カラス、という意味の私の名前。 私を作った博士の名前がクロウ。 crowと書けばカラスの意。 だから私の名も、同じ意味のあるravenになった。 父親の名をもとに息子の名をつけるように? そう思えば、不吉な鳥の名でも喜べないことはなかった。 そんなつもりが欠片ほどもないことは知っていたけれど、そうとでも思わなければ、やりきれなかった。 クロウ博士が私を「息子」だなどと思ったことがないことは、知っていたけれど……。
でも、私の好きなひとたちがこの名で私を呼んでくれるなら、決して嫌いな名ではない。 レイヴン、という、私に与えられた名。 皆、その名を口にして私を呼んでくれる。 私に語りかけてくれる。 この名と共に私が彼等の中にいるのだから、忌まわしい名でも、呼ばれるほどに、呼ばれるたびに、皆の声によって洗われていくような、そんな気がしていた。
いくつの声が私のこの名を呼んだのだろう。 黒く枯れ果てた、不吉な面影も、もうだいぶ薄れたような気がする。 訓練を終えて引き合わせられた、私の初めてのパートナー、ユーサムさんのゆっくりとした落ち着いた声。 意識しているわけもないだろうに、やけに正確な発音をするジーンさんの声。 明るく弾んだヤンさんの声。 からかうような、それでいて深い、ベータさんの声。 柔らかく、いつも何か問い掛けるように語尾を上げるセーラさんの声。 それから。 タイラント兄さんの。 カルマ兄さんの。
どれだけ洗われても、私はただの不吉な鳥かもしれないけれど、黒は黒なりに、きれいになれた気がする。
「考え事か?」 「カルマ兄さん。どうしたんですか、こんなところで」 「それは俺の台詞だ。俺はただの買い物。こんなところでぼーっとしてるおまえこそ、どうしたんだ?」 「少し、ええ、考え事を」
話すまでもない。 他愛ないことで、けれどこんなことを話せば、カルマ兄さんのことだから、自分のことのように深刻に考えてしまうに違いない。 私は本当のことを言われただけ。 戦いの中、恐怖や興奮も覚えず淡々とし、力任せに「敵」をねじ伏せていく様は、無感動に、そして無慈悲に訪れる「死」そのものの姿なのかもしれない。 それならば、私が戦うところを目にしたひとが、私を名のとおりの存在だと言うのは、見当違いではない。 嬉しくもない物思いに、兄さんを巻き込みたくなんかない。
「隣、いいか?」 「え? あ、はい。どうぞ」 「まあしかし、ヒューキャストが二人してこんなところに座ってるというのも、妙な光景かもしれんな」 「そうかもしれませんね」
きれいな、噴水を模したイルミネーション。 私たちのような黒い機械より、可愛いレイキャシールや、マンの女の子たちによく似合う。 光の中で、私たちはそれでもやはり黒くて、戦うための機械……。
「……俺では、相談に乗れないのか?」 「え?」 「いや、なにか深刻そうだからな。俺の勘違いならいいんだが」
……私に表情がありますか? 私は何か言いましたか? 怒っていても笑っていても、哀しんでいても、私の顔は変わらないはずなのに。 それなのに、感じ取ってくれる。 私を、それほど見ていてくれるんですか……? そんな貴方に、聞いただけ気の塞がる話はしたくない。
「大したことはないんです。すみません、気を使わせて」 「それならいいんだが……。……まあ、もし何かあれば、だが、話くらいなら聞いてやれるぞ? 俺は気の利いた助言とかはしてやれないが、一人で抱え込んでるより、吐き出したほうが楽なこともあるからな」 「本当に、なんでもないんです」 「そうか。だが、もし何かあれば、と覚えておいてくれよ。その……これでも、おまえよりは10年近く余計に生きてるわけだしな。それに、弟の悩みくらい、なんとかしてやりたいと思うんだ」
貴方もそう思ってくれますか? 私が焦がれたほどにではなくても、私を「弟」と。 けれどそれも、私が貴方を「兄」と認識するから、付き合ってくれているだけなのかもしれない。 貴方は、優しいひとだから。 でも、それでもいい。 貴方に「兄」でいてもらうためなら、私はたぶん、なんだってできる。 貴方の迷惑には、絶対になりたくない。 私のくだらない感情で、貴方を困らせたくはない。
「っと、そろそろ戻らんとな。じゃあな、レイ」
…………今。 なんて?
「兄さん!」
今、なんて?
「ん? なんだ?」
今、……何を言ったんですか?
「今……」 「今?」 「レイ、って……」 「ん、あ、ああ。その、嫌か?」 「それ、私のことですか?」 「ほ、他にいないだろう。その、まあ……べつに、レイヴン、と呼んでもいいんだが、こっちのほうが呼びやすいしな。嫌だと言うならやめるが」
レイ。 私? 私の名。 レイヴン。 「レイ」……。
「レイ……ヴン?」
この感情は、……なんなんだろう……。 嬉しいのか、哀しいのか。 ああ、ただ……ありえない。 こんなものは、私たちアンドロイドにはないはずなのに。 なのに、何故? 泣くことのできない私が、何故、泣きたい、なんて思うんだろう……。
今だけ、マンになりたい。 そうしたら、泣けるのに……。
「どうした? おい?」
心配しないでください。 なんでもいないんです。 ただちょっと。 私にも、分からない。
「どうしたんだ? な? 何かあったのなら、言ってみないか?」 「すみません。私にも、よく分からないんです。ただ……」
「レイ」と言った貴方の声を思い出すと、苦しくなる。 私を、そう呼んだ貴方の声。
「レイ」……。
それが、私? 貴方にとっての、私ですか? 貴方の中にいる私は、「レイ」? 「レイヴン」という私がここにいるのとはべつに、私を、貴方の中に置いてくれているのですか……?
………………嬉しい。
「レイ、って呼ばれるの、嫌じゃありません。なにか、嬉しい」 「そ、そうか? それならいいんだ。……まあ、実を言えば俺もな。そう呼ぶのは、なんでだか、妙に嬉しい気はする。何か……よく分からないんだがな。まあ、たぶんあれだ。おまえに『兄さん』と呼ばれるときと、似たような感じでな。ははは。ま、嬉しいと思ってくれると俺も嬉しいよ。それじゃあな。『レイ』」
洗われても洗われても、黒くて暗かった、私という存在。 もし「レイ」を「ray」と書いていいのなら、ただの偶然なのかもしれないけれど、急に今、光が差し込んできたように、ほんの少しだけ明るい。 貴方がその名で私を呼んでくれるたび、きっと、光が少しだけ、私の上に降り注ぐ。 これからも、きっと。 貴方の、貴方たちのくれる光の中でなら、私はたぶん……これからも……。
「なあ、レイ」
「なんですか、兄さん」
(終) |