ラッピーレースがあるんだとロックに誘われて、ボイドが訪れたのは、日曜日の昼下がり、森林公園の南側だった。ここには大きな広場があったが、そこに取り壊しのできるスタンドを設け、中央にレース場を作ったらしい。 もうかなりの人出があり、会場は盛況を極めている。 「ほら、テラにゃ競馬があったろう」 案外狭いレース場を見下ろす観客席で、ロックが興奮気味に話す。 ボイドも賭け事は好きだが、それはどこまでも趣味的なもので、熱狂するというほどではない。逆にロックは、とにかくギャンブルと呼ばれるものが好きで、ほとんど中毒といっていい。 親友の趣味について無知でいられるはずもなく、ボイドにも一通りの知識はある。 テラの競馬は遺伝子操作された馬もどきのレースで、いかに違法改造してあるかの展覧会のようだった。
しかし、このラッピーレースは違うのだとロックは力説する。 「ルールは似たようなもんなんだけどよ、まあとにかく適当に賭けてみろって。525な」 PPCの受信周波数を525に合わせると、そのまま馬券ならぬ鳥券の購入画面になった。 12匹のラッピーが、直線50メートルの走破順位を競う。買い方は競馬と同じで何種類かあるが、一番簡単で分かりやすいのは単勝、つまり1着になるラッピーを当てるだけのものだ。 他、1、2着に来るものを順不同で当てるものや、順番まで厳密に当てるもの、グループ(枠)のどれかが2着までに入ればいいもの、グループ単位で勝敗点数を当てるものなど、何種類かある。 出場するラッピーは、競馬で言えばパドックにあたるような広場で思い思いに歩き回っている。傍にいるのが飼い主だ。たいていはどこかの研究員といった様子だが、一般の民間人らしい姿も見受けられた。
アンドロイドにとってギャンブルなど、実は非常に虚しいものがある。 特に自分でコントロールできるカードなどは、同じメンバーと続ければ続けるほど、確実に勝てるようになってしまうものだ。 競馬などはまだしも気まぐれだが、それでも厳密なデータ集計と計算で、かなりの高確率で勝つことができる。 しかしそれは、単なる数学の解答当てと大差ない。 勝つことではなくゲーム自体を楽しむ気ならば、意識的に計算をやめ、勝ち負けなどなにも考えず適当に遊ぶしかない。 ボイドは元気の良さそうな二匹に目をつけて、それぞれに100メセタずつ賭けた。
「どいつに賭けた?」 「3番と10番」 「俺は2−4だ。今日こそ……」 とロックはずいぶんと意気込んで、急にふっと気を抜いた。 「どうした」 「まあ、見てりゃ分かるって。そろそろスタートだ」 ロックの視線の先で、ラッピーたちが整列をはじめている。 低い柵で区切られた真っ直ぐなコースに、一匹ずつ入れられていく。 そして、華やかなファンファーレと共にゲートが開いた。
……が。 とことこと走り出すラッピーもいれば、そこにとどまったままのもいる。走っていったかと思うとUターンするのもいるし、柵を乗り越えることばっかり考え始めるのもいる。 会場はあっちで声援、こっちで笑い声、こっちで罵声と、おそろしいほどの賑やかさになった。 ボイドの賭けた3番は、真ん中あたりまでは順調に走ってきたが、そこでペタンと座り込んでしまっている。10番のほうは、きょろきょろしながら少しずつ歩いて、そろそろ30メートル地点にさしかかるだろう。ロックの賭けている2番は、まだゲートの中。4番は隣の5番と喧嘩をはじめていた。コースの周囲では飼い主たちが必死に怒鳴っているが、とても効果がありそうではない。
ラッピーたちは、ひたすら走るようには訓練されていないのだ。 この完全に気まぐれなラッピーの着順を当てるのは至難の技、言ってしまえば本当にただの偶然に頼るしかなさそうだった。 「誰も調教してねぇんだよ。そりゃもちろん、少しくらいは真っ直ぐに走るようにするけどよ、勝たなくたって金が入る仕組みになってるんだ。見ろよ。あのへんなんか女ばっかりだ」 ラッピーのかわいい動きを見るために入場料を払い、当てるつもりもなくチケットを買っているのだろう。勝ち負けなど気にもしない顔で、楽しそうに笑いあっている。 一種の見世物として入場料をとり、それを参加賞金にあてることで、勝たなくてもいくらかの実入りになるようにしたのはなかなかの知恵である。ラッピーのかわいさが売りになることで、飼い主たちの過剰な調教や改造も無用になり、テラの競馬のようにならずに済むのだろう。 「毎回、まっすぐ一目散に走るだけのが出てみろよ。最初は珍しくて可愛がられるだろうが、すぐ飽きられるぜ。だから、わざと気侭にさせとくのさ」 周囲の声に負けないよう、ロックは大声を張り上げて説明し、あとは動かない2番をひたすらどやしつけていた。
何戦も見て、それぞれのラッピーの行動傾向や行動条件を算出すれば、勝つことはできるだろう。 だがそんなことをしたいとは思わず、ボイドは思いついた数字だけでチケットを買った。金額は全て100メセタで、たとえ勝っても1.2倍〜8倍程度にしかならない買い方だから、大した儲けにはならない。 1000メセタでやめておこうと決め、10枚勝って最終的に200メセタばかりプラスになったところで、ボイドは観戦に回った。 ロックは来た時よりも真剣な顔をして、 「5……いや、6か。いや待てよ」 と悩んでいる。たぶん、隣にボイドがいることも忘れているだろう。 「こいつに1000賭けて、こっちに500で保険……」 (保険は本命が分かっていて初めてそう言えるんだがな) こんなでたらめのレースでは、本命も穴馬もない。ボイドは苦笑を殺して相棒を見やった。
そのレースでは、ロックが1000メセタ賭けた3−8が見事に来た。たまたまその時、この数字に賭けた者が少なかったせいで、かなりの倍率になっていたらしい。これまでの負けを一気に取り返せるだけの大きな当たりに、ロックは小躍りしている。 「あーっ、もう、かなんなぁッ!!」 そのロックとは逆隣で、若いニューマンの娘が地団太を踏んでいた。 さっきからやけに騒々しく、ボイドの耳にも一喜一憂が矢継ぎ早に飛び込んできている。 「次見とれよ次。絶対当てたるんやから」 (ずいぶん熱くなってるな) 真剣な顔をしてPPCから出したホロ・モニターを睨み、唸り声を立てている。 「2……こいつ今までいっぺんも勝っとらんもんなぁ。せやけどこの辺でどかーんと……、ああ、あかん。こないだもそれでワヤんなったんや。そんなら8……」 北米大陸でも西、山脈の向こう側、「海岸なまり」のひどい言葉で、ぶつぶつと呟く声が途切れない。
ロックのほうは大きく勝ったことで満足したのか、もう勝つために賭けるのはやめにしたようだ。 「あれもかわいいなぁ」 頭の毛の先のほうを少しだけピンクに染めたラッピーを眺め、50メセタだけ賭けている。 自然、ボイドの興味は逆隣の娘に向いた。 レースが始まると、立ち上がって声援を送っている。 「いけーっ、そこやーっ、まくったれーっ!! そや、いったれ、いったれーっ。ああっ、あかんっ、あかんて! なにしとんやこのボケナス! 戻ってどないすんねんこの鳥ィ! あああっ、あかん、待って、待ったってやちょっと! 堪忍、堪忍や〜」 しまいには両手を組み合わせて拝み始める始末で、ボイドは笑いをかみ殺すのに苦労しなければならなかった。
見たところ二十歳前後で、なかなか顔立ちも可愛らしい。しかしこれでは、付き合える男がずいぶん限られてしまいそうである。 また負けたらしく、がっくりと椅子に蹲って頭を抱えている。 かと思うとがばっと跳ね起きて、 「次や! 次こそ本気や! 見とれよ〜。・・・・様ナメとったら今に痛い目見したるでな〜」 またモニターと広場を交互に睨みつける。相変わらずボイドには名前が認識できなかったが、なにか硬い音だったなとは印象に残った。
そんなふうに思わず彼女のほうを見ていたものだから、たまたま彼女の頭がこちらに向いた時、ばっちりと視線が合ってしまった。 途端、 「なんやのん。あんちゃんアンタ、なに見とんの」 負け続けて殺気立ったまま、詰問される。 「いや……。その、なかなか勝つのは難しいらしいと思って」 「なんや、あんちゃんも負けとんのん?」 少しばかり目が座っている。ここは話を合わせておくほうが良さそうだと思えた。 「ああ。まあ、大きく賭けていないのが……」 幸いだが、とまで言わせず、ニューマンの娘はがっしりと肩に手を回してきた。 (うわっ) 「そんならうちが教えたる! 今まで負けに負けたけど、この最終レースが本番なんやからな! 今度こそ絶対大穴や! そうや、もうそうしよ! 締め切り前に、一番倍率高いトコ賭けたるで〜」 がくがくと揺さぶられて、ボイドは目を回しそうになった。
(無茶な子だな) 競馬と違い、倍率は勝負ごとに変動する。チケットの売れ行きの結果が、そのままそのレースの倍率になるのである。だから、たまたまそのレースで人気のなかったラッピーが勝つことも、ありえなくはない。 ボイドが無茶だと思ったのは、彼女のPPCに打ち込まれた金額……いや、PPCに表示された残金である。最終レースに全てをかけて、貯金をゼロにしてしまったのだ。 もちろん、ここに出てくる数値はこのPPCと自宅のCCにある分だけで、全財産ではないだろう。だが、今までの様子を見ているかぎり、充分な貯蓄をしているようにも見えないのだ。 毎度毎度この調子で、勝てばいいが、負ければスッカラカンになっているのではないだろうか。 だが、どう見ても他人の忠告など聞きそうになかった。
ボイドは付き合いばかり、今日勝った分の200メセタを、少し真剣に賭けた。 今までの行動パターンを見ていると、3番は隣が真っ直ぐに走るとつられる傾向があるのは明らかで、また、ゴールのフラッグが視界入ると、それに興味を持って走り出すようだ。だがこの最終レース、3番の左右は一度も真っ直ぐに走ったことのない2番と11番である。 2番は動くこと自体があまり好きでなく、ただ、光るものに興味を持つらしい。今は曇っているが、太陽の出ていた束の間だけは、陽光の反射するポールのほうへ、柵をこすって斜めに斜めにと進もうとしていた。 11番はとにかく観客席の賑やかな動きに目を奪われるらしい。今まで一度もゴールしていない。 5番は……と、そんなふうに分析していくと、最終レースはおそらく、5−7と思われた。それでも、気まぐれなラッピーのこと。どう転ぶかは分からない。 チケットの動きはそれなりで、3.2倍という倍率になっている。連勝単式のボーナスと合わせると、もしこのとおりに来れば、4×3.2の12.8倍。 たとえ外れても今日はタダで半日遊べたことになるし、勝てば2560メセタの収入である。帰りにロックと豪勢な食事をしていくこともできる(と言ってもボイドは見ているだけになるが、要するに、マンならば凝った料理を食べられる程度にはまとまった金額なのである)。
「頼むっ、頼んますで〜」 なにに祈るのか、ニューマンの娘は手を組み合わせている。 ファンファーレが鳴ると、いっそ悲壮なほどに真剣な顔を上げた。 彼女が賭けているのは11−4。当たれば4×18で72倍。なけなしの150メセタが10800メセタに化ける。これは一ヶ月の生活費くらいになる。 しかし―――
一日10レース。気侭なラッピーのことだから、2着まで決定した時点でレース終了としても、時にはたかが50メートルに1時間くらいかかることもある。日によっては8レースくらいしか行われないこともあるようだが、今日は順当に進んできた。 10レース、ラッピーたちの様子を見てきた観客が、最終的に生み出した倍率がこの最終レースのそれである。 多少のバラつきはあっても、なんとなく勝ちそうなラッピーと、どう見ても勝ちそうにないラッピーは、もうほぼ明らかになっているのだ。 最も倍率の高いラッピーに賭けるというのは、いくらこのレースが気まぐれでも、無謀だった。
予想どおり5−7が来たボイドは、計算が当たったらしいというくらいで、さして喜んでもいない。外れてもいいと思って賭けていれば、反応などこんなものなのである。むしろ、計算どおりになってしまったことが物足りなくさえある。 しかし隣のニューマン娘は中腰のまま目も口も開けっ放し、両手もなにを掴もうというのか体の前に構えたまま、茫然と凝固としていた。なんとなく、その手の中からなけなしの希望とメセタが、さらさらと落ちて風の中に消え去ったような感がある。 もし彼女が負けても賑やかに騒いでいるなら、ここにいる幸運に見舞われた者二人、夕飯くらいは奢ってやろうと思っていた。ロックはこういうことに反対はしない。 しかしこの有り様では、「敗者に情けは不要」と言い出しかねない。そう、これは真剣に戦って破れた、笑い飛ばせない敗北者の姿だ。……たかがギャンブルでも。
「……まあ、災難だったな」 ボイドはそれだけ言って軽く彼女の肩を叩いた。娘はかっくんと椅子に座り込み、深々と項垂れた。 「俺、少し考え直そうかな」 ぞろぞろと流れる人の波に乗って歩きながら、ロックがいやに深刻に呟いた。 途中から彼もあの娘の様子に気付いていたはずだ。それくらいすごい白熱ぶりだった。それを見ていて分かったのだろう。熱くなりすぎると恐ろしい、と。 ふと気になってボイドが後ろを振り返るが、あいにく真後ろに大柄なレイキャストの二人組みがいて―――この二人はきっちり計算しつくして勝ったのだろう。満足げな様子だ―――、なにも見えなかった。代わりにロックが振り返って言う。 「あの子、今立ち上がったぜ。なんか気合入れてらぁ。ありゃあちょっと重症だな」 「人生踏み外さなければいいが」 「まッたくだ」 鹿爪らしい顔をして、ロックが何度も頷いた。
さて、ラッピーレースに熱狂するニューマン娘とボイドが再会するのは、これからあと半月ばかり先のことになる―――。
(おしまい) |