「もし」 という言葉自体が、ガッシュは嫌いである。その一言を耳に入れた時点で、眉間に皺が寄る。 それに続けて 「補助がきれた時は、どうすればいい?」 と言われては、ただでさえ剣呑な目つきが、更に二割増に剣呑になった。 しかし、そんな目で睨んでもまるで無意味な相手というのもいる。目の前にいるヒューキャスト、アズールがそれだ。彼は少しも恐れたり怯えたりする様子はなく、淡々と言う。 「なにもGの腕を疑うわけじゃない。万一の話だ。なにがあるか分からないだろ。決めておきたいんだ」 他人の思念を感じ取ることができるガッシュであるが、アンドロイドのそれは、マンのものに比べて微弱だ。にも関わらずいくらかの切実さを感じ取れたのだから、それだけ真剣なものなのだろう。ガッシュもとりあえず眉間の皺は解除した。
意識の回路をつなげる―――という表現が、最もしっくり来るだろうか。ガッシュは、相手の感覚や思考のおおまかな内容を、意図的に感じ取ることもできる。 無論、相手が頭の中で考えていることが、そっくりそのまま分かるわけではない。時には相手の感覚を我が物のように感じるが、たとえば猛烈に怒っているとして、何故怒っているのかは分からないこともある。ただその激情のみ、自分のもののように感じるのである。また、そういった怒りを或る種のショックのように、打撃のようにして受けてしまうこともある。「打たれる」の他、「蝕まれる」「汚染される」「食われる」……というろくでもない感覚に近い時もある。 どちらにせよ、役に立つ以上に厄介で面倒な能力には違いない。
ともあれ、今アズールが切羽詰ってそのようなことを言い出したのは、何事かが起こったためらしい。感覚の後ろにはっきりとした「出来事の印象」が感じ取れた。 問答も嫌いな男である。言葉を出すことも聞くことも嫌な時があるほどで、できるならば、こちらから問うことなしに勝手に経緯を語り出せはいいと思う。 だが、「いちいち言うまでもないことだ」という妙な気遣いもまた、感じる。つまり、 「なにがあってそう言う」 最も少ない言葉の数で、最も的確な問いを、こうして差し向けねばならない。「話せ」という言葉を言う必要がないだけ、マシな相手だった。そういった聡さゆえに、付き合ってやっていると言っても過言ではない。 そう。それが肝心なのだ。言いたくないならば「言いたくない」とはっきり答えるだろう。話してもいいことならば、話せと言わずともこれだけで語るだろう。曖昧に、期待を持たせようとしたり期待されようとしたり、言いたいくせに焦らそうとしたり、言う気がないくせに問われたがったり、鬱陶しい駆け引きがない。極めてシンプルで、分かり良い。 であればこそ、厄介な能力を持つガッシュも、アズールが傍にいることを許容しているのである。
「少し前のことなんだけどな」 とアズールが言う。ガッシュが歩き出すと、話しながらついてきた。 「一緒に組んだフォーマーとヒューマーがいたんだ」 「それで」といちいち促してやらなくていいのも、いいところだ。言うまでもなく「あっち」に似たのだろうが、口の回ることは、並のマンでは相手にならないレベルである。 「重危の遺跡で戦ってる最中、補助が切れた。混戦気味だったけど、その時はなんとかなった。ただ、またこんなことがあると困るから、俺は、そういう時にはどうすればいいか、或る程度決めておこうって言ったんだ」 感じる思念に、一抹の憤り。それだけ感じれば、ガッシュには分かる。 「口を出すな、でうやむやになったか」 「ああ。よく分かるな。そういうことも読めるのか」
「続けろ」 余計な話は、無用だ。 言えばそのとおりにおとなしく従うところも、追い払わずにいる理由の一つである。アズールは問いを無視されたことについては、少しばかり残念な程度で、追及する気は皆無のようだった。ゆえにすぐ話を元に戻した。 「そのフォーマーのほうを、この間また見かけた。一緒に組むことになった二人と、言い争ってた。俺の言ったのと同じことを、そのフォーマーが『決めて行こう』って言ってさ」 「ほう」 つまり、その間に何事かが発生していたのだろう。 「俺は、以前は二人のチームに俺が加わった形だから、二人で組んでいればこういうイレギュラーもないのかもしれないと思ったから、適当なところで言うのをやめた。けれどそのフォーマーは、しつこく言い募って」 「チーム解散、か?」 「ああ。それで、一人になったそいつにどうかしたのか聞いたんだ。決めておいたほうがいいことにしても、やけに必死に見えたから。そうしたら、相棒が死んだって。補助が切れて、誘導も退却もうまくいかなくてな」
ガッシュにとれば、鼻で笑える出来事である。だが、彼から見ればどれほど馬鹿馬鹿しかろうと、当事者にとればとんだ悲劇なのだろう。であればこそ、余計に笑えるのだが。 ともあれ、このあたりは戦闘アンドロイドらしく、アズールも過剰な感傷は持たないようだ。むしろ、美しいと言えるほど無駄なく冷徹である。まるで動じていない。 ヒューマニズムとやらに酔っ払ったマンや、感情を過剰発達させたアンドロイドならば、たった一度組んだだけの相手にさえ、鬱陶しいほどの憐憫や悲哀を捻出してみせるものだ。 そんなものを感じれば、気分が悪くなる。それがないというのは、とてもいい。 ほとんど動かないガッシュの口元に、ほんの僅かに笑みの気配が漂う。 やや俯いて歩く彼の口元など、頭一つ分背の高いアズールからは見えるはずもなく、アズールはそのまま続けた。しかも、極めて端的に、なんの感慨もなく。 「そのフォーマーのほうが、昨日の明け方、ビルから飛び降りて自殺した。ローカルニュースのレポートを見ると、日記でもつけてたのかな。相棒を死なせたことを苦にしての自殺のように書いてあった」
お定まりの三文悲劇、あるいは喜劇だ。 しかしおおよその理解はできる。自分には発生しない感情や感覚ではあれど、他人のそれらを感じて来ればこそ、分かることは分かるのだ。 そして、その現場も或る程度は予想がつく。 代わり映えもしない。そういう人間が相棒を失う時には、まず間違いなく、自分は相棒を見捨てて逃げている。むしろ、逃げ延びることができたとすれば、相棒に敵が集中していればこそだと言ってもいい。自分のほうに向かってこないのを幸いと、相棒を餌にして逃げるのである。 だが、それでもまだ上等な部類だ。より愚かな連中になると、至近距離で起こる惨事に動転し、自らもその場で屍となるオチ。 助けるため、また自分も助かるため、手を尽くせるだけの能力がある者は、極めて稀だ。
ともあれ、そうして助かったところで、必死の時を過ぎれば膨大な後悔と恐怖、不安に苛まれるのも、馬鹿馬鹿しい人間の常である。 二人揃って屍になるよりは、どちらか一人をスケープゴートとし、一人だけでも生き残るほうがはるかに利口であるにも関わらず、世間はそれを「仕方ない」と言いつつ決して許しはせず、自身もまた罪悪感に悩まされる。 ヒューマニズムとやらに洗脳された「酔っ払い」。頭の中に思い浮かべるだけでも不愉快になる。
普段ならば、これ以上のことを聞かされるのも御免だと思うガッシュだが、今回は黙って先を待った。話の内容は理解したが、理解できないことも一つ生じたからである。 アズールは、この馬鹿げた顛末そのものには、特に感慨など抱いていない。では何故、この出来事をきっかけにして、万一の時のことを決めておこうなどと言い出したのか。しかも真剣に。 死にたくないから、というならば、切実さには不安と恐怖が混じるだろう。だがそれは存在しない。 より効率的に立ち回るためならば、淡々と提案されても良いはずである。 一度は消えた眉間の皺が、浅いものの蘇り、ガッシュの足が自然に緩む。
「どうかしたか?」 それを感知したアズールに問われ、ガッシュは完全に足を止め、彼を見上げた。顔のない顔の、視覚センサーの辺りを見る。 だが、端的な問いの言葉は見つからず、それを探して思考するのは面倒になった。 「いや。行くぞ」 再び歩き出す。と、一歩遅れた後ろから、不意打ちで切実な気配が覆い被さってきた。軽く緩く微かだが、突き飛ばされたような心地になる程度には、鮮烈だった。 「いったいなんだ」 思わず声音にも苛立ちが覗き、振り返ったところの頭を睨みつけた。
「だから、どうすればいい?」 理解不能の切実さ。 「何故そんなことを決めたがる」 ふと思いついた言葉で問い返すと、 「まだ死にたくないし」 少しばかり肩を竦め、軽い揺らぎ―――恐れ―――と、 「死なれたくない。だから」 揺らぎを打ち消して、トンと突き飛ばされた。
言葉もない。 正気を疑う。 俺は死なない、という特異体質は別としても、このアズールにそれほど切実に命を惜しまれるような道理がない。 (イカれてるのかこいつは) と本気で思うが、クレイジーな思念波ではないし、感覚は間違いなく切実で、真剣だった。
たしかに、これまでに何度か組んで、面倒を見てやった。一度組んだだけの相手よりは知人度は高いだろう。だが、そのように執着されるいわれはなにもない。 仕事に出かけるにせよ、トレーニングに付き合うにせよ、パートナーとして受け持つべきことを、一応は「まとも」にしてやっただけだ。目障りだと思えば次の瞬間には頭を撃ち抜くか「壊す」かするガッシュが、今もって「まとも」な対応と援護をしてやっているのは、アズールが彼の神経を逆撫でしないからでしかない。 そしてまた、戦闘についてはほとんど癖のない、白紙同然のアズールであればこそ、自分が利用しやすいスキルと戦闘理念の持ち主に仕立てられるかもしれない、という計算もあった。
人間の多い場所を避けようとすると、どうしても隔離区域になる。実を言えばガッシュは、ほとんどそのためだけにハンターズとして登録している。それゆえ、出かけてきてもなにもしないでいることも多い。一区画、テリトリー内のエネミーを殲滅し、勝手に区画を封鎖し―――時々ギルドには、原因不明の行き止まりが報告されるのだが、これもその原因の一つである―――、雑音のない場所でようやく頭を休める常だ。 ただ、稀にエネミーを狩ることを楽しみたい気分になることもある。そういう時には、一人では楽しみに限界があるのだ。だからといって半端なハンターズを相棒にすると、逆にストレスが溜まるだけの道中になる。 アズールは、上手く育てさえすれば、ノイズを撒き散らさない、適度に無機的でかつ機能的な相棒にできるだろう。 それを期待できるから、それなりに「まとも」に応じてやっているだけである。特別なことは、このように執着される理由になるようなことは、何一つした覚えがない。
「な。決めておこう。入ってきたゲートに退避してかけなおすほうがいいのか? それとも、俺の前に敵が集まるように誘導してきてくれるか?」 理解不能だ。 誰彼なしに博愛精神を発揮する、鬱陶しい「酔っ払い」とは違うことも確かである一方、適当でない感情。 付き合えば苛立ちだけが募ることは明白。 勝手にかけている期待だが、裏切れるのは面白くない。ならば、裏切らないようにこちらからコントロールすることも必要だ。
意識の壁。 シャットアウト。 この話題ももう御免だという意思表示の代わりに、ガッシュはやや歩幅を大きくして再び歩き出した。慌てて追いかけてくる足音へ、声だけ飛ばす。 「ケース・バイ・ケースだ。どうするかは俺が言う」 おまえはただ従えばいい、とアズール相手には言う必要のない言葉が口を突きかけたが、 「そうか。それもそうだな。じゃあ、任せた」 切実さの消えた、明るい声に遮られた。
(分からん奴だ) とガッシュは思う。 案外「冷たい」奴だとはガッシュも気付いていた。しかしそれは、世間に言わせれば「冷たい」だけで、ガッシュには適温だ。 だがその温度が、微妙に揺らいでいる。不快ではないが、謎だ。 要するに、「何故俺にそれほど執着するのか」。
「そうか。司令塔になれる人がいるなら、任せるのが一番か」 相変わらずアズールは音声を消せないらしく、「独り言」を言いながらのんきについてくる。 今はまだ、不快でもなければ鬱陶しくも目障りでもない。 ならばまだ、付き合ってやるのも悪くはない。 妙なのになつかれた気はするが、と思いつつ、ガッシュは小さく、溜め息をついた。
(終) |