SURVIVE

(ああ、夕飯作らなきゃあ……)
 木陰に身をひそめたまま、ヨネスは茜色に染まった西の空を見上げる。
(もう、最悪だよ)
 定期的に痛覚信号を送ってくる左の腕をさすった。
 ただでさえ障害物の多い密林地帯は、この数日来降り続いていた雨と、それから急に照り出した太陽とで、濃密な霧が立ち込めている。

 目をこらし、慣れないままに起動させたレーダーに注意する。
 相手は全員、このレーダーを欺くためのステルスバリアを持っているようだが、ヨネスのレーダーは最新型の高性能だ。充分に注意していれば、異常反応は確認できる。
 だが、これを使いこなすのには相当な熟練が必要なのも、事実だった。
 視覚情報と聴覚情報、熱感知型による空間域接触情報、そしてレーダー情報。これらを別個に把握しそれぞれに理解し、更にはそれぞれへ的確に対応するのは、アンドロイドのAIをもってしても、一朝一夕にできることではない。データ処理自体は機械的に行われても、それを意識し認識する部分には、もっと「人間的」なゆるみが作られているのである。
 今のヨネスでは、せっかくの高性能レーダーも完全に使いこなすことはできなかった。
 レーダーに気をとられすぎれば、視覚情報の認識が遅くなる。
 不意に目の前の繁みが動いて意識がそこへ向くと、レーダー情報の認識は後回しにされてしまった。

 とっさに伏せると、頭上の幹になにかが突き刺さった。フォトンの使われていない細い矢だ。
 その間、レーダーは背後から急接近している未確認物体を検出していたが、ヨネスはそれを意識できなかった。
 背後の梢が大きな音を立ててようやく気付く。だがそれにはどう応じていいか判断がつかず、背中に激痛が走った。
「そら、逃げろよ」
 あざわらう声がする。
(最低だよ、まったく!)
 奴等が三人以上の徒党を組み、自分のパーツを狙っていることは、もう知っている。
 だが現在の正確な人数と、何故すぐに捕まえてしまわず、こうして追いつづけるのかは分からない。
 ヨネスのAIには、狩りを楽しむ、などといった認識は存在自体していなかった。

 わけが分からないまま、逃げつづけて半日になる。
 まだ疲労は覚えない。
 通常のアンドロイドよりも長時間、補給なしで戦える仕組みになっていることは、生まれてすぐに教えられた。だが、自分の体に最新型のパーツが多数使われていることは今日初めて知った。
 彼女のオーナーであるファシム=バッファ老は、たった一人の家族、かわいい孫の後見人とするためにヨネスを作ったのだ。その時、孫が成人し一人前になるまで、機能停止することなく、多少の危難はくぐりぬけて生きていけるよう、可能な限りの性能を求めたのである。
 だが、それがこうして裏目に出ようとは、ファシム老はともかく、ヨネスは思ってもみないことだった。

 パーツを奪われるというのは、ばらばらに分解され、めぼしいものは全てとられるということだろう。
 それは分かる。
 そして、冗談じゃないとも思う。
 今までは一度も、心底恐ろしいと思ったことはなかったが、今はAIが混乱しそうなほど、恐ろしかった。
 殺されるのだ。
 ヨネスは必死に逃げ、なんとか逃げきる方法を探していた。
 だが、島から脱出するためのテレポーター前には、必ず見張りがいるだろう。そのことは彼女にもよく分かっていた。

 どうすればいいか、なにも分からなかった。
 誰かに連絡して助けてもらおうとは真っ先に考えたが、妨害されているのか通信はできなかった。
 人間を前にすると、遠ざかる方向へ意識は向く。戦うという選択肢は最初から頭に出てこない。たとえ本人たちに自覚はなくとも、それがアンドロイドの宿命である。
 狙われれば、逃げきる以外に勝つすべはない。
(海を泳ぐなんて、あたしのこの体じゃとても無理だし、ここがどこなのかだって……)
 テレポーターを利用すれば一瞬で移動ができるだけに、どの方角へどれくらい移動すればどこに出るか、これは日頃から座標を意識して活動していないととても分かることではない。
 今度からはもっと気にするようにしよう。ヨネスはそう決めていた。ただしそれは、この難局を無事に切り抜けられればの話になる。

 すぐ背後で突然しげみが音を立てた。
「ひゃあっ!!」
 思わず悲鳴が洩れるが、飛び出してきたのは見たこともない鳥だった。
 安堵した顔の脇を、鋼鉄の矢が飛び抜ける。
「どうしたよ。もっと逃げ回ってくれねぇとな。その性能の程ってぇヤツ、教えてもらわねぇと」
 顔の間近へとあえて外して撃つ。当てて破壊しては貴重なパーツを取り損ねるのだから、決して当ててはいけないのだ。それでいて、脅かせる程度には近くないとならない。相当な腕前だ。
 自分に分がないことはなんとなく分かっていたが、諦めるのは嫌だった。
「じゃあ、そうさせてもらうよ。なんなら一時間くらいは、あたしの好きにさせてもらえるとありがたいんだけどね」
 動揺を押し殺し、精一杯の強がりを言い残して、ヨネスは密林の奥へと駆け込んだ。

(そう言や、旦那が言ってたっけ)
 遮二無二走って逃げながら、ヨネスはボイドとここに来た時のことを思い出した。
 表面こそ新型と変わらないボイドが、実はかなり戦闘慣れしていることは、ヨネスもよく知っていた。たしか最初に会った時、「強くなるつもりも危険なところに行くつもりもない」と言っていた彼だが、現時点で、重危険指定区域くらいならば難なく探索できる力があるらしい。
 彼がガル・ダ・バル島への上陸許可をとれたのは、なんの不思議もない。
 妙に好奇心旺盛なところがあり、さっそく行ってみようという時、ヨネスが誘われたのだ。
 ヨネスも好奇心については人後に落ちない。一人では当分行けそうもない場所だから、と後ろについていった。実際、とてもまともに戦える場所ではなかったが、「いずれ行けるようになろう」といういい目標にはなった。
 その時、ボイドが珍しく冗談を言ったのだ。あまり無駄口を叩かない男だと思っていたため、ひどく意外で、だからよく覚えている。

「ここは格好の場所だな」
 と彼が言うので、ヨネスが
「なににさ?」
 と問い返すと、ボイドは急に足を止めて振り返り、妙な間を作った。そして、
「視界が悪く、来る者も少ない。なにが起こっても、誰にも知られない可能性がある。気に入った女の子を連れ込むには、もってこいだろう?」
 と言ったのだ。
 呆気にとられ、この人はなにバカなことを言ってんだろうとあきれたものだ。
 しかし、そんなとんだ意外性は、ヨネスには好ましいことだった。

 聞いた時には「自分には関係ない話」だと笑うだけだったが、別の意味で適用されるとは、思ってもいなかった。
 余計なことを思い出して少しおかしくなったせいで、今までハング一歩前だった頭が少しだけ楽になった。
(帰らなきゃあ。あたしは、こういうことがあったって切り抜けて、ぼっちゃんを守らなきゃいけないんだから)
 泣き虫で、気弱で、優しくてかわいらしいカルム少年を、守るために生まれてきたのだ。
 そして、少年と共に過ごす時間をとても大切に感じる。
 義務ではない。守り、共に過ごしていきたいのだ。気の優しいあの少年と、少しばかりひねくれたあの老人と。
 ヨネスは腹を決めて思い切り、動くことはやめて考えることに集中した。

 あたりはもう暗くなりつつある。もう十分もすれば、夜と言っていい様子になるだろう。
 だとすれば、視覚は完全にカットしてしまうほうがいいかもしれない。レーダーの反応をとらえるのだ。
(でも、それだけじゃ逃げられないね)
 相手のほうが圧倒的に有利なのは否定できない。
 逃げるために必要な数少ないポイントに、確実に見張りを立たせればそれでいい。ヨネスがテレパイプを持っていないことについては、もう疑っていないだろう。
 障害物の少ないテレポーター周辺に出れば、丁度いい的になってしまうことになる。
 しかも、ステルス機能を発揮できるような装備など、ヨネスは持っていない。つまり居場所は筒抜けで、常に把握されている。
(八方塞がりっていうんだろうね、これは……)
 じわじわと、恐怖が戻ってくる。

 漠然とした不安ではない。
 捕まるしかない、という用意された最悪の未来には、不安などという曖昧なものは感じない。
 恐怖だ。
 それはたとえば、戦っている途中に深手を受けるというのとは違い、とてつもなく嫌な幕切れに思えた。
 人の役に立つようにと特別に作られた体を、欲得ずくでバラバラにされる。いくらになるかならないか、ということで判断される。
 気持ちが悪い。
(冗談じゃないよ)

「諦めたのか?」
 思ったより近いところから声がした。
「ふん。考えてるんだから、静かにしとくれ」
「無駄だってことくらい、もう分かってるんだろう?」
「あんたたちの気付いてないこと、あるかもしれないからね」
 言い放って、ヨネスは声から離れる方向へと姿勢を低くして移動開始した。

 自分で言ってから気付くというのもおかしな話だが、奴等が気付いていない盲点を突くしかない。それがたった一つの光明だった。
 あれこれと考えては否定し、ふと、
(パイプ、どこかに落ちてないかね)
 と思いついた。
 大した貴重品だが、ないとは言えない。
 ガル・ダ・バルについておおよそのことは知っている。なにか良からぬ研究をしていたはずだ。その内容は、今は関係ない。パイオニア1の研究者がこの島に乗り込む時、必ず護衛をつれていたはずである。彼等は万一の時のため、セントラルシティ近くに帰還できるよう座標設定した、テレパイプを持っていたのではないだろうか。
 もしそうならば、遺品のたぐいを見つけられればなんとかなるかもしれない。

(ああ、ダメだ。あたしじゃプロテクトが解けないよ)
 他人のPPCのロックを解除するような、そんな技術はヨネスには必要なかった。
 だとすると頼れるのは、極めて低い確率だが、使おうとして間に合わずに落とされた場合と、コンテナなどで大量に輸送していたものが、放置されている場合。それくらいしかない。
 それが近くに一つでもあり、更には奴等が気付いていなければ、パイプを開く時間さえとれればなんとかなる。ただし、パイプを開けば、光の柱が立つ。この暗がりでは一目で見つかってしまう。
(パイプを見つけて、朝までなんとかしのげば……。それしか、ないみたいだね)

 覚悟を決めた。
 そうして一つの目的のために全ての行動を収束させる。
 視覚は切り、レーダーだけで相手の位置を探る。
 ステルスバリアのせいで完全にキャッチはできないが、途切れ途切れでも移動の方向は分かる。
 そこから、どういうつもりで動こうとしているのか、できるだけ読もうと努力した。
(これは動いてないね。これが見張り? これは……あたしの近くにいるのが、さっきから話し掛けてくる二人だね。こいつらがリーダーなのかねぇ。それとも、リーダーってのはこっちの、真ん中あたりに二つあるのの片方かもしれない。うん、ありうるね。一人がレーダー情報を集めてて、一人が指示を出してる。そんなところかもしれない)
 そうしながら、落ちているテレパイプがないか、微かな望みに全て賭けた。

 それから二時間ばかりも胸糞の悪くなるような時を過ごしたところで、ヨネスは神様の慈悲とも言うべきものを見つけた。
 物資輸送を担当していた者たちがいて、まとめて襲われ、逃げだしたのだろう。コンテナが一つ転がり、中身が割れ目から零れていた。
 これを開ければあるいは、と飛び出そうとして、ヨネスははっとした。
 罠かもしれない、と思ったのだ。
(あいつらが先に見つけてれば、ありうるね)
 慎重にレーダーを確認する。
(……なにしてるんだろう。作戦でもかえたのかい?)
 Sメモリーを検索してみる。ふと思ったことに間違いはないらしい。今まで一番自分を追いまわしていたと思われる二つの反応が、この一時間ほどの間、まったく移動していないのだ。今も周囲にはなんの反応もない。
 そのかわり、二つ固まっていたものが、だいぶ位置をかえている。一つ加えて三つになっているのは、引き返して合流した者がいるためだろう。

 作戦を立て直しているのかもしれない、とヨネスは思った。
 だとすれば、今が最大のチャンスになる。
 一人だけが抜群の性能を持つステルスバリアを持っていて、それがこの狩りの大詰めとして待ち構えていたら?
 ヨネスはそこまで考えられなかった。だが幸い、この悪党たちにそれだけの装備はなかった。
 今この周囲に誰もいないことだけは間違いない。ヨネスはそう自分に言い聞かせて迷いと恐れを振り払い、
(よし!)
 思い切って駆け出して、コンテナをこじ開けた。

 急がなければならない。油断も安心もしていられない。
 念のためにモノメイト、ディメイトも確保し、パイプを探す。
(あっ!!)
 思わず声を上げかけた。
 パイプがあったのだ。

 躊躇している暇はなかった。
 その場ですぐに開く。
 光があたりを照らし出す。
 座標だけは確認した。ありもしない場所に転送されては、原子の塵として永遠に再生されないままになる。
 普段よく使うポートの座標に合わせると、ヨネスは迷わず光の中に飛び込んだ。

 

 

 それから一時間後、ヨネスは声を上げて泣きわめくカルムに抱きつかれていた。
 いつもはわざとらしいくらい憮然とした顔をしているファシム老の目も、心なしか潤んでいるようだ。
 生きていて良かった。
 泣きながら眠り込んでしまった少年を抱き上げて、ヨネスはつくづくとそう思った。

 

(終)

 

→Void side