Wine

 閃―――。
 鋭い光がわたくしの前をよぎってゆきました。
「おや……」
「神父様、危ないのネっ!」
 マリーがわたくしの前に立ちはだかり、その背中でわたくしを押し下げようとします。
 古ぼけた、そして崩れ落ち廃墟となった教会の中から、やがて一人の青年が現れました。
 その手にあるのは、雹、でしょうか。
 雹というのは、細い鋼糸の先に小ぶりの刃をつけた古の武器です。操るには相当の業前を要しますが、そのリーチと変幻自在の動きは、なかなか優秀な武器といえるでしょう。

 現れた青年の顔を、わたくしはどこかで見たように思いました。
 ですが記憶を辿るより早く、次の攻撃が眼前に迫ります。
 いいえ、わたくしにもなかなか見切ることはかないません。ただ、青年の手が微かに動いたのを見ただけです。しかしその小さな動きで、雹は唸りを上げて閃くのです。
「ふわっ!」
 マリーが悲鳴を上げてのけぞりました。
 どうやら、彼の狙いはわたくし、マリーを傷つけるつもりはないようです。

 さて、どこの誰であったか、誰に似ているのか。
 おおよそ、わたくしが送ったことのある誰かの縁者でしょう。そう、おおよそ弟か息子、甥といったところ。
 ですが誰でも構いません。
 わたくしの前に殺意を持って立つならば、わたくしはそれを厭うことはないのです。

 わたくしの死も、一つの死。
 ですが、わたくしが死ねば同志たちは動揺し、惑うことでしょう。
 そして、わたくしが次にまた生まれ来るまでの間、この青年がわたくしに変わって殺してくれるというのでないならば、わたくしは、そうやすやすと死ぬわけにはいかないのです。
「し、神父様ぁ、見えないです、あれ……」
「お下がりなさい」
「でも」
「わたくしは大丈夫」
 雹使いに出会うのはかれこれ千年ぶり、ともするとそれ以上かもしれませんが、ほんの二十歳かそこらの赤ん坊に遅れをとるようなわたくしではありません。

 完全にスピードに乗った雹を見切ることは、容易いことではありません。
 青年はそれなりに練習したようで、まずまず、縦横無尽と言って良い動かし方をしてきます。
 ですがその動きは、どれほど小さくとも彼の指先、手の動きに連結しているものには違いありません。
 そして、雹の欠点は、最大の特長でもあるリーチそのもの。
 わたくしは頃合を見て一息に間を詰めました。
 その際、熱線が腕をかすっていく気配がありましたが、深手ではないでしょう。

 懐に飛び込まれてしまうと、青年は無力でした。
 雹を使うことにばかり時を費やして、間近に迫った敵をどう迎撃すべきかを学ぶ暇がなかったのでしょう。
 わたくしが胸に送り込んだ電撃は、青年の体を一度だけ、宙に浮くほど反り返し跳ね上がらせ、それきり彼を遠くへ連れ去りました。
「さっすが神父様なのネ!」
 軽やかな足音が、わたくしに近づいてきます。

 その足音が、まだ少しの間を残して止まりました。
 どうかしたのでしょうか。
 わたくしが振り返ると、マリーの瞳はわたくしの腕に吸い寄せられていました。
 熱く疼く右の腕、指先からぽたぽたと雫の落ちるのも分かります。
 いつもならば、すぐさまレスタをかけるマリーなのですが、どうかしたのでしょうか。
 そう思ってうかがうと、マリーの口元と喉が微かに、しかし大きく動いて、―――ともするとこの子は、血を飲むという習慣を持っているのでしょうか?

 そう言えば、マリーが昔囚われていたのはキリスト教系の修道院だったはずです。
 その教えによれば、ワインは神の御子の血。
 ならば神の御子の血はワインでもあるということ。
 血を飲料として好むというのは、面白い嗜好です。
 珍しく思うほど希有な習性ではありませんが、あまり見かけることもないものには違いありません。
「……飲んでみますか?」
 わたくしが尋ねつつ腕を上げ、コートの袖をたくしあげると、マリーの喉がまた一つ鳴りました。

 うっとりと、夢を見るような虚脱の表情で、わたくしの手をとります。
 鼓動が指先に熱と震えをもたらしているのが分かりました。
 そのままマリーはわたくしの前に跪き、わたくしの手を捧げ持ってその下に仰向くと、小さく口を開きました。
 その赤い口の中へと、ぽつ、ぽつとわたくしの流した血が落ち込んでゆきます。
「ああ……神父様……」
 ほんの数滴味わうと、マリーは赤く濡れたわたくしの手に頬を寄せ、しっかりと押し付けました。

「シスター・マリー」
「……はい」
「これからも、わたくしの役に立ってくれますね」
「はい、もちろんです、神父様。ボクはずーっとずーっと、神父様の傍にいる、神父様のためにいるんだから……」
 マリーは目を伏せ、満ち足りた表情で微笑んでから、そっとわたくしの手を放しました。

 

(終)