Dusty conscience

 焼き殺された砂塵にまみれた、地上の廃墟。
 崩れ残った建造物はことごとくその壁に亀裂を走らせ、地面は干上がってひび割れで模様を描いている。
 粉塵に曇る灰色の空で、白熱した太陽が猛り笑う。
 そこには、人の生命を包む適度な湿度、潤いというものがまるでなかった。
 渇き、痩せ衰えた餓死寸前の大地。

 その穴倉の中にいたのは、ほんの十から大きくても十五程度の子供ばかりだった。
 それが七、八人ほど一塊になり、痩せこけた顔の中で目ばかりぎらぎらと光らせてボイドを見ていた。
 小さな子供のものとは思えない敵愾心と憎悪が、黒い目から真っ直ぐに突き刺さってくる。

 殺せるわけがなかった。
 相手は子供である。
 首領と幹部を確保し、一団を瓦解させることができれば、相応の教育機関に預けることができる。そこで無数の選択肢や価値観を知れば、せめて、血で血を洗うようなやり方は間違っていると、そのことだけでも理解するかもしれない。
(掃討する必要はない)
 そう判断し、ボイドは体を下げた。

 途端、右肩にぶつけられたものがガシャンと割れる音を立て、そこから炎が上がった。
 手製の、あまりにも原始的な火炎瓶だった。
 アンドロイドには到底通じるはずもない火勢と熱で、足元に落ちてくすぶり、すぐに消える。
 だがすぐに、次の一つが飛んできた。
 浴びせ掛けられてもどうということはないが、火の手が上がれば発見され、取り囲まれる可能性がある。
 退却と転進を決めるのに躊躇はなかった。

 その足元で、落ちた炎は無情にも、それを投げつけた子供たちのいる穴倉のほうへ向いた。
 瓶からこぼれた油の流れた先へ、するすると火が走っていく。
 そして―――狭い穴の中は、紅蓮に染まった。

 中にあった他の瓶に引火し、炎は急激に激しさを増す。
 苦しさのあまり穴から飛び出てきた子供が、喉をかきむしるような仕草をする。炎が気管に入り、息ができないのだ。
 躍るような足取りで必死に炎を振り払おうと悶え、倒れる。

 消し止めてやれば助かるかもしれない。
 だが周囲には水も消化剤もない。
 探せばどこかにはあるに違いないが、それは今この状況において、選びうる道ではなかった。
 子供たちの絶叫はもう遠く響き、黒々とした煙が立ち昇っている。
 ボイドはすぐさまその場を離れ、この騒動を囮に、手薄になった中枢部にまで進入した。
 それこそが、彼のとるべき行動だった。

 そして一時間後。
 指令部と見られる廃屋を見つけて中に踏み込んだ時には、主だった幹部たちは全員、一室で首を掻き切って自害していた。
 床は血の色一色に染まり、壁や天井にまで赤いほとばしりが叩きつけられている。真っ赤に濡れた部屋には、自分の手で死ぬことはできなかったと思われる、女や子供の遺骸も転がっていた。追い詰められたテロリストの、命をかけた最後の抗議、足掻き、投げつけて寄越す、罪悪感という呪いが、廊下にまで溢れていた。

 

 

 

 

「最前線の兵士には、自分の良心に基づいて戦闘を放棄する権利がある。僕が軍事用アンドロイドに莫大な資金をつぎ込み、従来のものよりはるかに高度な知性、感性を与えたのは」
 壇上で、まだ二十歳にもならないと思われるニューマンの青年、いや少年が、得意げかつ面倒そうに演説していた。
 教育的訓示だとかいう名目で、広いホールには多くの軍人が集められている。
 壁際にずらりと席を占めるのは将校や政府高官たちで、後方には各種機関の傍聴者が列席している。

 否応なく出席させられたが、ボイドの我慢は限界に来ていた。
 このまま聞いていれば、壇上のあの少年を絞め殺しかねないという自覚があった。
 聴覚を遮断し、無音の世界で感覚だけを頼りに、そっと立ち上がる。元々小柄であるのも幸いして、少し背を屈めて移動すれば誰かの邪魔になるようなことはなかった。
 視線は集まったが、さしたる関心もなくすぐに逸らされていく。
 ドアの脇を固める士官に理由を問われ、
「体の中に妙なノイズを感じるんだ。こんなところで万一のことを起こすわけにもいかない。少し出てくる」
 と言った。士官は二人とも、飛びのくようにしてドアの前を離れた。

 ホールを出たボイドは、公聴堂横手の人造林へ回った。ここならもう、あの腹立たしい声は聞こえない。聴覚を戻すと、どこかにスピーカーがあるのだろう。ゆるやかなクラシック音楽と小鳥のさえずりが聞こえた。
(なにが良心だ)
 傍らの幹を軽く打つ。
 思い出すだけで、揺らめくのは殺意に似た感情だった。

 最前線の兵士には、自分の良心に基づいて戦闘を放棄する権利がある。
 それは本当だろう。
 だがあの少年は、そんな理屈を実現させて遊んでいるだけだ。
 アンドロイドに高度な感情を与え良心まで植え付けた、その頭脳は天才かもしれないが、しょせんは凡俗の類、机上で全てを知った気になっている痴れ者、実際にはなにも分かっていない。
 その良心とやらがどれほど切実か、そしてどれほど無力か、どれほど持ち主を苛むか、知っていればあんな軽薄な声など出せまい。
 そのくせ、なにもかも知っているかのような得意顔で高説を垂れる。

 良心というなら、あの時あの子供たちを殺したくないと思ったのがそれだ。
 炎に包まれたあの子らを、助けてやりたいと思ったのがそれだ。
 だが、それをすれば自分は囚われ破壊され、作戦は失敗し、多くの犠牲者も出る。
 戦場に正義などない、あるのは大義だけだと自分に言い聞かせて、大義で良心を殺した。
 自分はしょせん大義の尖兵、どこかの誰かの手足の先、それが持つ武器に過ぎないと言い訳して、何十人という人を殺してきた。ここで十人殺さなければ千人が殺されるのだと、言ったのは誰、聞いたのはいつだったか。
 だがどんな理屈でも決して割り切れず、何度踏みにじっても死に絶えず、いっそなくなれと願い、惑い痛むそれが良心だ。
 一滴の血を流したこともなく、一滴の血を流させたこともない人間に、もっともらしい顔をして軽々と語られるのは我慢ならなかった。

 大義、 正義、 良心、 罪、 善、 悪、 血、 憎悪、 悲嘆、 嘲笑、 侮蔑、 怒り、 叫び、 憎しみ、 哀しみ、 涙……。
 なにが正しいのか、どうすればいいのか、なにが間違っているのか、どうすれば良かったのか、そしてなんになるのか。
 許容量を越えかけた思考はひどく混乱し、前後不覚になる。
(それは)
 仕掛けておいた留め金が外れ、頭の片隅で自分の声が再生される。
(俺の考えることじゃない)
「……俺は、言われたことを、するだけだ……」
 善も悪も、人の喜びも哀しみも、何一つ関係なく、ままならない。

 ようやく目の前がしっかりと定まり、音も色も戻ってきた。
 と……なにやら、背面のほうに妙な感触があった。
 どうも尻を撫で回されている感触なのである。
 これが他人事ならばあっさり驚き呆れられるが、我が事ではまるで理解ができず、しばし停止する。
(……どういう意味だ?)
 状況の必然性というものを理解しようと努めたが、その努力が実る前に手つきが変わり、揉まれてはたまらずに振りほどいて数歩逃げた。

 振り返ると、そこにいたのはいくぶん猫背の、片手に高価そうなステッキをついた老人だった。
 見事なほどの銀髪をきれいに後ろに撫で付け、唇の上の髭をきっちりと整えたところなど、四角い面長の顔とあいまって大した品格と威厳だが、表情がしまらない。目尻を下げて、その目にかかるほどふさふさした白い眉毛の眉尻まで思いっきり下げている。上がっているのは唇の両端で、のびているのは鼻の下。
 撫で回したのが若い女性の臀部ならばどこにでもいる(?)助平ジジイだが、アンドロイドの、しかも男性型の尻とあっては、変態と呼べば真っ当な変態氏から抗議されそうである。

 ボイドは思いつくかぎりの合理的な説明を探したが、無駄だった。
 唯一信憑性があるのは、この老人はボケている、というものくらいである。たとえそれにしても……なんとも憐れなボケようである。
 ただ、妙なことに老人は、軍の将校が着るかっちりした礼装に身を固め、その胸にも肩にも、いくつかの勲章が飾られている。
 いくらなんでも、ボケ老人を将校にしておく軍はない。
(急性痴呆というのもあるのか?)
 ボイドは真剣にそう考えた。

「いやー、こう、わしの手にジャストフィットするサイズだの。これはなかなかの僥倖」
 右手の指をにぎにぎと動かして、老人は嬉しそうな声を出した。
「……あんた、その、……つまり、どういう意味だ?」
「なにがかね? まあそんなことより、もう一回。ほれ、こっちに来なさい」
「断る!」
 相手が将校ならば、めったに顔も合わせないほどの上官になるが、ボケ老人ならば話は別である。ボイドは背を向けないようにして後ずさり、老人からもう少し距離をとった。
「ちぇ〜」
 老人は軽く指を鳴らし、唇を尖らせた。

 それからくるりと回れ右し、すいと背筋をのばした。
 途端に肩も張り、体格が一回り良くなったように錯覚させる。
「なにを煩悶しとったのかは知らんが、自分から道具になんぞなりなさんな。腹が立ったら怒鳴ればよろしい。苦しいならわめけばよろしい。それだけでも、案外スッとするもんだぞ。一人で抱え込んで悩みなさんな。ああいうのは、このわしだとて見ておれんわい」
 老人は細い溜め息をつき、ゆるゆると首を振った。
「あんた……」
 実はまともなのだろうか。少しだけ思い直そうとした。が、
「せっかくかわいい尻しとるんだから。今まで触った中のベスト3に入る、うむ」
 と上着のポケットから古臭い紙の手帳を取り出し、これまた古臭いペンでなにやら書き込むのである。
 ボイドはきっぱりと、思い直すのはやめにした。

 この老人が北米軍きっての有名人であり、また内外に人望の厚いアーサー=C=ゴードン少将だということをボイドが知ったのは、その翌日のことである。
 触られたがっている若い女性事務員たちもいるくらいだというし、触られた男性職員、アンドロイドも少なくないらしい。また、あの日はあれっきり、鬱屈した気分はきれいさっぱり吹き飛んだのは事実だが、
(俺にはただの変態じいさんだ)
 中央ビルに定期メンテナンスに行った帰り、すれ違いざまにまた撫でられたボイドは、思わず頭痛を覚えて、メンテナンスルームへ引き返そうかと思うのであった。

 

(終)