Void

(「隣の芝生は青い」……。いや、違うな)
 完全に外れてはいないが、今の心境を的確に表現したとはいえない。周囲の雑音を聞き流しながら、なにかこういう気分を一言で表した慣用句はないものかと彼は考えていた。
「ほら、なんとか言ってみろよ、坊や」
 音声ならいくらでも無視が可能だが、突き飛ばされればそうもいかない。一歩踏み出して転倒を回避する。
(さて、どうするか)
 彼は慣用句ではなく、この状況から抜け出す方法へと思考をスイッチさせた。いい加減、黙って聞いているのも馬鹿らしい。

 きっかけは些細なことだった。いや、そんなものをきっかけと呼んでいいものかも分からない。
 彼は真新しいボディのコンディションを把握するため、警戒区域・森林公園での戦闘のある依頼受けようとしていた。丁度いい仕事を見つけてカウンターで申請し、できるなら相棒がいたほうがいいので告知の手続きを頼むと告げた。ただそれだけである。
 途端、すぐ傍にいた者にからまれたのだ。
「おチビちゃんは森でお散歩でちゅか〜? 一人じゃ怖いんでちゅね〜」
 と。
 たまたまそのヒューキャストに仲間がいたのが面倒の始まりで、遮られるようにしてカウンターから引き離され、囲まれてしまった。

 たしかに、ヒューキャストというのはパワーが売りである。そのため、体格もほとんどの者が2メートルを越える巨体だ。その中で彼は、一般的なマンの男性の平均身長よりも低いかもしれなかった。
 体格だけを見れば、大人と子供だろう。だが、幼年・少年の性格設定をされているわけではない。
 それを説明したところで、効果はあるまい。説明すれば理解してくれるような相手ならば、こんな馬鹿げた振る舞い自体をしないだろう。そう判断できる程度には、彼は充分に成熟した思考を持っていた。
 外装こそ新品でロールアウトからまだ一ヶ月も経過していないが、内部構造はほとんど以前と変わりない。活動年数を問題にするならば、作られて二、三年といったところの彼等より、確実に長い。
 その気になれば、ふざけた連中を捻じ伏せることも可能だった。
 アンドロイドは基本的に、人間に対して攻撃行動ができないが、例外は存在する。彼はその数少ない例外にあたる。これまでの六年間は、主に人間を「敵」として活動してきたのだ。根幹のプログラムに手を入れることが技術的に不可能である以上、その危険なプログラムはプロテクトだけされて、放置されている。それがいかに弱いものかは、彼自身が実感していた。
 つまり、その気になりさえすればいつでも人間と戦えるのである。

 こうした場合の他愛ない身のこなしを見ていても、勝算ははじき出せた。馴染まない体でも一切問題ない。だが、そうすれば余計なトラブルになるのも明らかである。
 最初は、しばらく無視していればつまらなくなってやめるだろうと思っていたが、この頃のハンターズ=アンドロイドというのは、よほど出来が悪いらしい。いつまでたってもしつこく絡みつづける。一面では発達した情緒を持ちながら、一面ではそれがずいぶん杜撰なのだろう。彼はそう考えて、しょせん「造られた者」である彼等自体に腹を立てるのはやめた。
 なんとか穏便に抜け出す方法はないかと黙って考えていると、反応がなければないで、仲間内でのやりとりによって勝手に盛り上がり、からかうが罵るに近くなり、手の出る回数が増えてくる。
 カウンターは彼等の巨体に遮られて見えないが、受け付け嬢は適当な対応のできない新米のようだ。アテにはできない。
 他のハンターズたちは、と思うが、それもすぐに諦めた。気配で分かる。せめて狼狽してくれるならまだしも、我関せずといった空々しいムードが充満していた。

(7301-2Bを倒したのはハンターズのはずだが、やはりどこの世界にも、ピンからキリまでいるということか)
 仕事を選び、生活を選べる自由に憧れてハンターズになった彼だが、飛び込んでみた世界は、それまで彼がいたところと大差ないらしい。この分では派閥まであるのではないかと、いささかげんなりしてきた。

 その時、外から女の声がした。
「ちょっとあんたたち! みっともないねェ。いい加減にしなよ」
 張りのある少し高い声で、ギルド中に響き、一瞬だけ静まり返る。が、途端に彼を囲む五人ばかりのヒューキャストから笑い声が上がった。
 いったいなんだと思って彼が少し首をのばすと、背後から両肩をおさえられる。
「見えね〜ェだろ? 肩車、してやろーか〜、ぁ?」
「おまえたちが退けば済むことだ」
 いい加減相手にしていられなくなり、彼はやっと口をきいた。

 真新しいボディには見合わない威圧的な声と言い様に、一気に周囲が殺気立つ。彼を囲んで全員が内側を向いたその動きの隙間から、囲みの外側にいるヒューキャシールの姿が覗いた。
(なるほど)
 と彼は納得した。自在に設計できるアンドロイドの場合、ビジュアルを重視してバランスよく作ることがほとんどである。しかしそこにいる彼女は、ビジュアルより性能を最優先したのか、長期戦にも充分耐えられそうな、高さもあり、恰幅もいい太目の体をしていた。
 だから笑ったのだろう。
(馬鹿馬鹿しい)
 ハンターズというものも、人から英雄と呼ばれるのはほんの一握りだけで、大半は身勝手な荒くれ者に過ぎないらしい。こんな性根の連中に、それを野放しにすることをなんとも思わない連中。
 叩きのめすのは簡単だ。だがそうすれば、危険と見なされて廃棄処分されるだろう。
 それはまだ、遠慮したい。
 だとすれば過ぎ去るまで我慢しつづけるしかないかと、音声を遮断しようとした途端、

「いい加減にしろ。邪魔だ」
 吐き捨てる低い声がして、垣根が強引に外へと崩された。

 五人組を軽々と押し退け、カウンターへと近付いてくるのは、二人組の黒いヒューキャストだった。よく似た体型・体格をしているが、一方は人型T、一方はバードタイプ。どちらの体にも、修復しきれない無数の傷がついている。
 今までここにいた連中とは格が違うのが、見た目で分かった。
「な、なんだよ、あんたら……」
 一転して及び腰になり、それでも食って掛かろうとするのを、俗に言うデフォルトヘッドのほうが一睨みで黙らせた。
(こういうのもいるのか……)
 たぶん、助かったと言っても無視されるだろう。事実、助けようというつもりがあったのではないようだ。カウンターへ近付きたいのに、実にくだらない真似をして邪魔をしている奴等がいる。本当に邪魔だから邪魔と言っただけだと、斬りつけるような目を見れば分かる。

「ミシェル=ブラウンから出ている依頼の、封鎖領域、地下遺跡の南側を受ける。キーをくれ」
 カウンターに辿り着いたデフォルトヘッドが言う。事も無げに申請しているが、最大級の危険が予測される地域である。
「あの、お二人ですか?」
 ギルド嬢が戸惑った声で応じると、
「大丈夫ですから、お願いします」
 バードヘッドのほうが温和に言った。
 指定ポイントの座標を書き込んだ、テレポーター起動用のキーデータを受け取り、二人が立ち去ると、ギルド内にはようやく動きが戻った。
「アンドロイド二人で封鎖遺跡って……。進めるなら化け物だぞ」
「行こうぜ、俺たちも」
 そんなざわめきの中で放心していた五人組は、さすがに毒気を抜かれたのか、不機嫌な態度でギルドを出て行った。

「災難だったねぇ」
 苦笑いするような声で彼に話し掛けてきたのは、先ほど割り込んできたヒューキャシールだった。
 ラビーと呼ばれる、ウサギの頭部を模したヘッドパーツのせいで、余計に背が高く見える。
「すまんな。いいとばっちりだっただろう」
「構やしないよ。見てらんなくて勝手にやったことさね」
 彼女はあははと快活な笑い声を上げた。
 淡いローズカラーのボディには、ほとんど傷がない。修復すればその形跡がどうしても残るが、そういったもの一つないとすると、ロールアウトされて間がないのだろう。外装の製造時期だけならば、彼と同じのようだった。

「う〜ん、どうするかねぇ……」
 彼女はカウンター脇のボードを見て唸っている。連れはいないようだ。生まれたてでは無理もない。
 ハンターズ=アンドロイドが一番危険なのは、この最初期である。戦闘データはあるが実戦で確かめてはおらず、また、あらかじめ組み込むパーティがあるのでないかぎり、同行者を募らなくてはろくに戦闘ができない。だがなんとも無茶なことに、共闘するものである、という概念は基礎部分に組み込まれていないのだ。仲間を積極的に求めるような感覚がない、と言ってもいい。
 戦闘に対する恐怖の薄さがその原因と言われている。マンならば大丈夫だろうかと怖がり、誰かに一緒に来てもらおうと真剣に考えるのだが、アンドロイドにはそういった感覚が乏しいのである。
 だから、戦えるつもりで一人で降りて、スクラップになる者が後を絶たない。

 実際に助けられたわけではない。だが、止めようとしてくれたこと自体に感謝すべきだろう。
「おい」
 と彼は彼女の背中に声をかけた。
「なんだい?」
「一人なら俺と来るか? 行き先は警戒区域の森。今出ている駆除依頼だ」
「本当かい? そりゃ助かるね。一人じゃちょっと不安だったんだよ」
「交渉成立だな。俺はボイドだ」
「あたしはヨネス。ヨネス=バッファさ。よろしく頼むよ」
 背後では、妙な二人が組んだものだと忍び笑いが洩れている。気にするだけ面倒だというのは、ボイドだけではなく、ヨネスも同じようだった。

 

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