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パーフェクトとはいえなかったが、撃退はかなった。たった二人、しかも二人ともアンドロイドで、一方は新米だということを考えれば、これで90点以上やれるだろう。 ユーサムにもいくつか反省かすべき点はあったし、アズールには今後の課題となることが無数に見つかった。だがそれも、成果だ。 「いてて……」 破損した外装に電磁プラスターを貼り付けて応急処置し、消費したエネルギーをメイトで回復させる。 アズールが前方で奮戦していたため、ユーサムはエネミーからの攻撃を受けることもなかったが、もともとオールドタイプな体は、燃費もあまり良くはない。エネルギーの補給も、若いアズールとは違い、すればすぐに効果が出るということもなかった。 エネミーの反応がないことを確認しつつ、草に覆われた岩に腰掛けて一休みすると、体の中で様々な機器が音を立てて動いているのが感じられた。年をとらないと、感じられないものだ。それは、若い体はそういったノイズをほとんど立てないということであり、また、自分の内よりは外へ、意識が向いているということでもある。
やがて来る「いつか」を思わずにはいられない、静かだが絶対的なノイズ。 後悔しなければならないような生き方はしなかった。精一杯、自分にできることをして、また日々を楽しんで生きてきた。 それでも不安や寂しさを覚えるならば、ままならなかったことの多い人生を歩んだ者は、どんな気分で晩年を過ごすのだろうか。 そんなこともまた、発達しすぎたAIのもたらす憂鬱だった。
「ユーさん、今日はローギアだな」 とアズールが言う。 「体調悪いなら、無理して付き合ってくれることもない」 「そうじゃない。長く生きとると、いろいろと考えることも増えるのさ」 若者に気遣われるのが、少しばかりプライドを刺激する。それもまた、年寄り根性かもしれないと、ユーサムは心の中で苦笑した。 「それより」 と違う話題を振る。なにか別の話をしていれば、他のことをしていれば、こんな憂鬱は影をひそめてくれるのだ。
「メイトは足りているのか?」 「これでカラ。一度買いに戻らないとな」 ギルド指定のポートの近くならば、必ずショップがある。幸いにテレポーターはすぐそこにある。一度ここで、態勢を整えるのがいいだろう。ただ、アズールには、自由に使える金はあまりない、という事実もある。 どうやら音声回路の不備か、それとも「個性」のつもりでラッシュが設定したのか、アズールはアンドロイドのくせに、よく独り言を言う。内部言語と外部音声が混線しやすいらしい。 「これじゃ赤だな……」 という小さな呟きを、ユーサムは聞き取った。 「それなら、あれをしのぎきった褒美代わりに、ワシが買ってやろう」 「え? ……俺またか。いや、いいよ。親父にバレたら怖い。それに、しばらくは赤字も覚悟の上だ。授業料だと思って我慢するさ」 こういうところが、妙に真面目で律儀なのだ。少しおかしくなって、ユーサムは 「ワシの懐には入らん授業料なのだな」 と冗談を言った。
途端、ふと時が止まった。 いらぬことを言った、とユーサムは後悔した。そんなつもりはないのに、案の定アズールは、 「そうか。俺、あんたに授業料払ってなかったな」 と聞いて分かるほど真剣な声音になった。 そんなつもりではなかったのだ。そんなものをほしいと思ったこともない。後進の育成は、好きでやっている部分もある。 「相場はいくらくらいだ」 とアズールが言うのに、ユーサムは慌てて手を横に振り、 「おいおい。ただでさえ親父さんからの借金があるんだろう。ワシには必要ない」 と言うが、もう聞かない。 「後で調べる。養成所の課外トレーニング代と同じくらいかな……」 聞かないとなったら、問答するのではなく無視してしまうあたり、ラッシュ似だ。ユーサムは困惑する他なかった。
養成所のコーチは、仕事だ。仕事である以上、報酬は受け取るのが当然だろう。 だがこれは、昔馴染みのよしみで、自分のトレーニング半分に引き受けた、最初から奉仕のつもりなのだ。しかも、育て甲斐があって楽しいとなれば、言葉は悪いが娯楽のようでもある。 だいたい、ユーサムもかつて新米だった時、何人もの先達に教えを受けてきた。だが実戦の中でこうして教えられ、学んでいく場合には、教えてやったのだから授業料を、などとは誰も言わなかった。 トレーニングコーチを頼む、という依頼を出しているのでないかぎり、共に組んだ後輩を指導してやるのは当然。そうすることで、将来自分の相棒として頼める、有能な後輩が誕生するかもしれないのだから。
(ワシは先輩には恵まれておったのかもしれんな) あらためて若い頃を振り返ると、ふとそんな気がしてユーサムは空を見た。 顔も名前も覚えている。厳しい一方ではあったが、間違ったことは言わなかったというレイマーもいた。優しいばかりのようで、案外頑固なレイキャスト。冗談ばかり口にするが、いざ戦闘となると的確な指示を飛ばす者もいた。 そういった先達に教えられ、または彼等の背中を必死に追って、ユーサムは様々な知識や技術をものにしてきた。 ジェネラルメモリーの奥底に眠っていた記憶が、関連付けを受けて想起される。さざなみのように、音声や物音までが微かに蘇る。 「俺、あんたみたいな援護してくれる奴がほしかったんだ」 「なんだ、そうか。久々に戦闘に集中できた。おまえのおかげだな」 「なかなかやるな、若いの」 「まァ、まだまだだな」 「そういうのも、ありかもね」 マンではないから顔はなにも変化しないが、ユーサムはつい微笑を浮かべていた。
つらいこともあったし、理不尽なことに怒りを覚えたこともあった。 だが、総じて見れば充実し、豊かだった。 いささか感情レンジの開放レベルが高いシリーズとして製造されたが、そのおかげで様々な刺激に心を痛めたり、躍らせたりすることができた。 そうしてふと、デジャヴュ。
「これだけいろいろと教えてもらったのだし」 「俺だってそんなもん、払っちゃいねぇよ。だからいいんだよ。俺に教えてくれた奴だって、たぶんそんなもん、律儀に払っちゃいねぇぜ。これは、そういうもんじゃねぇんだよ」
今と外観はさほど変わることはない。ただ、やはり細かな傷がないせいで、艶やかに見えたはずの若い頃の自分。 そんな話をした相手、想起され今再び見る彼は、片腕のレイマーだった。 彼は最初、ヒューマーだった。クリーチャーとの戦闘中に片腕を失って、一度はハンターズをやめた。だが他に生きる目的も見つけられず、そしてまた、ハンターズとして誰かの役に立つことを……人の喜ぶところを見る快感がほしくて、レイマーになったという男だった。 彼は片腕でも扱える小銃系しか使わなかった。片腕でどう戦えばいいかを苦心して編み出し、素晴らしい腕前を身に付けた。 敵を倒すのではなく、仲間が敵を倒しやすくなるようにするならば、ハンドガンですらできる、と彼は言った。 今のユーサムの戦闘スタイルに、最も大きな影響を持つ先達だ。 敵を倒したがるレンジャーばかりだ、と嘆く彼は、ユーサムを勝手に弟子と呼び、様々な知識、技術を叩き込んでくれた。 そのありがたみをひしひしと感じたある時、ユーサムもまた、言ったことがあった。 自分は相応のものを支払うべきではないか、と。 だが彼は、笑って辞退した。 誰も払ってはいないのだから、と。 それはつまり、つまり―――
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「……アズール」 ユーサムはアズールを呼んだ。 「そろそろ行くか?」 そう言いながら、アズールはもう岩から降りている。ユーサムは腰を上げず、 「いや。さっきの授業料の話だがな」 と切り出した。 「ああ。そうか。ユーさんならコーチしてるんだし、相場も分かるか」 「そうじゃない。ワシはもうもらっとるよ」 「は?」 いかにも理解できない、という様子で声を上げたアズールに、ユーサムは笑い声を返した。素晴らしい知識の詰まったAIでも、さすがに父親ほどずば抜けた思考能力は持たないらしい。それが経験の差でもあるのだろう。
「まあ、聞いてくれ。なにもそれは、おまえさんからもらったわけじゃない。ただな、ワシが新米だった頃、やはり同じようにしてワシを鍛えてくれた先輩たちがいた。一人ではなくたくさんいたが、ワシはその誰にも授業料など払っておらんし、また、寄越せとも言われなかった。思い返せば、ワシは運が良かったのだな。新米時代に良い先輩にばかり出会えたのだからな」 なにが言いたいのか分からない、というようにアズールが首を傾げる。ユーサムは一つ頷いて続けた。 「つまり、どう言えばいいか。ワシがその時に払うべきだった……ああ、いや。少し待ってくれ。……うむ。つまりだ」 「ああ」 「今おまえさんがワシに払うべき、授業料があるとしよう。だがそんなものは、ワシにくれなくてもいい。ただ、これから五年後、六年後、おまえさんが一人前になれば、人に教えるようなこともあるだろう。その時には、受け取るべき授業料があることになる。こう言えば、おまえさんには分かるだろう」 ユーサムがそこまで言うと、アズールは小さく顔を跳ね上げた。 理解したようだ。
「あんたは先輩からの借りを、俺に返した。俺はあんたへの借りを、俺の後輩に返せ、―――ってことか」 「そのとおりだ」 ユーサムは大きく頷いた。うまく表現する言葉が分からずに苦心したが、まさにアズールの言うとおりなのだ。 借りた相手と返す相手は異なっても、そうして貸し借りゼロになる。 かの片腕のレイマーから自分へ、自分からアズールや他の後輩たちへ、そして彼等から、更に若い誰かたちへと。 ふとユーサムの脳裏に、自分も知らないはるか過去の先達から、自分たちの先輩、そして自分を通って彼へ、更に未来へと流れていく雄大な大河のイメージがよぎった。
つながっている。 顔も知らない過去の誰かから、顔を見ることもない未来の誰かまで、こうしてずっと。 途切れることなく、終わることなく、絶えることなく、これまでもこれからも、遠く果てしない未来まで。 その大きなうねりの中に、自分もいるのだ。 受け継がれ、続いていく流れの中に。
(おお……) これまで生きてきた。 今ここに生きている。 やがては死ぬだろう。 だがそれは、嘆かねばならないことではないし、恐れることもないのだ。 彼等の中に技術が、あるいはこうして過ごした記憶が残り続ける内は、この体は失い己をすらなくしても、死に絶えてはいない。 まだ、生きている。 自分の中に鬼籍に入った片腕のレイマーがいるように、彼の中に誰か先達の影があり、その影のことを自分が知っているように、まるでチェーンのように、少しずつ関わりあいながら。 果てなく続き、終わることがない。 それすなわち、永遠―――
「……さん、ユーさん!」 アズールの声で我に返った。 心の中を吹き過ぎた心地好い嵐は春を告げたものか。自分の中にある様々なものが、今生きている喜びを謳歌するような不思議な心地だった。 「ショートしたのかと思ったぞ」 「いやいや。この年になって、やっと分かったこともあってな」 出す声に、力が満ちている。それを感じ取ったのか、アズールが小首を傾げた。 説明するのは難しい。 そしてまた、どんな言葉をもってしても、なかなか伝えることはできないだろう。 これは感じるしかないことなのだ。 精一杯生きて、誰かとのあたたかいつながり、信頼や友愛の中で、生きるとは一人でのことではなく、そして一人でないことを深く知れば、命とは己一人の中で終わるものではないことが、自然と分かるのかもしれない。
肝心なのは、今生きているということ。 まだできることがあり、誰かと過ごす時間があり、それを楽しめるということだ。 「よし。第二エリアの付近まで行ってみようか」 「なんだよ、今度はユーさんのほうがやる気か? ま、付き合うけどな」 「なにを言っとる。付き合うのはワシのほうだ。ほれ、行った行った」
全てがでなくてもいい。 欠片や気配でいい。 思い出でいい。 こうして過ごしたことがアズールの糧になり、その中で良かったこととして思い出されることがあるならば、それこそが最大の報酬だと、ユーサムは若い背中を追って歩き出した。 まだ真新しい艶のあるボディに反射する陽光が、やけにまぶしい昼だった。
(終) |