―――アズの場合―――
「ふんふんふ〜ん♪」
鼻歌も軽快にちゃきちゃきと生クリームを立てている。
テーブルの傍では、こんな風習に興味があるのか、フェンリルがいろんな器具を手に取ったり並べかえたり。ただし、今彼が取り上げているのは、どう見てもビーカーだった。
彼は自分が手にしているそれと、CCから落としてきたデータにある器具とを見比べて、どう見ても違うようだが、これでも問題ないのだろうか、と考えた。
「アズ」
「なーによぅ?」
「やはりどう見ても、使っている道具が違うように見える」
「そりゃそーよぅ」
「違っていても問題ないのか? データには、このとおりにすれば大丈夫、と書いてあるが」
「つまりそりは、苦手な人も初めての人も、そうすればとりあえずできるってことよぅ。教科書ってゆーのは、基本なのねん。基本を身につけたら応用するのがフツーよねん。ね、ぽち」
「ふむ……。なるほど」
なるほど、と言って、フェンリルはガラス棒をテーブルに戻した。
それからまたしばらく考えて、
「アズ」
また呼ぶ。
「なによ〜ぅ」
「俺が見たところ、データにある器具と今ここにある器具と、用途や構成には差異がないようだが、何故コップやスティック(箸のコト)を使わないんだ?」
コップのかわりにビーカー、スティックのかわりにガラス棒二本、メスシリンダーなどなど。ここにあるのは調理器具ではなく実験器具ばかりである。ここは果たして台所なのか実験室なのか、かなり曖昧な環境になっている。
だいたい、湯煎するためのお湯ですら、ガスコンロではなく複雑に組み立てられた妙な機器の上で沸いているではないか。
「なーんてゆーか、微妙な匙加減を要するとなると、こーじゃないと落ち着かないのねん、あたしは」
「そうか」
フェンリルはその答えで納得したが、さて、これで作られたチョコレートだと知ったら、受け取った側はどんな顔をするだろうか。
無論、彼にそんな複雑な心情を解するだけの理解力は、まだない。
―――ラルムの場合―――
調べてほしいデータがある、ということで、その日、ラッシュの家にはカルマとベータが来ていた。
普段は研究所にいることの多いラッシュだが、たまたま仕事がなく、さりとて自分で調べたいこともなく、娘と何処かに出掛けようかと自宅にいたのだ。
しかしそういう日に限って、ラルムは「明日の準備があるです」とキッチンで大奮闘中、とても外出する暇はなかった。
そういうわけで、家の中にはほのかに甘い香が漂っている。
仕事の話は一段落したが、休日の予定がふいになったラッシュは、特に急いでいないらしい二人をそのまま引きとめ、他愛ない無駄話に興じていた。
やがてカルマが、
「そういえば、明日はバ……バレンタイン? デーとからしいな」
なにげなくラッシュに尋ねた。いわれでも話してもらおうというつもりらしい。
知識だけには事欠かないラッシュは、バレンタインという名の理由から古来の儀式のありようまで、問われるままに答えて聞かせる。
ベータもそれにあいのてを入れつつ話していたが、
「ラルムも明日のチョコ比べとやらのために張り切っているよ」
と言われて、はっとなった。
昨日、ヤンとアズとラルムと、他数名の女性がいる場所で、妙なハッパをかけたのは、言うまでもない。いや、そこはそれ、口の悪いのがもう一人たまたまそこにいたからでもあるのだが、そのために明日は、彼女たちからチョコレートをもらう約束になっている。
チョコ比べ、というのだから、不味いものを寄越す子はいないだろう。
が。
「ちょっと待て。……ラッシュ。おまえ、砂糖とかシロップとか、隠しただろうな?」
本人にとっては「美味!」なシロモノでも、他人がそう思うかは、別である。
渡された以上食べ比べなければならない身の上として、ベータは急に不安になった。
対してラッシュは、不穏なほどにこやかな気配になり、
「無論、そのままだ」
面白そうに指を組み合わせて、ソファの背もたれに寄りかかったのだった。
―――当日のコト―――
さあどうだ、と突きつけられたチョコ6つ。
どれから行こう、とちょっと違う意味で唾を飲み込んだベータ。
そこに脇から、くっついてきたクレイアがこそっと、
「私の義姉のものならまず心配ないでしょう。作ったのは専門の菓子職人ですから」
と囁いた。相変わらず貴婦人というもの、自分で料理などはしないものらしい。
ほっとして、いや待て、と考える。
(口直しのためにとっておいたほうがいいんじゃないか?)
そして残る5つを見比べた。
それからあらためて、送り主の6人を見る。
そして、きっと一番マトモだろう、という人物のものから試し、まず絶対に間違いのないローザのものを最後にすることに決めた。
そして選んだのは、フェイクのもの。
がさがさとリボンを外しながら、皺のよった包装紙に、さほど器用じゃないらしい、と思いつつも余計な懸念はなく、箱を取り出す。そして、その箱を開けて。
(うおっ!?)
ぎくりとした。
なんだか非常に不恰好である。書き文字も、なんと書かれているのか判読不明だ。
思わず本人の顔を見ると、彼女は赤い顔をぷいと背けた。その隣から、
「残さず食えよな。一生懸命作ってたんだぜ?」
笑いながら、リスキーが言った。
ぽそぽそじゃりじゃりしたやけに焦げ臭いチョコレートを、二口ほどかじったところで、ベータは次に取り掛かった。腹が膨れてしまったら公正な判断ができない、というのが言い訳だ。まあ、妥当なところである。
次はどれにしようかと迷い、覚悟を決めて一つとりあげる。
アズのものだ。
箱を開けてみると、出てきたのは直系10cmほどの丸いチョコレートに、なかなか器用な文字や飾りがつけられた品。ベータはほっとして取り上げ、口に運んでみると、味はまあ、普通の板チョコと変わりなかった。
ほっとしてかじりとり、ふと見ると。
チョコレートの脇に、なんだか鏡に映したような数字が見える。変だな、とは思いつつも、気付かないのが本人の幸せだった。
次に取り上げたのはリスキーのものだが、彼女は意外にも、こういった作業は苦手ではない。いかにも手作りらしく、失敗した文字の崩れなどはあるものの、味としてはまったく普通だった。
ほっとそこで一息ついて、ベータはやたらに大きな箱を見る。
目で見た時は、チョコレートケーキでも作ったんだろうか、と思ったが、渡されて持ってみると、異様に重かった。ずっしり、という感じである。
箱に鉄板でも仕込んであるのならいいなぁ、とベータはヤンの顔を見て、睨まれた。
しおしおと開けてみると、出てきたのは
(チョコレートでコーティングしてあるパウンドケーキ! ……だったらいいなぁ)
……まあ、はかない夢である。
「残さず食べてよね」
という勝ち誇ったような声を聞く限り、あえてこんな巨大なものにしていじめようという魂胆かと思えないこともなかったが、十中八九、自然とこうなったのだろう。しかしツッコミを入れると、今この場で、見ている前で全て食え、と脅されそうである。
ベータは、どうやって処分すれば何事もなく片付くだろうかと頭を痛めつつ、クマさんの包装紙を開きにかかった。
その時点で、想像によってげっぷが出そうになっている。
出てきたチョコレートの表面には、「がんばったのっ」と言わんばかりに一生懸命の跡が滲むデコレーションや「ベータさんへ」という書き文字まであるが、嬉しいのか哀しいのか、涙が零れそうだった。
(ああ、このテカテカしてるの、シロップかなにかなんだろうなぁ)
生クリームには透明なツブツブが見える。きっと砂糖かなにかが混じっているのだろう。
気が遠くなりそうだった……。
ところで。
6つ味見し終えた段階ですら半死半生のベータはともかく、もう一人、こんなチョコ比べの発端となった口の悪い男はというと、甘いも焦げ臭いもどうでもいいらしく、毒でないならいいと言わんばかりに眉一つ動かさない。
同じ顔がもう一つ隣にあるのは、たぶん言うまでもないだろう。
ちなみに結果は、無難に「みんな勝ち」になったとさ。
いや、男って情けないネ。
(おしまい)