に影がさすが、クリスマスに暗い気持ちになっても仕方ない。 本当の親は、子供の山ほどの我が儘に付き合い、宥め、我慢し、育てていく。ケイシスも幼い頃は勝手なことを言い放題だった。父の仕事が休みの日は自分と遊んでくれるための日で、彼が一日くらいゆっくりと休みたいという思いでいることは考えもせず、朝からせがんだものだ。 子供はやがて大人になる。 そのときに、ささやかな我が儘を聞いてもらえたかどうかは、どれだけ愛されていたかの証になる。 それに、プレゼントをもらって満面の笑顔になった子供たちの姿を見れば、良かったなとしか思わないのだ。 ケイシスは大きく息をついて気持ちを切り替えると、小走りでギルドに向かった。
「ん……」 「起きたか? ついたぞ」 「ん」 「ん、じゃない。G、なにもしなかったってのは、彼の前ではってことだな?」 「あたりまえだ。だれかれ
かまわずに
やれるか」 「それならいいが、って、それにしたって子供が一人であんなところにいるわけがないだろうが」 「ついていくのがすきなんだろ、はんたーずに」 「他に手頃な言い訳があるか? ……こんなもの、いや、これをくれるのは嬉しいが、おまえの力が不穏な連中の目に触れたらどうなると思ってるんだ。行くならせめてオオトリにでも」 「うーさい。もーねる」 「G! ……まったく」 「お兄ちゃん。あきらめましょ。秘密にしたいからオオトリさんにも頼まなかったんじゃない? それに、Gちゃんがそういうこと、誰かに言うと思う?」 「……言わないだろうな。はあ。言っても仕方ないか」
アパートのドアを開けた途端、子供の雪崩が起こった。 2DKのアパートで、動けば誰かにぶつかるほどの子供、子供、子供。 大きい子は十代も半ばだが、小さい子はまだ三歳かそこらである。 「ケイシス〜、おかえりー」 こんなに買ってきてないぞ、とぎょっとしたのは束の間。 「きょうはねぇ、みんなからケイシスにクリスマスなのー」 天井からつり下げられた、色紙のリング。 テーブルの上には不格好な料理の数々と、これだけはきちんと形の整ったケーキ。 「……え?」 子供にもみくちゃにされながら、種族の違う妹が顔を出した。 「みんな、クリスマスはあげるものだって。いつもケイシスからもらってるから、今年はみんなで返そうって。ごめんね、ずっと内緒にしてたの。ほら、せーの、メリー、クリスマース!」 「メリー、クリスマース!」
メリー クリスマス。 世界中の子供に、幸いあれ。
(おしまい) |