「『天の光』が……」 その名は、殺人享楽者のものだ。 本名は誰も知らない。 本人が、なにを気に入ったのかそう名乗っていただけだ。 『天に光満ち、地にぬくもり満つ』 とかいう大昔の詩歌、あるいは伝承、すなわち戯れ言からとった名である。 彼等の主たる神を意味したものだろうか。 だが誰も、かの唯一なるものを「光」と言ったことはない。 最もかのかたに近いと言われているA.W.も、神がいかなるものかを語ることはない。 確かなことはただ一つ、それは神の望むこと。 たとえ神の姿を垣間見たとて、それが真の姿か否か穢れし人間でしかない己等に分かるはずもない。 なんにせよ、自らの名を神を意味して「天の光」とつけるなど、不遜極まりないことだった。 だが、A.W.はそういったことを一切咎めなくもあった。 何故ならば、かの神は絶対にして揺るぎないものだからである。人間ごときが己をどう思いなんと呼ぼうと、顧みる必要など微塵もない。 A.W.が同志に求めることは、可能な限り効果的かつ大量に殺しつづけること、それのみである。 名一つに惑わされ憤る同志を、A.W.は子供のように思うこともあった。 無論、A.W.は同志の人格もまた問わない。 ただ己の殺戮欲求を満たすためだけに集い組織の力を利用するのだとしても、結果的に人間が死ぬならばそれでいいのである。 己が死ぬまでの間に可能なかぎり殺せ。 彼が望むのは、常にその一事のみ。 他の全ては何一つ神の御心に添うものではなく―――添わぬと言うほどのことはないとしてもだ―――、あろうがあるまいが構うものではない。 ゆえに、同志の死とて悲しむ理由も悼む理由も、怒る理由も憂う理由もない。 それもまた一つの死、神が彼等に望み命じる唯一のものに違いはない。 「天の光」が己に心酔し、あたかもA.W.そのものが神の現身であるかのごとくに仕えていたことなど、彼にとれば動かしやすく殺させやすいという以外にどんな意味もない。 そして無論、「天の光」の死に憤ることも、A.W.には咎める理由もない。 怒り、憤り、それを力に「犯人」を殺すならば、それもまた神の良しとするところ。 ゆえに彼は、悲嘆の片鱗を演じて見せる。 「お探しなさい。人目にはつかない倉庫ですが、出入りした者の有無は調べられましょう」 深い悲哀と怒りを同時に滲ませた声に、付き従っていた二人の男は、短い返事の後駆け去っていった。 「神父様ぁ……」 後に残ったのは、小柄だが肉惑的な娘が一人。心配げな声を出し、そっとA.W.の手をとった。 死を、この穢れた世からの救済と思う彼女もまた、いかにも人間らしい感情に惑う者の一人だ。 だがそれはやはり肯定も否定もすることではなく、それゆえに彼女がより多くを殺めるならばそれでいい。 「マリー」 A.W.はそっとマリーの金髪を梳き、柔らかに抱き寄せた。 彼女の思うことは、おおよそ分かる。 死を救いと見、愛しい者をこそこの世から解放したいと望むマリーにとれば、己の快楽のためだけに殺し、既に死した肉体をも切り刻み続ける「天の光」は理解しがたい相手だろう。いや、そもそも理解などしたくもない相手だ。 一度、何故あんな人が同志なのかとA.W.に問うたことさえある。 それでも。 A.W.が心を痛めることが、彼女の痛みだ。殺す価値どころか存在する価値もなさげな男の死でも、神父がそれを悲しむならば、マリーにとってもそれは悲しみになる。 「わたくしは、大丈夫ですよ」 この娘はいずれ、誰よりも多く殺すだろう。 たとえ己の愛には値しない者が相手でも、A.W.の望みに応えるために、やはり愛ゆえに殺すだろう。 マリーもまた、「天の光」と同じだ。 真に仰ぐべき神ではなく、A.W.を見つめている。 だがそれは些事。 彼女の心のままにし、彼女の思いを飲むことが、神への供物となる。 「マリー」 「はい」 「わたくしは、『天の光』を殺した者を一刻も早くこの世から消し去りたいと思います。力を、貸してくれますね?」 「はい、神父様」 「ありがとう、シスター・マリー」 マリーは嬉しげに微笑んで、踵を返すと白い部屋を飛び出していった。 いざ殺せ。 わけなどあれどなかれど構うまい。 いかなるわけでも構うまい。 希有なる殺戮の才人を失いしその弔いは、共に無に帰す命こそ手向け。 「久しぶりに、わたくしも狩りましょうか」 人の命。 より多く殺したはずの者への送別は、より多く生かす者の命が良い。 その夜、七人の医師の首が、宙へと舞った。 (終) |