4

 

 パーフェクトとはいえなかったが、撃退はかなった。たった二人、しかも二人ともアンドロイドで、一方は新米だということを考えれば、これで90点以上やれるだろう。
 ユーサムにもいくつか反省かすべき点はあったし、アズールには今後の課題となることが無数に見つかった。だがそれも、成果だ。
「いてて……」
 破損した外装に電磁プラスターを貼り付けて応急処置し、消費したエネルギーをメイトで回復させる。
 アズールが前方で奮戦していたため、ユーサムはエネミーからの攻撃を受けることもなかったが、もともとオールドタイプな体は、燃費もあまり良くはない。エネルギーの補給も、若いアズールとは違い、すればすぐに効果が出るということもなかった。
 エネミーの反応がないことを確認しつつ、草に覆われた岩に腰掛けて一休みすると、体の中で様々な機器が音を立てて動いているのが感じられた。年をとらないと、感じられないものだ。それは、若い体はそういったノイズをほとんど立てないということであり、また、自分の内よりは外へ、意識が向いているということでもある。

 やがて来る「いつか」を思わずにはいられない、静かだが絶対的なノイズ。
 後悔しなければならないような生き方はしなかった。精一杯、自分にできることをして、また日々を楽しんで生きてきた。
 それでも不安や寂しさを覚えるならば、ままならなかったことの多い人生を歩んだ者は、どんな気分で晩年を過ごすのだろうか。
 そんなこともまた、発達しすぎたAIのもたらす憂鬱だった。

「ユーさん、今日はローギアだな」
 とアズールが言う。
「体調悪いなら、無理して付き合ってくれることもない」
「そうじゃない。長く生きとると、いろいろと考えることも増えるのさ」
 若者に気遣われるのが、少しばかりプライドを刺激する。それもまた、年寄り根性かもしれないと、ユーサムは心の中で苦笑した。
「それより」
 と違う話題を振る。なにか別の話をしていれば、他のことをしていれば、こんな憂鬱は影をひそめてくれるのだ。

「メイトは足りているのか?」
「これでカラ。一度買いに戻らないとな」
 ギルド指定のポートの近くならば、必ずショップがある。幸いにテレポーターはすぐそこにある。一度ここで、態勢を整えるのがいいだろう。ただ、アズールには、自由に使える金はあまりない、という事実もある。
 どうやら音声回路の不備か、それとも「個性」のつもりでラッシュが設定したのか、アズールはアンドロイドのくせに、よく独り言を言う。内部言語と外部音声が混線しやすいらしい。
「これじゃ赤だな……」
 という小さな呟きを、ユーサムは聞き取った。
「それなら、あれをしのぎきった褒美代わりに、ワシが買ってやろう」
「え? ……俺またか。いや、いいよ。親父にバレたら怖い。それに、しばらくは赤字も覚悟の上だ。授業料だと思って我慢するさ」
 こういうところが、妙に真面目で律儀なのだ。少しおかしくなって、ユーサムは
「ワシの懐には入らん授業料なのだな」
 と冗談を言った。

 途端、ふと時が止まった。
 いらぬことを言った、とユーサムは後悔した。そんなつもりはないのに、案の定アズールは、
「そうか。俺、あんたに授業料払ってなかったな」
 と聞いて分かるほど真剣な声音になった。
 そんなつもりではなかったのだ。そんなものをほしいと思ったこともない。後進の育成は、好きでやっている部分もある。
「相場はいくらくらいだ」
 とアズールが言うのに、ユーサムは慌てて手を横に振り、
「おいおい。ただでさえ親父さんからの借金があるんだろう。ワシには必要ない」
 と言うが、もう聞かない。
「後で調べる。養成所の課外トレーニング代と同じくらいかな……」
 聞かないとなったら、問答するのではなく無視してしまうあたり、ラッシュ似だ。ユーサムは困惑する他なかった。

 養成所のコーチは、仕事だ。仕事である以上、報酬は受け取るのが当然だろう。
 だがこれは、昔馴染みのよしみで、自分のトレーニング半分に引き受けた、最初から奉仕のつもりなのだ。しかも、育て甲斐があって楽しいとなれば、言葉は悪いが娯楽のようでもある。
 だいたい、ユーサムもかつて新米だった時、何人もの先達に教えを受けてきた。だが実戦の中でこうして教えられ、学んでいく場合には、教えてやったのだから授業料を、などとは誰も言わなかった。
 トレーニングコーチを頼む、という依頼を出しているのでないかぎり、共に組んだ後輩を指導してやるのは当然。そうすることで、将来自分の相棒として頼める、有能な後輩が誕生するかもしれないのだから。

(ワシは先輩には恵まれておったのかもしれんな)
 あらためて若い頃を振り返ると、ふとそんな気がしてユーサムは空を見た。
 顔も名前も覚えている。厳しい一方ではあったが、間違ったことは言わなかったというレイマーもいた。優しいばかりのようで、案外頑固なレイキャスト。冗談ばかり口にするが、いざ戦闘となると的確な指示を飛ばす者もいた。
 そういった先達に教えられ、または彼等の背中を必死に追って、ユーサムは様々な知識や技術をものにしてきた。
 ジェネラルメモリーの奥底に眠っていた記憶が、関連付けを受けて想起される。さざなみのように、音声や物音までが微かに蘇る。
「俺、あんたみたいな援護してくれる奴がほしかったんだ」
「なんだ、そうか。久々に戦闘に集中できた。おまえのおかげだな」
「なかなかやるな、若いの」
「まァ、まだまだだな」
「そういうのも、ありかもね」
 マンではないから顔はなにも変化しないが、ユーサムはつい微笑を浮かべていた。

 つらいこともあったし、理不尽なことに怒りを覚えたこともあった。
 だが、総じて見れば充実し、豊かだった。
 いささか感情レンジの開放レベルが高いシリーズとして製造されたが、そのおかげで様々な刺激に心を痛めたり、躍らせたりすることができた。
 そうしてふと、デジャヴュ。

 

「これだけいろいろと教えてもらったのだし」
「俺だってそんなもん、払っちゃいねぇよ。だからいいんだよ。俺に教えてくれた奴だって、たぶんそんなもん、律儀に払っちゃいねぇぜ。これは、そういうもんじゃねぇんだよ」

 

 今と外観はさほど変わることはない。ただ、やはり細かな傷がないせいで、艶やかに見えたはずの若い頃の自分。
 そんな話をした相手、想起され今再び見る彼は、片腕のレイマーだった。
 
彼は最初、ヒューマーだった。クリーチャーとの戦闘中に片腕を失って、一度はハンターズをやめた。だが他に生きる目的も見つけられず、そしてまた、ハンターズとして誰かの役に立つことを……人の喜ぶところを見る快感がほしくて、レイマーになったという男だった。
 彼は片腕でも扱える小銃系しか使わなかった。片腕でどう戦えばいいかを苦心して編み出し、素晴らしい腕前を身に付けた。
 敵を倒すのではなく、仲間が敵を倒しやすくなるようにするならば、ハンドガンですらできる、と彼は言った。
 今のユーサムの戦闘スタイルに、最も大きな影響を持つ先達だ。
 敵を倒したがるレンジャーばかりだ、と嘆く彼は、ユーサムを勝手に弟子と呼び、様々な知識、技術を叩き込んでくれた。
 そのありがたみをひしひしと感じたある時、ユーサムもまた、言ったことがあった。
 自分は相応のものを支払うべきではないか、と。
 だが彼は、笑って辞退した。
 誰も払ってはいないのだから、と。
 それはつまり、つまり―――


      5

 

「……アズール」
 ユーサムはアズールを呼んだ。
「そろそろ行くか?」
 そう言いながら、アズールはもう岩から降りている。ユーサムは腰を上げず、
「いや。さっきの授業料の話だがな」
 と切り出した。
「ああ。そうか。ユーさんならコーチしてるんだし、相場も分かるか」
「そうじゃない。ワシはもうもらっとるよ」
「は?」
 いかにも理解できない、という様子で声を上げたアズールに、ユーサムは笑い声を返した。素晴らしい知識の詰まったAIでも、さすがに父親ほどずば抜けた思考能力は持たないらしい。それが経験の差でもあるのだろう。

「まあ、聞いてくれ。なにもそれは、おまえさんからもらったわけじゃない。ただな、ワシが新米だった頃、やはり同じようにしてワシを鍛えてくれた先輩たちがいた。一人ではなくたくさんいたが、ワシはその誰にも授業料など払っておらんし、また、寄越せとも言われなかった。思い返せば、ワシは運が良かったのだな。新米時代に良い先輩にばかり出会えたのだからな」
 なにが言いたいのか分からない、というようにアズールが首を傾げる。ユーサムは一つ頷いて続けた。
「つまり、どう言えばいいか。ワシがその時に払うべきだった……ああ、いや。少し待ってくれ。……うむ。つまりだ」
「ああ」
「今おまえさんがワシに払うべき、授業料があるとしよう。だがそんなものは、ワシにくれなくてもいい。ただ、これから五年後、六年後、おまえさんが一人前になれば、人に教えるようなこともあるだろう。その時には、受け取るべき授業料があることになる。こう言えば、おまえさんには分かるだろう」
 ユーサムがそこまで言うと、アズールは小さく顔を跳ね上げた。
 理解したようだ。

「あんたは先輩からの借りを、俺に返した。俺はあんたへの借りを、俺の後輩に返せ、―――ってことか」
「そのとおりだ」
 ユーサムは大きく頷いた。うまく表現する言葉が分からずに苦心したが、まさにアズールの言うとおりなのだ。
 借りた相手と返す相手は異なっても、そうして貸し借りゼロになる。
 かの片腕のレイマーから自分へ、自分からアズールや他の後輩たちへ、そして彼等から、更に若い誰かたちへと。
 ふとユーサムの脳裏に、自分も知らないはるか過去の先達から、自分たちの先輩、そして自分を通って彼へ、更に未来へと流れていく雄大な大河のイメージがよぎった。

 つながっている。
 顔も知らない過去の誰かから、顔を見ることもない未来の誰かまで、こうしてずっと。
 途切れることなく、終わることなく、絶えることなく、これまでもこれからも、遠く果てしない未来まで。
 その大きなうねりの中に、自分もいるのだ。
 受け継がれ、続いていく流れの中に。

(おお……)
 これまで生きてきた。
 今ここに生きている。
 やがては死ぬだろう。
 だがそれは、嘆かねばならないことではないし、恐れることもないのだ。
 彼等の中に技術が、あるいはこうして過ごした記憶が残り続ける内は、この体は失い己をすらなくしても、死に絶えてはいない。
 まだ、生きている。
 自分の中に鬼籍に入った片腕のレイマーがいるように、彼の中に誰か先達の影があり、その影のことを自分が知っているように、まるでチェーンのように、少しずつ関わりあいながら。
 果てなく続き、終わることがない。
 それすなわち、永遠―――

「……さん、ユーさん!」
 アズールの声で我に返った。
 心の中を吹き過ぎた心地好い嵐は春を告げたものか。自分の中にある様々なものが、今生きている喜びを謳歌するような不思議な心地だった。
「ショートしたのかと思ったぞ」
「いやいや。この年になって、やっと分かったこともあってな」
 出す声に、力が満ちている。それを感じ取ったのか、アズールが小首を傾げた。
 説明するのは難しい。
 そしてまた、どんな言葉をもってしても、なかなか伝えることはできないだろう。
 これは感じるしかないことなのだ。
 精一杯生きて、誰かとのあたたかいつながり、信頼や友愛の中で、生きるとは一人でのことではなく、そして一人でないことを深く知れば、命とは己一人の中で終わるものではないことが、自然と分かるのかもしれない。

 肝心なのは、今生きているということ。
 まだできることがあり、誰かと過ごす時間があり、それを楽しめるということだ。
「よし。第二エリアの付近まで行ってみようか」
「なんだよ、今度はユーさんのほうがやる気か? ま、付き合うけどな」
「なにを言っとる。付き合うのはワシのほうだ。ほれ、行った行った」

 全てがでなくてもいい。
 欠片や気配でいい。
 思い出でいい。
 こうして過ごしたことがアズールの糧になり、その中で良かったこととして思い出されることがあるならば、それこそが最大の報酬だと、ユーサムは若い背中を追って歩き出した。
 まだ真新しい艶のあるボディに反射する陽光が、やけにまぶしい昼だった。

 

(終)