らいふすたいる

 錯覚だと思っていた。
 なんとなく人の思ってることが分かるような気がしたが、それは文字通り、気のせいだと思っていた。
 今もまだ、単なる錯覚か妄想のたぐいではないかとも思う。
 だが、だとしても、錯覚でないかもしれないとしたら、
(やどぬしがいないのはふべんだしな)
 どんなに高度な性能を持っていても、寄生生物というものは、宿主がいてはじめてその性能を存分に発揮できるものである。自分を「そう」認識しているGは、その男を追いかけることにした。

 感じたのは殺意と昂揚感。
 男はGの隣を歩いていた者を見て、それをむくりと膨らませたのだ。
 宿主がどうなろうと、別に深刻に困りはしない。どうでもいいとも思う。だが、生活が格段に不便になるのは確かだ。宿主を乗り換えるのも、そう簡単ではないだろう。
 そのテクニックはなんだとか追及されるのはうるさくてかなわないし、自分の言動にいちいち腹を立てたりムッとされたりしても鬱陶しい。
 その点、戦闘アンドロイドと家政婦系アンドロイドは、楽だった。
 前者は他人のことにあまり興味を持たないし、後者はオーナーやマスターに迎合するようにできているから、どちらも、あれこれ細かいことは言いもしないし考えもしない。更には、アンドロイドの感情といったものは生身の人間のものに比べて感じにくい。錯覚かもしれなくても、あれこれと他人の思うことが感じられるのはわずらわしくてならないのだ。
 それに、そこそこ危険度の高い地域に入れるヒューキャストといれば、少しはマシな狩りを楽しめる。
(しんぱいなんかしてない。……してない)
 あの殺意の持ち主を追いかけるのは、自分の生活効率のためだ。と思う。だが、自信は持てない。
 他人の感情は分かるのに、自分の本音はよく分からない。今は、そんなことについてあれこれ考えている暇もない。

 男は商店街をまっすぐに歩いていく。
 Gは見失わないように追いかける。
 正確には、もうとっくに見失っている。いや、相手の姿は見ていないのだ。もし姿を見ていたとしても、人の背中の群れに阻まれて前はほとんど見えない。見えるのはせいぜいで胸のあたりまでで、それ以上を見上げていたらとても走れない。
 何度か蹴られそうになった。何度かは蹴られた。
 頭では素早くかわしているつもりでも、体がついていかない。
 蹴られれば腹は立つ。悪いことしたとでも思う人はともかく、ムカつく奴には蹴りの一つでも入れてやりたい。だが、今はそれどころではない。

 膨れた殺意の余韻を引きずり、いかに殺すかの妄想とともに歩いている男の感情を追いかける。
 時々、道端の女性に抱く助平心が邪魔をする。そんなありきたりなものだけ思うようになったら、姿を見ていないのでは、もう追いかけようがなくなってしまう。
 気分的には、邪魔な人ごみごとラフォイエで焼き払ってしまいたいところだ。しかしそんなことをすれば後々面倒だということくらいは分かっている。
 やりたいことはやりたいようにしてきたものの、それにも限度はあるのだ。面倒くさいが、仕方ない。

(……これもきおくのひとつか)
 具体的な記憶はなくても、その記憶にさえぎられて落ちた影のようなものはある。
 今もそうだ。やりたいことはやりたいようにしてきた。だが、人よりは少ないとはいえ、我慢もしてきた。まあこんなものだと思う。過去の自分がなにをしていたのかは思い出せないが、同じようなことを思い、考えていればこそ、「世の中こんなものだ」といった諦観が出るのである。
 街に出るのが嫌で、それでも仕方なく出てきた時、思っていたより楽だなとも思った。つまり、昔の自分にとって、街の中はもっと嫌な場所だったということだろう。これもまた、記憶の影だ。

 ただ、思い出そうという気は薄れてしまった。
 他にすることがなかったせいもあるが、記憶がないのはおかしいことだから、思い出しておこうとしていた。
 だがいつの間にか、どうでもよくなってしまった。
 このままでいいか、と思うのだ。
 思い出すことなんてない、うん、ない。
 どうでもいいじゃないかと誰かに囁かれるようにして、自分の奥底で自分が納得している。

 なにも分からないまま生きていくなら、都合の良い宿主には無事でいてもらったほうがいい。
 特にすることもなくて、家にいればなかなか美味な食事が出てくる。特に空腹を感じたことはないが、出てくれば食べる。美味いのならば、それは一つの娯楽だ。退屈なら狩りに連れて行かせればいい。人間の思惑のない危険区域は、すがすがしく爽快で、力を解放するのは心地好い。
 快適な生活環境を守るために宿主を守る。それが寄生生物の基本スタイルだ。

 男は商店街を離れて工場地区のほうへ行く。
 工場とはいうが、動いているラインは極一部だ。大半は機能停止したまま放置されているか、あるいは即日必要となったもののために資材として再利用されている。
 こんな場所に暮らしている人間はいないし、解体屋以外には用もない。
 そこに入るということは。
 殺そうという思いつき、あるいは意志を、実行する下地があるということだと思っていい。
(せわをやかせる)
 自分で勝手にしていることだとは承知で、Gはそう思っておいた。

 周囲に人がいなくなれば、目的の男を捕捉するのも容易になる。
 殺してやる殺してやるとスイングし歌うように楽しげな思念は、自己陶酔的に強くなっている。分解するイメージがメロディラインだ。
(そんなこと、なにがたのしいやら)
 くだらない。
 つまらない。
 他愛なくどうでもいいことだ。
 ナイフを持った手を振り抜く軌道に相手の首があれば発生する、まるで無意味な現象にすぎない。
 そんなくだらないことに、何故これだけハイになれるのだろうか。

 そんなことを思う自分を自覚すると、つくづくGは、自分が幼児らしくないことを実感する。
 だが、どうでもいいことだ。
 幼児らしくあろうとなかろうと、何故こんな自分なのかは不明だろうと、これが自分なのだ。
 そして宿主は、そんな自分をそのまま寄生させてくれている。
 なにも問題はない。
 その便利で都合のいい、ほぼ理想的な宿主をなくさないようにすることが、今は肝心である。

 がらんとした空っぽの工場。
 階段をのぼる。足音が響くかと思ったが、よじのぼるしかないような有り様だからそんな心配はなく、いささかプライドが傷ついた。服が汚れるのもよろしくない。宿主そのニが買ってくる服は子供っぽくて嫌いだが、これは宿主その一に買いに連れて行かせたもので、子供服のわりにはG好みだった。帰ったら洗濯させなければなるまい。
 体力がないのがつらい。壁面をジグザグに這う階段を、四階分ほどのぼると息が切れた。
 相手は移動をやめたらしいから、階段に腰掛けて一息つく。

 途端、ものすごい力で宙に吊り上げられ、放り出された。
 一瞬の浮遊感と、空中停止、落下。
 方向をとらえるのに一秒ほどかかったが、落下しつつ見上げると、そこにロボットがいた。
 侵入者を排除せよ、という極簡単なプログラムに従い感情なく動く存在は、目で見なければ存在が分からない。男一人きりしかいないと思い込んでいたのが、Gの間違いだった。

 だが、だから、なんなのか?

(わらわせる)
 充分に引き付けてから、床にラフォイエをぶつけた。
 ほぼ同時にラバータ、自分の周囲に冷気の膜を張り、熱風が吹き付けるのを阻み押し返す。
「……ふん」
 着地がうまくいかずに転んだのだけが気に食わない。
 それなりにマシだからそこそこは気に入っていたジャケットがますます汚れてしまった。払える埃は払ったが、オイルはどうしようもない。
 まったく腹が立つ。気に入らない。
 四脚で階段をすべるように下りてくるロボット目掛けて、ゾンデを放った。
 制御機構をやられた鉄の塊は、跳ね上がって空中で爆散。Gは満足げに笑った。

 ひどく驚いている奴がいる。
 何事かといくらかの焦燥。
 殺意は消えてそれだけが発露されている。
 その狼狽気味の感情の方向を探ると、五階相当の位置にあるドアに、人影が見えた。
 だが相手は、大人程度の人影を探しているに違いない。ドアの前から吹き抜けの広大なフロアを見渡しながら、いっこうにGを発見できないでいた。

(めんどうだ)
 と思った。
 理由を知り、やめるよう説得するなど、できるとも思っていない。
 どうするかはいざとなれば決まるだろう、くらいでとりあえず追いかけてきた、今がその「いざ」という時だ。
「おい、おまえ。あいつにはてをだすな」
 せいぜい声を張り上げた。甲高い子供の声だけに、やたらと響く。
 そしてそのまま、フォイエ―――。

 


 威力はいくらか加減してやったが、だからこそ弾き飛ばされることもなく、風も起こらず、衣類に引火したようだった。いくらかの火傷を負ったことは間違いない。衣服の素材次第では、全身火達磨の焼死体だろう。
 だとしても、どうでもいい。それに、まさかこんな幼児が犯人とは誰も思わないだろう。これだけは幼児的外見の便利なところだ。
「勝手に離れるな。探し回ったんだぞ」
 小言を無視していると、相手はさっさと諦めた。
 心配していたらしいのだけは、分かるからそれでいい。

 あんな奴がいたことは、言おうかどうしようか迷った。
 もしかするとなにかいわく因縁があり、狙ったのかもしれない。だとすれば警告はしてやったほうがいい。
 だが、相手を見てもいないし声を聞いてもいない。更に言えば、女性に欲情していたから男だと思ったが、そういう趣味のある女なのかもしれないのだ。
 分かるのは、アンドロイドではないだろうということくらいである。
 それではなんの警告にもならない。

「つかれた」
「いったいどれだけうろうろしてたんだ。……ほら」
 仕方ないな、と手を出してくれる。掴まると、引き上げられた。
「おい、なんのオイルだ?」
 その間際に見つけたに違いない。今時、オイルが零れているのは廃工場くらいのものだ。子供の行くところではない。さすがに声が険しくなっている。
「ふん。おまえよりおれのほうがつよいんだ。なにしてようと、もんくいうな」
「まったく……」
 伝家の宝刀。

「……なあ」
「なんだ?」
「おまえ、いのちねらわれるようなおぼえはあるか?」
 だが少しだけ気になったので尋ねた。
 驚きが、瞬く間に制されて消える。何故そんなことを問うのかと、訝ることすらない機械的な疑問。
 おそろしく抑制され制御された思考と感情で、接触しているにも関わらず、Gにはまるで読めなくなった。
 質問が唐突過ぎたので、今離れていたことと関係があることくらいは、推測されただろう。

「心当たりはないが、だとしてもおまえには関係ない。俺の私事だ」
 やがて、言い聞かせるような調子で言われる。
「かんけいなくない」
 とGは言い返した。
「おまえがしんだら、つぎのいそうろうさきをさがすのがめんどうだ。きーらじゃたいしたところはいれないしな」
 効率と利便性の問題だ。それだけだ。たぶん。
 束の間、宿主の思考が錯綜する。複数のことを、明確に想起しないままに漠然と考えて流したに違いない。
 それがぷっつりと途絶えると、
「なにしてきたか知らないが、無茶だけはよせよ」
 と頭を軽く叩かれた。

 あの程度、造作もないことだ。
 ただ、こんなお節介をしてしまったのは、なかなか大きな変事かもしれない。
 まったく自分らしくない。
 どんなものが「自分らしい」のかは曖昧だが、らしくないことだけは確かだ。
 だが、頭の奥で微かに微かに、声がする。
 昔がどんなだったかは、どうでもいいことだ、と。
 それは自分の声のようでもあるし、他人の声のようでもある。
 だがそれもまた、どうでもいいことだ。
 考えるのは、面倒くさい。

「あした」
「明日?」
「かりにいくからな」
「そういえば、ここのところ行かなかったな。またせっせと記憶集めか」
 もうそれはどうでもいいのだが、どうでもいいと言えばまた問答がはじまりそうである。問いは無視して、
「もうもりはあきた。どうくつだぞ」
 反論は聞かない方向だ。
「はいはい」
「『はい』
はいっかいにしろ」
 子供をなだめるような調子は、好きじゃない。
 しかし相手もさるもので、
「おまえが素直に『はい』と言うようになったら、俺も考えてやる」
 と切り返された。
 ついそっぽを向いた後で、子供っぽい真似をしたと思ったが、その時には苦笑する声が聞こえてきた。

 

(おしまい)