そこからゲートを二つ抜け、またドームの近くにまで引き返してきた時、レーダーの端に大きな反応がかかった。 今まで見たことのない反応。おそらく、これがヒルデルトに違いない。 この距離なら、向こうは俺に気付いていないだろう。感知されれば、ヒルデベアのように大ジャンプしてくるのかもしれない。 今の内に迂回するべきか、それとも一度戦ってみるべきか。 ―――と、思っている内に、尋常じゃない速度で、その反応が接近してきた。 あっと言う間もない、超大ジャンプだ。 地響きがし地面が揺れ、ヒルデベアよりも二回りは巨大な獣が、俺のすぐ間近に出現していた。
煽りで見ると相当な迫力で、俺はすぐさま、撤退を決めた。 どう見ても俺のほうが不利なのに、自分に有利な状況すら作れないままでは、戦ったところで死ぬだけだ。 姿勢を低くして走り、振り上げられた右手の下をすり抜けて背後に回る。そのまま振り向きもせず、こういうのを脱兎というんだろう。 速さにはそれなりに自信があった。 だが……。
「うわっ」 全身にショックが走った。足がもつれる。体の中が細かくスパークしていた。 電撃を放ってくるらしい。 余剰な電圧に機器が調子を外している。体がままならない。なんとか倒れることだけはこらえたが、俺の上へ影がさした途端、激痛と共に弾き飛ばされ、なにかに激突してまた全身が痛んだ。 殴るか蹴られるかされ、壁にぶち当たったことだけは理解できた。頭は働いたが体が動かない。電撃のショックと、殴打のダメージがひどい。一発でこれなら、俺の判断自体は正しかったことになる。判断だけは。 どこかでエネルギーケーブルが破損したのか、一気にエネルギー残量が減っていく。ディメイトをデータから直接エネルギー還元したが、こんなもの、なんの意味もない。
ノイズ混じりのセンサー反応を頼りに、思い切って右へ転がった。俺が今までいた場所に、巨大な足が落ちている。地面がへこみ、周囲はめくれ上がっていた。あんなものに踏まれたら、俺の体は一発大破だ。頑丈さは折り紙つきだっていう叔父貴じゃないんだ。 どうにか体内機器の正常化が間に合った。だが、逃れようとした途端、また背中にショックが走った。一度焼かれた回路はあっさりと焼け焦げて、自修機能など間に合わない。視界がサンドストームに覆われて、すぐに真っ暗になった。
初めて、死というものを予感した。 体が動かない。 年間に何十人と死んでいくハンターズの中には、当然、実戦に出たその日に死ぬ奴だっている。無茶だと言われるスピードで先へと進んできた俺なら、別に無理もない。 だがまだ、死にたくはない。
聴覚は生きている。近付いてくる足音が、そのまま恐怖のビートになる。 体の底から突き上げてきて、全身を縛り付ける。 情けないとは思っても、動けなかった。たぶん体が正常でも、俺はきっと動けなかっただろう。 もう駄目だ、と思った時、かけられる感情の負荷にAIがオーバーヒートしたのか、世界が急に遠ざかった。
―――途切れる、という瞬間。 冗談じゃない。 意識の底から怒りが込み上げてきた。 ぎりぎりまで戦って死ぬならともかく、怖くて動けないまま、いいように殺されるなんていうのは、冗談じゃない。 そんな死に方をするほうがよほど怖い。 そんなものは、誰が許せても俺は許せない。
一気に意識がクリアになった。 ダメージを受けた回路へ一度に大量のエネルギーが流れたのか、全身が焼けたような痛みを覚える。だがそれをバネに、起き上がるなり思い切ってヒルデルトのほうへ転がった。 振り下ろされた拳を掻い潜り、背後に出る。 見失っている隙に、叩き込めるだけの攻撃を叩き込むしかない。それで倒せないなら、もう一度退却を試みる他ない。 リッパーに持ち替えた。 どこもかしこも筋肉の化け物みたいだが、効くかどうかは試してからでいい。退くしかないなら、こいつが振り向くまでの間に、電撃の届かないところまで逃げるのみ。50メートルも行けば、ゲートがある。
刃を叩き込む。だがまるで効いた様子がなかった。 俺では腕力も乏しいし、乗せる体重も軽い。 やはり退くしかない。 一応―――レーダーの範囲内に三つ、マンのものらしい反応はある。その内二つは、すぐそこの岩山の向こう側で、この顛末にはとっくに気付いている位置だ。だが、助けてくれる気はないようだ。俺がどうなろうと構わないのか、それとも、出てきたところで自分たちも死ぬだけだと思っているのか。 後者なら賢明だ。それでいい。前者のような奴も、ハンターズには珍しくない。笑いたいなら笑っていればいい。そう遠くない内に、この程度のヤツは雑魚と呼べるくらいになってやる。 そのためには、生きて離脱することだ。
もしかしたら通じるかも、などという甘い期待は捨て、一息に飛び下がった。 蛇行して走れば、電撃も当てづらいかもしれない。 俺はまだこのヒルデルトが、ギゾンデのように拡散する電撃を放つことにまでは、気付いていなかった。 かわしようもなくまた一発もらった時も、まんまと当てられたんだとしか思わなかった。 幸い、自己防衛システムが耐電撃用の抵抗態勢をとったらしく、機能へのダメージは低かった。だが動きが鈍くなるのは抑えようがない。どこかでエネルギーケーブルが破損したのか、急激にエネルギー残量が減り始めた。 策を考えないと。 追いつかれてもう二度ほど殴られるなりすれば、内部機構そのものが破損しかねない。
漏洩したエネルギーだけはメイトを使って補う。 近付いてきた地響きで距離をはかり、振り返る間もなく横へ飛んだ。肩をかすめるようにして拳が唸る。 俺が走るのと大差ないスピードで追いかけてくる上に、離れれば電撃が来るのでは、態勢を立て直すことがまず苦しい。 近くにいる三人の内誰かが、束の間でもいい、手を貸してくれれば随分違う。そうは思うが、別にチームを組んでいるわけでもない。期待するのも、甘えた考えだ。 ゲートまで、なんとか逃げきれるだろうか。それまでにもう一発電撃を食らったとして、耐え切れるか。高速計算すれば、ぎりぎりイエスだ。 二度目のパンチを避けた勢いのまま、俺はゲートを目指した。
……目指そうとして俺は、そのゲートが、ヒューマーとフォニュエールの背中を飲み込むようにして閉ざされたのを、見ることになった。 呆気にとられるというか、あまりのことに頭の中が真っ白になるというか。 そして、ああだけはなりたくない、と心底思った。 また、あんなのでも入れる封鎖領域なんてものは実は大したことがなくて、ハンターズなんてのはよほどにお気楽でいい加減でも務まるらしいと、幻滅しそうだった。 昨今のハンターズってのは、よっぽど質が落ちてきているらしい。 こんな奴等、一生アテにしたくもない。 この程度の連中しかいないなら、俺は一人でいい。
と、のんきに幻滅している場合でもなかったのだが、後ろのデカブツのことが頭の中から消えるくらい、呆れていた。 影がさして我に返った時には、もう完全にヤツの間合いに入っていた。 茫然としていたせいで体の力も抜けている。とっさに動くこともままならない。 伏せるのが一番いいことは分かった。 だがその時には、まともに右から、スーパーヘビー級のパンチをもらっていた。
湿った土の上を何回転がったかは分からない。 止まると真っ先に、右腕が痛んだ。 折れてまではいないが、ジョイントフレームが曲がってる。右手に力が入らなかった。 動かそうとするだけで首筋まで痛みが走ってくる。 これはまずい。 どうするか。 ただひたすらに相手を叩き伏せることだけ考えるのか、ヒルデルトは少しも変わらない勢いで真っ直ぐにやってくる。 ともかく、逃げるしかない。
立っただけで、またひどく右半身が痛んだ。 あんまりいいザマじゃないが、それでも生きていれば勝ちだ。 だが、殴り飛ばされて辿り着いたその場所からは、どんなゲートも見えなかった。 向き合ったまま後退する。だが俺が下がるよりヤツが進むほうが早い。 その足が止まったかと思うと、ヤツは大きく腕を振り上げて息を吸い込んだ。 その口に金色の火花がちらつく。 電撃を吐くのか。 この状態で食らったら、内部の機器が弾け飛ぶ可能性も……あった。
だが、口の中の火花は、ヤツが大きくもだえたと同時に霧散した。 もだえ、唸りながら腕を下ろし、疲れ果てたように背も丸めてしまう。拳の先が地面についたまま、ヤツは更に身をよじった。 なにが起こったのか、俺には分からなかった。 急に、自分の体を動かす力を失ってしまったのか、ひどく鈍重かつ大儀そうに体を揺する。ままならない体に苛立っているようだった。 そこへ、機関銃の射撃音が響いた。 俺の、ヒルデルトを挟んだ対角線上。 そこに、三つ目のマン反応があった。
リッパーでも傷一つまともにつけられなかった。 だが今は、向こう側の肩や背から血が飛び散っている。 シフタがけの弾と、ザルアか? それも相当な高レベルの。 やがて耳障りな連射音が止まると、 「おまえの獲物だろう」 と男の声が聞こえた。
グラディウスに持ち替えた。 右腕が使えないが、これならなんとかなる。 斬り付けると、ヒルデルトの皮膚が大きく裂けて薄紅色をした肉が覗き、血が飛沫を上げた。 「片腕か。シフタは」 マシンガン系の弾がリッパーを上回るなら、おそらくフォースの高レベルテクニック。そんなものをフルでかけられると、グラディウスでも相当な重量になりかねない。 「持てなくなる」 俺はそう答えて、振り向きかけたゴリラの脇腹にもう一閃見舞った。
傷はつけられる。だが致命傷にはならない。 嬲り殺すように弱らせることならできるが、俺のエネルギー残量も厳しい。無茶な動き方をすれば破損した部分が悪化する。 できるかぎり動かず、左手だけで倒すなら。 俺は、今つけた傷の上をもう一度なぞった。 返す手で更になぞる。 手応えが変わった。 俺は、このワンチャンスにかけるつもりで、その傷口へとグラディウスを真っ直ぐに突き出した。
柄まで埋まる。 間違いなく致命傷ではあった。 だが、即死はしなかった。 口から血と咆哮を同時に吐き出したヒルデルトは、ザルアの効果などないような勢いで体を振りたて、闇雲に腕を振り回し始めた。 一度はかわした。だがそこで、急激に力が抜けた。エネルギーがレッドゲージに入ったらしい。 避けられない。 そう思った途端、轟音一発、ヒルデルトの頭が跡形もなく消し飛んだ。
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