夜半―――。 窓に二つ目の月がかかりました。 時計を見ると、もう2時前です。 少しばかり調べものをしてから眠るつもりが、つい没頭してしまったようです。 わたくしもそろそろ眠らなければなりません。明日はいくたりかの同志との会合があります。このラグオルで活動する同志の数の少ないこと、そしてわたくしたちの前途が決して安楽なものではないことを考えれば、これはとても重要な会合になるでしょう。充分に思考できない状態で出席するのは、決して良いことではありません。 この星……。来ていると思いもしなかった彼が居、そしてわたくしと会ってしまった以上、あまり楽観しているわけにもまいりません。 活動拠点といったものを作るべきか、作るならば何処が最も良いか。その候補はいくつか見つけました。あとは明日、それを皆に話し、意見を得ねばなりません。 そろそろやすむとしましょう。 わたくしは明かりを消し、寝台に入りました。 ―――全ては、神の御心のままに。 たとえこの身が傷つき朽ちるとも、また次の命で歩めば良いこと。 ですが、数千の時を経てきたわたくしでさえ、次の命といったものが確かにあるかどうか、それにはなんの確信もありません。 このわたくしの行いが神の御心にかなわない時には、きっとここでわたくしの旅も終わるのでしょう。 ただ生きていたいとは思いません。過ちと偽りに満ちた人の世も、飽きるほど見てまいりました。ですが、それでもまだ、これきりで消えることは惜しいと思う、それが何故かはわたくしには分かりません。 そして、だからこそこのラグオルでの前途を思うと、なかなか寝付くことができませんでした。 テラに残してきたイーリスは、皆をうまくまとめているでしょうか。そしてこのラグオル。 たとえ神の名を騙るだけのものでも、ダークファルスなるあの存在が、もう少しばかり働いてくれれば良かったのですが、存外早く片付いてしまいました。 パイオニア2船団が墜落しかけた時には、これで少なくとも2万の人間を消すことができると期待したものですが―――うまくはいかないものです。あの状況で船団のコントロールを可能にできるとなると、おそらくはあれの仕業でしょう。わたくしたちの敵とは言えずとも、決して味方にもなりえぬであろう、彼。 八眼はこの手で殺して差し上げたいと思いますが、あの機械の化け物にだけは、わたくしも関わりたくはありません。 どうやら先日、マリーが会ったようですが……。 ああ、思い煩うことは少しも減りません。 この狂った世界に落とされる、わたくしたちの生そのものが罪であり罰、試練であり贖罪。ならば苦難あればこその生でしょうが、それにしてもままならぬこと。 我が神よ。わたくしが再び貴方の御声を耳にするのはいつなのでしょうか。 それとも貴方は、苦悶を厭い逃れようとするわたくしに呆れておいででしょうか。 ですが、これもまた何度となく繰り返してきた道。こたびもきっと、乗り越えて御覧に入れましょう。 明日、我が同志たちの考えを聞けば、きっと光明も見えるでしょう。 丁度良い機会です。マリーも連れて行きましょうか。そろそろ同志に引き合わせても良いでしょう。明日はソーリス・ルクスも来るはず。わたくしが死ぬようなことがあれば、マリーのことは彼女に頼んでおくのが一番かもしれません。 ……わたくしが、死ぬ? 当たり前のことですが、そのようなことを何事もない時に考えたのは久しぶりです。 それを思わねばならないほど、この星でわたくしたちのなすべきことは、艱難を極めているのでしょうか。 わたくしとしたことが、今夜はずいぶんと弱気になっているようです。 全ては、全ては神の御心のままに。 生きるとも死すとも、そして再び生きるともそれきり消えるとも、わたくしもただの人間、取るに足りぬ愚と卑の存在、全ては、神の御心のままに。 一心に我が神を思う内、この世の全てのことは他愛なく些少なことと感じられるようになりました。 わたくしには、大いなるあの御方がおられるのです。その御心にかなわぬがゆえに消え果てるとしても、それもまたこの世の浄化の一つ、良いではありませんか。 わたくしもまた、神の御心に沿う世界のために生き、あるいは消える、ただそれだけのことです。卑小な頭で無闇に思案するよりは、感じるまま、果たすべきことを果たしましょう。 穏やかな眠りの潮が寄せてきました。 瞼の重みが心地好く、体温にぬくもった寝台は柔らかです。 その束の間の安楽の間へ割り込んできたのは、ドアの開く微かな音でした。 暗がりの隙間に小さな影が覗き、そろそろと入ってきます。 窓も光を閉ざしたこの部屋に明かりらしい明かりはありませんが、ほのかに見えるシルエットから、それがマリーであることは分かりました。 小さな嗚咽が聞こえます。 また哀しい夢でも見たのでしょうか。 この間は、送ってあげた大事な友達が、地獄(と人のよく言うような場所)で苛まれている夢だったとか。今夜はいったいどんな夢たったのでしょうか。それとも、眠る前になにかを考えて、哀しくて、あるいは恐ろしくて、眠れずに今までいたのでしょうか。 どうしました、と声をかけるのは簡単でしたが、わたくしは少し意地悪をしてみたくなりました。 眠ったふりをしていると、彼女はそっとわたくしの様子をうかがい、起こすでもなく、隣に潜り込むでもなく、寝台の傍に座り込んで、提げてきた枕を抱え、羽織ってきた毛布にくるまってしまいました。 「神父様……」 小さな声が聞こえて、それきり。 あとはすやすやと、健やかな寝息が聞こえるばかりです。 同志と言い迎えるにはまだ到らず、ためらいもある小さな命。 わたくし自身、何故この子を手元に置くのかは分かりません。 人の言うような愛だの恋だのではなく、この子がわたくしを慕うような家族に対するような思いでもなく。 弟子? いいえ、まさか! たかが人間に過ぎないわたくしが、何故人の師になどなれましょう。教えることも導くこともあれど、歩むのは同じ道を、同じように足掻き、迷いながらです。わたくしとても、同志の支えや存在なくしては、とても耐えられるものではないのです。 では、何故。 ―――答えなど、わたくしには分からないことなのかもしれません。 確かな過ちと分かるのでないならば、否定することも拒絶することもない、それだけがわたくしにとって確かなこと。 この子がわたくしの何であろうと、構いはしないのです。 わたくしが抱き上げてもマリーは目を覚まさず、寝台の隣に入れても、おとなしく眠っていました。 一人で寝台にいると、何故か壁際に小さく、丸まるようにして眠る少女です。世界そのものから身を隠すように、あるいは追いやられ、必死に身を守るように。きっとその姿は、彼女の短い半生そのものなのでしょう。 ならばきっと、無意識にわたくしのほうへと寄り添ってくるのは、今の彼女の生の姿なのかもしれません。わたくしは、貴方が貴方の人生の中でようやく見つけた居場所なのかもしれませんね。 おやすみなさい。 今しばらくは、貴方に降りかかる災いは、わたくしも共に払ってさしあげましょう。 ですから今しばらくは、なにも案じることはありません。心ゆくまでゆっくりと、おやすみなさい。 (終) |