Let's master a Sword

      Void

 

 視界の八割までが青い空だった。
 何故か圧倒され、足元がふらつく。
(おっと)
 ボイドは慌てて意識を引き戻した。
 ここから落ちたら大変だ。無論、空中で体勢を立て直す程度の能力はあるが、着地時に脚部へ課されるダメージをゼロに抑えることはさすがに難しい。
 今彼がいるのは、セントラルドームの上だった。

 ドーム頂上に設置されているいくつかのセンサー類を回収してくれ、という依頼を受け、登ってきた。階段もハシゴもない屋根の上である。
 本来ならば、そんな仕事は自律CPUを組み込んだ無人作業機械、この場合だと「スパイダー」と呼ばれるロボットにさせるのだが、ダークファルスの災厄で、自律CPUを組み込んだほとんどのマシンがおかしくなってしまっている。暴走しなかったものも大半はプログラムがリセットされており、使い物にならない。
 そこで、こうしてきわめて原始的な手段で回収すべく、ギルドに依頼が出されたようだ。

 センサーの一つや二つ―――とは言えないのが現状だった。
 パイオニア1・2、共にかなりの物資をダークファルス戦で費やし、失った。このままでは生活圏を確立することすら難しく、無論、パイオニア3を招聘することもできない。
 パイオニア1のスペシャリストを失い、パイオニア3の補給もあてにできなくなれば、主に民間人で構成されたパイオニア2がどうなるかは、明白である。
 噂では、アンドロイドの損傷レベルに対する認識が厳しくなったとも言われている。とっとと解体して使えるパーツを生活機器の作成に回そう、というわけだろう。まさかとは言えないものがある。

 専門というわけではなかったが、ボイドには高所での活動に対する不安はなかった。それで、誰も受けないのならばかなりいい金額になっていることだし、と引き受けたのである。
 風のない日を選んだのは正解だった。
 地上では無風に近く思えても、上空にはかなり強い風が吹いている。一般的なアンドロイドに比べて軽量であるのがこの場合ボイドの抱える大きなネックで、もう少し風速が上がれば踏みとどまることも難しいだろう。
 センサーを分解するためのデータは受け取ってきた。それを参照しながらいくつかのボルトを外し、チップを剥がし、いくつかのパーツに分けて回収していく。
 特に指示のないものに関しては捨ててしまえばいいとのことだったが、ボイドはそれも持って帰ることにした。こんなものでも必要な者はいるかもしれず、ならば買い取ってくれるはずである。
 さして金に困っているわけではないのだが、今は、そうやって余分にでも金を稼ぐこと自体が楽しかった。

(これで終わりか)
 最後の一つを解体・分別し、一息入れた。
 天気がいい。
 遠く地上に、動くものが見える。メインカメラを望遠モードにし、解像度を上げると、戦っているハンターズたちが見えた。
(あのあたりは危険区域か。さすがにブーマの動きもこのあたりよりは速いな)
 東南の森はダークファルスの影響が強く、一見は同じように見えるエネミーもずいぶんと強靭で凶暴らしい。
 警戒区域程度ではのろのろと動く、しかも知能の低いただの獣といったところだが、あのあたりならば戦い甲斐もあるだろう。
 戦うことを特に好きだと思ったことはなかったが、戦うために生まれてきたからだろうか。あまりにも手ごたえのない警戒区域にいるとどうも気持ちに張りが出ない。そして、ああいう敵を見ると、どうせならばあの場所でと思ってしまう。
(戦闘アンドロイドというのも、因果なものだな)
 善良であろうとしても、物騒でなくなることは永遠にないに違いない。

 それにしても、とボイドは我が身を振り返る。
 こういった高所での作業は、「スパイダー」と呼ばれるマシンにさせるのが普通なのだと聞いた時のことだ。思わず笑いそうになった。もちろんそれは気配にも出さず相槌だけ打っておいた。
 よりによって「スパイダー」とは。
(そういえば、大昔のフィルムコミックにあったな。たしか、「スパイダーマン」だ)
 親友のロックはコミック好きで、大昔のものから最先端のものまで、名作と呼ばれるようなものは一通りチェックするという。
 「スパイダーマン」というのは、その昔、まだペーパーが主流だった頃に誕生したヒーローで、彼は蜘蛛のように糸を出し、壁と言わず天井と言わず張り付き、飛び回る。
 「スパイダーマン」ならば、こんな場所も自由自在に動き回るに違いない。
 だが、それにしても、「スパイダーマン」とは、
(センスのないネーミングだな。そんなふうに呼ばれたら恥ずかしくてたまらん)
 と思わず苦笑いになった。

 日常生活にはなにかと不便な特殊な記憶構造をしているが、現実ではない記録については簡単に覚えておける。
 ロックの語るウンチクと、その時に見せられた数々の「スパイダーマン」がリアルに想起される。
 目の前の青い空と、そこに描かれた架空のビルの合間を飛び渡る「スパイダーマン」の姿が混じる。
 平和だった。

 かつてはこのセントラルドームの周辺も悲惨な有り様だったらしい。
 ろくな情報もなしに新米ハンターズが送り出され、何十体もの死体となった。徘徊するエネミーの数も今より多かったらしい。
 幸いなのは、生命活動を停止したエネミーの肉体は急速に自然分解され、跡形もなく消えたことだろう。もしその屍が当たり前に転がっていたら、今頃この辺りは死臭に覆われているはずだ。
 ボイドは「ダークファルス」と名付けられた敵性生命体を思う。
 パイオニア2にとっての絶対的な敵。それゆえにボイドも簡単に記憶できた。
 だが実際に見てはいないし、名前以外の情報はほとんど得ていない。精神生命体であったとか、別の星から来た生物だったとか、断片的な話ばかりだ。
 それを倒したというハンターズについては、なおのこと知らない。そんな誰かがいることしか知らない。名前も、所属も、姿も、見たことはあるのかもしれないがまるで記憶にない。

 確かなのは、彼等は「英雄」だということだけだ。
 誰もが認める。
 全人類の敵・ダークファルスを倒したことは、決して悪にはなりえない。
 彼等はこのラグオルの、最高に純粋な英雄だ。
 お伽噺の完全なヒーロー。その光り輝く印象と、どこかにいるはずの彼等を重ね合わせようとして、ふと、
(いや)
 と思考に翳りがさした。
 世の中には、人類の殲滅こそを至上目的とする連中もいる。自分たちも含めた全てというから業が深い。彼等にとれば、ダークファルスこそ都合のいい存在で、それを消してしまったハンターズこそ邪魔者だろう。
 考えると、憂鬱になった。

 楽しいことを考えよう、と考える。
 ゆるい曲面を持つドームの屋根に寝転がると、視界は青い空と白い雲、青白い太陽の投げかける透明な光だけに占められた。
 だが、きれいなだけでは楽しくない。
 楽しいことより、面白いことのほうがいいだろうか、とボイドはすぐ背中を起こした。
 面白いこと。
 キーラと「兄妹」ということになったのは、面白いことかもしれない。

 キーラという名の、今はヒューキャシール。
 彼女は、元は軍の宿舎を管理するCPUである。一般の家庭で言えば「レディ」にあたるだろう。そのAIをヒューキャシールのボディにダウンロードした。
 彼女はテラにいた時から活動している。ボディがなかっただけで、その人格は何年も前から変わらずに存在していた。
 若い年頃の娘、世話焼きで少し口うるさいが、明るくて優しい性格に設定されている。
 彼女が、武骨で、時にだらしない男どもの世話を焼くようになったのは、二十年近く前の話である。
 つまり、ボディこそ新品だが、中身はボイドよりはるかに年上なのだ。
 それなのに、ボイドが兄でキーラが妹ということになった。性格に準拠する推定年齢からすると、そうなるらしい。
 これは、少し面白い。年上のキーラが「妹」になり、特に違和感もなく「お兄ちゃん」と口にする。ボイドも違和感は覚えない。だが少し、面白い。

 キーラは今頃なにをしているのだろうか。
 実は、そう思っても外見はおおまかにしか思い出せない。名前すらほとんど無理やり記録したのだ。
 コールしてみようか。思ったが、すぐにやめた。「なにをしている」と問うためだけにコールすることには、なんとない違和感が存在する。
 戦闘など好まないキーラだが、ハンターズとして生きていくためには最低限の成果は要る。もしかすると、このあたりに来ている可能性もないわけではない。
 見える範囲にいる可能性は極めて低いが、ボイドはカメラを広角にして探してみた。さすがに、見てまで分からないことはない。これでも半月、兄妹として共に暮らしたのだ。
 側面部の装甲が影になって邪魔をするものの、それでも200度近い視野の中に、キーラと認識しうる個体は見つからなかった。

(……ん?)
 さて、カメラを元に戻そうかと思って、ボイドは視界の端ぎりぎり、方向で言えば右やや斜め後方に、なにか気になるものを見つけた。
 そちらに顔を向ける。ズームアップして「それ」を注視する。
 大柄で、恰幅もいいヒューキャシールが一人、大剣を手にブーマの群れと戦っていた。

 記憶の一部が、なにか引っ掛かっていると訴えている。
 なにかは分からないが、とにかく「あれ」は「なにか」だと。
 たぶん、どこかで会って、話くらいはした相手のはずだ。それも、どうでもいい成り行き、行きがかりの話ではない。その程度の相手は絶対に、引っ掛かりもしない。
 まるで記憶にないが、おそらく彼女は知り合いだ。ラビータイプの頭部に、深みのある赤い色のボディ。ほっそりとしたキーラに比べると3回りは体格がいい。
 大剣に体格負けはしていない。
 だが、
(……そうだ。たしか……いや、たぶん、新米だったはずで……)
 振り回しているというより振り回されている。
 戦い方も、あまりにも効率が悪い。どうやら彼女は、ああいった巨大な武器の正しい使い方をまだ知らないに違いない。

(誰だったか……)
 ボイドは腕のPPCを立ち上げると、受け取ったギルドカードを検索した。
 これからも付き合ってみたいと思える相手のカードは、一応ストックしてある。
 この「記憶障害」にめげずに付き合ってくれれば、いつかは覚えられるだろう。まあたぶん、数ヶ月後には。しかしこの中のいったい何人が残ってくれるかというと、あまりにも心許ない。
 ともあれ、彼女はそこにいた。
(ヨネス……バッファ。ヨネス)
「『ヨネス』か」
 声に出してみると、なんとなくだが、以前にも発声したことがあるような気がした。
 カードを更にチェックする。相手のメッセージの他に、自分の覚書がある。
『気のいい女。新米ハンターズ。初陣に付き合った』
 そう書かれているのを見て、たしかにそんなことはあったと思い出した。相手の姿や声、名前ははっきりしないが、そういった出来事があったのは間違いない。その相手が、どうやら今あそこにいるヨネス=バッファのようだ。

(それにしても)
 とボイドは少しカメラの照度をしぼる。つまり「見ていられない」といった感じだ。
 パワーは足りているはずなのに、使い方が悪い。立ち回りが分かっていない。
 だが、記憶の中にある「あの日同行した相手」は、たしかに戦闘経験は皆無、データしかないような有り様だったが、学び実践する速度は素晴らしかった。
 つまり、ヨネスはただ知らないだけなのだ。大剣を持ってどう戦えばいいか、どう戦うのが正しいか。
 教えれば瞬く間に覚えるだろう。

 行こう、と思って背を起こす。
 距離はあるが、急げば彼女が引き返す前に追いつけるだろう。移動されるくらいは問題ではない。いくらでもトレースできる。
 だが、本当にそうするのかと自問した。
 記憶にある「その誰か」は心地好い存在だった。
 ならば、関わらないほうがいい。
 AIはそう判断する。
 以前ならば、それが全てだった。自分の感情に照らし合わせても、そうするのが最善だった。
 だが今は、それでいいのかという疑問、感情を大事にしたくもある。
 どうしようか、それでも少し迷ってから、ボイドは行くことを決めた。

 

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