春まだき

 その日。
 街は華やかな喧騒に包まれていた。
 幸せと、喜びと、楽しさ。それらをミックスした極上のマーブル模様。
 街の中よりはいくらか静けさに包まれた日暮れの公園の中、褐色の肌の少女が一人。
 彼女は今、目の前に立つすらりとした青年に向け、意を決したように顔を上げたところだった。
 その真剣な眼差しに、気楽な気持ちでここに来た青年は、少し気圧されたように体を逸らす。
 そんなことにはお構いなしで、彼女は背中に隠していた小さな包みを、真っ直ぐに差し出した。
「これ、受け取って」
 やるせなさの漂う黒い瞳には、言葉にできないほどの深い思いがあるようだった。
 だがすぐに、とても見ていられないとでもいうように、目を逸らし、俯きがちに呟く。

「ゆかりん……私にはあなたしか、いないの」

 衝撃の告白に、ゆかりんと呼ばれた青年は、端整な二枚目台無しの表情になった。

 

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 セント バレンタイン デー。
 この日には、男女の様々な思惑が交錯する。
 とある地域では男性が女性に愛と共に花を贈り、とある地域では男女がお互いに友愛と共に贈り物を交換する。しかし現在主流となっているのは、女性が好意を寄せる男性に、思いを込めてチョコレートを渡す、という行為である。無論これは、製菓会社の編み出した究極の戦略。
 「本命」の相手がいる女性は、いかにして渡すか、受け取ってもらうか、どんなものにするかと頭を悩ませる。「義理」しかいない相手にとってもこれは一大イベントで、頭の痛さに関しては「本命」オンリーの人よりはハードかもしれない。
 そして……

「おっちゃん。これ、もう少し安くなんない?」
 2月上旬。カウンター前に並んでいるチョコを指差し値切っている少女がいた。
 体格はやや小柄、褐色の肌に黒髪。大きくてくるくると表情を変える、活発な瞳の少女。名はヤン・メイファといい、ハンターズキルドに所属するフォマールである。
 彼女は生まれてこのかた、本命チョコなるものをあげたことがない。たった一度だけ彼氏のような存在がいたことはあるのだが、バレンタインデーを待たずに別れてしまった。
 そんなわけで彼女もまた、義理チョコ配りにいそしむグループの一人である。

 頭が痛い理由は一つ。
 仲のいい男友達はそれなりにいるのだが、現在、懐具合があまりかんばしくない。何十個と配ることはないものの、口うるさいのが多いのである。
「ね、お願い! おっちゃんにもチョコあげるからさ」
 行きつけの雑貨屋の店主とは顔馴染みだ。その気安さから、拝み倒そうと試みる。
 店主は悪戯げな顔で笑いながら、わざとらしく眉だけ寄せて見せた。
「自分で売ったもん貰ってもなぁ。本命だってんなら、考えなくもないけどなぁ」
「うわ、贅沢〜。乙女の愛はそんなに安くないのよ?」
「お? へえ。じゃあ聞くが、その愛とやら、いくら値切って安くするつもりなんだ?」
 さあどうだと言わんばかりに、店主はカウンターの上に身を乗り出した。ヤンは「うっ」と言ったきり、言葉が出なくなった。

「……こ、このままの値段でいいわよ」
 負けた、と思いながらかろうじてそう答える。今月は生活するだけでいっぱいいっぱいだわ、と思わず溜め息が出そうになった。
「毎度」
 店主はしてやったりと満面の笑顔になる。
 ヤンは安くはないチョコレートを何種類か選び、少しばかり尖り気味の口をしてPPCをいじりはじめる。
 と、
「で、どんな奴なんだ?」
 店主はカウンターの上に手をついたまま、ヤンの目を覗き込んだ。
 PPCの端子を摘んだ手が止まる。
「いい男か? それともハートがいい男ってヤツか? おじさんの知ってる奴だったりして?」
 店主は好奇心いっぱいで畳み掛けるように尋ね、
「あ゛」
 地雷だ、と気付いた時にはもう遅かった。

 本命なんて、いないのだ。それは、購入するチョコレートの量と質を検討すれば分かる。本命が一人でもいるなら、一つだけ特別仕様になるはずなのだから。
 心なしか、ヤンの肩は震えているように見えた。
「……あ、あの……その、ほら、あれだ。おじさんてっきり、いるもんだと」
「ウフフフ、ありがと。でも、いないの
 いつもより少し低い声で告げられた「いないの」には、言いようのない迫力が篭もっていた。「美○憲○ふう」と言えば想像しやすいだろう。
(年頃だしなぁ。そりゃ、彼氏の一人くらいほしいよなぁ)
 なのに、いない。
 乙女でもないし、青春時代なんてとうに過ぎ去った店主には、その切なさはぴんとこないが、乙女には重大な問題なのだろう。

(いい子なのになぁ)
 と店主は不思議に思う。愛想がよくて明るい。可愛いと思う。外見も、性格もだ。
 何故これで本命彼氏がいないのか、不思議といえば不思議である。
 無論、店主は気付いていない。ハンターズであるヤンの周囲には基本的にハンターズの男しかいないのだ、ということに。社会的落伍者とも言えるハンターズに、まともな人間性を期待するのはかなり無謀である。
 ヤンとても……怒らせれば噛み付いてくるのだ。ヤンと店主の間には、大きな年齢の差が存在し、客と店員という垣根もある。客に気遣いしない店員はいないし、年長者に敬意を払わないヤンでもない。だから店主は、ヤンのもう一つの顔を知らなかった。

 そんなわけで彼は、心底力になってやりたくなってこう言った。
「よし、分かった。おじさん一つ約束してやる。本命ができたら、おじさんに一言教えてくれ。そしたら、そのチョコはとびっきりいいヤツを、とびっきりいい値段で譲ってやるからな。だから今年は、掛け値ナシの乙女の愛、がんばって配れ。来年本命になるように」
「気楽に言ってくれるわよ。……でも、約束、本当にしていいの?」
「任せろ。客に嘘はつかない。それがおじさんの信条だ。分かるだろ」
 どんな商品も、いいところはいいと言うが、イマイチなところもそう言う。「あ、これはおねえちゃん向けじゃないな」とかきっぱり言ってくれるところが気に入ってヒイキにしている店なのだ。
「ん。じゃあ、見つかった時にはおっちゃんに教えるね」
「よし。じゃあ、これは手付け代わりだ。義理でも構わず、たくさん配れよ。その中にヒットするのがいるかもしれないだろ」
 店主は、金額より少し多めのチョコレートを、ヤンのデータバッグに転送した。

 

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(おっちゃんにもチョコあげよう)
 と少しほっとした気持ちで、次に探すは梱包材と包装用紙。チョコを入れる箱と、割れないように入れるクッション、それからラッピングの用紙と、リボン、シール。
 あまり可愛らしい色のものは趣味ではないし、なにより、「般若らしくない」と笑われたのでは腹が立つ。一番好きな色のグリーンを基調にせっせと物色開始。
 しかし……
「確かに虚しいものがあるわよね」
 思わず手を止め、声に出して呟いた。
 義理とはいえ、出来合いの物を買って渡してハイお終い、ではなんとなく味気ないのでこうして多少の手間をかけているわけだが、やはり、特定の相手がいるのといないのとでは気合いの入り方が違ってくる。

(あたいって男運ないのかなぁ)
 知り合った男性陣を振り返ってみる。
 ……ベータ。かつて男を追いかけた以上変態色魔と呼ばれても否定のできない下半身節操ナシオ。追いかける相手がいなくなればおとなしくなるかと思えば今は不特定多数と交際中。
 ……ガッシュ。極悪仏頂面口の悪さは最高級。男と女として以前に人間として付き合いがあるのはどうかと思える陰険つり目、会って一度でも腹を立てなかったりいい気分になったことなどないと断言できる。
 ……イシメ。現代の好色一代男口にする言葉の過半数は色事関係。変態色魔度はベータを軽く上回るが自分に対してジェントルなところだけがベータよりマシ、彼氏には絶対にしたくないしなんとなく胡散臭い。

「だ……ダメだ」
 別に彼等を嫌っているわけでも軽蔑しているわけでもない。得るものもあるし、好意を覚える点もあるからヤンは友人と思っている。時には感謝したり、尊敬することもある。
 が、以前、カレンというハニュエールの友達といた時。
 少し前の仕事のことでベータと一言二言、確認の会話をした後のことだ。
「今話してた人、誰? ヤンの彼氏?」
「じょーだんじゃないわよ! なんであんなのと!? ただの知り合いよ!」
「じゃあさ、紹介してよ、彼のこと。めっちゃかっこいいじゃん!」
 もちろん即答で断った。
 理由は、
「狼に羊を差し出すような真似できないわ!」
 である。

 たしかにベータはハンサムだ。垂れ目はヤニ下がるといやらしいが、普段は優しいと言えなくもないかもしれない。
 二枚目と言えばイシメなどは相当の二枚目で、優男が嫌いでないなら、まず間違いなく心くすぐられるだろう。
 ガッシュとて、あのいかにも冷たそうな三白眼が、逆にかっこいいという人もいるだろう。悪い感じの危険な男が好みならツボかもしれない。
 つまり、みんな個性的で悪くはない、容姿を言えば皆が皆して人並み以上だ。
 だが、付き合って幸せになれるとは絶対に思えないのである。まず間違いなく、誰と付き合っても破滅するだろう。どうしてそんな相手を紹介できるものか。無論、自分の彼氏にしたいはずもない。

 そうして考えているうちに、一人の顔が頭に浮かぶ。
 レイヴン。
「おお! ちゃんとした男友達がいるじゃん!」
 思わず大きな声を出してしまい、ヤンは慌てて周囲をうかがった。幸い、近くに人はいない。ほっとして彼女は一人で頷いた。
 彼は面倒見が良く温厚。兄弟思いで、ユーモラスな面もある。物腰は優しいし、言葉使いも穏やかだ。
(そうそう)
 多少歳いった感じはするものの、ユーサムだって優しいし温かい性格をしている。少し得体が知れなくはあるが、ラッシュは充分常識的な人格だろう。
「うんうん。なんだ、大丈夫じゃん。単にあたいの好みが……」
 そこでふと気付く。
「全部、アンドロイド……」
 ヤンは再びうなだれた。

 アンドロイドに対して偏見があるわけではないが、恋人候補にできるほど達観もしていない。友達にするなら少しも構わずとも、アンドロイドの彼氏というのは想像できない。
 まっとうな人間の男友達、彼氏にしてもいいかなと思えるまともな相手は、思い当たらなかった。
 どんなのがまっとうな相手なのか。
 女友達に
「紹介して」
 と言われた時、
「おっけ。任せといて!」
 と言えるような人が、とりあえずヤンの中では真っ当な人間のようである。
(なんでまともなのはみんなアンドロイドなのよ〜っ)
 ショックを受けながらも材料を買い揃え、ヤンはよろよろと家路についた。

 

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 道具、材料を並べ、深呼吸一つ。
「よし!」
 気合をいれて、チョコを溶かしにかかる。
「今更どうにもならないのよ!」
 と、意気込んだものの、チョコを溶かす作業は手間の割に結構退屈だったりする。
 退屈に任せてつらつらと考える中、今年は誰々に渡そうかな、ということに辿り着く。

 去年は皆でベータたちに食べ比べをさせた。ヤンは色々やっているうちに、やたらと巨大になったチョコの塊を食べさせた覚えがある。あれから多少は腕も上がっただろうから、今回はまともなものが作れると思う。今のところ、まだ、たぶん、きっと。
 なんだかんだで世話になったガッシュにも……気は進まないけど今年もまた渡しておくことにしよう。
「……目の前で捨てられかねないわね」
 去年はゲームの一環のようにして食べていたが、そういう理由がないなら、あれは本当にやりかねない。なにをくだらんことをと心底から思ってる冷たい目で一瞥されるだけだ。間違いなくそうだ。それでも、ヤン自身の気持ちの問題である。恋や愛ではなくとも、お世話になった人になんらかのお礼を、ということなのだ。捨てられてもいいから、とにかく手に押し付けよう。ヤンは決意して頷く。
 アンドロイドな方々はチョコを渡されても困るだろうと思われるので、代替品にするとして……。

 なじみの顔ばかり思い出していたが、最近知り合った男も何人かいる。これからも一緒に組んだりしそうだな、と思えるのだから、これから友達にもなれるに違いない相手だ。
 一人は赤いレイキャストのオオトリ。元気のいい老人を介して知り合った。ミツクニという老人の護衛も兼任しているらしい。
(あ、そうそう。じっちゃんにもあげないと。それから……)
 レイマーが一人いた。相棒を求めて困っていたら、良ければ一緒に行くけれど、と申し出てくれた相手だ。

「あれ?」
 妙な引っ掛かりを覚え、そのレイマーのことをよくよく思い出した。
 ユカリという名前だった。紫と書くのかと思ったら、縁のほうだと言われた。
 トキン、と鳴る胸。
「……もしかして」
 深呼吸。
(待って。焦っちゃダメよ。大事なことなんだから)
 もう一度思い出す。
「……やっぱり……そうかも……」
 ヤンはぼんやりと、なにもない台所の宙を眺めた。

 

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 バレンタイン当日。
 雑貨屋の店主も含め、各方面に義理チョコをばらまいていたヤンは、夕方、一人のレイマーと向かい合っていた。
 彼は最後にした。
 ベータに「またXLサイズか?」と言われ否定できず(今年は多人数に配ったので一個一個は小さいが、それはできた後で切ったものだとは、無論ヤンは言わない)、ガッシュには目の前でベータに押し付けられ、イシメには「お返しは体でいい?」と妙な腰つきをされ、とことんげんなりした後でアンドロイドや高齢者のところを回って少し癒された。レイヴンとユーサムは喜んでくれたし、オオトリは「物好きだな」と無愛想に言ったが、くちばしのような部分を指で掻いて、満更でもなさそうだった。ミツクニは「この年になっても嬉しいもんじゃのう」と喜色満面、ラッシュはあまり本心の分からない声ではあるがそれはいつものこと。あの美声で「そうか、ありがとう」とにこやかに受け取ってくれた。
 そして、最後。
 一大イベントの締めくくり。
 今年のヤンにとって、最も重要で―――大切な相手。

「これ、受け取って」
 差し出された小さな包み。
 逸らされたままの、やるせない瞳。
「ゆかりん……私にはあなたしか、いないの」
 いつもの「あたい」すらどこへやら。小刻みに震える肩。

 思いがけない告白に、ユカリは面食らって茫然としている。
 たしかに可愛い子だとは思ったが、そんなふうには全く見たことがなかったのだから無理もない。
 だが、こうまで本気で思ってくれるなら、真面目に検討しなければなるまい。そして真面目に返答せねば。
 ユカリは、少しばかり女性に優しすぎるところはあるものの、極めてまともな、普通な男だった。

(えっと、とりあえずどう言おう)
 ユカリが言葉を探す内に、ヤンはキッと顔を上げた。
 体の脇で拳を握ると、力、いや、気迫のこもった言葉で告げる。
「あたいの周り、ゆかりんしかまともな男友達いないの! お願い! お願いだからこれからもまともでいて!! お願いだからあいつらみたいにならないで!!」
 ユカリは、「えっ」とも言えずに更に茫然と佇むのだった。

 ヤンの春は―――果てしなく、遠い。

ベースはUが書いてくれました。
それを加筆・改編したものがこれです。